28 閑話・アリエッタの困惑
進級式が終わってすぐ、レオナは重要な任務があると言って出かけてしまった。
アリエッタは詳細を知らされていなかったが、きっと悪役令嬢断罪計画のために必要なことなのだろうと、あえて追及しない。
『ずっとずっと、私はアリエッタお嬢様だけの味方……ということですよ』
今となっては遠い昔……、すっかり記憶もおぼろげではあるがそれでも覚えている、レオナからかけてもらったあの優しい言葉。
悪役令嬢を演じてきて、つらい時や悲しい時、心が苦しみで潰れそうになった時に必ずレオナは側にいて、この言葉をかけてくれた。
そして今も……。
魔力の高いアリエッタですら目で確認することはできないが、こうしてつつがなく過ごしている間もレオナの魔性が自分のことを見守ってくれている。
そう思うと、目に見えなくてもレオナがずっと側にいて守ってくれているのだと思うことができた。――だから信じられる。
詳しく話してくれなくても、レオナの行動全てをアリエッタは信じることができた。
(レオナが心配して駆けつけてくるようなことがないように、しっかりと悪役令嬢アリエッタを演じなくちゃ!)
ぐっと拳を握りしめて自分を鼓舞する。
そうは言っても、進級式のある日は特別何かがあるわけでもない。
中等部の校舎から高等部の校舎に移動したことで、各場所の見学やルールの見直しが説明されるだけだ。
高等部から新たに入学してきた新入生に向けて一から説明が入るので、エスカレーター式に進級してきた生徒にとっては退屈な時間でしかない。
そう思っていた矢先、女子生徒の黄色い歓声が聞こえてアリエッタはドキリとした。
「きゃー、見て! ランドルフ様よ!」
「なんて素敵な方なのかしら!」
そう、高等部には王太子ランドルフが在籍していた。
次の授業が移動教室のため、たまたま級友と遠くのテラスを歩いていたランドルフが、一年生に気が付き笑顔で手を振っている。
そうするとさらに甲高い悲鳴のような声が上がって、誰よりも自分が目立とうと大きく手を振り返す女子生徒たち。
(ランドルフ様……)
ランドルフとの婚約の話があってから今日に至るまで月に一度、二人で会うことを義務付けられていた。
その度に緊張して失敗してしまわないよう、どうにか好印象を持ってもらおうと努力したアリエッタだったが、未だに好感触はない状態が続いている。
ただ義務的に会って、約束通りレオナと一緒に作ったラングドシャをランドルフが一人で全部食べて、そしてろくに会話をすることもなく時間切れ。
レオナは「焦る必要はございません」と励ましてくれたが、アリエッタとしてはそういうわけにいかなかった。
少しでも、一分一秒でも早く、ランドルフとの仲を好転させたい。
婚約者としてほんの少しでも自分に興味を持ってもらいたい。
(だって私の命の期限はもう、すぐそこなんだもの……)
級友と連れ立ってゆっくりと去っていくランドルフを目で追いかけ続けるが、一年生の中にアリエッタの姿を見つけた途端、ランドルフはあからさまに視線を逸らした。
一瞬だけ目が合ったその直後にランドルフの柔和な笑顔が微苦笑に変わり、あれだけのんびり歩いていた様子から一変。まるで慌てるように、そそくさと立ち去ってしまった様子を見て、アリエッタの心がちくちくと痛む。
アリエッタが小さくため息をもらした時、急に背後からはきはきとした声で話しかけられた。
「ねぇ、ちょっと教えてほしいんだけどいいかしら」
「え……? あ、あなたは……っ」
見るとすぐ側には聖女セスティリア・ルドベックが立っていて、怪訝な表情で話しかけている。つい数時間前、彼女に顔と名前を覚えたと宣言されて、戦々恐々としていたアリエッタの心がざわつく。
聖女に対して警戒心を露わにすることは、きっと間違った態度ではないはず。
悪役令嬢アリエッタにとって聖女は宿敵。
そして悪役令嬢は聖女の引き立て役にならなければいけない。
ならば目の上のたんこぶとして、目障りな存在として扱うべき相手だ。
「誰かと思えば、またあなたですの?」
「覚えててくれたのね! よかった~!」
(思い切り冷たく言い放ったつもりなのに、なんで安堵するのっ!?)
