第37話 残酷な真実と冷酷な光
「何、あれ…………」
少女の呟きに、応える者は誰もいない。
「あんなの、知らない……」
皆、眼前の光景に目を奪われていた。
人を惹きつける、眩い輝き。それと全く異なる正反対の性質。怖いもの見たさに覗き込みたくなる、闇より暗き深淵に人は否応なく目を奪われる。
だが、イリスだけは少し違う。底が見えない闇に目を凝らし、誰もが理解を諦めた深淵に対し。
「……凄い」
その瞳は、本質に迫ろうとしていた。
それが異質な才能であると、イリスは気付かない。
キャメロン王国のみならず、大陸中――否、世界中を探したとて見つからない稀有な才能。歴代の七雄騎将でさえ、その領域に踏み込んだものは皆無に等しい。
そこに到達した者は、例外なく世界を変える。
天に選ばれるだけに収まらず、天に愛された者が踏み込むことを許される境地。
其れが、天極である。
☨
肉を斬り、骨を断ち、鉄を抉る。遠く離れた者の鼓膜を貫く程の、強烈な風切り音。其の一撃は、あらゆる遮蔽物を無価値へと変ずる。
何が起きたか理解できた者は一人もいない。
ただそこに、結果だけが残されていた。
「ガ……アァ…………ッ!」
袈裟懸けに奔る、大一文字。ナナシの肉体に突如とした現れた、消失の跡。
次いで訪れるのは、筆舌にし難い苦痛の嵐であった。
身体中を蟲が駆けずり回っているかのような不快感。
熱された鉄の棒を全身に突き付けられたような激痛。
痛みと苦しみと熱と恐怖が交互に襲い掛かる。
胸が、灼け朽ちる。
「………………ゴ、ボァッ」
大量に流れ落ちる、真っ赤な鮮血。
まるで絵具をぶちまけたかのように、真紅の池が広がっていく。地面に滲む雨水と交じり合い、溶け合い、ゆっくりと大地に染み込んでいく。
ナナシの命が静かに、そして確かに零れ落ちていた。
「安心しろよ」
胸を抱えて蹲るナナシの頭上から、無慈悲な声が降り注ぐ。
「即死できないように、これでも加減してやったんだ。死ぬほど苦しくても生きてんだろ?」
「…………」
見下ろす悪魔に対し、ナナシは何も答えず無言で睨みつける。
その姿に、ベリエッタは淡々と言葉を紡ぐ。
「そんな怖い目で睨むなよ。お前だって、ズルいじゃねェか」
ベリエッタがそう口にした次の瞬間。硬い何かが、ナナシの懐から音を立てて滑り落ちる。
真っ二つに割れた板のようなソレは、ガランッと地面に転がった。
「純度の高い、黒鋼の破片を忍ばせておくなんてよ。並の攻撃ならこっちの刃が欠けるところだ。もっとも――――」
ベリエッタは、手に持っていた剣に視線を向ける。
「コイツの場合、振るう力に耐えられなかったってのが正解だがな」
その剣は、柄を除いた全てが消失していた。
まるで削れてしまったかのように、刃は粉々に砕け散り、跡形も残されていない。
嗚呼、そうかと。ナナシはようやく気が付いた。
猛毒剣を突き刺せば、そこで終いだと思っていた。それで自分が勝利すると、信じて疑わなかった。
でも、違ったのだ。
自分の想定以上に化け物だった。ただ、それだけの話。
あの時、背後から迫る自分を気取られた時点で、敗北は決していたのだと。ナナシはここに来てようやく理解した。
「ま、んなことはどうでもいい」
ポイッと剣の残骸を投げ捨てるベリエッタ。
「選べ」
そして、究極の選択をナナシに突きつける。
「このまま無駄に命を散らすか、お前が持つ全ての情報を吐いて生き延びるか」
生と死。
二つのが、今ナナシの前で天秤にかけられた。
機会は一度。
後悔など許さないと、無情な決断がナナシに迫る。
「安心しろ。私が何のために彼女を連れてきたと思ってる」
ナナシの思考に水を差すように、ベリエッタは優しく告げる。
「白衣の天使が、お前を救ってくれるさ」
悪魔が、天使を語る。
ベリエッタが口にしたことによって、選択肢が均衡を保つ。
生を選べば、自分は必ず助かる。その事実が、今のベリエッタの発言によって現実味を帯びてきた。
ナナシの中で、価値観が揺らぎ始める。
「…………いづがら」
血痰の混じった声で、ナナシは問う。
いつから、この状況を計算していたのだと。
そんな言葉に、ベリエッタはあっけらかんと口を開いた。
「最初から」
淡々と、ただ真実だけを述べる。
「お前たちが動くよりも、王立騎士団の馬鹿共が動くよりも以前から、私たちはこの未来を知っていた。……いや、私たちじゃねェか」
ベリエッタが口にした、未来という言葉。
その単語を耳にした瞬間、ナナシの形相が一変する。
「…………エリィィィィゼェェェェェェェッ!」
憤怒が、殺意が溢れ出す。
「やばり、やばりアイヅがァァァァッ!? どごまでもおれだぢのじゃまをォッ!」
それまでの憤りと異なる、桁の違うドス黒い悪意。
ナナシの全身から、闇が立ち昇る。
そんな姿を前に、ベリエッタは呆れた声色でため息をついた。
「……アイツも災難だな。こんな奴にまで恨みを買うなんて」
ベリエッタは友を、王女エリーゼを思い嘆く。
そして。
「もう諦めろ。お前に平穏な明日は来ない。二度とな」
残酷な真実を、告げ始める。
「エリーゼが願った時点で、お前はもう詰んでるんだよ。天秤にかけられるのは、お前の生死だと初めから決まっている」
