第118話「お断りします」
城の控えの間で、待たされた。椅子が六つ並んでいる。
俺はいちばん端に座った。端の椅子だけ、脚が短かった。
「これ、短いですね」
「触ってはなりません」
「はい」
「本当に、触ってはなりません」
「触りません」
「……信じております」
案内の人が、そう言った。言ってから、俺の手を見ていた。
見られていると、やりにくい。
俺は手を膝の上に置いて、そのままにした。
シルフィさんは立っていた。壁際に立って、動かない。
ミオさんは来ていない。
城は嫌いだと言って、工房で寝ている。
ダグさんは扉の外にいる。中へは入れないと言われて、外にいる。
入れないと言われたので、扉の横に立っていた。
その立ち方が、番人と同じだった。
謁見の間は、思ったより暗かった。
窓が高いところにあって、光が上から落ちる。落ちた先が床の一点だけ明るい。
そこに立て、と言われた。
立ったら、埃が見えた。
「面を上げよ」
「はい」
「大水道の話は、聞いた」
「はい」
「褒賞は、受け取ったか」
「家をいただきました」
「足りるか」
「広すぎます」
「そうか」
陛下はそれから少し黙った。黙ってから、身を乗り出した。
「爵位を、授ける」
「……」
「男爵だ」
「……」
「領地は、王領から切る」
「……あの」
「言え」
「お断りします」
誰も動かなかった。書記が筆を止めた。止めた筆から、墨が一滴落ちた。
落ちた音が聞こえた。
「理由を申せ」
「二つあります」
「言え」
「看板が、長くなるので」
「……看板」
「はい」
「看板とは」
「工房の看板です」
「それが、長くなるか」
「なります」
「なぜだ」
「名前の前に、付くので」
陛下は口を閉じた。閉じてから、ジェラルド公を見た。
ジェラルド公は天井を見ていた。
「もう一つは」
「はい」
「申せ」
「貴族だと、たぶん、自分で直せなくなるので」
「直す」
「はい」
「なぜ直せぬ」
「人にやらせることに、なりますよね」
「……なるな」
「屋根に上がると、止められますよね」
「止められよう」
「溝にも、入れませんよね」
「入れぬ」
「困ります」
「困るか」
「困ります」
俺はそれだけ言った。言ってから、少し考えた。考えて、もう一つ足した。
「あと、俺、直すのが好きなので」
陛下はそこで笑った。声を出して笑った。
城の人が全員、身を固くしていた。固くしたまま、動けないようだった。
「オーギュスト三世の名において」
「はい」
「授爵の儀は、行わぬ」
「ありがとうございます」
「残念とは、言わぬ」
「はい」
「そなたは、貴族にすると使えぬ」
「そうですか」
「では、これを持て」
書記が盆を持ってきた。盆の上に、羊皮紙が一枚あった。一枚だけだ。
判が三つ押してある。
三つとも、色が違った。
朱と、藍と、黒だ。朱が王家、藍が技師局。
黒は、職人組合の判だと言われた。
俺は懐から仮の札を出して、盆へ返した。白かった裏が、少し汚れていた。
「読み上げよ」
ジェラルド公が前へ出て、羊皮紙を持ち上げた。
「オルトの修理屋ルーク」
「はい」
「王国のいかなる遺構にも、無登録で立ち入ってよい」
「……はい」
「立ち入りを妨げる者は、王命に背く者とする」
「はい」
「期限は、無い」
「無いんですか」
「無い」
俺は羊皮紙を受け取った。軽かった。
思ったより、薄い。
薄いのに、判の墨だけが厚い。
俺はそれを二つに折った。もう一度、折った。
四つになった。
道具袋の内側に入れた。鑢の下だ。
鑢の下がいちばん濡れない。
「……修理屋どの」
「はい」
「それは、折るものではない」
「入らないので」
「額に入れる者もある」
「壁が要りますね」
「……要るな」
「持ち歩けないと、困ります」
ジェラルド公は、それ以上言わなかった。言わずに、陛下のほうを見た。
陛下はまだ笑っていた。
城を出るとき、廊下でオズワルドさんに会った。壁に背を預けて立っていた。
立って、待っていたらしい。
「終わったか」
「終わりました」
「断ったそうだな」
「早いですね」
「城は、口が早い」
「そうですか」
その人はそこで壁から背を離した。離して、こちらへ向き直った。
向き直って、少し口を開けた。
開けて、閉じた。
もう一度、開けた。
「弟子にしてくれ」
「……」
「六十四だ」
「はい」
「遅いのは、承知しとる」
「遅くはないです」
「では」
「お断りします」
その人は笑った。断られた顔ではなかった。
やはりな、という顔だった。
「理由を聞いてよいか」
「はい」
「言え」
「教わったことしか、教えられないので」
「……ほう」
「親方に教わったのは、鑢の掛け方です」
「それだけか」
「あとは、油の差し方です」
「印は」
「教わってないです」
「あれは」
「わからないです」
オズワルドさんは黙ってから、うなずいた。
一度だけ、深くうなずいた。
「そうか」
「はい」
「教われぬか」
「教われないです」
「わしもだ」
「そうですか」
俺はそこで思いついた。思いついたので、言った。
「代わりに、わからないものを教えてください」
「なんだと」
「オズワルドさんが、わからないものです」
「……」
「俺も、書きます」
「何になる」
「同じところを、二回やらずに済みます」
卓を廊下の隅から引っぱってきた。紙を二枚もらった。
向かい合って、書いた。俺の紙に四つ書いた。
あの左腕がどこへ行ったのか。
肩の彫りが、なぜ途中で止まっているのか。
印が、なぜ増えなくなったのか。
親方が、なぜ半分でやめたのか。
オズワルドさんの紙はもっと長かった。途中で、行が足りなくなった。裏へ回して、まだ書いていた。
書きながら、一度だけ手を止めた。止めて、また書いた。
「終わったか」
「終わりません」
「わしもだ」
「増えますね」
「増える」
「これ、埋まりますか」
「埋まらん」
「そうですか」
「埋まらんほうが、いい」
「なんでですか」
「埋まったら、もう誰も潜らん」
俺はその紙を四つに折った。折って、許可証の隣へ入れた。
入れたら、袋が少しだけ厚くなった。厚くなったぶん、肩に当たる。
当たるのは、悪くない。
廊下の窓が西向きだった。その窓に、シルフィさんが立っていた。
外を見ていた。俺たちのほうを、向かなかった。
日がその人の横顔に当たっている。当たっているのに、まばたきをしていない。
西は、森の方角だ。




