可愛い弟ができました
ノアさんとの共同生活が始まってから早3週間。初日の夜の部屋間違えベッド闖入事件や、日記置き忘れ公開事件、浴室間違え混浴未遂事件等、多少のハプニングはあったものの、おおむね平穏に暮らせている。もうすぐ学校の新学期が始まるので、その前に実家に一時的に帰って準備することになっていた。女神様の神託で『里帰りはOKです』とあったらしく、宰相様の許可がでているのだ。しかし、今日、父が星の宮に尋ねてきて、わたしは予定よりも少し早く実家に帰ることになった。遠縁の親戚が事故で亡くなり、その子供を養子として迎えることになったらしい。
「お前の弟になる、リアンだ」
3週間ぶりに帰った実家の居間で、父に紹介されたのは、8才の男の子だった。グレーの髪、ぱっちりとした金の目。まるで絵画から飛び出したような美少年がそこにいた。
「……」
わたしはみとれて、ぼうっとした。父は慌てたように、
「ほら、これから姉弟になるんだから、仲良くね。リアンは昨日、うちに来たばかりなんだ。一緒に、屋敷をまわってきたらどうだい?」
と言った。母が、「ちょっと、エルオーネは帰ってきたばかりで疲れているじゃない」と父に言った。大丈夫だとわたしが母に言うと、母はリアンが委縮しているのに気がついて、気まずそうに黙った。父も母も、この子が家にいる状況にまだ慣れていないようで、若干ぎくしゃくしていた。リアンは、居心地が悪そうにつまさきをみつめていた。初めて会った時のノアさんのようだ。
リアンの両親は、私の父方の遠縁で、先日、馬車の事故で亡くなったそうだ。この子のほかにも兄弟がいて他の親戚達に引き取られたが、この子だけ顔があまりに不気味だったために、どの親戚も引き取りをしぶったらしい。そして、遠縁中の遠縁のうちまで話がきたそうだ。
「この子の両親には昔、世話になったことがあってね。これも縁だと思って、うちで引き取ることにしたんだ」
父はそう言って、リアンの頭をなでようとして手をのばしたが、リアンがびくり、と震えたのをみて、困ったようにそっと手をもどした。…おお、ぎくしゃくしている…。
「わたし、エルオーネ。よろしくね」
リアンがうつむいていたので、少ししゃがんで、下からのぞきこむように自己紹介したら、リアンは目を見開いた。か、可愛い…。
「お庭はもう見た?」
わたしが聞くと、リアンはおずおずと首を横に振った。可愛い。なんだこの可愛い生き物は。私たちの様子をみて、父と母はほっとしたようだった。
リアンの手を引いて屋敷や庭をまわりながら、好きな食べ物や好きな教科などを聞いてみた。リアンは、戸惑っているようだが、小さな声で、「…いちご」、とか、「……算術学」と答えてくれた。可愛い。
「ここの木は春になったら綺麗な実がたくさんなるの。ジャムにするとおいしいんだ」
「あのサボテンは、とげが薬になるんだけど、触ると腫れて痛いの」
あのサボテンには触っちゃだめだよ、と言いながら庭を案内する。他にも、おいしい実が生る木、触ると痛い草、壊すと怒られるものなど、この家の先輩である私からリアンにいろいろと教えてあげた。
「おなかがすいたら、ここね」
厨房へ案内する。シェフや使用人達がわたしたちに気がつき挨拶した。シェフはクッキーを包んだ袋をわたしとリアンにくれた。リアンは、受け取ったクッキーの袋を不思議そうにみた。シェフにお礼を言って、わたしの部屋に行って休憩した。リアンは、今は客室を使っているらしい。
「ここが、わたしのお部屋。リアンのお部屋はわたしの部屋の隣に、お母様が準備してくれるそうだよ」
楽しみねー、と言いながら、アンが持ってきてくれたお茶を飲む。リアンは、クッキーをちびちびとかじっている。シェフの作るクッキーは、おおきなチョコがたくさん入っていて、おいしい。
