第1話:憧れの異世界ライフ?
日常が、ただただつまらなかった。
同じ日々の繰り返しに、うんざりしていた。
そんな時に読んだ物語たちの世界は、とても魅力的に見えた。非現実的で、刺激的で、そんな世界に仲間入りしたい、いつしかそう考えるようになった。
だから、俺は、高速の鉄の塊が迫って来たその時、我が身をそれに預けた。
数々の物語の主人公達のように、新たな世界に行けると信じて。
※※※
「だから、駄目だって」
白い、どこまでも真っ白な空間の中、俺は正座させられている。
「えー、なんで駄目なんだよ!」
「いやだって、別に私間違えて殺しちゃったわけでもないし」
そんな俺の目の前に、虹色に輝く、人の頭くらいの大きさの、丸い何かが浮かんでいる。その何かと俺は、かれこれ小一時間ほど言い争っていた。
「こんな若くして死ぬなんてあり得ないだろ!絶対なにかの間違いでやってしまったんだろ!?なあ!」
「そもそも、人の死のタイミングなんて私達が管理してるわけじゃないんだし。それに、お前よりも幼くして亡くなってる子なんていくらでもいるわけで、お前を特別扱いするわけにもいかないし」
ずっとこの調子だ。この丸い何かは、いわゆる神様みたいなものなのだろう。しかし、こちらの主張を一切聞き入れてくれない。
「あーもう!かわいそうだと思わないのか!?青春真っ只中でトラックに轢かれて死んだ俺のことが!」
「いやだから、お前みたいな子は星の数ほどいたと何度言ったらわかるんだよ……さすがの私ももう疲れてきたよ……」
学校からの帰り道、俺はこちらに向かってきたトラックに轢かれてしまった。その瞬間のことははっきりと覚えているが、ちょっと痛いなと思ったくらいだった。きっと即死だったのだろう。
その直後、いつの間にかこの空間にいて、目の前のなにかに『あーあ、やっちゃったね』とだけ言われたのだった。
この流れは、もはやお決まりと言っていいほどの物だ。だから俺は、目の前のなにかに言ったのだ。
「いいから、早く俺を異世界に転生させてくれよ!」
そうだ、この流れは特殊な能力を持って異世界に転生し、ワクワクドキドキの冒険が始まる流れなのだ。なのに目の前のなにかは、それはできないと突っぱねるのだ。
「だから、駄目なんだって。私の一存でそんなことしたら、上から後で何言われるかわからないし……」
どうやら、このなにかは下っ端らしい。神の世界でも上下関係があるのだと思うと、少しだけ世知辛くなった。
「じゃあ、その上の奴に頼んでくれよ。俺に何か超能力を持たせて、異世界に転生させてくれって」
「えぇ……あぁもう、わかったよ。このままじゃ平行線だし、一応伝えてみるよ。ただ、それで駄目だったら諦めてくれよな」
ようやく話が進みそうだ。上の存在が、話のわかる人だといいが。
「もしもし、※※※※担当の者ですが、※※※※さんお願いできますか?ああ、お世話になっております。実はですね……」
まるで会社の上司に電話してるかのようななにかを、期待の眼差しで見つめ続ける。
「はい……はい……えぇ?本当ですか?はい……ああ、なるほど、承知しました。そのようにいたします。お忙しいところありがとうございました、失礼いたします」
電話、と言って良いのかわからないが、話はまとまったようだ。
「喜べ、図々しい少年。上から許可が降りたぞ」
「やったぜ!上の人は話がわかるなぁ!」
喜びのあまり、すぐさま立ち上がり飛び上がってしまった。ようやく、夢にまで見た世界に行けるのだ。
「ただし、注意がいくつかある。まず、送り込む世界はこちらで決める。楽に生きていける世界に送るわけには行かないからな」
「構わないぜ!むしろ、刺激的な方が楽しめるからな!」
「もう一つ、お望み通り特殊能力を渡してやる。ただし一つのみで、どんなものかは教えない。自分で見出すことだな」
「いいぜいいぜ!一つでもすごい能力があれば、ヒーローになれるからな!」
何年も、望んだことだった。空想的な世界で、特別な能力で活躍し、皆から慕われる。そんな世界を。
「最後に一つ。次に死んだら、もう特別扱いは無しだからな。強制的に賽の河原送りだ」
「オッケーオッケー!大丈夫、死んだりしないさ!さあ、早く送ってくれ!」
「では送るぞ、えーと、中二病更生用世界※※※※へ」
「おう……え、更生……?」
