外伝 星を見た夜【一騎大国編】
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次の合流地点で、俺は初めて“白”の近くに立った。
いや、近くって言っても、距離の話じゃない。
あの白い鎧がそこにあるだけで、戦場の空気が変わる。
人の声の高さが落ちる。
足音が、妙に遠慮がちになる。
兵が、視線を逸らした。
わずかな沈黙。
俺も反射で逸らしかけて、思ったより自分が素直にびびってることに腹が立った。
何だよ、視線逸らすって。
相手が誰だろうと、同じ戦場で立ってんだろ。
死ぬかもしれないのは俺だって同じなのに。
「……名乗らなくていい」
低くて、淡々とした声だった。
白が、先に言った。
俺じゃない。
俺の後ろに並んでいる、別の連中にも言っているんだと思う。
だから余計に、刺さった。
「どうせ、すぐいなくなる」
その瞬間、兵たちが固まったのが分かった。
固まったっていうか、無意識に息が止まったんだろう。
俺も、止まった。
止まってから、腹の奥が熱くなった。
……は?
いなくなる?
それ、言う必要あったか?
勝手に死ぬ前提で、勝手に線引くなよ。
お前は、何なんだよ。
死神って噂されてるからって、なんでも許されると思ってんのか。
俺は口には出さなかった。
出せなかった、が正しい。
声を出した瞬間に、殺される気がしたとか、そういう話じゃない。
ただ、場が“そういう空気”だった。
白の言葉は、刃物みたいに鋭いのに、誰も止めない。
止められない。
だから飲み込むしかない。
飲み込んだ分だけ、胸の中に溜まっていく。
俺は溜まったまま、歩いた。
自分の位置に戻った。
そしてその夜、酒場で同じ隊の連中に声を掛けられた。
「お前、次は死神の下なんだって?」
笑い混じりだった。
笑い混じりなのに、どこか慰めみたいな匂いがした。
俺は杯を置いた。
置く音が少しだけ大きくなった気がして、また腹が立った。
「……さすがの幸運もここまでか?」
「幸運でやってきたのは、お前もだろ」
俺がそう返すと、そいつは一瞬だけ顔を崩した。
「まぁな」
それから少しだけ視線を泳がせて、言った。
「……死ぬなよ?」
軽い言い方だった。
軽い言い方にしたんだろう。
重くしたら、ほんとに死ぬみたいになるから。
俺は笑えなかった。
笑えないまま、頷いた。
「わかってるよ」
分かってる。
死ぬなって言われても、死ぬのが戦場だ。
分かってる。
分かってるのに、あいつの言い方が妙に優しくて、少しだけ目が熱くなりそうになった。
俺は酒で誤魔化した。
けど、酒じゃ眠れなかった。
布団に入っても、眠気が来ない。
あの白の声だけが、頭の中で繰り返される。
名乗らなくていい。
どうせ、すぐいなくなる。
勝手に決めるなよ。
お前が決めることじゃないだろ。
俺は寝返りを打って、最後には起き上がった。
息が詰まる。
酒場の熱が残っているはずなのに、胸の奥が冷えていくみたいだった。
外に出た。
夜風が肌を撫でた瞬間、少しだけ楽になった。
音が減るからだ。
人の声が減る。
戦場じゃない夜の音になる。
俺は気づいたら川辺まで来ていた。
特に意味はない。
意味を付けると、逃げたみたいになる。
俺は逃げてない。
ただ、眠れなかっただけだ。
川は静かだった。
水の流れは、真面目に続いている。
遠くの見張りの足音が、一定の間隔で聞こえる。
星が、やけに近い。
そんな夜だった。
そこで、俺は白を見た。
先に見えたのは、白い鎧だった。
あの巨い鎧が、川辺に座っていた。
戦場じゃない場所にあるだけで、異物感がすごい。
あれ、ほんとに人間が入ってるのか。
いや、入ってるに決まってる。
入ってないなら、もっと怖い。
俺は足を止めた。
戻ろうとした。
この距離で見つかったら終わる。
そう思った瞬間だった。
白い鎧の兜が、外された。
ゆっくりと。
丁寧に。
まるで儀式みたいに。
兜の内側に、影が落ちた。
――中身が、空だった。
真っ黒な穴が、ただあるだけ。
頭があるはずの場所に、何もない。
何もないのに、白がそこに座っている。
俺は声が出なかった。
背中に汗が出た。
足が勝手に引いた。
やっぱり死神じゃねぇか。
噂は本当だった。
俺は一歩下がって、もう一歩下がった。
次に息を吸ったら、喉が鳴って見つかる気がした。
だから息を止めた。
止めたまま、逃げようとした。
その時。
白い鎧の胸部あたりが、静かに解けた。
解ける、というより。
“外れる”という動きだった。
機械が部品を外すみたいに、ガチリと音もなく開いた。
そして。
髪が、ぱさ、と落ちた。
夜風にほどけたみたいに。
金色だった。
絹を編んだみたいな、細い金。
光ってるわけじゃない。
むしろ暗い夜に溶けそうなのに、それでも目が離せない色だった。
――え?
俺は頭の中で声を出した。
え?
……可愛い、って。
えぇ……?
