表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

外伝 鉄に咲く、火の残り香【零編】



 最初に願ったのは、刀だった。


 富でもない。

 地位でもない。

 名でもない。


 ただ、一本。


 自分が生涯を賭けて打ち上げても、なお足りないと思える一本。


 そんな刀を打ちたい、と男は言った。


 口調は静かだった。

 静かなほどに、その願いが本物だと分かる。


 飛鳥は、隣でそれを聞いた。


 天使は人の願いを測れる。

 測れるけれど、測る必要がない願いもある。


 これは、その類だった。





 男は鍛冶場を作った。


 石を積み、炉を作り、風を通した。

 火の癖を覚えた。

 鉄の癖を覚えた。

 槌の癖を覚えた。


 飛鳥は、その隣にいた。


 名を名乗らない日もあった。

 名を呼ばれる日もあった。


 飛鳥は、そのどちらも同じように受け取った。


 任務の期限はある。

 天界は、そういう仕組みだ。


 だがこの男は、期限のことなど知らない。

 知らないまま、刀を追い続ける。


 飛鳥は、その背中を見ていた。


 追うのは刀のはずだった。


 だが、いつの間にか。


 飛鳥は、男の指を見ていた。


 火に焼かれた指。

 刃に切られた指。

 血を拭き、また槌を握る指。


 その指が、刀よりも確かなものに見え始めた。


 飛鳥は、それが何かを知っていた。

 知っているのに、止められなかった。





 材料が足りない。


 技術は積み上がる。

 工夫も積み上がる。


 だが最後に必要なのは、純度だった。


 折れないための硬さ。

 斬るための粘り。

 両方を抱えてなお、軽い刃。


 男は探した。

 山を越えた。

 川を辿った。

 国を巡った。


 それでも、見つからない。


 いつも最後に残るのは、同じ結果だった。


 刃は美しい。

 だが、最高ではない。


 男はそれを叩き割った。

 迷いなく叩き割った。


 叩き割ったあと、息だけが震えた。


 飛鳥は、その震えを見ていた。

 見ているだけだった。





 ある夜。


 飛鳥は、自分の期限を思い出した。

 思い出させられた、と言った方が近い。


 天界は優しい場所じゃない。

 期限は、黙っていても進む。


 飛鳥は火を見た。

 炉の火。

 男が愛した火。

 男の人生の火。


 その火が、今夜は妙に冷たく見えた。


「もうすぐ、私は消える」


 男は槌を止めた。

 槌を止めて、飛鳥を見た。


 驚かない。

 疑わない。

 怖がらない。


 ただ、受け止めた。

 受け止めてしまった。


「……そうか」


 それだけだった。


 飛鳥は、その笑い方が好きだった。

 好きだからこそ、怖かった。


 このままでは、この男は願いを叶えない。

 叶えないまま、生き続ける。


 それが耐えられなかった。

 飛鳥が耐えられなかった。





「最後に、叶えたい」


 今夜は、任務じゃない声だった。


「何を」


「あなたの願い」


 男は答えなかった。


 炉を見た。

 火を見た。

 火の中にあるものを見た。


 そして飛鳥を見た。


 その目に、初めて迷いが宿った。


 迷いは正しい。

 正しい迷いほど、残酷だ。


 飛鳥は笑った。


 自分が消えるのに、笑った。


 恋だった。

 認めたくないのに、もう認めているものだった。


「どうせ消えるなら」


 声が震えた。

 震えを隠さなかった。


「最後に、あなたの願いを叶えて消えたい」


 男の喉が動いた。

 声は出なかった。


 槌を握り直した。

 握り直して、下ろさなかった。


 飛鳥は一歩、炉の前へ進んだ。


 止めない。

 止められない。


「私を、材料にして」


 炉の火が鳴った。


 ぱちり、と。





 男は打った。


 一打ずつ。


 逃げないために打った。

 忘れないために打った。


 何も言わずに打った。


 飛鳥は痛みを感じなかった。

 感じる余裕がなかった。


 ただ、見ていた。


 自分が形を失っていくのを。

 男の指が震えていくのを。

 涙が落ちるのを。

 落ちても拭かないのを。


 飛鳥は、一打一打の中に自分の名前が消えていくのを感じた。


 代わりに、ひとつだけ残るものがあった。


 願い。


 男の願い。


 その願いだけが、飛鳥を繋いでいた。





 最後の一打。


 男は槌を振り下ろした。


 終わった。


 炉の火が静かに落ちる。


 そこに、一本の刀があった。


 美しい。


 それ以上の言葉が出ない。


 男は刀を持ち上げた。


 笑おうとして、声が出なかった。


 刀を抱えて座り込んだ。


 息を吐いた。


 吐いて、戻らなかった。


 火が消える。

 鍛冶場が静かになる。

 夜が明ける。


 刀だけが残る。


 飛鳥の名前も。

 男の命も。


 全部を置いて、刀だけが残る。


 それが最高の形だった。


 それが最悪の形だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