第38話 予想外の幕引き
「わかったか? 万に一つたりとも、お前がここから無事に逃れる策は無い」
一切の情の欠片なく、無慈悲に真実を告げるベリエッタ。
その言葉に込められた意味は、唯一つ。諦めろ、と。
「もう十分だろ。王立騎士団を内部から崩壊させ、これだけの大立ち回りを繰り広げたんだ。これだけの被害を生んで何も動かないはずが無い。否が応でも、王国は変化を余儀なくされるだろう」
ベリエッタとナナシ、その周囲に倒れ伏す大量の死体の数々。
黒装束の屍が目立つその惨状から少し離れた場所には、同じく大量に地に沈んだ王立騎士団の精鋭たち。
彼らは皆、デネットを守り散っていった。
どれだけその死に意味がなくとも、彼らは最後まで主を守り抜く事に命を賭したのだ。
「だが、それまでだ」
ザッと、ベリエッタは一歩前へ踏み出した。
「七雄騎将が動いた以上、お前の望みは叶わない」
気が付けば、一点の曇りもない快晴が空を支配していた。
雨雲は過ぎ去り、温かな日差しが優しく辺りを照らしている。
光が、降り注ぐ。
「さァ、選べ」
柔らかな空気に、冷たく凍え切った声が響く。
「これが最終通告だ。死か、生か」
一瞬にして、辺りが静まり返る。空気が引き締まっていく。緊張感が高まり、一帯に熱が伝播する。
瞬間、その場にいた全員は固唾をのんで目の前の光景を見つめた。
これで最後になると、皆が悟ったからである。
「………………ハ」
そして、皆は気付くことになる。
「……ヒャ、ハハ」
この世界には、常軌を逸した存在がいるのだと。
「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァッ!」
哄笑を轟かせ、ナナシは天を仰いだ。
不快な声が空間に満ち溢れ、悍ましい悪意が肌を震わせる。
聞く者に嫌悪を、見る者に憎悪を。
不気味な笑みを浮かべ、ナナシは恍惚とした表情で静かに口を開く。
「……俺の望みががなわない?」
未だ喉を詰まらせながら、先程よりも明瞭さを増した声色でナナシは呟く。
「もう、叶っているというのに?」
衝撃を以て、悪意が華開く。
「……あ? それはどういう――――」
ベリエッタの反応が僅かに遅れ、戸惑いを呟こうとしたその時。
「――――ガ、ボェェェッ」
唐突に、ナナシが身体を丸めて大きく何かを嘔吐した。
ビシャビシャと、赤みがかった吐瀉物が地面を汚していく。
一体、何を。
ベリエッタがそう思った、次の瞬間。
「さよなら、偽りの正義を掲げるクソッたれ共」
ソレは、黒く丸い箱のようなものだった。ベリエッタが認識できたのは、そこまで。
ナナシはその箱を、力の限り握り潰した。
刹那、勢いよく溢れ出す漆黒の霧。暗闇を閉じ込めていたかのような其れは、瞬く間に辺りを黒く染める。
ベリエッタの、皆の視界からナナシの姿が消えていく。
「チッ!」
怪腕をベリエッタが振るうと同時に、衝撃波が広がり闇を霧散させる。
澄み渡る視界の中で、ベリエッタが見たもの。それは、一目散に逃げ出したナナシの後ろ姿であった。
「お前、その傷で逃げられると――――」
ベリエッタが怒りと呆れを内包させながら、静かに駆けだそうとしたその時。視界の端から、純白が飛び出した。
「待って!」
後方から聞こえてきたエルマーナの声に、ベリエッタは目を見開きながら咆哮する。
「行くな、イリスッ!」
☨
血が滴り、点々と赤い染みが地面に広がっていく。
刻一刻と失われていく命を感じながら、ナナシは痛みを無視して駆けだした。
初めから、生きて帰れると思っていない。捕まるのも時間の問題だと、自分自身わかっている。
それでも、この脚なら。孤影流を受け継いだ自分ならば、僅かな時間であれば逃げ切ることが出来ると信じていた。
「…………ガ……ボッ」
口の端から、上半身に刻まれた傷跡から鮮血が流れ落ちる。
もう残された時間は、少ない。
早く。早く、辿り着かなければ。
「待ちなさいッ!」
後方から、耳障りな声が飛んでくる。
振り返らずとも分かる。あの煩わしい、白髪の小娘。
「…………どうじで」
忌々しい。
どうして、奴はこの速度に追いついて来るのか。
