旧公館での迎撃
この状況は予期していた。俺の知人がこの旧公館に集合するのだ。とするなら、例の襲撃者も、狙ってくる可能性があると思っていた。だから事前に、この公館の屋根のすぐ上に『魔力障壁』を遅延発動させておいた。恐らく、また上空からあの黒い槍が降り注いだのだろう。
「この機を逃すことはありません。旦那様」
「ああ」
とにかく、犯人をここで捕まえるべき。そのことには、何の異論もない。ただ、敵だからすぐ殺してしまおう、とは考えていない。背後関係を知る機会が失われるからだ。
ただ、それは理屈でしかない。心のどこかで、どうにも気持ちがついていかないのを感じていた。もし、これが誰かの俺への復讐であったとしたら。つまるところ、この戦いに大義はあるのか? これがもし、パッシャの残党が帝都の人々を無差別に殺戮しにきたとかいったような事件であれば、こんな迷いのようなものは入り込まなかった気がする。
だが、どうあれこれは戦いだ。戦いの最中では、雑念が混じる以上に悪いことはない。
「マツツァ!」
「はっ!」
ヒジリが命じると、彼は機敏に応じた。
「ご婦人方はこちらへ!」
戦うのは、俺やヒジリ、ペルジャラナン達がやる。それ以外の知人は、前もって計画していた通り、ここから迅速に避難させる。といっても、遠くへはいかない。あくまで旧公館の敷地内に留まる。
状況を予期していたので、当然に俺もペルジャラナンも武装していた。庭先に転がり出て、すぐ上空に目を向ける。そして、そろそろ深い藍色の夜空に溶け込みそうな中、豆粒のような敵の姿を確認すると、彼は迷わず火球を放った。
俺も同じようにするつもりだった。これは、敵を殺すためではない。力余って倒してしまったなら仕方ないが、そうではなく、弾幕でプレッシャーをかけ、遠距離での撃ち合いを不利と感じさせるためだった。そうすれば相手は、接近戦を挑むか、さもなければ逃走に移るか、いずれかであろうと想定していた。逃げた場合は、俺が全力で追跡するし、接近戦になったなら、その場での捕縛を狙っていく。
だが……
「旦那様、何を……なぜ手を止めるのですか!」
ヒジリに言われて、我に返った。
そうだ。今はどうあれ、あれに攻撃を浴びせなくてはいけない。しかし、これはどういうことだ?
上空には、襤褸を纏った女の姿がある。身嗜みを整えるという考えもないのか、乱れた長髪もそのままに、風に吹かれていた。その襤褸の向こうは、この冬場だというのに、信じられないほど軽装だった。鎧らしいものもなければ、体を温めるのに充分な衣服も身につけていない。南方大陸の砂浜で泳ぐつもりなのかと言いたくなるほどで、胸と腰しか隠していない。そして、その肌は浅黒かった。
ただ、顔は見えなかった。というのも、カディムの報告にあった通り、顔全体を黒ずんだ金属製の仮面が覆っていたからだ。これではどうやって前を見ているのかと思うのだが、とにかく、彼女は仮面をつけたままだった。手には金色の槍が握られている。投擲したのとは別のものだろう。
問題は、しかし、その外見ではなかった。
「なぜ……だ?」
俺は戸惑いながらも、ペルジャラナンに続いて火球をばら撒いた。
どうしてなのか、わからない。とにかく、俺にはわからなかった。ピアシング・ハンドを通しても、その女の名前が見えなかったのだ。
いけない。取り乱している場合ではない。
ピアシング・ハンドが通用しない状況は、過去にもあった。アルディニアの北方開拓地にいたゴブリンの王、チュタン。あれは幻術を巧みに用いていた。俺が最初に疑ったのもその可能性だったが、どうも上空にいる女は実体らしい。
そうなると、あれは魂を持たない人形なのか。四大迷宮の魔物は、やはりピアシング・ハンドでの表示がなかった。だが、あれと同じと考えていいものか、現時点では判断できない。というのも、四大迷宮には女神がかかわっているらしいことは間違いなく、その中でだけ、神の権能を用いることで、ああした特別な現象を起こしているのだとすれば。
