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竜頭――柔太郎と清次郎――  作者: 神光寺かをり
清次郎と鷹女

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ゴロゴロゴロゴロ

「いいかい、秀助。

 大体の物には順序ってものがある。学問にも、だ。

 文字を極めるには仮名から始めなきゃならないように、剣術を極めるには素振りから始る必要があるように、算学を始めるにも段階を踏まねばならんのだよ。

 例えば算(そろ)盤(ばん)で一桁の足し引きをする、とか、ね」


「先生、見くびってもらったら困る。おいらだってガキの頃に筆学所(てらこや)に通ってたんだから、算盤の足し算ぐれぇのこたぁ出来ますよ……ちょっとぐらいは」


「知ってるさ」


 清次郎は積み上げられた書籍の塔の中から、


「さすがにこの荷の中に、初学者向けの入門書、例えば塵(じん)劫(こう)記(き)みたいなのは無くてね。

 あれは算学をやる人なら必ず最初に手に入れる本だからな。今さら俺なんかが江戸から運ぶ必要もないんでね」


 ブツブツ言いながらあまり厚手でない一冊を選び、取り出した。


「この辺りがよかろうな。『縫(ほう)老(ろう)算(さん)梯(てい)』という」


 手渡された秀助はじっと表紙を見た。眉間に浅い皺が刻まれる。


「先生。おらぁてめぇが情けねぇですよ。さっきとおンなじで、その縫(ほう)老(ろう)……算(さん)梯(てい)ってンですか、その題目からして読めなかった」


 秀助の泣き言(ごと)に、清次郎は耳を貸さなかった。


「これは縫(ほう)老(ろう)人(じん)と名乗る人が考えた、幾何学(Geometry)、とくに円にまつわる問題を扱う書だ。

 つまり、寺社仏閣に奉納される算(さん)額(がく)に掲げられることが多い『この円の径を求めよ』とか『この箇所の面積を求めよ』といった問題の考え方の初手の初手、だ」


 いきなり秀助の顔が明るくなった。


「こいつを読めば、算額が解けるようになるんですかい?」


「読んだけじゃだめさ。読んで、理解して、応用する力をつけないとならない」


「でも先生、まずはこいつを読めねぇと話にならねぇんでしょ?」


 秀助は縫(ほう)老(ろう)算(さん)梯(てい)の表紙を指先でトントンと叩いた。


「ま、そういうことになるね」


 清次郎は欠伸(あくび)をかみ殺して答える。


「じゃあ、おいらはこいつが読めるようになりやす!」


 声を張る秀助の目がキラキラと輝いていた。


「莫(ば)迦(か)者、声を抑(おさ)えなさい。他の泊まり客に迷惑が掛かるじゃないか。ついでに俺の耳にも迷惑だ」


 清次郎は大げさに両耳を押さえる仕草をしてみせてから、こんどはかみ殺す素振りもなく大(おお)欠(あ)伸(くび)をした。


「へぇ、申し分けねぇことで」


「解ればよろしい」


 清次郎はまるで偉(・)い(・)学(・)問(・)の(・)教(・)授(・)の(・)よ(・)う(・)な(・)口ぶりで言った。その上で、


「だがな、秀助。くれぐれも徹(てつ)夜(や)は……夜通して眠らずに本を読むような真似はするな。

 必ず、遅くも丑(うし)の刻(こく)までには布団に入れ。できれば、木(き)戸(ど)番(ばん)が火の用心を触れ回り始めたら寝るんだ。絶対だぞ」


 よくよく秀助に言い聞かせてから、夜(よ)着(ぎ)を引きかぶって横になった。


 清次郎は目蓋を閉じた。ふうっと息を吐く。闇の中に落ちてゆく……。


「先生、赤松先生」


 秀助は眠りの中にいる清次郎の夜(よ)着(ぎ)をばっと引き剥(は)がした。ほとんど本能的に横向きに身体を丸めて防御姿勢を取った清次郎の体を、ゆっさゆっさと揺さぶる。


「この文字の読み方を教えて下さい」


「ああああああああああぁ」


 清次郎は頭を抱え込み、布団の上でゴロゴロと転げたのだった。


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