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外伝 星を見た夜【一騎大国編】

■ 



 次の合流地点で、俺は初めて“白”の近くに立った。

 いや、近くって言っても、距離の話じゃない。

 あの白い鎧がそこにあるだけで、戦場の空気が変わる。

 人の声の高さが落ちる。

 足音が、妙に遠慮がちになる。


 兵が、視線を逸らした。

 わずかな沈黙。


 俺も反射で逸らしかけて、思ったより自分が素直にびびってることに腹が立った。

 何だよ、視線逸らすって。

 相手が誰だろうと、同じ戦場で立ってんだろ。

 死ぬかもしれないのは俺だって同じなのに。


「……名乗らなくていい」


 低くて、淡々とした声だった。

 白が、先に言った。


 俺じゃない。

 俺の後ろに並んでいる、別の連中にも言っているんだと思う。

 だから余計に、刺さった。


「どうせ、すぐいなくなる」


 その瞬間、兵たちが固まったのが分かった。

 固まったっていうか、無意識に息が止まったんだろう。

 俺も、止まった。


 止まってから、腹の奥が熱くなった。


 ……は?

 いなくなる?

 それ、言う必要あったか?


 勝手に死ぬ前提で、勝手に線引くなよ。

 お前は、何なんだよ。


 死神って噂されてるからって、なんでも許されると思ってんのか。


 俺は口には出さなかった。

 出せなかった、が正しい。


 声を出した瞬間に、殺される気がしたとか、そういう話じゃない。

 ただ、場が“そういう空気”だった。


 白の言葉は、刃物みたいに鋭いのに、誰も止めない。

 止められない。


 だから飲み込むしかない。

 飲み込んだ分だけ、胸の中に溜まっていく。


 俺は溜まったまま、歩いた。

 自分の位置に戻った。


 そしてその夜、酒場で同じ隊の連中に声を掛けられた。


「お前、次は死神の下なんだって?」


 笑い混じりだった。

 笑い混じりなのに、どこか慰めみたいな匂いがした。


 俺は杯を置いた。

 置く音が少しだけ大きくなった気がして、また腹が立った。


「……さすがの幸運もここまでか?」


「幸運でやってきたのは、お前もだろ」


 俺がそう返すと、そいつは一瞬だけ顔を崩した。


「まぁな」


 それから少しだけ視線を泳がせて、言った。


「……死ぬなよ?」


 軽い言い方だった。

 軽い言い方にしたんだろう。

 重くしたら、ほんとに死ぬみたいになるから。


 俺は笑えなかった。

 笑えないまま、頷いた。


「わかってるよ」


 分かってる。

 死ぬなって言われても、死ぬのが戦場だ。

 分かってる。


 分かってるのに、あいつの言い方が妙に優しくて、少しだけ目が熱くなりそうになった。

 俺は酒で誤魔化した。


 けど、酒じゃ眠れなかった。


 布団に入っても、眠気が来ない。

 あの白の声だけが、頭の中で繰り返される。


 名乗らなくていい。

 どうせ、すぐいなくなる。


 勝手に決めるなよ。

 お前が決めることじゃないだろ。


 俺は寝返りを打って、最後には起き上がった。


 息が詰まる。

 酒場の熱が残っているはずなのに、胸の奥が冷えていくみたいだった。


 外に出た。


 夜風が肌を撫でた瞬間、少しだけ楽になった。

 音が減るからだ。

 人の声が減る。

 戦場じゃない夜の音になる。


 俺は気づいたら川辺まで来ていた。


 特に意味はない。

 意味を付けると、逃げたみたいになる。

 俺は逃げてない。

 ただ、眠れなかっただけだ。


 川は静かだった。

 水の流れは、真面目に続いている。

 遠くの見張りの足音が、一定の間隔で聞こえる。

 星が、やけに近い。


 そんな夜だった。


 そこで、俺は白を見た。


 先に見えたのは、白い鎧だった。

 あの巨い鎧が、川辺に座っていた。


 戦場じゃない場所にあるだけで、異物感がすごい。

 あれ、ほんとに人間が入ってるのか。

 いや、入ってるに決まってる。

 入ってないなら、もっと怖い。


 俺は足を止めた。

 戻ろうとした。


 この距離で見つかったら終わる。


 そう思った瞬間だった。


 白い鎧の兜が、外された。

 ゆっくりと。

 丁寧に。

 まるで儀式みたいに。

 兜の内側に、影が落ちた。

 

 ――中身が、空だった。


 真っ黒な穴が、ただあるだけ。

 頭があるはずの場所に、何もない。


 何もないのに、白がそこに座っている。


 俺は声が出なかった。

 背中に汗が出た。

 足が勝手に引いた。


 やっぱり死神じゃねぇか。

 噂は本当だった。


 俺は一歩下がって、もう一歩下がった。


 次に息を吸ったら、喉が鳴って見つかる気がした。

 だから息を止めた。

 止めたまま、逃げようとした。


 その時。


 白い鎧の胸部あたりが、静かに解けた。

 解ける、というより。

 “外れる”という動きだった。

 機械が部品を外すみたいに、ガチリと音もなく開いた。


 そして。


 髪が、ぱさ、と落ちた。

 夜風にほどけたみたいに。


 金色だった。

 絹を編んだみたいな、細い金。


 光ってるわけじゃない。

 むしろ暗い夜に溶けそうなのに、それでも目が離せない色だった。


 ――え?


 俺は頭の中で声を出した。


 え?

 ……可愛い、って。

 えぇ……?