どうして、ベリエッタよりも早く飛び出すことが出来たのか。
どうして――――
その瞳が、髪が、纏う雰囲気が。
エリーゼを想起させるのか。
分からない。
人は未知に戸惑い、恐怖する。ナナシもまた、得体の知れない存在に戦慄していた。
有り得ない想像が、頭に浮かんでは消えていく。
いや、まさか。そんな馬鹿な。だが、もしもそうだったとしたら。
自分達は、何かとんでもない勘違いをしているのではないか。
そんな馬鹿馬鹿しい考えを振り払い、ナナシは懸命に走った。
足音は少しずつ近づいている。それでも足を止めることなく、前へ。前へ。
一歩、また一歩と死が迫ってくる。
まだだ。まだ、あと、もう少しで――――
「お、来たか」
そして、辿り着く。
ナナシの視線の先。一本道の遥か遠き奥から、温かな光が差し込んでいる。
僅かに聞こえる、ガヤガヤとした喧騒。
「待ってたぜ」
その手前、道を塞ぐように立ち尽くす影。黒装束を身に纏う、たった一人の男の姿。
「……………………嗚呼」
安堵が、ナナシの胸の内からこみ上げる。
間に合った。
「どうした、そんなボロボロでよ」
そう問いかける男に対し、ナナシは。
「…………あのがだに」
静かに、たった一言。
「【天地、覆り】と」
その言葉を受け、男は僅かに肩を震わせる。表情は隠れ、その真意を探ることは出来ない。
しかし。
「……そうか」
歓喜に滲む声色が、低く呟かれる。
「ナナシィッ!」
そんな時に。少女は、辿り着く。
「やっと追いついたッ! 観念しなさ――――」
イリスは正義感に満ちた瞳を輝かせ、ナナシに向かって力強く吠える。
そして視線を横に向け、困惑に満ちた表情を浮かべた。
「……誰?」
警戒を露わにするイリスに、ナナシは嘲りと共に口を開く。
「ばかがッ!」
自らの勝利を確信し、ナナシは高らかに叫ぶ。
敵は人を殺す覚悟すら足りない小娘一人。対してこちらには、最高戦力が付いている。
どう足掻いても、我らの勝利は揺るがない。
「のこのこづいてぎやがってよォッ! でめェはもうおわっでんだよ!」
絶対的な自信は傲慢と化し、ナナシは天にも昇る気持ちで言葉を吐き連ねる。
「ざァ、きょうふじろ! ぜづぼうじろ! じね――――」
そして。
ドスッ、と。ナナシは腹部に強い熱と違和感を覚えた。
「悪ィけど、もう終わりにしていいか?」
「………………え?」
告げられた言葉と、自分の腹から突き出した刃を眺め、ナナシは呆然と声を漏らす。
「な……ん」
「なに。元々、先の短い状況だろ。早めに引導を渡してやろうかと思ってな」
嘘だと、ナナシは即座に悟った。何故ならその言葉には。
「あぁ、それともう一つ」
圧倒的なまでの、殺意が込められていたのだから。
「どう、じで。ガレッ――――」
「俺の生徒を傷つけたんだ。クズにはお似合いの末路だと思わねェか?」
それが、ナナシの最期であった。
腹から頭にかけて、縦に奔る刃の軌跡。真っ二つに斬り開かれた身体は、鮮血と肉片を弾かせながら地面へと倒れ込む。
ズシャリと、湿った音を鳴らしながら地面へと沈むナナシ。
「……なっ!?」
目の前で行われた惨劇に、イリスは驚愕に声を上げる。そして、その残虐な行為を行った張本人に対し、戸惑いと怒りを露わに口を開いた。
「お、まえはッ! 何者!? どうしてこんなことをするのッ!?」
その言葉に、男は何も答えない。答えられない。ただ。
「どうして、か」
自問自答を、繰り返すのみ。
「どうして、だろうな」
「ッ! ふざけないで! 答える気が無いなら――――」
のらりくらりと回答を避ける男に対し、イリスは即座に行動に移す。
剣を抜き、駆け出すは最大速力。その動きは地を滑り、戦場を舞うように駆ける。
ナナシを驚愕させた、孤影流の技。その動作を以て、一瞬にして男の懐まで入り込む。
「せめて正体だけでもッ!」
刃が煌めき、男の喉元めがけて貫いた。
「おっ」
しかし。
「流石だな、イリス」
自分の名前を呼ばれた衝撃に、刃先が揺らぐ。そして、一瞬の隙をその男は見逃さない。
「――――がッ」
「だが、まだだ。お前の真価はそんなもんじゃない」