胸の奥が変な風に跳ねた。
怖いとか、そういうのが一瞬で吹き飛んで、代わりに訳の分からない焦りが来た。
可愛いって思ったことに焦った。
なんで今、俺そんなこと思った?
いや、違う。
思うだろ普通。
だって。
鎧の中から出てきたのが、あんな――
白の中身は、女だった。
若い。
いや、若いとかじゃなくて。
存在が綺麗すぎて、判断が追いつかない。
俺は息を飲んだ。
飲んだ音が自分の中でうるさい。
聞こえたか。
聞こえただろ。
俺は身体を固くした。
でも白は、こっちを見なかった。
ただ、淡々と鎧を手入れし始めた。
布で、白い表面を磨く。
汚れていない。
汚れていないのに、磨く。
角度を変えて、同じ場所を何度も。
丁寧に。
丁寧すぎるくらいに。
手が止まらない。
止めたら何かが崩れるみたいに、手が止まらない。
俺はそこで、初めて気づいた。
あれは、落ち着こうとしてる手だ。
何かを消そうとしている手だ。
何かを、いま自分の中から出さないようにしている手だ。
磨き終えると、白は鎧の隣に座った。
座り方が、妙に小さかった。
あの鎧の大きさに対して、隣の人間が細すぎて、現実味が消える。
白は星空を見上げた。
顔が見えた。
切なそうな顔だった。
傷ついた顔だった。
何も言わないのに、負けたみたいな顔だった。
俺は、そこで息が止まった。
ああ。
この人は、死神じゃない。
ちゃんと傷つく人間なんだ。
……じゃあ、なんで戦場ではあんな顔をしない。
なんで、名乗らなくていいなんて言う。
なんで、どうせすぐいなくなるなんて言える。
俺は胸の中で、何かがひっくり返った。
怒りじゃない。
憐れみでもない。
もっと厄介なやつだ。
勝手に、守りたくなった。
守りたい対象を間違えてるのは分かってる。
白は強い。
俺は弱い。
守る必要なんてない。
それでも、思った。
この人に、こんな顔をさせちゃいけない。
たぶん俺の中で、ここから戦争が始まった。
世界が変わる戦争じゃない。
軍の勝敗を左右する戦争でもない。
ただ俺の中だけで始まって、俺の中だけで終わるやつだ。
俺はその夜、何も出来なかった。
ただ見ただけだ。
でも、知ってしまった。
知ってしまったから、戻れなくなった。
翌日、俺は戦場に出た。
白は別の配置だった。
当然だ。
白は白だ。
俺は俺だ。
同じ部隊で走り回るなんてことはない。
合流地点で顔を合わせる程度で、白はすぐ去る。
名乗らなくていい。
どうせすぐいなくなる。
その言葉がまた頭を殴ったけど、俺は飲み込んだ。
飲み込んで、進んだ。
俺の場所で、俺の戦いをした。
戦場は泥だった。
音はうるさかった。
血の匂いがした。
叫び声がした。
俺は怖かった。
怖いのに、手を止めなかった。
止めたら、昨日の星空が消える気がした。
昨日の切ない顔が、もっと切なくなる気がした。
だから、止められなかった。
そこに、上官の声が飛んできた。
「おい!」
耳が痛くなる声だ。
「白を持ってこい!」
俺は一瞬、理解できなかった。
持ってこい?
人間を?
あの白を?
持ってこいって何だよ。
道具みたいに言うな。
「どうせあっちはすぐ終わる!」
上官は続けた。
当然の言葉みたいに言った。
白なら終わる。
白は終わらせる。
だから白を持ってきて、こっちを片付けさせろ。
そういう意味だ。
俺は、その瞬間。
胸の中で何かが切れた。
あんな顔を知ってしまった俺が、どうやってそれを言われたまま運べる。
俺は上官を見なかった。
返事もしなかった。
足も動かさなかった。
代わりに、目の前の敵を見た。
俺の場所を見た。
ここで折れたら、昨日の星空が嘘になる。
だから俺は、ここに留まった。
上官の命令に逆らった。
逆らったことに理由を付ける気もない。
理由なんて、胸の中にしまってある。
誰にも見せない。
誰にも渡さない。
俺は戦った。
いつもより必死だった。
必死なのに、妙に静かだった。
俺の中だけで燃えているものが、外に漏れないように。
俺は戦って――
死んだ。
死ぬ瞬間、痛みはあった。
怖さもあった。
でも、それ以上に。
昨日の川辺の一瞬が、最後まで残っていた。
あの白の中身が、星を見上げた時の顔。
切なそうな顔。
傷ついた顔。
あれを知っている。
俺だけが知っている。
だから俺は死ねる。
それだけで、俺はよかった。
戦場は続く。
白は別の場所で終わらせる。
誰も俺を覚えていない。
白も、俺を知らない。
それでいい。
この戦争は、小さかった。
俺の胸の奥でだけ燃えて、誰にも見つからずに消えた。
ただ一つだけ。
あの白の中身が、もう一度星を見上げた時に。
切ない顔じゃなくて。
せめて、息がしやすい顔をしていればいいと。
俺は最後に、それだけを願った。




