第3話:山の麓の町にて
「ほら、見えたわよ」
「ひぃ……ひぃ……お、おお!これは……!」
ミラルと一緒に山を降り始め早一日と半日ほど。ミラルが指差した先には、いくつかの家や塔らしきものが集まっているのが見える。あれがミラルが言っていた、山の麓の町なのだろう。
その家の作りは、当然かもしれないが、見慣れた日本の形式のものではなく、漫画などで見るようなファンタジーな洋風の様式だ。
「す、すごい……!家だ、夢にまで見たような家だ……!」
「え?うん、家だけどそれが?」
一時期はショッキングな出来事で地の底に落ちていたようなテンションも、一気に高いところまで上がっていった。
「やった……やったぞ俺は……!」
「え、えぇ……?」
若干ミラルが引いているような気もするが、それでも興奮は抑えきれない。スマホがあれば、写真を大量に撮っていただろう。何なら自撮りもやりかねない。
「どこにであるような家なんだけど……あ、もしかして、家に帰れた喜び?」
「え!?いや、そういうわけでは……」
「いいのよ隠さなくて。やっぱり、あんたみたいなヒョロっこいのがあんな場所にいるわけないのよね」
「え、え?」
ミラルは、なにやら勘違いし始めているようだ。
「やっぱりあんた、人攫いに攫われて、男娼か何かにでも売られそうになってたのね」
「だ、ダンショウ?」
「それならさっさと家に帰さなきゃ!ささ、行くわよ!」
何かを大きく勘違いしたまま、ミラルは熊の死骸を引きずって、町の方へと足早に進んでいく。
「ちょ、ちょっとまって……!!」
そんなミラルの猛スピードに、既に足が棒切れに成り果てていた俺の足では、全く追いつきそうになかった。
※※※
「え、知らないって本当?」
「ええ、そのような事件は全く……」
ようやくミラルに追いつくと、ミラルは町の外れで数人の大人たちと話していた。その人たちの服装は、いかにも西洋ファンタジーに出てきそうな風貌だ。
「はぁ……はぁ……」
「ほら、こいつなんだけど、本当に知らない?」
「えーと……はい、確かに知らない少年ですね……」
大人の一人が、息を切らしてしゃがみ込む俺を覗き込み、知らないよ、といった風に首を降った。
「なんだ、てっきりこの町の子が攫われたのかなって思って」
「だとしたら、熊の件で会ったときにあなたに話してますよ」
「それもそっか。だとしたら、他の町か村で……」
「み、ミラル……あとで……話すから……」
このままにしておくと、面倒なことになりかねない。嘘でもなんでもいいから、自分の出自は話さないといけなさそうだ。
「あらそう?というかごめんね、置いて行っちゃって」
「はぁ……はぁ……」
「ところでウェイバーさん、それが件の熊ですか?」
集まっている大人の一人が、ミラルが引きずってきた熊の死骸を指差した。
「そうよ、しっかり仕留めたんだから、報酬はギルドの方に払っておいてよね。それと!」
「ひっ!?」
ズイっと、ミラルは町人の方へと顔を近づける。その様子に、近づかれた町人は怯えたように後ずさった。
「この程度なら、私じゃなくても駆除できるんだから、指名しないでギルドに人員調整任せてよね!ミリーさんも呆れてたわよ!」
「す、すいませんウェイバーさん!何分、確実に駆除してほしくて……!」
「だとしても!他のメンバーの戦闘経験にも関わることだし、あんまりわがまま言わないでよね!」
ミラルはプリプリと、何かしらに怒っているようだった。だが、そんな大人のやり取りは、疲れ果てた俺の頭には理解できそうになかった。
「み、ミラル……みず……ちょうだ……」
「え!?あ、ちょっとショウタ大丈夫!?」
「少年、大丈夫か!?誰か!水!!」
あまりの疲労に、また意識が飛びそうになっている。気絶という、日常生活においては実際はあまり起こらない出来事を、この数日で何度も経験しそうになっていた。
※※※
「全く、本当に体力ないわねぇ、あんた」
「ごめんなさい……」
その後、なんとか気絶は逃れたものの、ミラルは疲弊した俺を気遣ってくれたのか、町の宿で一泊していくことになった。今は宿のロビーに座り、部屋の用意を待っている。
ちなみに熊の死骸は、町の人に引き渡した。その時、町の人達が恐れのような目でミラルのことを見ていたような気もするが、きっと見間違いだろう。
「さて、さっき自分のことについて後で話すって言ってたけど……」
しまった。疲れと喉の乾きに気を取られすぎて、何を話そうか考えていなかった。どうしようか。
「……まあ、今はいいや。とりあえず、疲れを癒やしておきなさい」
「え、いいの?」
