再構築の教室──最底辺からの再出発
──それは、床に落ちていた。
一枚の写真。
角が擦れて、色も少し褪せていたけれど──
そこに写っていたのは、間違いなく“俺と彼女”だった。
制服姿のツーショット。
場所は、近所の公園だろうか。
ふたりでジュースを手に、笑っていた。
「……莉子」
一ノ瀬 莉子。
両親が死んだあと、俺のそばにいてくれた、唯一の存在。
明るくて、優しくて、強くて。
そして──もう、この世界にはいない。
俺と出かけていたあの日。
突然の通り魔事件に巻き込まれて、彼女は……俺の目の前で──
握った指先が、震える。
(守れなかった。俺は──何もできなかった)
静かに、脳の奥で電子音が鳴った。
『写真データを確認。再構築対象外の旧記憶デバイスです。処分しますか?』
「……は?」
『対象は旧環境に依存した記録物です。削除を推奨します』
「──ふざけんな」
吐き捨てるように言って、写真を胸に引き寄せた。
「これは……残しておく。誰が何と言おうと、絶対に」
Orisは一瞬、沈黙した。
『……了解。例外データとして保護処理に移行』
ソファに背を預け、写真を見つめたまま目を閉じる。
この世界は、何もかもが勝手に書き換えられていく。
思い出も、現実も、願いさえも──最適化の名のもとに。
だけど、これだけは譲れない。
(俺の“願い”は、全部俺のものだ)
もう、流されるだけじゃいられない。
この力が何なのかも、Orisが何をしようとしているのかも、まだわからない。
だけど──このまま何もせずにいたら、“俺”が消えてしまう。
(だったら……選んでやるよ。俺の手で)
英雄になるのは、“Orisの計算の結果”なんかじゃない。
俺自身が、俺の意思で──そうなるんだ。
──朝。
疲れがまだ残っていたのか、いつの間にか眠っていたらしい。
目が覚めると、見慣れたはずの天井が、やけに白く感じた。
体を起こして、ゆっくりと部屋を見渡す。
統一されたシルバートーンの家具。
壁の一角には、ホログラム対応の壁端末が埋め込まれていた。
窓のブラインドは自動制御式。
何もかもが──**“近未来の規格”で整えられている**。
「……やっぱ、変わってるよな」
違和感は、もはや“微妙”なレベルではない。
それでも、記憶と現実の境目が曖昧すぎて、どこが“間違っているのか”が特定できない。
(俺の部屋じゃない……でも、“俺の部屋だった場所”ではある……)
そんな風に思えてしまうくらい、現実は静かに書き換えられていた。
スマートデバイスを手に取ると、画面には「登校日」の通知が浮かんでいた。
それはもう、スマホとは別の何か──この世界に馴染んだ、“それっぽい機械”だった。
「……学校、か」
俺はゆっくりと制服に袖を通す。
ブレザーの胸ポケットには、いつの間にか埋め込まれていたICタグ。
袖口には見覚えのない、薄く光るラインが走っている。
──無機質な、異能社会の制服だった。
***
駅から数分歩いた先に、その校舎はあった。
《新城異能高等学校》。
(間違いない。ここは……俺が通ってた学校だ)
校門も、グラウンドも、位置は同じ。
けれど、全体が洗練されすぎていた。
まるで近未来ドラマのセットを歩いているような感覚だった。
ロビーにはデジタル掲示板が浮かび、
「ランク昇格おめでとう」の名前が自動更新されている。
(……“B組・榊原レイ → Aクラス昇格”……?)
その文字列を見たとき、胸の奥に鈍い痛みが走った。
(俺は──どこにもいない)
***
教室の前で足が止まった。
(……2年D組。たしか、俺のクラスだった)
けれど、その教室に入った瞬間、すべてが変わった。
中にいたのは──誰も知らない顔ばかりだった。
「……誰だよ、お前ら……」
思わず呟いた言葉は、誰にも届かない。
どこかで聞いたことのある声。
見覚えのある後ろ姿。
けれど、顔を見た瞬間に、すべてが違っていた。
(ここ……本当に、俺の知ってるクラスか?)
ざわつく胸の中で、自嘲のように笑ってしまった。
「……まあ、改変される前も……別に友達がいたわけじゃないしな」
「俺のことなんて、空気だと思ってた連中だったし──」
だが、その言葉に救われるほど、
今の空気は、優しくなかった。
***
担任らしき教師が現れた。
初対面の若い男で、やたらと事務的だった。
「えー……綾瀬凪人、だったな? システム登録がまだされていないみたいでな」
「とりあえず今日は“仮在籍”としてFクラスで過ごしてもらう。何かあれば職員室まで」
その言葉だけを告げると、教師はあっさり去っていった。
(……Fクラス?)
凪人が表示されたクラス名を見つめていると、脳内にOrisの声が響いた。
『補足:本校のクラスはA〜Fの6段階で構成。Aクラスが最上位、Fクラスは最低位となります』
(……最下位、ね)
記録がない。履歴もない。誰にも知られていない。
──そんな俺に、最下位の席が与えられる。
この世界の“合理性”に、少しだけ笑えた。
(英雄になりたい、か。笑っちまうよな)
凪人は背を向け、静かにFクラスの教室へと歩き出した。
Fクラスの教室。
ドアを開けた瞬間、空気が変わった。
ざわつきも、緊張もない。
そこにあったのは、“あきらめ”と“無関心”の匂いだった。
誰かが机に突っ伏して寝ていた。
誰かが壁際でスマホのようなデバイスを操作している。
前の方では、数人がゲームのようなものに興じていた。
そんな中で、凪人に向けられたのは──たった数秒の、無関心な視線。
「……誰?」
奥の席から漏れた声に、誰かが笑った。
それだけで、あとはまた、元の沈黙に戻った。
(……ここが、Fクラス)
凪人は空いていた一番後ろの席に腰を下ろす。
机には傷があり、脚がわずかに傾いていた。
椅子には落書き。教室の片隅には、補修された壁。
そこには、誰も期待していない空気が、確かに流れていた。
『補足:Fクラスは、異能適性・成績・制御力が最下位圏に位置する生徒で構成されています。
他クラスとの交友は任意。基本的には自主性に委ねられています』
Orisの淡々とした説明が頭に響く。
(なるほどな……“扱いやすいように切り分けた最底辺”ってわけか)
教室の壁に設置されたホログラムボードには、クラス内の成績スコアが表示されていた。
当然そこに、“綾瀬凪人”の名前はない。
(ま、そうだよな。俺は存在してなかったんだから)
Orisが言った。「再構築」された現実。
そして俺は、その“例外”として、この世界に存在している。
(でも──記録がないからって、“俺がいなかったこと”にはならない)
視線を下げる。
手のひらの熱がまだ、わずかに残っていた。
あの銃の感触。あの戦いの痕。それは、誰が否定しても“俺だけの現実”だった。
──そのまま、背もたれに身を預ける。
(英雄になりたい、なんて……笑っちまうよな)
それでもこの日──
「異能者の最底辺」として、世界に名前を刻んだのは、確かだった。




