彼女は変わったひとだ(ノア)
幼い頃から生まれ持った醜い容姿と不吉な赤い目のせいで、両親からも親族の人間からも不気味がられた。外を歩けば、醜い、不吉だ、魔物の生まれ変わりだ、と石を投げられ、家にいれば親から殴られた。
神官長は、僕の実家に来た際、偶然地下牢で死にかけていた僕を見つけて、拾って神殿で育ててくれた人だ。僕が就職する際、魔法研究塔へ推薦状を書いてくれた。魔法研究塔は容姿に無頓着な研究員が多く、子供の頃に比べて、今の僕の生活は驚くほど穏やかだ。本当に感謝している。
しかし、そんな大恩人から「ルーナス文官の娘エルオーネに会いなさい」と言われた時は、困惑した。
不思議な夢を見た日だった。遠い頭上に、光があり、それが女神アルテミスだと、夢の中の僕は何故か直感していた。「これから出会う女性の言うことを、よく聞くのですよ」と言われ、目が覚めた。その時は、変わった夢をみたとしか思わなかった。神官長から神託を聞くまでは。
応接室には、ひどく憂鬱な気持ちで向かった。ルーナス文官は、何件かの案件で同じチームとして働いた事があり、醜い僕に対しても気さくな態度をとってくれた人だった。信用できる人だと感じていた。だが、その娘と会うのは躊躇われた。
女性が僕の顔を見ると、まるで人間サイズの毛虫を見たかのような悲鳴をあげて、憲兵を呼んだり、気絶したりする。今回もおそらくそうなるのだろうと思うと、神託により連れてこられた娘に少し同情した。
応接室でエルオーネさんと対面した時、僕は悲鳴を覚悟して、いつ、ティーカップを投げつけられるかとかまえながら、相手が去ってくれるのを待っていた。しかし、自己紹介が終わって、2人きりになっても、食器が飛んでくることは無く、逆に「大丈夫ですか」と気遣われるような言葉をかけられた。熱いお茶がかかる心の準備はできていたが、予想外の優しい言葉を受け、とっさに何も答えられず黙る僕に、エルオーネさんは怒ることなく、始終、優しげな声でお告げの内容を話してくれた。悲鳴をあげられないとわかって、ようやく僕は彼女の顔を見た。とんでもなく美しい少女だった。美しく長いまつげにふちどられた宝石のような紫の瞳はきらきらと輝いていて、つやのある紫がかった柔らかそうな銀の髪がゆるく波打っている。頬と、くちびるは健康そうに色づき、優しく微笑みのかたちをつくっている。女の子の笑顔を正面から見るのは初めてで、僕は顔が熱くなるのを感じた。
今後もエルオーネさんと会う約束をして、その日は解散となった。ふわふわと現実味のない心地で、応接室の椅子でぼうっとしていると、神官長が、優しそうなお嬢さんでよかったな、とまるでお見合いが成功した仲人の様なことを言った。僕はお見合いをした事がないから想像だけれど。
「ノアさん、こんにちは」
「こんにちは、エルオーネさん」
エルオーネさんは今日もとても綺麗だ。温室の植物の隙間からさす光が彼女の瞳や髪をキラキラと照らす光景は、何度見ても美しかった。
応接室での対面の後、僕とエルオーネさんは数日おきに会うことになった。場所はいつも、僕の研究棟の休憩所で、がらんとした温室に低いテーブルとソファーが並んでいるだけの、普段は僕しか使わない簡素な空間だ。エルオーネさんがいるときはまるで彼女がこの温室の花か太陽かのように室内が華やいだ。ここは本当に僕の知っている温室か?と思うほどだった。エルオーネさんと会うようになって、初めの数回はルーナス文官と神官長も立ち会い、僕とエルオーネさんが話している席からテーブル3つ分ほど離れた場所で、何やら楽しそうに話していた。何回かそのような会を経て問題がないとわかったからか、神官長は来なくなり、父親のルーナス文官はエルオーネさんの送り迎えだけして、温室にはエルオーネさんしか残らなくなった。年頃の娘さんを僕のような男に会わせるのは不安じゃないのか、とルーナス文官に聞いてみたが、彼はうーん、とちょっと考えてから、「カーラント様とは、お仕事で何度も話していましたし、アルテミス様の神託ですしねえ…。それに、娘は貴方と話すのを毎回楽しみにしているんですよ。娘が嫌がるようなら、もちろん止めていましたが…貴方は娘にとても優しくしてくれているようですね」
と言って、微笑ましげに見られて、神官長以外からそんな親しげな眼差しを向けられた事がない僕は何も言えなくなってしまった。エルオーネさんが何故かキラキラとした目でこちらを見ていた。
エルオーネさんは変わった人だった。普段は有名なお嬢様学校に通っていて、今は長期休暇らしい。「普段、私が友達としている事をやってみましょう」と言う彼女の表情は、嫌悪は微塵も無さそうだった。
「友達とすること?」
「たとえば、こうやってお茶会をしたり、あとは、お買い物をしたりですね。好きな本の感想を言いあったり、一緒にゲームをしたり」
指を折ってすることを挙げるエルオーネさん。僕は黙って聞いた。
「あとは、パジャマで夜通しお喋りしたり」
僕は頷こうとしてから、止まった。パジャマで夜通し…?
