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第3話 二柱、並び立つ


「橋を渡らせろ! 非戦闘員は対岸へ!」


セドウィックが剣を抜き、声を枯らしていた。


泣き声。


怒鳴り声。


馬のいななき。


荷車の車輪が石を噛んで軋む。


「こっちだ!」


「子供を先に!」


「橋へ走れ!」


坂の上の橋を目指し、全員が必死に走った。


ベルグの海兵が脚のもつれた者を支え、


村人たちが避難民を橋へ誘導する。


盾を構えたグラキアの重装兵が、入れ替わるように前線へ進んだ。


いまだ山神村に居座る怪物。


街道を下れば清瀬村。その先には領都バレントがある。


ここで足を止めなければ、流域のすべてが潰される。


「山砦で迎え撃つ!」


セドウィックが叫ぶ。


「打ち方、用意!」


坂の上に陣取ったバレント、ベルグ両軍が弓を構える。


グレンも。


長身のエルフが。


小柄なエルフが。


それぞれに矢をつがえた。


グラキアの重装兵はさらに前進し、最前列で盾を構える。


その隙間から、村を踏み荒らす巨躯を見下ろした。


赤黒い鱗。


折れた翼。


そして。


ゆっくりと持ち上がる首。


ギリ……。


弓の革が軋む。


「――放て!」


一斉に弦が鳴った。


ヒュン、ヒュン、ヒュン――。


無数の矢が空を埋める。


カッ。


カカッ。


バシュッ。


ドラゴンの身体が、わずかに揺れた。


黒い鱗が矢を弾く。


「第二射!放て!」


ヒュン、ヒュン、ヒュン――。


一本、二本。


次々と鱗へ突き立った。


――バシィッ!


空気を切り裂く音。


岩ノ山が、大木杭を両腕で抱え上げ、渾身の力で投げた。


ズドン!


丸太のような杭が、怪物の肩口、鱗の隙間に深く突き刺さる。


「!!!!!!!」


グワッと怪物が揺れた。


兵士たちが目を見開く。


「……効いた」


グレンがニヤッと笑う。


「どっちがバケモノかわからんな」


食い込んだ杭から、赤黒い溶岩のような体液がボタボタとこぼれる。


それは次第に黒く固まり、傷を塞いだ。


ゆっくりと。


頭がこちらを向く。


誰も。


動かなかった。


赤い眼が、人間たちを捉える。


その瞬間。


ドラゴンの前脚が。


山神宿の瓦礫を踏み砕いた。


ドォン。


砂煙が上がる。


怪物が、こちらへ向きを変えた。


「こっちを見たぞ」


誰かが呟く。


セドウィックが息を吐いた。


「それでいい」


坂の上を剣で指す。


「斉射しつつ砦へ向か――」


「防御陣形!」


将軍の鋭い声が飛んだ。


ガゴン!


ガン! ガン!


ドラゴンが地面を抉り飛ばす。


ガン! ゴン!


飛来した石塊を、グラキア兵たちが身を挺して防ぐ。


ガン! グシャ!!


一人のグラキア兵が巨塊を受け、吹き飛んだ。


「救助いそげ!」


すぐさま兵士たちが両脇を抱え、引き起こす。


もはや、どの軍属かは解らない。


ヒュン、ヒュン、ヒュン――。


「行くぞ! 急げ!」


ズゥン。


ズゥン。


怪物が坂を登りだした。


山砦の石壁が震える。


もう一歩。


ズン。


岩ノ山が。


前へ出た。



ドラゴンが頭を下げる。


岩ノ山を見た。


その大きさは、比較することすら馬鹿らしくなるほどだった。


岩ノ山の頭より高い鱗。

その脚一本が、男の身体ほどもある。


岩ノ山は。


その前に立つ。


一歩。


また一歩。


そして。


腰を落とした。


両足を開く。


土を踏む。


深く。重く。


手を。


前へ。


山砦の上で、誰かが息を呑んだ。


「何を……」


岩ノ山は、動かない。


ドラゴンが。


前脚を上げた。


ズゥン。


岩ノ山の身体が揺れる。


もう一度。


ドラゴンが踏み込む。


岩ノ山が。


出た。


ドッ――!!


