第二章「ヴァンパイア・オブ・ザ・スクールI」#2
薄ピンク色の上下ランジェリー姿という無防備な出立ちで、リツカがドアを開け迎え入れた。普段の寝姿からしてそうなのか、リツカの身体のラインが透けて露わになっていた。
「ああ、これ? 誰にでも見せてるわけじゃないよ。ま、おおかたのところ吸血王か真中君だろうなぁと思ってたから。そもそも締め付けられる服が嫌いでさ。ほら、正装はいつもスーツにネクタイでしょ? なんか疲れちゃうんだよね。だからオンとオフの切り替えは大事にしてるわけ」
「いや、でもちょっと目のやり場に困るんで、何か上着てくれません? 9月とはいえ風邪ひきますよ」
「はーい。えーと……」
ソファーの上、無造作に置かれた薄手のガウンを適当に羽織ると、リツカはキッチンに立ってお湯を沸かし始めた。
「コーヒーでいい? インスタントだけど」
「お構いな……っ!?」
未だ見え隠れしている少しばかり赤みがかった張りもあってシルクのような白い肌が、真中の視界に飛び込んでくる。
「これが大人の余裕……」
見てはいけまいとすぐに視線を逸らすも、色気に溢れたリツカの肢体や仕草が目の端にチラチラと映り込む。
「もうちょっとだから待っててー」
「はい!」
誤魔化すように放った威勢の良い返事が、リビングルームに響いた。
周囲にはテーブルが一つにイスが二脚。中心にソファーがあり、その上にジャケットやパンツやネクタイ、前日の下着までもが脱ぎ捨てられている。それ以外の家具や家電は見当たらない。まるで生活感はなく、放棄することが前提の仮部屋のようであった。
「ここもセーフティーハウスの一つなんすね」
「そうそう。仕事がら定住はしないからね。部屋は上が用意してくれるけど、工房は自分で見極めないといけないのがめんどくさくって。ほら、霊脈とか地脈とか風水とか……まぁこんな話はいいか」
「部屋の提供には感謝してます。俺は別にいいんすけど、さすがにルビアを東京のど真ん中に野宿させるってわけにはいきませんでしたから」
「優しいんだ」
「みんなそうじゃないすか?」
「ま、吸血王も女の子だしね」
やがて湯が沸き、淹れたてのコーヒーを二つ持ってリツカは真中の対面へと座った。
「訊きたいことが山ほどあるんでしょ? 機密事項に抵触しない程度には答えるよ。何でも言って?」
前屈みになる度、照りつやの良い豊満な胸元がより一層強調される。
「あの。一応俺も男なんで、警戒心とか持った方がいいかと……」
「なに? 気になっちゃう? 我慢とかしなくていいよ? ほらここ、とか」
そう言いながらおもむろに肩から脇にかけて着ているガウンをはだけさせ、ほどよく引き締まった曲線美を見せつけた。
「その気もないのに誘うのはどうかと」
「ええー。私、真中君なら別に押し倒されても嫌じゃないんだけどなー。ちょうどそこにソファーもあるし……」
「俺はそんなにうぶじゃないっすよ。からかうのはそこまでにして。マジな話、聞いてもらってもいいすか?」
「誘惑しがいがないなぁー、もう。ま、私も言ってそんなガード緩い女じゃないけど……真中君に軽くあしらわれたのはなんかちょっとショックかも」
リツカが残念そうに足を組み直してコーヒーをすする。
「で? どこから訊きたい?」
「聖堂騎士団、からすかね? 産まれてから一度も親父からは聞いたこともないし。スマホで検索しても全然ヒットしなくて」
「真中君もだけど、私も産まれる遥かずっとむかし。一世紀以上前の話になるかな。当時の枢機卿が戦争から教皇を守護するために作った武装組織が始まり。それからイタリアの首都成立、第二次世界大戦の終結、統治国家の建立を経て今の体型に変化していったの。目的はたった一つ。人ならざる者の侵攻から、人々の信仰心を護ること。それがひいては民間人を護ることに繋がってる」
「人ならざる者って昨日の吸血体とか」
「色々かなぁー。非人道的な生物兵器による侵略行為から国を護ったり。テロリストと戦闘になったこともあったっけ。それが何百年もの間、人を変え、時代を変え、絶え間なく続いてる。ま、簡潔に答えるならこんなとこかな」
「リツカさんみたいなのが何人も世界中にいるってことっすか?」
「当たり。実働部隊である私たちは第一騎士団から第八騎士団まであって、構成する団員はそれぞれだいたい30人前後。あ、騎士団長は一人ずつ任命されるの。だから合計8人しかいない。その内の一人がなんと、目の前にいる……」
「リツカさん……なんすよね」