イリスの顎を正確に撃ち抜く、男の拳。瞬間、意識が揺れる。
混濁する脳内に、視界がチカチカと点滅する。
「今ここでお前をどうこうしねぇさ。……ルー坊に悪いしな」
「ま、て……」
「じゃあな、イリス」
まともに立つことすら許されず、イリスは静かに膝をつく。意識が暗闇に吸い込まれるその直前、イリスは確かに見た。
「強くなれよ。俺はいつだって、お前を見守っている」
優しげに笑う、男の口元を。
☨
地面に広がる、無数の赤い染み。それと同様に、巨漢に刻まれる夥しい裂傷の跡。
「……ガ、ハッ」
壁にもたれかかり、地面に座り込むゴルドレを見下ろしながら、エレガスは静かに剣を鞘に戻す。そして息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
冷静に回る思考、落ち着いた脳内。怒りは収まり、エレガスは淡々と言葉を紡ぐ。
「あなたを殺しはしませんよ。聞きたい事が色々とありますから」
その身に、傷は一つもなく。完全無欠の出で立ちで、エレガスは悠々と佇んでいた。
その姿が証明している。二人の実力が隔絶しているという事実を。
「……私、は」
その時、ゴルドレが口を開く。
「守りたかった。この、国を」
それは先程までの壊れた様子と異なり、非常に理性的な一面であった。
だが、どこまでが本当か分からない。エレガスは警戒を解くことなく、静かにゴルドレの独白を静観した。
「国王陛下があの方を、王妃様を失い。七雄騎将は最高の英雄を失った。徐々に欠陥の目立ち始めた王国に、私は何ができるか模索していた」
涙が一つ、頬を伝う。
「何も、出来なかった。全ては手遅れだったのだ」
「……そんなことは」
「我々は見逃している。最大の矛盾を」
エレガスの言葉を無視し、ゴルドレは
「この国に巣食う、根源たる影は――――」
瞬間。音も無く、殺意が飛来する。
「――――――――シッ!」
白い閃光が煌めき、エレガスは飛んできた何かを打ち落とす。
甲高い音を鳴らし、地面に転がったソレは、簡素な一本のナイフであった。
「……何者だ?」
僅か上方より、ナイフが飛来した方角に目を凝らす。
しかし何も見えない。何も感じない。
人影一つ、物音一つ感じさせない状況に、エレガスは謂い様も無い不安を覚える。
「……これ以上ここにいては危険だ。ゴルドレさん。一旦この場から移動しますよ」
警戒を緩めることなく闇に目を凝らしながら、エレガスはゴルドレに声をかける。
だが、応える声は無い。
本能が呼びかけている。後ろを振り向けと。
「……ゴルドレさん?」
エレガスがゆっくりと後方を振り返る。
そこには、額をナイフで貫かれたゴルドレの姿があった。
呻き声一つ上げず、死ぬ寸前まで気付くことの無かったであろうゴルドレの表情は、涙を流しながら後悔に顔を歪めていた。
「………………………………ソ」
殺意に、惑わされた。恐ろしいほどに洗練された暗殺術。その術中に、まんまとハマってしまったのだと悟る。
自分自身への、怒りがこみ上げる。
「クソ――――ったれがァッ!」
怒髪天を衝く。辺り一帯に満ちる、殺意と全てを押し潰さんとする圧倒的圧力。
濁り無し、純度全開の怒りは覇気を伴い空気を震わせる。
顔に血管を浮かべ、エレガスは静かに呟く。
「……見てるんだろ」
誰に聞こえる訳でも無く、ただの独白だったとしても。
それはエレガスなりの宣戦布告であった。
「俺を殺してみろ」
挑んで来るとは思わない。それ程の度胸があるとは、信じていない。
それでも。
「ナイフが突き刺さるよりも速く、貴様を見つけて斬り殺す」
国の為に涙を流す、騎士の最期を侮辱した怒り。
その身を以て、味わえ。
恐怖しろ。
☨
結局、それから何かが動き出す訳でも無く。
静かに太陽は沈み、暗闇が支配する夜が来た。
あれだけの騒動を巻き起こした後とは思えない程に、王国には静寂が広がっていた。
幾人もの思惑が交錯し、多くの騎士がその血を流した。
一体何の意味があったのか。真意を読み取ることすら叶わず。
数多の犠牲と、深淵より深き謎を残し。
今ここに、長い長い一日は幕を下ろした。
次回エピローグです。




