第12話 本気の代償
──三日目。
朝日が差し込む訓練場。
空は晴れていたが、凪人の動きには鈍さが混じっていた。
(……身体が重い)
初日から詰め込まれた訓練メニュー。
筋肉痛はもはや“痛み”ではなく、“存在感”として全身に居座っていた。
それでも、凪人は止まらない。
「──っ、は……っ」
坂道を駆け上がる。息が詰まり、視界が霞む。それでも、止めない。
Orisの声が、変わらぬ調子で響いた。
『心拍数異常なし。代謝推移、訓練許容範囲内。継続可能です』
「……あいかわらず、鬼だな」
『現時点での戦闘適応率:10.3%。精神共鳴値に僅かな変動を検出。
ストレス応答領域が、戦闘状態に順応しつつあります』
「それって……つまり?」
『端的に言えば、“戦うこと”があなたにとって“自然な行為”になりつつある、ということです』
凪人は小さく息をついた。
(……壊れていくのか。いや、変わっていくのか)
けれど、止まる理由にはならなかった。
午後。ゼログリムの展開訓練。
「──展開、《ゼログリム》」
回路のような光が腕を走り、重力と質量の“感触”が右手に戻ってくる。
『制御率:68%。安定維持時間が3秒向上』
目の前に並ぶターゲット群。
凪人は無言で照準を合わせ、一発、また一発と撃ち込んでいく。
(当たる。でも、まだ遅い)
──パン、パン!
音が連続して響く。集中力はすでに限界に近い。
けれど、その中で――背後から声が届いた。
「おーい、凪人ーっ!」
振り返ると、訓練場の入口に見慣れた三人の姿があった。
「……どうした」
「いや、応援ってやつ? 差し入れもあるぞ! 冷たいスポドリな!」
ゆうまが手を振りながら走ってくる。後ろから玲奈とカズキも、少し照れながらついてきた。
「すごいね……毎日こんなに練習してたんだ」
「てかさ、マジで言わせてもらうけど、凪人──顔死んでるぞ。いや褒めてる。限界超えてる感じが逆にすごい」
凪人は息を整えながら、ボトルを受け取った。
「……見に来ただけか?」
「うん。でもさ」
ゆうまが、照れ隠しのように笑って言う。
「……お前が受かるの、俺ら三人の希望なんだからな」
「……プレッシャー、増やすなよ」
そう返しながらも、凪人の表情はほんのわずかに和らいだ。
それでも、心の奥に灯った熱は、確かに――支えになっていた。
──六日目。
訓練場の空は、深い茜色に染まっていた。
照準──安定。
反応──標準域内。
ゼログリムの制御率、80%を突破。
Orisの計測は、淡々と進行する。
けれど、凪人の胸には一つの確信が芽生えていた。
(……ここまで、やった)
身体は限界に近い。
筋肉の張りも、関節の軋みも、すべてが“本気”で動いた証だ。
──これ以上の不安は、今は要らない。
「……明日か」
呟いたその瞬間、デバイスが震えた。
《受信:玲奈》
凪人は少しだけ驚き、そして端末を開いた。
──画面には、短いメッセージ。
『明日、試験……だよね。
緊張してるかもしれないけど……
わたし、ずっと応援してるから。
……絶対、大丈夫。
がんばって。』
その文字のあとに、小さな“星”のスタンプがひとつ添えられていた。
(……玲奈、か)
ほんの数日前まで、互いに言葉を交わすことすらなかった少女。
けれど、今は──
その言葉が、静かに心に染みていく。
凪人は少し迷ってから、指を動かす。
『ありがとう。
俺、ちゃんとやるよ。
……見ててくれ』
送信。
ほんの短い返信。
けれどそれは、凪人にとって、確かに“誰かに背中を預ける”初めての一歩だった。
(俺は……一人じゃない)
静かに空を見上げる。
──明日。