思っていた反応と違い、困惑するアリエッタ。そんなこと意に介すはずもなく、セスティリアは深刻な顔をしながら小声で訊ねてくる。
その間もアリエッタは迷惑そうな表情を浮かべるが、やはりセスティリアは気付かない。
「さっきみんながきゃーきゃー騒いでいた相手の男の人なんだけど……」
「お……、王太子殿下ランドルフ様のことを、まさかご存知ないとでも?」
これはチャンスとばかりに、アリエッタは自信たっぷりに意地悪い笑みを浮かべてセスティリアに向かい合った。
ここで無知だ田舎者だと罵れば、さすがの聖女でもアリエッタのことを不快に思うに違いない。聖女に嫌われる絶好のタイミングだと言わんばかりにアリエッタは声高らかに罵倒した。
「信じられないわ! アンデシュダリア国の王太子殿下のことを知らないだなんて、とんだ恥知らずですこと! 一体どのような教育を受ければ、ランドルフ様のお顔もお名前も知らずに育つのかしら! あなた、プラチナ学園高等部の新入生として自覚がなさ過ぎるんじゃなくて!?」
アリエッタによる攻撃に、一同が注目する。
セスティリアが聖女であることは、ここにいる全員がよく知っていることだ。新入生歓迎のスピーチの時にも、学園長が聖女セスティリアを全校生徒に紹介し、彼女に敬意を払うよう伝達したばかりなのだから。
そんな言葉があったにも関わらず、アリエッタによってセスティリアが辱めを受けることがどういうことなのか。
誰が見ても、どんな理由があったとしても、アリエッタ・クリサンセマムの言葉はただの暴言として周知されるに決まっているのだ。
「ちょっと! そこまで言うのはひどいわよ!」
「そうよそうよ! 聖女セスティリア様は教会の意向で、世俗から切り離された生活を強いられていたんだから。世間の常識にちょっとばかり疎くても仕方ないって、学園長がおっしゃっていたじゃない!」
セスティリアをかばうために割って入ってきた顔ぶれは、どれも今年新入生として入学してきた女子ばかり。
初等部の頃からアリエッタのことをよく知っている女子たちを見れば、ほとんど全員が気まずそうに下を向き、極力関わらないようにしている様子が見て取れた。
アリエッタは、ふんと鼻を鳴らし腕を組む。
いけすかない、という態度を全身で表現しながらセスティリアをじろじろと値踏みするように見る。
「庶民には、同じ庶民で群れるのがお似合いね。身分の違いがわかったなら、もう二度と私に気安く話しかけないでもらえるかしら」
願わくば、このままフレンドリーに話しかけてくることをやめていただきたい。
アリエッタは心の底からそう願った。
今まで、悪役令嬢アリエッタに対して良い意味で興味を持った人間など一人もいなかったことを思い出す。
第一印象から鼻持ちならない態度や言葉使いをしてきたものだから、誰もが役柄通りに受け止め、それ以上深く関わろうとしなかった。
もしこのままセスティリアに親切に話しかけられでもしたら……。
優しい態度で接してこられたら、それこそアリエッタの心が限界を迎えるかもしれない。
今まで人の優しさに対して、唾を吐きかけて来たアリエッタ。
なんでも話せるような親友なんて、ただの一人も作らなかったアリエッタ。
自分のことしか考えていないような、そんな自己中心的な悪役令嬢アリエッタをずっと演じて来たのだから……。
今さらレオナ以外に親切にされることが、アリエッタは怖くてたまらない。
それならいっそ一人のままで、悪役令嬢アリエッタを完璧に演じたまま……最期を迎える方が気持ちが軽くなるというものだ。
下手に心を許してしまうと、それだけで今まで封印してきた様々な感情が、人として当たり前の良心が、アリエッタの中で暴走するかもしれない。それが怖かった。
そうなったが最後、アリエッタはこれまでの悪行三昧を悔やみ、苛まれてしまう。
だからアリエッタは他人からの優しさなど不要だった。
嫌われてこそ、自分を保つエネルギーとなるのだから。
ここで思い切り聖女を突き放し、宣戦布告をするのだ。
悪役令嬢と聖女は、決して交わることのない天敵同士であることを、ここで示すのだ。
(友達にだなんて、なれるはずのない関係なんだから……っ!)