わたしは、アルバムを開いて、写真を見せた。
「この子、わたしが小さいころ、拾ってきた犬のジョン」
リアンは、ソファでわたしの隣にちょこんと座り、わたしが開いているアルバムをのぞきこむ。可愛い。写真には、幼少期のわたしと、薄茶色の大型犬が写っている。おととし死んじゃったんだけどね、とわたしはつづける。
「ジョンを拾った時、お母様はすごく怒ったの。汚い、よくわからない犬種、野良の大型犬なんてあぶない、って。でもね」
ジョンの写真をみせる。
「ジョンのためのクッションとか、首輪とか。お母様、手作りしてね、ほら、このフリルでフリフリの」
フリルでフリフリのクッションまみれになっているジョンの写真をみせる。
「おととし、ジョンが老衰で死んだとき、一番泣いたのはお母様だったの。うちのお母様、口はきついんだけどね、一番、情がうつりやすいの。いま、お母様はリアンのお洋服をどうしよう、お部屋をどうしよう、って頭をいっぱいにしていると思うよ。心配しないでね。きっと素敵なお部屋を用意してくれるから」
隣にいるリアンの頭を撫でようと手を伸ばす。
「…!!」
リアンが驚いて後ずさった。そしてそのままソファとテーブルの間に落ちて転んでしまった。がちゃんと、テーブルの上のティーセットが音をたてる。ポットが倒れ、中のお茶が溢れてテーブルをつたうのがみえた。
「お嬢様!!」
アンの悲鳴が聞こえた。
服の袖からぽたぽたとしずくがたれる。とっさにリアンをかばったため、わたしの腕にお茶がかかっていた。幸い、お茶はぬるくなっており、やけどはしなかった。熱くなくてよかった。
「リアン、大丈夫?けがはしていない?」
みると、リアンの顔は蒼白になっていた。濡れていない方の腕でリアンを抱きしめて、背中をなでた。
「ごめんね、びっくりさせて。大丈夫?手や足はひねっていない?どこかにぶつけなかった?」
リアンは首を横にふって、ぽろぽろと涙をこぼした。かわいそうに。怖かったのだろう。
8才で、両親が亡くなり、他の兄弟とも引き離されたら、たぶん、すごく心細いだろう。はやく、ここが、リアンが安心して暮らせる家になればいいと思う。少しでも、リアンに安心してもらいたくて、なでつづけた。
「お、おとうさま」
「うんうん」
「お、おかあさま」
「そうですよ」
「おねえさま」
「はい!」
数日後、再び実家に帰ってみると、リアンは少し家に慣れたようだった。少し見ないあいだに、服装が大変可愛らしくなった。
襟やズボンはフリルが盛りだくさん、靴は人気ブランドの可愛らしい革靴、触り心地のよさそうな手作りクッションに埋もれて、リアンはおもちゃや本に囲まれていた。さっそく、リアンはお母様の洗礼を受けているようだ。おもちゃや本は父だろう。可愛がってもらえているようでなにより。わたしもイチゴのお菓子の箱を持って参戦した。
「ほら、エルオーネも、この服を着て。リアンと一緒に写真を撮るのよ」
母からものすごくフリルの付いた服を渡された。わたしにも飛び火した。あきらめて、リアンと一緒にフリフリの服を着てツーショット写真を撮られて、一緒にお菓子を食べて、リアンをお膝にのせながら、リアンに父が買った本を一緒に読んだ。
「…、リアン、大丈夫?疲れていない?」
私は慣れているが、リアンは緊張するだろう。心配して聞いてみると、リアンは、もじもじとしたあと、小声で、
「おとうさま、おかあさま、おねえさま、すごく優しい。うれしい」
と言った。わたしがこらえきれず、リアンの頬にキスをすると、リアンは真っ赤になった。ぱしゃあ、と父がカメラのシャッターを切る音がする。まだ撮っているのか。
「ほほほ。ルカが見たら驚くわね」
「びっくりするだろうねえ、急に弟が増えて」
両親が笑った。