「その通り! すごいでしょ? 世界の均衡を護ってる8分の1だよ、私」
「いや規模でかくてあんましピンときてないんで、何てリアクションしていいか」
「真面目だなー真中君は。テキトーにすごーいとか話合わせといてくれればいいのに。ま、そんなところが素直で可愛くもあるんだけど」
リツカのからかいにも動じず、真中は前のめりに次の質問を投じた。
「だとして。ルビアは一体何者なんです? この心臓も、皆んなが特別視してる」
「吸血王は死なない。それから見かけの成長が極端に少ない。ああ見えても彼女、120年近く生きてるよ」
「120年!?」
驚きのあまり真中の瞳孔が一気に開く。
「仕えてたメイドの背信にあって心臓部を取られちゃった反動で、見た目小学生のこまっちゃくれガールになったの」
「そのメイドも親父の差し金ですか?」
「そこらへんの因果関係は調査中。調査内容には当然ながらお父さんのことも含まれてる。身内の不祥事ってことにもなるから、これ以上の情報開示については今のところ禁止されてて。ごめんね」
聖堂騎士団から真中へ支給されたスマホに二件のメールが届く。すぐさま最初の一件目を開封すると、隠し撮りされたであろうことが分かる写真が添付されており、ルビアともう一人、メイド服に身を包んだ日本人が画角に収められていた。
「ルビアの隣にいる彼女がその……」
「そう。それが白雪伽耶乃。逢うことがあったら戦う、なーんて無謀なことは考えず迷わず逃げてね」
「めちゃくちゃ危険ってことっすか?」
「今の吸血王と真中君ではどうやっても勝ち目はない。彼女はただの吸血体じゃなくて、正式な血分けで生まれた純然たる眷属なの。それも、吸血王が生涯でたった一人だけ作った」
「なんでそんな人がルビアを……」
「大切に想われてきたはずなのにね。なんでなんだろ」
「すれちがい、とか?」
「恋人同士じゃないんだから。でも、家族ではあったと思うよ。個人的な心象に過ぎないけど」
時折りコーヒーに口をつけていたリツカの中身は底をつき、淹れなおすべく再びキッチンへ向かう。二杯目を注ぎながら話を続けた。
「吸血王ってあだ名だけ聞けば大層なもんだけど、あれでも彼女、食人欲があるにも関わらず誰一人として人から吸血したことも、人の肉を口にしたこともない。むしろ吸血行為に嫌悪感を示してるくらい。強靭な精神力を持ってるからこそ、普通の人間と同じように暮らせてるんだと思うな。そうじゃないと真中君に出逢う世界線はきっとなかった」
「ルビアはそんなもんかかえて、たった一人で島まで来てたんすね。あいつのこと、まだまだ知らない……」
「これから歩み寄っていけばいいよ。時間はあるんだから」
ルビアに対する見識を改めたところで、次のメールを開いた。そこには先とは別の男の写真が添付されてあった。
「この人もルビアの関係者っすか? かなりガタイがいいっすね。外国人?」
「名前は……名無しの権兵衛でもジョン・ドゥでもどっちでも好きなのを使って」
「それ、身元不明じゃないっすか」
「つい三時間前。S&MLC社の小型船舶が日本の領海内で捕捉された。目的はその男をここ、日本の東京へ移送することにあると私たちはみてる」
「まさか、また親父が……」
「名前は真中君の言う通り私たちも知らない。でも目的の察しはつく。今や先代となって邪魔になったルビア・アンヌマリーを始末することと、吸血王になろうとしてる真中君に接触して何らかのアクションを起こすこと」
「始末って……」
「多分新しい実験で生まれた吸血体かそれに酷似する何か。自我もあるし、今までの傾向で言うなら不死に極めて近い存在でもある。断言はしないけど有象無象とはきっとレベルが違うよ」
おふざけなしで見つめるリツカのシリアスに満ちた眼差しから、真中は未知数な事態の危うさを感じ取る。
「リツカさんたちが力を貸してくれれば、例え殺せなくても退けるのはそう難しくもないんじゃ……甘いすか?」
「私たちは今、君のお父さんの工房を探すのに全人員を割いてるの。だから、今回は加勢してあげられそうになくて。昨日の夜の件もあるし、そんな偉そうなこと言えた義理じゃないんだけど」
それを聞いて落胆するでもなく、恐怖するでもなく、冷静に真中は腹を括り静かに覚悟した。
「自分の身は自分で護る。当たり前っちゃ当たり前のことっすから。何でもやる前から頼りにしてちゃだめっすよね。とりあえずこの情報はルビアと共有しておきます」
