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4.軋轢

※人が命を落とすエピソードと、幼い子どもが虐待されるエピソードが出てきます。

ご注意ください。

「……あいつら俺には取り憑くことができねえから、父さんに取り憑いて、父さんに俺を殺させようとしたんだ」

 淡々とつぶやく晴の声だけが響く。「でも父さんは……狐の支配を振り切って、自ら命を絶つことで、俺を守ってくれた」


 晴の額の目が、すうっと閉じていく。

 その晴の視線が揺れた。

「俺……こっから先の記憶がねえんだ。衝撃で封印が解けちまって……多分、そこいらじゅうの狐を食いまくったんだと思うんだけど」


 誰もが、言葉を失ったまま晴を見つめている。

「ほんの少し……ほんの少し俺の封印が解けるのが早かったら、父さんは死なずに済んだのに……」

 うつむいた晴の声が震えた。

「……これが、朱狐のやりくちだ。俺は、絶対に(ゆる)さねえ。絶対に、あいつらを根絶やしにしてやる……!」


 呆然と、むしろ脱力したように、玄也もうつむいていた。

 朱狐が獏の父親を殺したためにその封印が解けてしまった……そう、聞いていた。

 でも正直、疑っていた。朱狐とは言え、まさか狐が……人を殺すだなんて……しかも、あんな……。

 晴の見せた『記憶』は、あまりにも生々しくて……玄也は血の匂い……血の味まで思い出してしてしまい、思わず吐き気を覚えた。


「……胡摩さん? どうしました、胡摩さん?」

 宮司の声に、玄也は我に返った。

 顔を上げて見ると、幸成が真っ青な顔をして全身を震わせている。

「どうした、幸成?」

 晴も慌てて幸成の顔をのぞき込む。


「あれが……朱狐…………?」

 幸成は呆然とつぶやいた。「じゃあ……じゃあ、やっぱり母さんも、朱狐に……?」

「えっ?」

「どういう……?」

 そのつぶやきに、誰もが驚きの声をあげる。


「どういうことだ、幸成?」

 晴が幸成の肩を揺する。「お前のお母さんは、事故で亡くなったんじゃねえのか?」

 呆然と、遠くを見つめるように幸成は話した。

「……母さんと一緒に、車に乗っていたんだ……遠出をしていて……山の中を走っていて……突然、母さんが全身を硬直させて、白目を剥いた……」

 ぎょっと目を見開き、晴も玄也も宮司も顔を見合わせる。


 幸成は身体を震わせながら続けた。

「……いくら呼んでも母さんは返事をしなくて……車はガードレールを突き破って……谷底に転落した…………つぶれた車の中で……俺の名を呼びながら母さんは…………」

 その手で顔を覆い、幸成はうめく。

「そうだ……間違いない、あの匂い……思い出した……昨日病院で嗅いだあの動物の匂いを、俺は確かにあのときも……母さんが死んだあのときにも嗅いだ……!」


 沈黙が再び、全員の上を覆った。

 全身を震わせている幸成が、またうめくように言った。

「……思い出した……」

 何も見ていないような顔で幸成が話す。「そうだ……俺も多分、子どもの頃から狛犬だったんだ……突然鼻が敏感になって、到底ヒトには嗅げない匂いが嗅ぎ分けられたりした……それは玄也が言っていたように、突然獣に切り替わった、という状態だったんだろう……」


