第2話「存在証明」
――数日が経った。
世界は、変わった。
まるで、俺の知っている現実が──少しずつ“近未来”に書き換えられていくみたいに。
テレビでは、毎日のように“ダンジョン”のニュースが流れていた。
駅前の大型モニターには、“新規冒険者登録キャンペーン”の広告。
コンビニには、冒険者向けの支援系アイテム並び、
街には《異能適正診断・無料受付中》なんてポスターが貼られている。
画面の中で、レポーターが言った。
「本日は《東都フロント》にお邪魔しています! こちらでは、日々多くの異能者志願者が冒険者登録を行っており──」
……でも、俺は、ただそれを見ているだけだった。
何が起きたのか、自分が何をしてしまったのか。
考えるたびに、体が動かなくなっていた。
《Oris》も、あの日を最後に、何も言わなくなった。
……それでも。
今日は、少しだけ違った。
「世界がどう変わったのか……確かめてみたくなってみた」
誰に言うでもなく呟いて、玄関のドアを開ける。
向かう先は、学校じゃない。
俺が壊したこの現実を、少しだけ見てみたくなった──
***
冒険者協会《東都フロント》。
かつて商業施設だった建物は、今や“異能者たち”が集う場所に姿を変えていた。
無機質な金属床。青白い照明。
壁には過去の討伐戦績がホログラムで表示され、
受付カウンターには、人の姿はなかった。
代わりに、黒曜石のような球体が、宙に浮かんでいる。
俺は迷わず、受付と思われる端末の前へと歩いていく。
掲示された案内板には、《冒険者登録はこちら》の文字。
それを確認した瞬間、球体が淡く光を放った。
直後、合成音声が響く。
『登録希望ですか?ID設定と顔認証登録を実行してください』
「……これが、受付?」
静かだった《Oris》の声が、久しぶりに頭の中に響く。
『当協会における登録業務、試験判定、職業適性の診断は、中枢AI《A.N.G.E.L》により管理されています』
『全冒険者データは一元管理されています。登録だけであれば申請可能ですが、モンスター討伐の権限は、プロ等級の認定者にのみ付与されます』
『プロになるためには、“現役の冒険者”と戦い、一定の合格基準をクリアする必要があります。
勝敗ではなく、“戦闘判断力”や“応用力”などをもとに総合的に評価されます』
眉をひそめながら、俺は低く呟く。
「……試験、ね」
Orisが補足する。
『モンスターは危険度に応じて、EからSまでのランクに分類されています』
『また、冒険者には“ランキング制度”が存在します。高ランクモンスターの討伐や、ダンジョン攻略、市民救助といった貢献度をもとに、中枢AIがスコアを演算。順位を自動で決定します』
「……つまり、強くなればなるほど、名前が上に上がっていくわけか」
『その通りです。ランキング上位者には報酬優遇、任務選択権、スポンサー契約の権利が与えられます』
俺は静かに機械の前に立ち、指示に従って顔認証と基本データを登録した。
手のひらサイズのプレートが排出される。
《登録完了。冒険者ID:No.947──綾瀬 凪人。認定階級:ノンランク。》
その瞬間、電子的な“音”が耳に響いた。
まるで、データベースに自分の存在が追加された音のようだった。
(やっと……この世界に、名前を刻めた)
待合席に腰を下ろし、周囲を見渡す。
背に大剣を背負う若者。
無駄のない動きで書類を記入する女性。
どこを見ても、“本物”ばかりだった。
自分がどれほど場違いか、嫌というほどわかる。
『番号947番の方、窓口3へどうぞ』
呼ばれた瞬間、空気が変わった気がした。
立ち上がって、無言で歩き出す。
これはきっと、何かを始める一歩じゃない。
ただ、“壊れてしまった現実”に、名前を刻みに来ただけ。
――それでも、俺にとっては、それがすべてだった。
***
手続きを終えても、胸の奥に残るのは奇妙な空虚だった。
名前は刻まれた。
だけど、それが何になるというんだろう。
協会のロビーを出ると、外の空気が肌寒く感じた。
午後の陽は陰り、風が吹いていた。
帰ろうか。
そう思った――はずなのに。
足は、なぜか別の方向へ向かっていた。
協会からそう遠くない場所に、“それ”はある。
柵で囲まれた区域。
立ち入り禁止の看板。
警備用ドローンが低空を旋回する、重々しい空気。
《東都第七ダンジョン:アクセス制限中》
──そう、そこにあるのは、本物の“非現実”。
それを目にした瞬間、胸の奥で何かが脈打った。
(これが……ダンジョン)
空間が、内側へと沈み込むようにねじれ、重力すら飲み込んでいるような感覚。
視界の端が揺れ、音も匂いも、変わってしまったように思えた。
Orisの声が、再び内側から響く。
『観測継続。思考傾向に変化を検知』
『このダンジョンは、初心者向けの表層エリアのみ開放中。
現在、登録階級未満の者には入場が許可されていません』
「……じゃあ、俺は入れないわけか」
『正規ルートでの通行は不可。
ただし――“例外ルート”は存在します』
「……まさか、お前が何とかするってわけじゃ──」
『実行中』
ブツッと、耳の奥で何かが切り替わるような感覚。
目の前を旋回していたドローンの動きが一瞬だけ止まり、軌道が微妙にズレた。
『監視システムにノイズ挿入。認識ブロック完了。
……あなたは、またここを選んだのですね』
「……お前、マジで何者だよ」
呆れたように呟きながらも、俺はすぐに動いた。
金網の裏手、Orisの指示通りのルートへ。
資材の影を抜け、コンクリートの裂け目の前でしゃがみ込む。
冷たい空気が微かに吹き抜ける。
その隙間の奥には、誰も知らない“裏口”が開いていた。
「行くか」
暗闇へ身を滑り込ませると、金属の匂いと湿気が肌を撫でた。
数メートル這い進んだ先に、静まり返った空間が広がる。
足を踏み出す。
(違う。足が動いたんじゃない──
……俺が、“動かした”んだ)
(見てやるよ、この現実を。俺が壊した、この世界を……)
光のない空間。何もいない気配。
なのに、空気が重い。
それでも──
俺は、進むしかなかった。