地面が爆ぜる。


ガギィン!!


鋭い金属音が響く。


――ガシィッ!!


岩ノ山の太い腕が、ドラゴンの顎下と肩の結節を掴んだ。


足が地面を掴む。


岩ノ山の背中が膨らんだ。


「おお……!」


山のような巨体が、ピタリと止まった。


山砦の兵士たちが息を呑む。


「……止めた」


誰かが呟いた。


岩ノ山の足元だけが、土を削っていく。


ズズズ……。


それでも、離さない。


歯を食いしばる。


首筋に血管が浮く。


腕が震える。


「バリスタ、撃てぇッ!」


バリスタの弦が弾けた。


――ドォン!!――ドォン!!


ドスッ! ドスッ!


鱗が砕け、赤黒い血が飛ぶ。


ドラゴンが吠えた。



ギャオロロロオォォ!!



山が震えた。


「ぬぅ……!」


岩ノ山は、渾身の力を指先に込める。


「離すな!」

「もう一発!」

「弓隊!撃てぇ!」


ヒュ、ヒュ、ヒュン――。


――ドォン!!


ドスッ!


矢が飛ぶ。


槍が飛ぶ。


一つ。


また一つ。


ドラゴンの身体に傷が増えていく。


岩ノ山は。


ただ。


掴んでいた。


鱗へ指を掛ける。


「――っ!」


メリッ……バリッ!


硬質な鱗が、力任せに剥ぎ取られる。


「やった!」


声が上がる。


だが。


その下の肉が蠢いた。


赤黒い傷口が、塞がっていく。


岩ノ山の目が細くなる。


再生している。


それでも。


もう一度、手を掛ける。


だが――。


ドラゴンが身体を振った。


「岩ノ山!」


巨体が動く。


岩ノ山の足が浮いた。


「――っ!」


一瞬。


――ドォン!!!


岩ノ山の大躯が弾き飛ばされた。


山砦の防壁を打ち破り、バリスタの台座を巻き込んで瓦礫の中へ没する。


「岩ノ山!」


誰かが叫んだ。


返事はない。


ドラゴンが。


ゆっくりと頭を上げた。


その眼が。


再び、橋の向こうを見る。


「……」


セドウィックが歯を食いしばる。


避難は、まだ終わっていない。


ドラゴンが。


一歩。


前へ出た。



ズゥン。


ドラゴンが。


また一歩。


進む。


「あのバカを死なせるな!」


石工のドワーフ達が、崩れた山砦の瓦礫に手をかける。


「弓隊! 休むな!」


ヒュ、ヒュ、ヒュン――。


セドウィックは周囲を見渡した。


兵士。エイラ。将軍。ドワーフ。バレントの兵。グラキアの兵。


橋の向こうへ逃げる人々。


そして。


瓦礫の下の岩ノ山。


セドウィックの目が、石切り場へ向く。


そこには。


巨大な鎖が積まれていた。


「……鎖だ!」


「石切り場の鎖を持ってこい! 奴の足を縛るぞ!」


「鎖?」


エイラが振り返る。


セドウィックは走り出した。


「持ってこい!」

「何に使う!?」

「何でもいい! あれなら――!」


兵士たちが石切り場へ駆け込み、鎖へ手を掛ける。


「こりゃドワーフ鋼じゃ! これなら!」


ドワーフの親方が意気込んだ。


バレント、グラキア、ベルグ、ドワーフ、エルフ。


十人がかりで、巨大な鉄の束を担ぎ出す。


「引け! 首を通せ!」

「足だ! 下を通せと言っている!」


最初はバラバラだった。


手繰り寄せるタイミングが合わず、怪物の尾が一振りするたびに兵士が吹き飛ぶ。


それでも、倒れた者の手から別の者が鎖をひったくった。


将軍も、バレントも、兵士も、エルフも、石工も関係ない。


泥にまみれ、全員が同じ太い鉄の輪を握りしめている。


やがて、号令が消えた。


誰が指示を出すでもなく。


全員が同時に土を蹴り、背筋を伸ばす。


ズズズッ!