「あとは…」
エルオーネさんが何か話してくれているが、僕は動揺して、頭に入ってこなかった。エルオーネさんは、たぶん、女の子の友達と同じように僕に接している。お嬢様学校育ちの、箱入りお嬢様は、異性との距離感に少し疎いと、魔導掲示板で読んだ事がある。まさか、自分がそんな子と関わることになるとは…。僕が、「パジャマで夜はちょっと」とやんわりと断ると、エルオーネさんは言ってみただけですよ、と可笑しそうに笑った。冗談かとほっとして、でも少し残念に思っていることは悟られたくなくて、憮然としていたら、「ごめんなさい、怒りましたか?」と聞かれて、つい、「いや全然、まったく」と反射的に答えた。エルオーネさんがほっとしたように微笑むので、もう可愛いからいいや、という気分になった。
「あとは、お誕生日をお祝いしたりですね」
エルオーネさんは言った。
「お誕生日は、家族とも祝いますが、友達ともお祝いするんです。歳の数分のろうそくをケーキにさして、好きなお菓子を持ち寄って、友達からお祝いの言葉をもらうんですよ。私はあと30日後に16歳になるのですが、ノアさんは?誕生日はいつですか?」
エルオーネさんの年齢を初めて知った。
「僕は冬の生まれ。あと150日後。歳は今20歳」
じゃあ、冬にノアさんのお誕生日会をしましょうね、と明るく笑うエルオーネさんに癒されながら、僕は心の中で、僕を産んでくれた母に、生まれて初めて感謝した。母よ、僕を産んでくれてありがとう。お陰で、天使のように優しく美しい女の子が、僕の誕生を祝ってくれるそうです。
急に太陽の方角に向かって祈りだした僕を、エルオーネさんは不思議そうに見ていた。
30日後。エルオーネさんの誕生日のお祝いに、エルオーネさんの瞳と、僕の瞳の色の石がはまったブローチをプレゼントしたら、いたく喜んでくれた。
「わーっ!綺麗ですね!!なんという種類の石なんですか?不思議な色…」
いつもの温室で、ブローチを光にかざす彼女の横顔がとても綺麗だ。
「これは竜の魔石を加工したものでね、普通の魔石と違って、高負荷な魔法にも耐えられる石なんだ。このブローチには、僕が防御、耐毒の魔法をかけているよ」
これで、この無防備な子が少しでも安全に過ごせたらいいと思い、僕の全力で魔法をかけた。高位魔法で攻撃されても10撃は楽々防げる。毒は体に入った瞬間に無毒化される。希少な竜の魔石が材料ということも相まって、もし、仕事で依頼されたとしたら、貴族の屋敷が買えるくらい、価値のあるブローチになった。僕は、ブローチの色が想像通りにエルオーネさんに似合っていることにとても満足した。
「ノアさん、あの、竜って、すっごく貴重で、すっごく高価なのでは…?」
エルオーネさんが若干青ざめておずおずとブローチをこちらに返そうとしたことで、僕は自分のミスに気がついた。高価すぎるプレゼントは引かれるって魔導掲示板で読んだじゃないか!魔石の色とブローチの出来の良さに気を取られて、エルオーネさんがプレゼントを負担に思うかどうか、考えが及ばなかった。僕は必死に言葉を探した。
「あ、あのね、これは、仕事中に『拾って』、自分の趣味に使ったあとの『あまり』なんだ!もう小さくて実験には使えないけれど、見た目は綺麗だから、君に似合うんじゃないかなって思って『手作り』してみたんだ。アクセサリー屋さんのプロが作ったものと比べると粗いかもしれないけど…気に入らなかったかな…?」
嘘は言っていない。事実、仕事中に討伐したドラゴンの魔石で、魔術所長に「好きに使って良い」と言われて実験用にもらっていたものだ。そのブローチについている、シャツのボタンほどの小さな魔石でも、中流貴族の年収ほどの価値がある事は口が裂けても言わない。
若干青ざめていたエルオーネさんの顔色が、『拾って』『あまり』の言葉で徐々に赤みが戻っていき、『手作り』のくだりで目を見開いて、感激したように頬に赤みがさした。
「ノアさんが作った!?すごい!とても気に入りました!!ありがとう」
ブローチを襟につけて、どうですか?とはにかむエルオーネさんは、本当に、可愛らしかった。僕はひっそりと、この空間の映像を魔法で録画した。