「ただし、人攫いに遭ったにしろ家出にしろ、明日ギルドについたらちゃんと話してもらうからね。じゃないと、あんたのことどうしたらいいのかわからないもの」
それはそうだ。昨日も考えてはいたが、今の自分には寝床も金もなにもない。ただ、少なくとも、一日は猶予ができたのだ。その間に何かしらを考えなければ。
「……ギルド?」
そういえば、日本の日常生活において聞き慣れない言葉が出てきた。ギルドとは、ファンタジー系のゲームや漫画に出てくる、あのギルドのことだろうか。
「アポロニアにある賞金稼ぎギルドよ。私はそこに属して仕事もらってるんだけど、明日には流石に報告に戻らないとね」
「……本当にゲームみたいだなぁ」
「ゲーム?」
「いやいや!なんでもないよ!」
思わず考えをそのまま出力してしまった。ミラルは怪訝な顔をしたものの、それ以上の追求はしなさそうな雰囲気だ。
「ま、いっか。熊駆除の結果報告もしなきゃならないんだけど、流石に時間かけ過ぎちゃってるしね。明日は早朝に馬車使って帰らなきゃ」
「あー、俺のせいで……ごめんなさい……」
考えれば、俺がいたからこんなに日時をかけてるわけで、ミラル一人なら昨日にはこの町には着いていたはずである。
そう考えると、仕事の邪魔をしてしまった罪悪感で、非常に申し訳なくなってくる。
「謝らなくていいわよ。トラブルなんていつ起きるかわからないんだし、それこそ、あんたみたいに途中で拾った人連れながら歩いたことなんて、何度もあるんだから」
「でも……」
「こういうとき、助けられた側は素直に助けられておきなさい。特に、あんたみたいに血も知らないようなお坊ちゃまはね」
突然、ミラルが頭を撫でてきた。その手はとても優しく、暖かく、力強いものだった。
「……お、お坊ちゃまは余計だよ!」
嬉しくもあったが、大人の女性に頭を撫でられているのが、急に恥ずかしくなってきた。
「おっと、ごめんごめん。ついついやっちゃったわ」
「ウェイバー様とお連れの方、ベッドの用意が整いました」
顔を赤らめている俺と、ニカニカと笑っているミラルのもとに、宿屋の従業員がやってきた。
「ああ、ありがとう。それじゃあショウタ、荷物置いたらシャワー浴びてきなよ。川で水浴びしかしてないでしょ?」
「う、うん。そうだね、汗もすごいかいてるし……」
「シャワールームは一階に共用のものがあります。では、部屋へご案内を……」
宿屋の従業員に連れられて、俺とミラルは階段を昇っていった。
※※※
「ふう……さっぱりした……」
シャワーを終えた俺は、部屋への階段を再び登っていた。考えれば、約二日ぶりのまともなシャワーだ。毎日何気なく使っているものがここまで嬉しいものになるとは、思いもしなかった。
「そういえば、布団で寝るのも二日ぶりかぁ……」
昨晩と一昨日は野宿だったので、まともに屋根のある場所で、しかも暖かい布団の上で眠れるのはとてもありがたい。今夜はぐっすりと眠れそうだ。
階段を登りきり、部屋の前に着いた俺は、扉をゆっくりと開けた。
「あらショウタ、おかえり」
部屋は複数人が寝られるようになっている大部屋で、二段ベッドが並んでいる。ミラルは俺たちに用意されたベッドの下段に座り、本を読んでいた。
「ただいま、ミラル。ミラルはシャワー早かったんだね」
「それ、よくセリナに言われるわ。それでも女の子なんだから、もっとちゃんとしなさいって。そんなこと言われてもねぇ」
ミラルは呆れたよ、といった風に両手を上げて首を降った。その様子が何故か面白くて、思わず吹き出してしまった。
「ぷっ……あっ、ごめん、つい……」
「別にいいわよ。ようやく気が緩められた、ってことだろうしね」
そう言うと、ミラルは再び本に目を落とした。ちらりと本の表紙を見ると、『ディオゲネスの罪と罰』と大きく書いてある。
「それ、なんの本?」
「歴史の解説書、かな?さて、明日は朝早いんだし、あんたはもう寝ときなさい」
ミラルは本に目をやったまま、シッシッと手を降った。
「うん。ミラルはまだ寝ないの?」
「……この本読み終わったら寝ようかな。ほら、人の心配してないで寝た寝た」
「う、うん。おやすみ、ミラル」
「おやすみ、ショウタ」
ベッドのハシゴを登り、雲のような布団に潜り込む。途端に強い眠気が襲ってきた。
そういえば、何度か名前が出てきた『セリナ』や『ミリー』は、友人がなにかの名前だろうか。ミラルは馬車と言っていたが、この世界の文化レベルはどのくらいなのだろうか。ミラルが読んでいた本は、結局何だったのだろうか。
安全な場所で横になっているためか、浮かんでくる考えも不安なものではなかった。だが、そんな考えたちも、心地の良いまどろみには勝てなかった。