 話しながら、幸成は自分の額に手を当てる。

 それはまるでなにかを探しているような仕草だ。

「角が生えていたという記憶はないが……でも、小さい頃からいつも額に触れていたのは、多分……なにかがここにあると、自分でわかってたんじゃないだろうか……」


「……幸成は、俺とは逆に」

 晴がうめいた。「親を殺されたショックで……自分で自分の獣を封印しちまったんだな……」

 その言葉に、幸成は曖昧にうなずいた。

「多分……そうなんだろう……」

 つぶやいた幸成の顔がゆがんでいく。

「多分、そうなんだ……だから母さんは……母さんは、俺のせいで……」


「違う!」

 晴が叫んだ。「違うぞ、幸成! 悪いのは朱狐だ、お前はなんにも悪くねえ!」

 ビクッと身体を揺らした幸成が、晴を見返す。

 晴は幸成の腕を掴み、必死に訴える。


「幸成、お前のせいなんかじゃねえんだ、悪いのは朱狐だ! 俺だって……俺だって、父さんが殺されたときは……でも、でも、俺たちは悪くねえんだ、悪いのは朱狐なんだ!」

 じっと、晴を見返す幸成が唇を噛みしめた。

 晴はまた叫ぶ。

「幸成、お前はなんにも悪くねえんだぞ!」


 晴が見せた『記憶』と、それによって引き出された幸成の『記憶』。

 衝撃が過ぎると、玄也はひどく自分が冷めていくのを感じていた。

 これで……幸成さんは晴に付くだろう。覚醒すれば間違いなく、朱狐を滅ぼすために獏に力を貸すだろう。


 でも、僕は……。

 ざらついた感触が、玄也の胸の奥に広がっている。

 口の中が苦い。なんだかもう、ここには居たくない。この二人と一緒には、居たくない……。


 玄也自身が持て余すその感触を、しかし晴はいきなり撫で上げた。

「玄也、もしかしたらお前の親も……お前が覚えてないだけで、朱狐に何かされたんじゃねえのか? だからお前を大白狐に託して……」

 ビクッと、一瞬身体を震わせた玄也が、また口をゆがめた。


 薄い笑いを貼り付けて、玄也は応える。

「それはないよ」

「なんでだ、可能性は……」

「可能性はゼロだよ」

 玄也は顎をそらせる。「僕は虐待されてたからね。間違いなく、単なる厄介払いとして僕を捨てたんだ」


 ぎょっと、晴が目を見張った。

 幸成も言葉を失っている。


「そうだよね、おじいちゃん?」

 玄也の言葉と視線を受け、宮司はうなずいた。

「玄也がこの神社に来たとき……大白狐さまは玄也が黒獅子であることと年齢……生年月日は、教えてくださいました。けれど、大白狐さまは玄也のそれまでの名前も、親のことも、一切おっしゃいませんでした。ただ、玄也という名前を与えて大切に育ててやれと……」


「でも、それだからって虐待されてたなんて……」

 晴が困惑したように言う。

 玄也はくっとまた口をゆがめた。

「もうほとんど残ってないけどね……おじいちゃんに拾ってもらったとき、僕の身体は火傷の痕だらけだったんだ」


 宮司が静かにうなずく。

「ええ……その通りです。玄也の身体には……恐らく煙草の火を押し付けたのだと思われる、小さな火傷の痕が……数え切れないほどありました。他にも右肩は完全に外れていましたし……病院では、少なくとも腕と足を一回ずつ骨折したことがあるはずだと言われました」


「……二歳で、か……?」

 呆然と、晴がつぶやく。

「はい。病院では、生きているのは奇跡だと言われました」

 宮司はまた静かにうなずく。「大白狐さまに教えていただかなければ、到底二歳になっているとは思えないほど小さく痩せて、完全に栄養失調状態でしたし……おそらく、玄也が獅子の仔でなければ、生きてはいなかったでしょう」