ぎり……。


ぎりぎり……。


金属が鳴る。


全員の体重を乗せた鎖が、怪物の前脚を締め上げる。


巨体が大きく傾いた。



瓦礫の底で、岩ノ山は薄開きの目で泥を舐めていた。


右手が、土に埋もれた硬い何かに触れる。


握りしめたのは、かつて刺客が携えていた折れた剛刀の残骸だった。


思考はない。


ただ泥を吐き捨て、ぬくりと立ち上がった。


眼前では、セドウィックたちが吐血しながら、鎖を焼き切らんばかりの力で引いている。


折れた刃を逆手に握り直し、大きく腕を引いた。


――ズォン!


鉄片が、空気を穿つ。


グシャッ。


剛刀の折れ口が、怪物の左眼窩へ根元まで深々と突き刺さった。



ギャオロロロロ……ッ!



狂乱の咆哮。


怪物が初めて、明確な意思を持って首を巡らせた。


黄昏色の片目が、捉える。


対象はただ一人。


岩ノ山。


巨体が向きを変える。


避難民の続く橋から、怪物の意識が完全に引き剥がされた。



橋を渡り終えようとしていたミリアが、ふと足を止め、振り返った。


遠く山砦の前線。


土煙の中で立ち尽くす巨大な男の背中。


岩ノ山が、チラリとこちらを見た。


眉を下げ、ふっと微笑んだ。


ミリアの胸がキュッと締め付けられた。


――自分を大事にして!!


あの冬、涙を流して叫んだ怒りと心配が、胸の底から込み上げる。


なのに。


ミリアは溢れそうな涙を堪え、唇を結ぶ。


そして、満面の笑みを浮かべ、大きく頷いて見せた。


胸の前で固く手を組み、静かに目を閉じた。



「……岩ノ山なら」


「頼む……!」


「あいつなら何とかしてくれる」


橋の対岸で抱き合う村人たち。


血を吐きながら鎖を支える兵士たち。


セドウィック。エイラ。グレン。ダン。婆さま。


無数の祈りと願い、恐怖、そして感謝が、重い空気となって一人の男の背中に集まっていく。


岩ノ山は、自分の巨大な掌を見つめた。


皮膚の底から、じんわりと湧き上がる異質な熱。


空気が重い。


体が、自分のものでなくなっていくような感覚。


男は、ほんの少しだけ嫌そうな顔をした。


「……」


言葉には出さない。


リク。ミリア。ココ。オルガ。


その姿が遠くなっていく。


『生きて帰ってきて』


何かが。


いや、思いが岩ノ山の心臓を叩いた。


ニヤリと、岩ノ山が笑った。


「応」


男の全身から、白く強烈な気束が立ち上る。



ズン。


岩ノ山が右足を高く上げ、地へ踏み下ろした。


地響きが走る。


避難民の足が止まり、人々が一斉に振り返る。


村の朝。


稽古の音。


踏み固められた土の感触。


あの懐かしい日常。


ズン。


左足が踏み下ろされる。


ドラゴンも応じるように、前脚を上げ……。


ぎりり……。


ぎり…。


繋いだ鎖が阻んだ。


橋の向こうには、守るべき人々。


こちら側には、泥にまみれた兵士たち。


ズン。


ズン。


一人と一頭。


小さな男と、巨大な厄災の山。


岩ノ山は、深く、深く腰を落とした。


両手を膝に置き、怪物を正面から見据える。


ドラゴンの淀んだ目が、岩ノ山を捉える。


そして。


その場にいる誰もの目が、岩ノ山へ向く。


「あれ……?」


岩ノ山の背中を通して、なにかが見えた。


山だった。


村の皆が知る、切り立った山ではない。


裾野の大きく広がった。


静かで、美しい。


山……。


……


誰かが。


小さく呟いた。


「……あれが本物」


二柱の山神が、並び立った。



第五部 山神編

最終話につづく

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