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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
五章 苦痛と悲哀
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―交霊―

巨大なひとつの醜悪な姿から三々五々に分かたれた異形は、元が同一の存在であるが故に、完璧な連携を持ってオルヴスに襲いかかっていた。その数はおよそ20。一体に付き数個の顔面があり、その口腔から這い出る蛇の数は変則的で数えることが出来ない。少なくとも数十。多いときは100の数倍にもなる蛇達の猛攻を、オルヴスは魔狼の姿になりて応戦していた。全周囲から襲いかかる、不規則な動きをする蛇をその爪で切り裂こうと振り払い、突き出すものの、蛇らの体は強固にしてしなやか。防戦しながらのカウンターだけでは威力が足りない。彼とて手を抜いているわけではなく、その証拠に彼らの戦場となっている中空の下に広がる地面は、オルヴスが放った爪による斬撃の痕がありありと残っていた。だが、それでも尚蛇の一体すら切り裂けていない。


「仕方ありません、ね」


黄金の双眸が、無数に迫りくる蛇の群れから一際巨大な個体を見据えた。猛然と牙を剥く大蛇。標的を水平に両断せんと開かれた顎が触れるか否かで、魔狼の両の爪が凄絶と並ぶ牙とかち合う。それは、これまでとは違う相手を止める為の防御。だが同時に自分の動きも止まってしまう。そして当然、百を超える蛇の群れがそれを見逃す筈もなかった。動きの止まったオルヴスへ向かい、彼の全周囲を覆い尽くす勢いで肉薄し牙を突き立てる。鋭く伸び、獲物の命を刈り取る筈のその歯はしかし、オルヴスを貫けない。フェルが攻撃を躊躇する事はない。故に自ら攻撃を止めることなどありはしない。現に、全ての蛇はその顎で魔狼を噛み砕こうとしている。それなのに、その全てが見えない壁か何かに阻まれてでもいるように進む事が出来ない。魔狼とフェル。二つの存在が戦闘を開始してはじめての完全なる静止。


呪印交霊カース・イヴォル


その一時の静寂を落とす、たった一言の言霊。言葉に反応するかのように、彼の体に浮かび上がる白い紋様。服をすり抜けて見えるが、果たしてそれが光と言えるかは疑問にも思える。色は白だが、それだけだ。発光しているようにも何かを照らすようにも思えない。もし白紋を何かが隠すなら、きっとこの白は自分を隠すそれすら呑み込むだろう。そんなイメージを思わせる白い闇。そんな刻印が浮かぶと同時、漆黒の靄がオルヴスを中心に現れはじめた。まるで戯れるかのように彼の体に纏わりつく黒い闇。そんな中でも常にその存在を主張する白い闇。


「喰らえ」


揺らめく黒い靄が集まり、象るは人の腕。黒い闇の塊から生えるように、ちょうど今相対しているフェルの蛇のように、無数の黒い手がフェルへ襲いかかった。標的は、オルヴスが顎を抑えている一際巨大な蛇、その本体。数多の黒手が蛇にその本体たる醜悪な顔面に掴みかかり、握り潰して――喰らう。触れて握り潰したその箇所はどういうわけか消滅し、まるで噛み千切られたかのよう。黒色の靄から際限なく現れるその手は刹那にて、異形の一を“喰い尽くした”。

手が、靄が、オルヴスの体内に戻り、彼もまたその姿を魔狼のものから人のものへと戻す。フェルが全て消えたわけでもないが、彼はそうしていた。それは承知の上だろう。その証拠か、右肩に残り、集められた黒い靄の集合。


「全部喰らってしまっても良いんですけどね……周囲に被害が及ばないとも限りませんから」


右肩の靄から巨大な黒い腕が生えた。形は魔狼化してる際の腕を模しているのだろうが、揺らめく黒炎の如き姿はより禍々しさを増していると言えるだろう。


「そうなったら、アノが悲しみます」


現れた三本目の手が、オルヴスの胸の中心に爪を立てた。五つの鋭利な先端は容赦なく彼の体に沈み込み、やがて手首まで深く刺さる。それでもどういうわけか体の反対側からは付き出たりせず、沈み込んだ周囲に例の靄を湧きださせながら、彼の体内で何かを探しているかのようにわずかばかり動いた。己の一部とはいえ、その行為に痛みが伴うのか、オルヴスは呻きこそしないものの俯き、耐えているようにも見えた。そして目的のものを見つけたのか、腕は勢いよく彼の体の中から棒状の物体を取り出す。


「霊鞘霊刀……ヴェソル=ウィジャ」


それは、一見、何の変哲もない一本の刀。大きくも小さくもなく、特別な形をしているわけでもない。刀身は鞘に隠れて見える筈もないが、だからといって奇怪な刃をしているとは思えない。真っ白な柄と真っ黒な鞘、そのうちの鍔元、鞘の方を三つ目の手は握り、本来の右手のわずか後方に下げ、右手は白い柄を逆手に握る。一般的な居合等の構えなどとは全く違う。足もこれから刀を抜き放つ、というようには見えず実に自然体で、ともすれば二本の右腕で刀を持っているだけの体勢、とでも言えるだろう。


「四千八百三。かける事の二十。おおよそ十万弱といったところですか」


オルヴスは徐にそんな事を呟きはじめた。台詞の中の数字が何を意味するのかは、この場に彼の言葉を聞いている者がいない以上わかる筈もない。唯一フェルが聞いているのかもしれないが、それに然したる意味などない。ただ、一つ、彼の右肩に集まっている闇が躍動しはじめ、鞘を持つ魔狼の手がざわついていた。


「刀の扱いはあまり練習しなかった……ような気がしますので、得意ではないのですが」


黄金から黒に戻った双眸が、先程の手に怯えたか攻めあぐねているフェルの集団を捉える。周囲を取り囲む異形の内視界に映る十数匹全てを一瞥し、目を閉じた。白い柄にかかった生身の彼の手に力籠ったのと、その右肩の靄が一瞬だけ膨れ上がったのはほぼ同時。耳鳴りのような、無機質な音が夜闇に響き渡る。澄んだ空気に残響が溶け切った頃。オルヴスを取り囲んでいた異形達が割れた。あるものは真っ二つに、あるものは体の上から三分の一を、と切断された箇所はバラバラだが、そのどれもが横一閃に結ばれる線で分割されている。そして例外なく、断面から光の粒子を発し、消えていく。


「急いでいますのでね……次、行きますよ」


静かな声音穏やかな呼吸冷ややかな目をして、オルヴスは静かに、白い柄を握る右手に力を込めた。

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