 呆然と、口を開いたまま言葉を失い、晴はようやくしてつぶやいた。

「だからお前は……煙草の火に、あんなふうに反応して……」

「どうもそうらしんだよね」

 玄也はまた薄く笑う。「赤ん坊の頃だから覚えているはずがないのに……でも、身体は覚えちゃってるらしくて。ホント、いまだに厄介だよ」


「……なんで」

 晴の顔がゆがむ。「……お前の親じゃないのか……? お前を産んだ……なのに、なんで……?」

「さあ?」

 玄也はぎゅっと奥歯を噛みしめた。「多分、気味悪かったんじゃないの? こんな、化け猫みたいな子は」

「お前の親なら獅子の血族じゃねえか!」

 晴は叫んだ。「なんで気味悪がるんだ! なんで……!」


「僕に訊くなよ!」

 玄也も叫んだ。「僕に答えられるとでも思ってるのか!」


 ぐっ、と言葉に詰ったまま、晴は玄也を見つめた。

 睨み返し、玄也はぷいっと視線を外した。

 しかし、すぐに思わず視線を戻してしまった。

 うめいた晴が、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めたからだ。


「なんで……なんで、こんな……ちくしょう……!」

 晴はあふれる涙を両手の拳で拭う。「ちくしょう、なんで俺たち、ばらばらになっちまったんだ……」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、晴はうめき続ける。

「ずっと、ずっと一緒に居たのなら……俺たちの血族が、みんなずっと一緒に居たのなら……こんなことは、絶対に……ちくしょう!」


「莫奇さま……」

 宮司が、そっと晴の背中を撫でた。

「四百五十年もの時間がかかったのです。それはもう、仕方のないことですよ」

「でも……でも、俺は(あるじ)で……」

 晴はぼろぼろと泣き続ける。「俺は、俺の眷属を守ってやらなきゃならねえのに……」


 獏が生まれたのは四百五十年ぶりだ。そしておそらく、獅子と狛犬が生まれたのも。

 その四百五十年の空白の間に……『お山』で代々護られてきた獏の血族とは違い、獅子と狛犬の血族は(ちまた)に埋もれてしまったのだ。

「玄也を……幸成を、こんな目にあわせちまって……」


 泣きじゃくる晴に、玄也は呆気にとられた。

 なんで泣くんだ?

 そしてだんだんと、玄也は腹が立ってきた。

 だから、なんで泣くんだ?


「……晴が泣いたって、どうにもならないだろ?」

 玄也は、吐き捨てるように言ってしまった。


「でも……でも、お前は俺の眷属で……」

「眷属なんかじゃないよ!」

 それでも言い募る晴に、玄也は怒りをぶつけてしまう。

「眷属なんだったら、なんで獅子や狛犬の血族は『お山』で護られてなかったんだよ! 違うだろ、僕は獏の眷属なんかじゃない!」


「玄也……」

 晴は、むしろ呆然と玄也を見返した。

「そんなに眷属が欲しけりゃ、幸成さんだけ連れてけばいいじゃないか!」

 叫びながら、玄也は自分を抑えられなくなってしまう。

 それを言ってはいけない……わかっているのに、止められなかった。

「親を殺された者同士で朱狐を滅ぼせばいいじゃないか! 僕には関係ない!」


「玄也」

 声を上げたのは、幸成だった。

 一瞬、玄也はビクッと身をすくめた。

「お前、そんなこと本心で言ってないだろう?」

 幸成はじっと玄也を見つめる。「お前に関係ないなんてこと、ないだろう?」


 玄也の喉元に、熱い塊が競りあがってくる。

 思わず視線を逸らし、玄也は唇を噛んだ。

「じゃあ僕は……なんで、狐に育ててもらっちゃったんだよ? 僕は、誰を憎めばいいんだよ……!」

 つぶやいて、玄也は身体を震わせた。


「幸成さんも晴も、朱狐を憎めばいいさ。でも僕は……僕は、誰を憎めばいい?」

 薄い笑いがまた玄也の口元に浮かんでくる。

 そうだ、僕が憎いのは……僕を虐待した親か?

 それとも……虐待されるような子に生まれてしまった、僕自身か?

「今頃になってやってきて……勝手に僕の人生をかき回すのは止めてくれ! もう、たくさんだ!」




 自室の布団の上に仰向けに寝転がり、玄也は天井を見つめていた。

 バカみたいだ。

 なんだかもう、何に腹を立ててるのかもわからない。あんなに熱くなって……あんなにわめき散らして。まるっきり子どものケンカじゃないか。


 自分のなかでは、もうケリのついたことだと思ってた。

 確かに、いまだに煙草の火に反応してしまうし、肉も一切食べられないけど……でも、いまの暮らしには何の不満もない。それどころか、本当に心から満足している。おじいちゃんが居て、眷族さんたちが居て、そして大白狐さまが居らして……。


 いまはもう、誰からもいじめられることはない。

 大学ではほとんど人付き合いなんかしなくていいし、友だちなんか欲しいとも思わない。稲荷の参拝者には上っ面の愛嬌だけ振りまいてりゃいい。

 このままずっと、この杜で暮らしていたい。

 たったそれだけの望みが、どうして叶えられないんだろう?