その可能性の延長で考えると、目の前の女に見える何かは、どう転んでも、絶大な力を有した何者か、或いはその誰かの道具であるとするしかない。アーウィンやクロル・アルジンでさえ、その状態を確認することだけはできたのだから。
女は、火球の弾幕を巧みに回避しつつも、地表に向けて距離を詰めてきた。余程、自分の力に自信があるのか、それとも、こちらにまだ被害らしい被害がないことに不満があって、戦いをやめられないだけなのか。或いは、建物の陰からそっと放たれる、目立たないウィーの矢を嫌がってのことか。だが、狙い通り。捕縛を考えるなら、最も好ましい展開だ。
「よし、ペルジャラナン! いまだ!」
そう叫びはしたものの、どこまで通用するかについては、自信がなかった。だが、俺の合図に彼は応じた。
その瞬間、耳を劈く絶叫が、帝都の高級住宅地に響き渡った。赤竜から奪った咆哮の力。耳にしたものは衝撃を受け、一時的に行動力を喪失する。だが……
懸念していた通り、その女にはほとんど影響がないように見えた。魂も精神もないからなのか、それとも、より上位の存在だからなのか。
こちらからの火球の発射が止まっても、女は止まらなかった。もうそこまで距離はない。白兵戦かと考えて身構えたその瞬間、槍の穂先に白い光が宿るのに気付いた。
「熱線!」
そう叫ぶのが精いっぱいだった。
直後、頭上に爆発音が轟き、白い蒸気の渦が巻き起こった。
その女は詠唱をしたのか、それともしなかったのか、それもわからない。とにかく、あと一、二秒もすれば武器を交えるところまで接近しながら、そこで停止した彼女は、槍の先端から熱線を放ってきた。要するに、これはフェイントだった。地面に降り立つところを狙い打たせるよう仕向け、足の止まったこちらに致命的な魔法を浴びせる。しかも、これまでこいつは力魔術しか見せてこなかった。カディムが教えてくれていたから、可能性を意識してはいたものの、まさかここまで高度な火魔術まで使いこなせるとは、普通では思いもよらない。
だが、俺の叫びにペルジャラナンも、ヒジリも迅速に反応した。ペルジャラナンは火魔術の『防熱』を、ヒジリは独鈷杵のような形をした魔道具を手に、水魔術で障壁を作り出した。それが高熱にさらされて、もうもうと白い蒸気となった。
それにしても、威力が桁外れだった。二人とも、魔術師としても相当な力量があるはずなのに、これに加えて俺の『魔力障壁』まで展開することで、やっと敵の『熱線』を防ぎきったのだ。この破壊力、そしてこの魔法。連想させられるのは……
「逃がすな!」
ブゥン、と耳をかすめる震動音と同時に暗い夜空に紫電が走る。シャルトゥノーマが『電撃』を放ったのだ。これは命中したらしく、女は苦痛に身を捩じらせた。
この機を逃すまいと、タイミングよく白虎の姿になったディエドラが跳躍、覆い被さるようにして、その女に挑みかかった。だが、思った以上に立ち直りは早く、そいつは槍の柄でディエドラの首の付け根を打って、距離を取った。
それでも形勢不利を悟ったのか、その女は急速に高度を上げていく。
「待て!」
となれば、俺の仕事だ。カディムは追いつけなかったと言っていた。だが、俺には『高速飛行』の魔術がある。女が上空に舞い戻ったのに、少し遅れて俺も浮上した。
相手が風魔術にも熟達していて、しかも複合魔術の知識を有しているのでもない限り、俺より速く飛ぶなんてできっこない。そう考えていた。だが、意外になかなか追いつけない。ただ、飛び方を見るとどうにも不格好で奇妙だった。前方からの風圧を防げていないようで、飛行中の体が、さながら風に揺られる枯葉のように、不自然に軋んでいた。
これは、力魔術の出力を強引に上げて、無理やり速度を稼いでいるとしか思えない。とすると、やはり想定されるのは……