進級組と新入生組で二つに分かれた場面を見て、案内をしていた教師が何事かとようやく気付く。
聖女側についている新入生組の男女は、一斉にアリエッタを睨みつけていた。
これ以上聖女に対して不敬を働くなとでも言うように、たった一人の横暴なんて許さないという正義の名の下に一致団結している様子である。
これに対して昔からアリエッタという少女を知っている進級組に至っては、バツの悪い表情で一線引いている状態だ。
それもそのはず、正義感を持ってアリエッタに逆らったところで、痛い目を見るのはどうせ自分たちなのだと、よく理解しているから。
アリエッタには関わるな、を長年貫いてきた生徒たちだ。
それが態度によく表れている。
「一体何の騒ぎですか。誰か説明なさい!」
いつもならここでアリエッタは自分に非がないよう振る舞い、真っ先に手を上げていたところだ。しかしこの場面でその選択をするつもりはなかった。
断罪の日は近い……。
何より、宿敵を前にして今さらいい子ぶることはないのだから。
ここで徹底的にわからせる。
これまでは主に同級生といった子供にのみ、その本性をひけらかしてきたが、高等部からは趣向を変えることにした。教師陣からも嫌悪される存在として……。
そうすることで学園中に、自分が聖女の敵であることを知らしめる方針だ。
生徒とは少し違い、教師陣には「身分」と「才能」が勝手に邪魔してくれるだろう。
アリエッタには「王太子殿下の婚約者」という身分が、その内明らかにされる。
そしてレオナによるスパルタ教育によって得た「才能」が、アリエッタを並外れた才能の持ち主として認識し、その目を曇らせてくれる。
自身の正常な判断や正義感が、その二つの要素とせめぎ合ってくれることだろう。
そして断罪の日に、教師陣はきっとアリエッタの「身分」や「才能」より、自分たちが持っていた正常な判断と正義感が打ち勝つことだろう。
初等部の頃からやって来た種まき最後の舞台がここ、高等部となる。
悪役令嬢アリエッタが満開に花開いた直後、盛大に散りゆくための最後の種まき……。
その時にようやく、解放される。
盛大に散る瞬間はきっと晴れ晴れしく、爽快で、誇らしい気持ちで満たされるに違いない。
心のどこかに寂しさや虚しさが感じられるのは、きっと気のせい。
見て! これこそみんなが望む、悪役令嬢アリエッタの本性よ?
みんなが愛する聖女を痛めつける、最低最悪の極悪人の姿よ!
蔑む眼差し。嫌悪する表情。
こんなに痛ましい人間が存在していたなんて、と憐れむ顔。
それこそ悪役令嬢アリエッタを演じて来た甲斐があったというもの。
これはご褒美なの。たくさんたくさん、頑張ってきた証になる!
嫌われれば嫌われるほど、家族のみんなが救われるから。
私一人が極悪人だって……、国中が認めるようになるから!
「違います、先生。私が失礼な態度を取ったのがいけなかったんです」
「……っ!?」
ざわりとした。
周囲が戸惑いでざわめく中、アリエッタは内心穏やかさを失いかける。
アリエッタの心が不穏でざわついていることも知らず、片手をぴんと天に向かって伸ばし、まっすぐな瞳で発言する聖女セスティリア。
「アリエッタ様は私に礼儀作法について教えてくださっただけです」
「そう、なのですか?」
戸惑い、周囲の意見を求める教師。
しかし生徒たちもまたセスティリアの思いがけない言葉について行けず、どうしたものかと互いに顔を見合わせるばかりだ。
「私は貧民街出身の田舎者です。教会で神官見習いとして修業をする傍ら、礼儀作法に関しての特訓も受けてきたつもりですが……。私の自覚が足りなかったせいで、アリエッタ様にご迷惑をおかけしてしまったのです」
凛とした声、意志の強いまっすぐな言葉、誠実な表情。
どれを取っても聖女は完璧であった。セスティリアのそれを誰もが聖女たらんとした姿として映り、中にはその神々しさに感動して涙を流す者まで現れるほどだ。
セスティリアの説得に教師はそれ以上追及することができなくなり、どこか納得のいかない表情をしながらも了承しつつ、高等部案内を再開した。
ぞろぞろと教師に続く際に真っ先にセスティリアの援護に回った女子生徒が、ひそひそと声をかける。
その場からすぐに動けず、皆が歩を進めた時には最後尾になっていたアリエッタ。
距離が随分と離れてしまったので、その声は聴こえないはずだった。
しかしセスティリアに話しかけたその生徒が何と言っているのか、アリエッタには察しが付いた。
(どうしてあんなことを? あんな人、かばう必要なんてないのに)
(別にかばったわけじゃ……。だって私が無自覚に無礼を働いたことは事実だから)
(さすが聖女様は心が広いわね~!)
