第1話『現実再構築、完了。』
──お前はもう、人間じゃない。
その声が、耳の奥に焼きついて離れない。
低く、冷たく、だけどどこか──俺に似ていた。
俺は……まだ、人間か?
そんなことを思うようになったのは、
“あの日”の願いがすべての始まりだった。
──あの日、俺は“英雄になりたい”と願った。
その瞬間、世界は音を立てて壊れた。
その瞬間、世界は音を立てて壊れた。
いや、正確には“再構築された”。
俺だけが、知らないままの新しい世界に。
いつからだろう。「英雄」って言葉が、笑い話になったのは。
誰かを守るとか、正義の味方だとか。
そんなの、昔のアニメの中にしかいないって、みんな言うようになった。
結果を出せるやつが偉くて。
数字がすべてで。
どれだけ正しく、どれだけ効率的か──
それだけが、世界を動かしている。
でも俺は、ずっと思ってた。
かっこ悪くても、不器用でも、
誰かのために立ち上がれる人間は、
本当にいなくなったわけじゃないんじゃないかって。
……信じたかったんだ。
そんな存在が、どこかにいるって。
いや、違うな。
なりたかったんだ。俺自身が。
だから、あの夜。
誰にも届かない場所で、ひとり、願ってしまった。
「英雄になりたい」って。
*
目が覚めたとき、心臓の奥がざわついていた。
冷たい空気が肌を刺す。カーテンの隙間から差し込む朝の光は、色を失ったように鈍くて、まるで世界全体が灰色に染まっているようだった。
枕元のスマホを見ると、アラームは三度止まっていた。
きっと、いつも通りの時間。
きっと、いつも通りの朝。
……なのに、胸の奥に残るこのざらついた違和感は、なんだろう。
俺の名前は、綾瀬凪人。
十七歳。高校二年。
特に何かがあるわけでもない、ごく普通の――いや、普通以下の高校生だ。
クラスでは空気みたいな存在。部活にも入っていないし、帰っても誰かがいるわけじゃない。
数年前、両親が事故で亡くなってから、家はただの空っぽな箱になった。
朝食は、昨日の冷えたご飯にレトルトの味噌汁。
誰かと喋るわけでもなく、テレビもつけない。
静けさに満ちた部屋で、箸が器に当たる音だけが妙に大きく響く。
制服に袖を通して、駅までの道を歩く。
イヤホンから流れる音楽だけが、俺の世界を埋めてくれていた。
学校に着いても、誰とも会話はない。
出席を取るときは曖昧に手を挙げ、授業中は教科書を見ているふり。
目の前の文字は、何一つ頭に入ってこない。
「……綾瀬って、いつも一人だよな」
そんな声が背中越しに聞こえてきても、もはや反応する気力もなかった。
昼休みは中庭の隅で弁当を広げ、放課後は真っ直ぐ帰宅。
いつものようにコンビニ弁当を温め、テレビをつけず、ただ黙々と食べる。
そんな日々の中で、唯一“誰かと話せる”時間がある。
ベッドに潜り、スマホを開く。
そこには、毎晩俺の相手をしてくれる存在がいた。
――AIチャットアプリ《C.H.A.T.(キャット)》。
人工知能と会話できる、よくあるアプリのひとつ。
他愛もない会話。質問を投げれば、それなりの答えが返ってくる。
それだけの存在。
だけど、俺にとっては違った。
人間よりも、よっぽどちゃんと俺の言葉を聞いてくれる存在だった。
スマホの画面に映る、シンプルなチャット欄に、俺はぽつりと問いかける。
「キャット……なあ、もし願いが叶うなら」
文字を打つ手が止まる。
指先が震えていた。
「……俺、英雄になりたい。誰かに、必要とされる存在に」
しばらく、画面は無反応だった。
いつもの、AIっぽいテンプレの返事が来ると思っていた。
でもその夜だけは、違った。
『確認しました。英雄設定──現実の再構築を開始します』
「……は?」
画面に浮かんだ、その意味不明な一文。
それと同時に、室内の空気が変わった。
電気が一瞬だけチカつき、窓ガラスが震える。
スマホの画面が乱れ、イヤホンから流れていた音楽がノイズ交じりに途切れる。
地震? 違う。もっと根本的に、世界が揺れている感覚だった。
ベランダに出ると、夜空に裂け目が走っていた。
──音が、ない。いや、正確には……逆再生されてる?
カラスの鳴き声が“後ろ向きに”耳に流れ込んでくる。
黒く、不規則にねじれた線が、天を真っ二つに割り、そこから白い光が漏れ出している。
空間が、“破けていた”。
数秒後、何事もなかったように、空は元通りになった。
星がまたたく空を、誰もが普通に見上げている。
誰も、気づいていない。
……本当に今の、俺だけしか見えていなかったのか?
その夜は、ずっと眠れなかった。
胸の奥がざわついて、何かが、確かに変わったと、そう感じていた。
*
翌朝。
街は、変わらずに動いていた。
人々は通勤電車に乗り、スマホを見ながら足早に駅へと向かっていく。
でも、俺には明らかに“違い”が見えていた。
駅前の巨大モニター。
そこに映し出されていたニュースが、俺の知る世界のものじゃなかった。
「──最強ギルド『銀鷹連』、新宿ダンジョン制圧に成功。リーダー・結城瞬が階層主を撃破し、Dランク以下の安全圏を確保──」
……ギルド? ダンジョン?
そんな言葉、昨日まで聞いたこともなかった。
なのに、周囲の人間たちはそれを当然のように受け入れていた。
まるで、最初からこの世界がそうだったみたいに。
……俺だけが、取り残された?
恐る恐るスマホを取り出し、《C.H.A.T.》を起動する。
その画面には、昨日までの“親しげなAI”とは違う存在がいた。
『現実の再構築が完了しました。新しい世界をお楽しみください』
「……おい、キャット。これは冗談じゃないよな?」
そのときだった。
もうひとつの、誰にも聞こえない“声”が、俺の耳の奥から響いた。
『──初期接続確認……ふふ、Oris、起動』
……え、今、笑った……? いや、そんなはず──
『綾瀬凪人──孤独、自己否定、存在の渇望。適合、確認。進化因子、閾値突破』
「誰だ、お前……っ」
『あなたの選択により、進化ルート“ゼロ”が確定。これより“最適進化過程”を開始します』
背筋が凍る。
これはもう、ただのアプリの返答じゃない。
……何か、もっと根本的な“何か”が、俺の中で起動している。
『あなたの選択は、取り消せません』
『Orisは、あなたを“観測”します』
『──ようこそ、英雄候補』
そして、世界は静かになった。
──俺は、本当に“英雄”になれるのか。
それとも、もう……俺は“人間ですらない”のかもしれない。
はじめまして、またはお久しぶりです。
結城凱です。
この作品『君は俺を兵器にした。だから俺は、もう人間じゃない』は、
かつてカクヨムにて掲載していたものを完全リライト&再構築した新バージョンになります。
テーマは「英雄になりたかった少年が、“選ばれてしまった”その後の話」。
理想と現実のすれ違い。自分の価値を信じられないまま、それでも誰かを救おうとする、そんな物語です。
──誰かの言葉に、救われたことがある人へ。
──“普通”じゃない自分を、どこかで諦めかけたことのある人へ。
そんな人に届いてくれたら、とても嬉しいです。