「じゃあね。やれやれ、やっと次の仕事に進める……」
不穏な単語を最後に、突如目の前が真っ暗になった。
※※※
「……んー、あれ?」
気がつくと、どこか柔らかいところに寝転んでいた。床に触れている手の感触から、どうやら草むらのようだ。
「ここは、まさか……」
急いで体を起こし、辺りを見回してみる。所々陽の光が差している、少し暗めの森のようだ。新鮮な緑の匂いが、鼻に入ってくる。
「ついに……ついに異世界に来た!?」
飛び起きて、まず頬をつねってみる。痛い。夢ではない。
「やった……やった!憧れの異世界転生だ!!」
思わず、ガッツポーズをしてしまう。喜びが限界突破し、笑顔が止まらない。
「よーし!これから俺の力を使って、ヒーローになってやるぞ!」
これから始まる物語に心踊らせ、拳を天に振り上げた。ここに来る直前に不穏な単語を聞いた気もするが、どうだっていい。
『グオォォォォォォ!!』
突如、背後から大きな雄叫びが聞こえた。驚いて背後を振り返ると、何やら黒い塊が見える。
その塊は、少しずつ大きくなっている。こちらへ近づいているようだ。
「お、おお!?もしかして、早速俺の力を使うときか!?」
迫りくるそれは、もしかしたらいわゆるモンスターかもしれない。黒い塊を見据え、身構える。
「さあ、俺の最初の獲物に……あれ?」
ここで俺は、あの白い世界でなにかに言われたことを思い出した。
『一つだけ特殊能力を渡すが、どんなものかは教えない』
俺の能力は、何なのだろうか。超人的な身体能力なら、迫ってくる塊を殴り倒せばいい。だがそうでなければ、近づかれたら終わりだ
「ま、まずは何か魔法みたいなものが使えるか試してみるか!」
そう考え、黒い塊の方へ手のひらを向けてみた。が、そうしている間に、黒い塊は目前まで迫っていた。
黒い塊は俺の目の前で停止した。それは、黒く巨大な毛玉だった。この毛玉は見覚えがある。
「く、熊……?」
眼前に迫った巨大な熊は、その大きな腕を振り上げる。そして、俺に向かって振り下ろした。
景色が、ゆっくりと動く。鋭い爪が迫ってくる。俺の持っている能力が怪力なら、その太い腕を受け止めることができるだろう。だが、本当にそうなのだろうか?僅かな疑問が、俺の動きを止めた。
鋭い爪が迫ってくる。ふと、両親のことを思い出していた。今、二人は何をしているのだろうか。あっちの世界では、俺は死んだことになっているはずだ。泣いているのだろうか。
鋭い爪が迫ってくる。時間がさらに、ゆっくり進む。視界の端に、新しい何かが映る。黄色い、輝きながらたなびく何かだ。意外と俺の心は冷静で、それの姿を分析できた。
黄色、いや金色の、長い髪の毛。人だ。その人は、何かを振り上げ、こちらに向かって降ってくる。
「え、人?」
「ゥオォリャァ!!」
その人は、叫びつつ振り上げた何かを、熊に叩きつけた。
『グオッ!?』
迫っていた爪が鼻先をかすり、通り過ぎていった。途端に、時間が早くなる。大きい音と共に、黒い巨体は崩れ落ちた。
「ふう、逃げやがってこの害獣が。追いかけるのも疲れるでしょうが」
降ってきた人は、熊の脳天に刺さっている物体を引き抜いた。よく見るとそれは、つるはしだ。岩とかを砕く、あれだ。
「ん?あれ、人?」
金髪の人が、こちらを向いた。どうやら、俺には気づいていなかったようだ。長くきれいな金髪に、袖のない緑の、厚手の服。その服から伸びている腕は、とてもたくましいものだった。
そして、胸元が大きく膨らんでいる。改めて顔を見ると、色白で、とても整った、きれいな顔である。女性だ。
「あんた、こんな山奥で何してんの?」
その言葉が耳に入った瞬間、糸か何かが千切れたように、俺の目の前は再び真っ暗になった。
※※※
「……ん……はっ!?」
俺は気がつくとともに、飛び起きた。確か、巨大な熊に襲われ、死ぬかと思った瞬間、女の人に助けられ……
「ああ、目覚めた?よかったー、あのまま死んでなくて」
声のした方へ向くと、女の人が一人、座っている。慌てて辺りを見回すと、空は真っ暗になっており、すぐ側にはメラメラと炎が燃えている。焚き火のようだ。
「あの、あなたは……」
「ラッキーだったわね、あんた。私がいなかったら、今頃コイツに殴られてお陀仏よ」
女性がポンポンと、隣りにある黒い塊を叩く。それは、巨大な毛玉であった。おそらく、あの熊であろう。