なんにせよ、逃がすつもりはない。
不意に、女は速度を落として、角度を急に下へと向けた。背後から放った『麻痺』の矢が命中したために、体調の異常を感じたのだろう。このまま飛行し続けるのは危険だ。詠唱もできない状態でうっかり『飛行』の魔法が解けたら墜落死しかねないから。
だが、どうもただ着地を目指しているだけでもないようだ。まっすぐ下ではなく、西の内港付近の市街地に降り立とうとしていた。あの辺りには、帝都にやってきた商人達が腰を据える宿屋がいくつも建ち並んでいる。彼らを巻き添えにされたら。その前に、この女を確保したい。
そう思って距離を詰めようとした瞬間、彼女は不自然に体を旋回させた。槍の穂先の白熱に気付いて、俺は慌てて回避行動をとった。すぐ頭上を熱線が突き抜けていく。手足が痺れて動かせない中、彼女は槍を小脇に抱え込んだまま、器用にその先端をこちらに向けるようにしていた。だが、俺が軌道を変えたのに合わせて、そのまま、また市街地へと降りていく。
これはまずい。一般市民に被害が出る可能性もある。身元を確かめたくはあるが、それは俺の都合だ。無関係の人々が死の危険にさらされるくらいなら。
《聞こえる? 今、どこ?》
今にも全力で攻撃を浴びせようとしたところで、ペルジャラナンからの『精神感応』が届いた。
《街中に紛れ込まれそうになっている。街の人を巻き添えにするわけにはいかない。捕まえるより処理を優先しないと》
《待って! 殺すのは》
《何を言っている? それどころじゃ》
《もしかしたら、確信はないけど》
彼と意識でやり取りしている間にも、女はもう、すぐ下の建物の開けっ放しの窓に潜り込もうとしていた。
《まずい!》
剣を手に、俺は一直線にそこへと飛び込んだ。
何かされる前に、即座に斬る。そのつもりでいたが……
「えっ?」
暗い部屋の中には、誰の姿もなかった。ついさっき、ここに入り込んだはずの女さえ、いなかった。
そんなはずはない。そう思ってすぐ『透明看破』、ついで『透視』の魔術も使って周囲を見回したが、やっぱりそれらしいのはいなかった。
《済まない、取り逃がしたらしい》
《今、そっち向かうねー》
頭の中に、彼の暢気そうな声が響き、そして消えた。
俺は室内に目を向け直した。ほとんど真っ暗な空間ではあったが、その気になれば、俺にとって視界を得るのは難しいことではない。
まず、ここはこの辺りにある普通の宿屋の一室でしかなかった。さして上等なところでもない。壁には黒塗りの槍が三本ほど立てかけてあった。いずれも投擲用のものだろう。こんな客を宿屋は受け入れたのかと思うのだが、帝都に冒険者が来るのは珍しいことではない。輸出入に用いられる商船、その護衛ならいくらでもいるから。女というのは珍しいが、これもいないわけではない。そして、商売道具としての重武装も、それをすぐに使用できる状態で街中に出るのでなければ、咎められるようなことでもない。
とするなら、さっきの女はここに宿泊していた。拠点にしていたから、ここまで逃げ帰ったのだろう。どうして姿が消えたのかはわからない。下の階に通じる廊下と階段、そちらに通じる唯一の扉は、俺が降り立った時点で施錠されていた。だが、俺に追いかけられている状況で、律儀に鍵をかけていったのか? そんな時間があったか?
しかし、この部屋の中には、槍以外にも置き去りにされた物品が残されていた。食べかけの古いパン。とっくに硬くなっているのが、紙袋に包まれていた。飲料水も、小さな甕の中に。随分と貧相な食生活だったようだ。それと、ボロボロになった頭陀袋の中には、彼女の私物が乱雑に詰め込まれていた。
「む……これは?」
袋の中をまさぐると、薄汚れた布切れのようなものが見つかった。
それは、どこかで目にした覚えのあるものだった。