 胸の奥が変な風に跳ねた。


 怖いとか、そういうのが一瞬で吹き飛んで、代わりに訳の分からない焦りが来た。

 可愛いって思ったことに焦った。


 なんで今、俺そんなこと思った?


 いや、違う。

 思うだろ普通。

 だって。

 鎧の中から出てきたのが、あんな――


 白の中身は、女だった。

 若い。

 いや、若いとかじゃなくて。

 存在が綺麗すぎて、判断が追いつかない。


 俺は息を飲んだ。

 飲んだ音が自分の中でうるさい。


 聞こえたか。

 聞こえただろ。


 俺は身体を固くした。


 でも白は、こっちを見なかった。


 ただ、淡々と鎧を手入れし始めた。


 布で、白い表面を磨く。

 汚れていない。

 汚れていないのに、磨く。

 角度を変えて、同じ場所を何度も。

 丁寧に。

 丁寧すぎるくらいに。


 手が止まらない。

 止めたら何かが崩れるみたいに、手が止まらない。


 俺はそこで、初めて気づいた。


 あれは、落ち着こうとしてる手だ。

 何かを消そうとしている手だ。

 何かを、いま自分の中から出さないようにしている手だ。


 磨き終えると、白は鎧の隣に座った。

 座り方が、妙に小さかった。

 あの鎧の大きさに対して、隣の人間が細すぎて、現実味が消える。


 白は星空を見上げた。


 顔が見えた。


 切なそうな顔だった。

 傷ついた顔だった。

 何も言わないのに、負けたみたいな顔だった。


 俺は、そこで息が止まった。


 ああ。

 この人は、死神じゃない。

 ちゃんと傷つく人間なんだ。


 ……じゃあ、なんで戦場ではあんな顔をしない。

 なんで、名乗らなくていいなんて言う。

 なんで、どうせすぐいなくなるなんて言える。


 俺は胸の中で、何かがひっくり返った。


 怒りじゃない。

 憐れみでもない。

 もっと厄介なやつだ。


 勝手に、守りたくなった。


 守りたい対象を間違えてるのは分かってる。

 白は強い。

 俺は弱い。

 守る必要なんてない。


 それでも、思った。


 この人に、こんな顔をさせちゃいけない。


 たぶん俺の中で、ここから戦争が始まった。


 世界が変わる戦争じゃない。

 軍の勝敗を左右する戦争でもない。

 ただ俺の中だけで始まって、俺の中だけで終わるやつだ。


 俺はその夜、何も出来なかった。

 ただ見ただけだ。


 でも、知ってしまった。

 知ってしまったから、戻れなくなった。


 翌日、俺は戦場に出た。


 白は別の配置だった。

 当然だ。

 白は白だ。

 俺は俺だ。

 同じ部隊で走り回るなんてことはない。


 合流地点で顔を合わせる程度で、白はすぐ去る。


 名乗らなくていい。

 どうせすぐいなくなる。


 その言葉がまた頭を殴ったけど、俺は飲み込んだ。

 飲み込んで、進んだ。


 俺の場所で、俺の戦いをした。


 戦場は泥だった。

 音はうるさかった。

 血の匂いがした。

 叫び声がした。


 俺は怖かった。


 怖いのに、手を止めなかった。

 止めたら、昨日の星空が消える気がした。

 昨日の切ない顔が、もっと切なくなる気がした。


 だから、止められなかった。


 そこに、上官の声が飛んできた。


「おい!」


 耳が痛くなる声だ。


「白を持ってこい!」


 俺は一瞬、理解できなかった。


 持ってこい?

 人間を?

 あの白を?


 持ってこいって何だよ。

 道具みたいに言うな。


「どうせあっちはすぐ終わる!」


 上官は続けた。

 当然の言葉みたいに言った。


 白なら終わる。

 白は終わらせる。

 だから白を持ってきて、こっちを片付けさせろ。

 そういう意味だ。


 俺は、その瞬間。

 胸の中で何かが切れた。


 あんな顔を知ってしまった俺が、どうやってそれを言われたまま運べる。


 俺は上官を見なかった。

 返事もしなかった。

 足も動かさなかった。


 代わりに、目の前の敵を見た。

 俺の場所を見た。


 ここで折れたら、昨日の星空が嘘になる。


 だから俺は、ここに留まった。

 上官の命令に逆らった。


 逆らったことに理由を付ける気もない。

 理由なんて、胸の中にしまってある。

 誰にも見せない。

 誰にも渡さない。


 俺は戦った。


 いつもより必死だった。

 必死なのに、妙に静かだった。

 俺の中だけで燃えているものが、外に漏れないように。


 俺は戦って――


 死んだ。


 死ぬ瞬間、痛みはあった。

 怖さもあった。


 でも、それ以上に。


 昨日の川辺の一瞬が、最後まで残っていた。

 あの白の中身が、星を見上げた時の顔。

 切なそうな顔。

 傷ついた顔。


 あれを知っている。

 俺だけが知っている。


 だから俺は死ねる。

 それだけで、俺はよかった。


 戦場は続く。

 白は別の場所で終わらせる。

 誰も俺を覚えていない。

 白も、俺を知らない。

 それでいい。


 この戦争は、小さかった。

 俺の胸の奥でだけ燃えて、誰にも見つからずに消えた。


 ただ一つだけ。


 あの白の中身が、もう一度星を見上げた時に。

 切ない顔じゃなくて。

 せめて、息がしやすい顔をしていればいいと。


 俺は最後に、それだけを願った。

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