 ふっ…と、その記憶が玄也の胸に甦る。

 もう忘れたはずのその思いに、玄也はひどく苛立っていた。それなのに、その思いはどうしようもなくあふれてくる。

「ああもう、ちくしょう!」

 寝転がったまま、玄也は毒づいた。


 それは消えたのではなく、ただずっと自分の心の奥底に押し込まれていただけなのだと、玄也は思い知らされてしまう。その一番深い奥底に乗せてあった重石を、今夜晴が外してしまったのだ。


『玄也、もしかしたらお前の親も……お前が覚えてないだけで、朱狐に何かされたんじゃねえのか? だからお前を大白狐に託して……』


 朱狐はともかく……僕が自分でそれを考えなかったとでも、言うんだろうか。

 僕の親は、僕を捨てたくて捨てたんじゃない。なにかどうしようもない事情があって……だから本当はいまも僕に会いたがっていて……。

 何度、それを思ったかわからない。

 何度、それを夢見たかわからない。


 僕を虐待していたのは、本当は親以外の誰かで……実際によくあるじゃないか、再婚や同棲で連れ子を虐待するケースが。

 だからお母さんは僕を護るために、わざと僕を置き去りにして……だからお母さんは……いつか僕を迎えにきてくれるんじゃないだろうか…………。


 それを、思ってしまう記憶も、玄也にはある。

 あれはいくつのときだったんだろう。多分、三つか四つくらいのときだ……そんなに幼いときのことなのに、玄也は不思議なほど鮮明に覚えていた。


 ちょうど、いまのような夏の日だった。

 夕暮れ時で、境内にはもうほとんど人影はなかった。玄也は参道で猫と遊んでいた。

 ふと気がつくと、大鳥居の陰から誰かが覗いていた。顔はよく見えなかったが、髪の長い女の人だった。


『だぁれ?』

 玄也が問いかけても、返事はない。

 その人はただ悲しそうに、寂しそうに、玄也のことをじっと見つめている。

 不思議に思った玄也は、まるで引き寄せられるかのように、その女の人の方へ歩いていこうとした。


 けれどそのとき、誰かから呼ばれたような気がして、玄也は振り返った。

 振り返ったが、そこには誰もいなかった。

 再び玄也が大鳥居の陰に目をやったとき、その女の人の姿は消えていた。


 あれは……あの人は、僕のお母さんだったんじゃないだろうか……。

 脳裏に焼きついているその光景を思い出すたび、玄也はそう思わずにいられなかった。


 けれど、それを口にすることは一度もなかった。

 何故だか口にしてはいけないような気がしていた。


 それに、ある程度成長してからは、そんなことを口にするのはおじいちゃんに申し訳ないという気持ちも働くようになった。

 だってそうだろう、縁もゆかりもない、それも普通の人間じゃない子をわざわざ拾って、男手ひとつで育ててくれて……親戚筋からいろいろ言われていることも、玄也は承知している。


 宮司は周りから何を言われても嫌な顔ひとつせず、玄也を本当に大切に育ててくれた。

 玄也が学校でいじめられて帰ってきて、大白狐さまの岩屋に逃げ込んでは悔し涙で濡れた顔を舐めてもらっていたときも……玄也が出てくるのを、宮司はいつも岩屋の前で待っていてくれた。どんなに夜遅くなっても、どれだけ凍てついた夜であっても。そして何も言わずに玄也の肩を抱いて家に帰り、一緒にご飯を食べてくれた。


 だから、口が裂けても言えない。

 僕が、本当は、自分の親に会いたがっているだなんて……。


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