衝撃で言葉も出て来ない。
あれほど罵り恥をかかせたというのに、彼女はそんなことよりも自分の非を認めたのだ。
いつもなら、恥をかかされれば敵意をむき出しにしアリエッタのことを一瞬で嫌いになるというのに。
(これが……、聖女の持つ友愛の心というものなの?)
聖女は慈愛の化身とも言われている。
悪役令嬢断罪計画なんてものが定期的に行なわれている中、その言い伝えも信用していいものかどうか疑わしいが、アリエッタはまさにそれを見せつけられたように感じた。
これまでの一般人とは比較にならない。
一筋縄ではいかない相手として、アリエッタは痛感する。
(レオナ……、人を疑う心を知らない聖女相手に、私は一体どう振る舞えばいいの?)
見守られているだけじゃ拭い去れない不安ができてしまった。
レオナから的確な助言をもらいたい。
レオナに叱咤激励してもらいたい。
レオナに、側にいてほしい。
(まだ、合図を送ってはダメよ……。だってまだ、半日も経っていないじゃない……)
アリエッタの瞳に再び力強さが込められる。
衝撃で、不安で、動揺していた心を押し込めて、ただの貴族令嬢アリエッタから悪役令嬢アリエッタへと切り替えた。
(聖女との接触はまだほんの数回。レオナも言ってた……、聖女に関する情報が不足し過ぎてるって。だったら情報をもっと集めて、相手を知る必要があるわ。そうすれば聖女が何に対して嫌がるのか、的確な嫌がらせをすることができるはず!)
気を取り直したアリエッタは、前を向いた。
心が挫けてしまわないよう口元を引き締めて奮起する。
高等部の校内見学が終了するまでの間、ひとまずセスティリアへの接近は避けて一人静かにやり過ごすことにしたアリエッタ。
聖女との最初の衝突により、アリエッタは完全に孤立する覚悟でいたが人間の本性というものは実に恐ろしいものだと痛感する。
貴族令嬢の何人かが、聖女を諫めた行動に感銘を受けてアリエッタにすり寄って来たのだ。半聖女派というものが一定数いたことに、アリエッタは驚きを隠せなかった。
***
高等部進級初日は昼頃に終わり、アリエッタはレオナの代わりに迎えに来ている従僕オースティンと女中メリンダの元へ急ぐ。
即座に教室を去り、早足で玄関を抜けた先で――捉まってしまった。
息せき切って追いかけて来たセスティリア。
その存在に気付いていたが、あえて気付かぬふりして立ち去ろうとするアリエッタ。
しかしよく通る声で名前を呼ばれてしまえばそうもいかない。
振り向くとそこには、表情をキラキラさせた聖女セスティリアの姿があった。
「あの、アリエッタ様! 急にこんなこと言うのはまた失礼かもしれないけど!」
「……だったらそのまま言葉を飲み込んでくださらないかしら。私は早く帰りたいのだけど」
突き放す言い方と態度で示すも、彼女の表情を見るに何のダメージもない様子である。
それどころか、冷たくあしらうほどにセスティリアの表情は喜びにあふれているようにさえ見えた。
「やっぱり……っ、あなただけだわ! 私のことを聖女様扱いしない人! 良かったら私と友達になってくれないかしら!」
くらり、とめまいがした。
理解の追い付かないやり取りに限界を感じたアリエッタがふらついたと同時に、校門付近で待機していたオースティンたちが走り寄って声をかけた。
なんとか自分の足で踏ん張るアリエッタに、セスティリアもまた手を差し伸べようとするもこれを拒絶。
窮地に追い込まれた獣のような表情でセスティリアを睨みつけ、片手で制して首を横に振るので精一杯だった。
「きょ、今日のところは……気分が悪いので。このまま帰らせてもらいますわ……」
駆け寄ったオースティンに支えられながら、その場を後にするアリエッタ。心配そうに見つめるセスティリアに、メリンダが会釈して「これ以上の介入は不要」と無言の圧をかけた。
(レオナが帰ったら、報告しなくちゃ……。今回の聖女は、どんな苦境にも耐える強靭な精神力を持った聖人だって……)
その夜、アリエッタはこれまでにないストレスを抱えたままベッドに横になるのであった。