「ひっ!」
「大丈夫よ、とっくに死んでるから。とりあえず、これでも飲んで落ち着きな」
そう言うと、女性はコップを一つ差し出してきた。戸惑いながらも受け取ると、それは暖かく、とても香ばしい匂いがする。
「熊出汁のスープよ。味にはあまり自信がないけど、飲んでみなよ」
「は、はい……」
恐る恐る口を近づけ、少し口に含んでみる。少々獣臭いような気もするが、暖かくて美味しい。もう一口、二口と、口に運んだ。
「おいしい、です」
「本当?良かったー、ランは好きな味だって言ってくれるんだけど、セリナは不味いって言うから、好みの分かれる味付けっぽくてさ」
女の人は笑いながら、焚き火に枝を焚べた。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
落ち着いてきた途端、急に体が震えだした。トラックに轢かれる瞬間は、希望があったからであろうか、全くそんな事なかった。なのに、熊の爪が迫ってくるあの瞬間は、凄まじい死の恐怖を感じていたのだ。
「たまたまなんだけどねぇ。こいつを駆除してたら逃げだして、追いついて仕留めたら、偶然あんたがそこにいただけよ」
女の人は、再び黒い塊をバシバシと叩いた。
「んで、あんた、なんでこんな山奥にいるの?この辺りには町や村なんかないし、とても賞金稼ぎや賊には見えないし」
「あ、えっと、それは……」
答えようとして、ふと悩んでしまう。異世界から転生してきたと、言っても良いのだろうか。言ったところで、信じてもらえるのだろうか。
「えーと……いろいろありまして……」
「ふーん……まあ、事情は人それぞれだしね。答えたくないならいいわよ」
女の人はあっさりと問い詰めをやめてくれた。
「え……聞かないんですか?」
「まあ、ね。あんたの格好、見たことないような変な格好だし。やめておくわ」
格好が変だと聞きづらいことがあるのか、疑問に思ったが、これ以上詮索されても答えに困る。ここは甘えて、これ以上聞き返すのはやめておいた。
「……あの、あなたのお名前は?」
「ああ、そういえば、何も言ってなかったわね。ミラル・ウェイバー、アポロニアの賞金稼ぎよ」
アポロニア、賞金稼ぎ。聞き慣れない単語に、やはりここは非日常の世界なのだと、改めて実感した。だがなぜだろう、最初ほど嬉しさを感じることができない。
「あんたの名前は?」
「俺は皆月翔太……いや、ショウタ・ミナヅキと言います」
「ショウタ、ね。覚えたわ」
なんとなく、姓と名の位置が逆な気がし、言い直してみる。どうやら正解だったようだ。
「えーと、ウェイバーさんはどうしてここに?」
「ミラルでいいわよ、敬称つけられるのあんまり好きじゃないし。私は麓の町でコイツの駆除を頼まれて来たのよ」
ミラルさん、いやミラルは、また熊をベシベシと叩き始めた。
「そんなに強い奴でもないから、他の人に回してほしいって言ったんだけど、依頼者が聞かなくてさ。って、あんたに言ってもわからないか」
「は、はぁ……」
先程賞金稼ぎと言っていたが、どうやら依頼を受けて仕事をする人の様だ。ミラルの後ろに目をやると、熊を倒したつるはしがかけられている。
「つるはしが武器なんですか?」
「ああ、これ?そうそう、私としては使いやすくてね。仕事で武器は選んでるけど、どうしてもこいつになっちゃってね」
ミラルは笑いながら、つるはしを手に取り、こちらに見せてきた。黒い鉄の尖った部分に、木製の棒が刺さっている、どこからどう見てもそのまんま、つるはしだ。
「……さてと、明日には麓まで下山するし、あんたはもう寝ときなさい。私は見張っとくから」
つるはしを背の方に置くと、ミラルは枝を焚き火に焚べた。
「は、はい。ミラルさんは寝なくても大丈夫なんですか?」
「だから敬称はいらないって。敬語もいらないわよ。私は寝なくても大丈夫だから、安心して休んどきな」
「あ、ありがとうござ……ありがとう。それじゃあお言葉に甘えて……」
「はいはい、おやすみ。明日はかなり歩くし、ちゃんと寝なさいね」
横になり、目を閉じる。色々と考えたいことはある。ようやく夢がかなったこと。異世界という、非日常の世界来られたこと。なのに今はもう、喜びがないこと。自分が持っている特殊能力は何なのかということ。ミラルのこと。
だが、そんな考えたちも、疲れと眠気には勝てなかった。