外伝 観測者の飛躍、始祖の指先【ラナクロア編】
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ペン先が、紙の上で止まる。
エドラルザ王国領南部、ライマ山の麓。そこで起きた「事象の消失」を、ミレイナ・ルイファスは瞬きひとつで視ていた。
「……ふん」
鼻で笑い、彼女は何事もなかったかのように書類へ視線を戻す。
だが、その瞳の奥では、すでに次の「解」が弾き出されていた。
チャッピー――サダオミが消えた。
それが世界の理へ還ったのだと理解した瞬間、ミレイナの中にある「すべてを見通すもの」が、地上の住人が決して踏み込んではならない領域の扉を、勝手にめくってしまった。
――そこへ行くための「答え」は、すでに視えている。
「勝手に終わらせるなよ、小娘。私の観測は、まだ完了していない」
ミレイナは椅子から立ち上がると、自らの周囲の空間を強引に捻じ曲げた。魔力を練る必要さえない。視えた解をなぞるように、彼女は世界の壁を物理的にブチ破った。
◇
――天界。
絶対的な静謐が支配する白銀の領域に、招かれざる「ノイズ」が降り立つ。
「やぁ、待たせたなチャッピー。……いや、ここはまだ入り口か」
尊大な笑みを浮かべ、燃えるような赤髪をなびかせる。
世紀の大天才、小覇王ミレイナは、天界の法すら「視える答え」の範疇として、不敵に歩を進める。
だが、その歩みは一人の少女によって止められた。
「あら? 珍しいですね~……不法侵入者だなんて」
るるかの言葉。その瞬間、ミレイナは人生で初めての、そして極上の「異常」に直面した。
「…………」
視えない。
目の前に立つ、あまりにも小柄で「空」に近い存在。
その一挙一動、因果、未来の解。
それらがすべて、深い霧の向こう側に隠されている。
「あ、はは……っ! 面白い! 素晴らしいじゃないか小娘ッ! 私に演算さえさせない、完全なる『未知』か!」
傲岸不遜。
ミレイナは、その未知への歓喜を叩きつけるように、全開の威圧と共に踏み込んだ。
地上最強を自負する魔導の奔流が、白銀の床に亀裂を走らせる。
視えずとも、「答え」は力でこじ開ければいい。それが、この理不尽な魔女の生存戦略だった。
だが。
「ていっ」
るるかの指先が、無造作に弾かれた。
ただのデコピン。しかしその衝撃は、力ですらなかった。
理そのものが、ミレイナという異物を「正しい位置」へと弾き飛ばしたのだ。
るるかは殴っていない。
ただ、分枝を本来の位相に戻したに過ぎない。
「ぐふぇッ!!?」
ミレイナの体は、物理法則を無視した軌道で転がり、停止した。
額を押さえ、呻きながらも、彼女は顔を上げる。
「ふむふむ……。私の分枝だったんですね~。本来なら消滅ですが、どうします? 天使、興味ありますか?」
るるかは、興味深そうにミレイナを覗き込む。
門番である彼女は、感情では動かない。
透哩が「例外」を作ったあの日以来、天界のログは変質している。
ここでミレイナを消せば、神の意志に整合性の矛盾が生じる。
るるかが彼女を拾い上げたのは、慈悲ではない。神の整合性を守るための、冷徹な必然だった。
視えない。眉間を打たれた痛みの中心にさえ、何の「答え」も視えない。
ミレイナが演算できないのは、答えがないからではない。
答えが、今の彼女の手の届かない「上位層」にあるからだ。
「……あ、はははははははははッ!!」
ミレイナは天を仰ぎ、爆笑した。
完敗。そして初めて、彼女は自らの視界に「限界」があることを知った。
それは世紀の大天才にとって、絶望ではなく、永遠に終わらない探求の始まりを告げる福音だった。
「いいだろう! 答えのない存在に仕えるのも、悪くない! 私を拾い上げ、好きにするがいい! 我 が祖よ!!」
ミレイナは立ち上がり、燃えるような赤髪を乱暴に掻き上げた。
そして、遥か下層――「学園」へと踏み出そうとする、愛しい獲物の気配を、魂で捉える。
「あーっはっは! 楽しみじゃないか! 待っていろよ、私の可愛い小娘ッ!!」
爆笑する赤髪の魔女を、るるかは満足げに「ぬふふ」と見つめる。
二人の全視もちの視線は、揃って下層の揺り籠へと向けられた。
その視線が交錯した瞬間、天界のログは一行だけ空白を残した。
それは、記録されるはずのなかった頁。
その瞬間、どこか遠い異層で、一冊の本に白紙の頁が挿入された。