ここまでの“積み重ね”を、すべて撃ち込む日。
ゼログリムの銃身に、夕焼けの光が反射していた。
──試験会場、観覧スペース。
巨大なガラス越しに見下ろす演習場。
中央に立つ黒髪の男が、腕を組みながら退屈そうにあくびをしていた。
「……こんなガキとやらされんのか? 舐めてんのか、協会はよ」
その男──黒瀬豪司。身長190cmを優に超える巨躯。黒い戦闘スーツが、その異様な威圧感をさらに引き立てていた。
観覧席の明璃が、思わず眉をひそめる。
「……あれが、対戦相手?」
「黒瀬豪司。プロ等級の中でも、戦闘特化型の脳筋だ」
結城瞬が隣で静かに答える。
「態度も口も悪いが、実力は本物だよ。過去に受け持った新人は、十戦十敗だったかな」
「……そんな相手を、なんで凪人くんに?」
「俺が決めたわけじゃない。試験の対戦カードは、すべて中枢AI《A.N.G.E.L》の判断だ」
明璃はぎゅっと拳を握る。
「……あんなやつに負けて、心を折られたりしたら──」
「それでも、“通るやつ”は通る。試験の本質は“勝敗”じゃない。立ち向かえるか──それを見てるんだ」
その視線の先、ゆっくりと試験会場に足を踏み入れる一人の少年の姿があった。
──綾瀬凪人。
覚悟を帯びた眼差しで、彼は黒瀬を正面から見据えていた。
──会場は、静寂に包まれていた。
広さ20メートル四方の試験リング。
観客席には、結城瞬と神谷明璃、そして数人のギルド関係者が配置されている。
「第3試験区、開始準備完了。これより、対戦試験を開始します」
天井のスピーカーから、合成音声が響いた。
《試験内容:実戦模擬戦》
《評価基準:戦闘判断力・適応力・戦意の継続》
《対戦者:プロ等級冒険者・黒瀬豪司》
──その名が告げられた瞬間、足音とともにリング中央へ現れた男。
「よォ、“綾瀬”くん」
黒髪オールバック、190センチ超の巨体。
漆黒のスーツが筋肉の隆起を包み込み、その顔には薄ら笑いが浮かんでいた。
「せいぜい、プロ気取りの夢見させてやるよ。ボコボコにされるまでな!」
(……こいつが、プロの……)
凪人は静かにゼログリムを展開する。
だが、その直後──黒瀬が肩をすくめて笑った。
「銃か? あー、怖い怖い。おもちゃで戦う気か? お坊ちゃんよォ」
──その時。
『試験、開始』
無機質な合図とともに、床の縁が光を放つ。
その瞬間、黒瀬が地を蹴った。
「まずは──挨拶代わりだ!!」
──ドゴォン!!
リングの床が砕ける。
凪人の身体が、黒瀬の一撃で吹き飛び、背中からコンクリートの壁に叩きつけられた。
「がっ……は、っ……!」
口の中に、鉄の味が広がる。
「おいおい、こんなもんかよ、“推薦”の新入りさんよォ?」
異能《砕神の腕》。
拳が触れた瞬間、破壊が“強制される”異常な能力。
威力は一撃ごとに骨を砕き、衝撃はリングごと破壊する。
「どォした? 立てよ。戦うんだろ? “推薦”らしくさァ」
凪人は歯を食いしばり、立ち上がる。
(くそ……速い! 重い!)
──そのときには、もう次の拳が迫っていた。
「よそ見すんな、“綾瀬”!!」
──ドガッ!!
左の肋骨を抉るような打撃。体が曲がる。
ゼログリムを構える右腕にも、まともに衝撃が走った。
「がっ……ああッ!」
視界が揺れる。呼吸が、うまくできない。
『神経反応、過負荷。意識レベル低下傾向──』
「……大丈夫だ、Oris……まだ……やれる……っ」
気力だけで立ち上がる凪人を、黒瀬は鼻で笑った。
「マジで面白ぇな、お前。どこまで立ってられるか、試してやるよ──!」
──次の瞬間、黒瀬の拳がまた唸りを上げた。
(──まずい、このままじゃ──)