「ほんっとにごめん。お詫びといったらなんだけど、当面の生活資金として、それぞれの電子決済アプリに100万円ずつ入れてあるから。好きに使って」
「ひゃ、ひゃくまんえん!?」
高校一年生には縁遠い金額に思わず声がうわずった。
「足りなかった?」
平然と言ってのけるリツカ。月5千円のお小遣いを貰っていた身としては、あまりにも現実味が沸かず、スマホを持つ手が震え出し、重く感じ始める。
「これが大人の使い方……」
「落ち着いたら学校への転入手続きもこっちでやっておくし。任せといて」
「部屋からお金から用意してもらっちゃってすいません。全部親父のせいなのに。思ったんすけど、なんかリツカさん俺たちのお母さんみたいっすね」
「おか…………」
ごくごく自然だったやり取りの中、その瞬間だけ時が膠着した。
「えっと……?」
「私、交際経験もなければまだ誰にも許したことない、穢れなき純情乙女の20歳なんですけど。なるほどー、真中君のお母さんがよほど美人でオーバーラップしちゃったんだー。だからお姉さんじゃなくてお母さんなんだー」
リツカの浮かべている笑みが張り付けただけのようで幾分か怖い。
「いや、あの、包容力はお姉さん以上お母さん並み? みたいなことで特に意味は……」
「へー。ふーん」
やってしまったと思いつつも、ろくなフォローの言葉も出てこず、冷たい視線を感じていたそんな折。消音モードにしていた真中の携帯が振動を始める。普段使いしていた携帯とは異なり勝手が分からず、ややあって出ると。
「もしもしルビアか? いいところに……じゃない、今リツカさんのマンションで……」
「わたしからの電話は3コール以内には出なさいよね!!」
開口一番文句が飛んでくる。思わず携帯を耳から離すもご立腹の様子に心当たりはない。
「これが、こまっちゃくれガールか……」
「だれが、こまっちゃくれガールよ!」
「腹でも減ったんなら下のコンビニ行って適当に……」
「ヒロからもらった体操服は背中破れちゃってて、おまけに吸血体の体液でドロドロだし。このパジャマ代わりのワイシャツなんて、サイズはあってない、下も履いてないからほとんど見えちゃってるしで、外に着ていけそうな服が一着もないのよ! それぐらい分かりそうなもんだけど!」
「言われてみれば、確かに」
「いい? 分かったらとっとと外出用の衣装を買ってきなさい! あと下着も! 以上よ! 小癪だけどリツカにもよろしく!」
通話はそこで一方的に勢いよく切られた。
「何怒ってんだ?」
「なーんか二人の共同生活面白そうだから覗き見たくなっちゃうなー」
「監視カメラとかありませんよね! なんだかんだやりかねない」
「そんな日本のバラエティ番組みたいなことしないって。だってほらこれ……」
腹部がじゃばらになっており、足がムカデのように左右幾つも生えている、体長12cmほどある虫を一匹取り出す。
「昨晩ヘリの中で疲れてウトウトしてたでしょ? だからその時、これと同じ〝潜孔蟲〟をこっそり、真中君の耳の穴から入れといたの」
ぴょんぴょんと左右に跳ねる様子は気分の良いものではなかった。
「勝手に俺の身体に何してんすか!?」
「これも魔術道具の一つで、体内に潜らせたこれが、宿主の不調やバイタルの経過なんかを逐一知らせてくれるようになってるの」
「いや、性能を聞いてるわけじゃなくて見た目どうにかならなかったんすか!」
「気持ち悪い?」
虫嫌いとまではいかない真中も、千切れんばかりに首を縦に振った。
「無害だし監視は続けてるってことで安心していいよ。さて、私は寝汗流したいからシャワーでも浴びよっかな。そうだ、真中君も一緒に来る?」
意気揚々と上着を脱ぎ、キャミソールの裾に手をかけはじめる。
「そんなさらっと……結構です! すぐに御暇します! じゃあっ!!」
動揺を見せないよう真中は冷めきったコーヒーを一気に飲み干すと、リツカの部屋から急ぎ足で出て行った。
「思春期の男子め。分っかりやすい。ま、でも真中君ならきっと乗り越えられるよ。頼りになる味方ならちゃんとついてるんだから。今はまだお互い探り探りだろうけどね」
「何考えてるか、イマイチ読めないんだよなぁ、リツカさん。悪い人じゃないんだけどやりにくいっていうか、つかみどころがないっていうか……もしかしなくてもおちょくられてた?」
帰路に着く道すがら、女の子二人組とすれ違う。
会話までは聞こえないがその格好に真中は目を奪われ、閃いた。
「そうだ! これだ! これならルビアも……」