王女殿下付きの特務部隊、天秤。その役目は、エリーゼの願いを叶えること。それもただの願い事では無い。
確定した、未来の再現。
「私とエマは、そのためにここに来た。だがな――――」
今回起きた事件は、非常に複雑である。
クルードの身柄を狙う、王立騎士団の暴走。
その隙を狙った、ナナシ率いる黒装束の陰謀。
三者三様の思惑が複雑に絡み合い、混沌を成しているのが現在の状況であった。
もしも天秤がナナシに裁きを下したのだとすれば、この事件の責任は彼一人にあるのか。
否。そもそもの原因は、肥大した自尊心と逝き過ぎた正義感に駆られた、とある者の愚行が発端である。
つまりどういうことか。
「天秤が私たち二人だけだと、いつ誰が言った?」
罪人の元に、最後の裁きが下される。
☨
『作戦会議も兼ねて、同窓会といこうかね』
あの人がそう口にした時、まず初めに嫌な予感がした。
いつも厄介ごとを持ち込んでは、余計な仕事を増やす。私とヴィクトが、一体どれほど問題に巻き込まれたのか数え切れないだろう。
おまけに、今のあの人はエリーゼ王女殿下付き。何か勘繰ってしまうのは私の悪い癖だけでは無い。
そして、その予感は的中した。
「ひ、ひィィッ!」
目の前で腰を抜かし、間抜けな声を漏らす一隊士を見下しながら私はあの時の光景を思い出していた。
『円卓の報せだ。エリーゼ王女殿下は、お前たちをご所望だぞ』
『……拒否権は』
『ある。だが、分かってるだろ?』
『……それは無いと言っているようなものですが』
『だがお前は必ず動くさ。それをアイツも分かってるから、わざわざこうして私を寄こしたんだよ』
あの時、本当は拒絶することだって出来た。
エマも私も、今は何の役割も持たない一市民。かつてどれだけの栄光に輝こうとも、一度手放した地位が戻ってくることは決してない。
それを、王女殿下もよく分かっている。
だが。
『弟が危険な目に遭うと知って、お前が動かない訳が無いだろ』
そう言われてしまえば、何も言い返せない。
私はあの日、誓ったのだ。もう二度と、大切なものを奪わせはしないと。
☨
「はァ……はァ…………ッ」
男は息を切らしていた。汗を滝のように流し、肩を大きく息を揺らして呼吸する。
もう、体力の限界が近い。疲労感が全身を襲い、今にも地面に座り込んで休まりたいという衝動が何度も湧き上がる。
ただの疲弊では無い。精神的な、恐怖による疲労であった。
「何故だ……ッ」
男は苛立ち混じりに言葉を吐き捨てる。
この現実を、信じたくないと言わんばかりに。
「どうして私がこんな――――」
「見つけましたよ」
そして、ついに訪れる。
「自分を慕う仲間を見捨ててこんなところまで逃げるなんて。王立騎士団長ともあろう人が、随分な醜態ですね」
終わりを告げる足音が、ゆっくりと近づいてくる。
薄暗い路地裏の中で、朧げに存在感を放つたった一人の男。その金髪が、闇の中でも光を失わず輝いていた。
「そうは思いませんか。ねぇ、ゴルドレさん?」
爽やかな雰囲気に不似合いな重圧を身に纏う青年は、そう言って朗らかに笑う。
その言葉に男は、ゴルドレは恐怖と戸惑いを声に乗せて口を開いた。
「何故……何故貴方がここにいる!? 元七雄騎将のエレガスッ!」
ゴルドレの至極真っ当な疑問に、エレガスは淡々と言葉を返す。
「天秤」
たった一言。そう口にしただけで、ゴルドレは全てを悟る。
「…………エリーゼ様のご命令か」
「察しが良くて助かります。それより、もうエレガス殿とは呼んでくれないのですね」
ゴルドレの言葉に、寂しそうな表情を浮かべるエレガス。
「あなたが七雄騎将に対して思うところがあったのは知っていました。裏で欠陥だらけの英雄と揶揄していたことも。……ですが、あなたは王国に反旗を翻す真似だけはしないと、そう信じていたのに」
そう言って、エレガスは視線をゴルドレに向ける。悲しみと、僅かな猜疑心を瞳に宿して。
「一体何が? 我が友デネットを筆頭に、多くの騎士があなたを慕っていたはず。"団長の信奉者"という陰口を叩かれながら、それでも皆があなたの為に――――」
「黙れ」
唐突に、斬撃がエレガスの頭上に降り注ぐ。紛れも無い殺意の込められた刃に、エレガスは僅かに身を翻した。
エレガスの視線の先で、ゴルドレは憤怒の表情を浮かべる。
「貴様こそ、何故今さら動いた? 現実から逃げた臆病者が何を偉そうに語っている」
悪意が、滲む。
「そもそも天秤とは、かつてヴィクトがベリエッタと共に作り上げた部隊。それをヴィクト亡き今、貴様が代わりを務めようとは片腹痛いわ」
言の葉の刃が、エレガスの全身を貫いていく。ゴルドレのその発言に、エレガスは何も答えない。
否、答えられない。
「それに、私は何も変わってなどいない。十五年前、陛下が"あの方"を失い壊れてしまってからも、私は長きにわたって陛下を支え続けてきた。幾度も幾度も幾度も幾度も」
無言を貫くエレガスをいいことに、ゴルドレの言葉は止まることなく溢れ続ける。
栓を無くした蛇口の様に、無慈悲に流れる感情の濁流。溢れ、満ちて、零れ落ちる。
「そうだ、私は何も悪くない」
ピクリと、エレガスが僅かに反応する。
違和感。それに気付いた時には既に遅い。
一度落ち始めた滝が、止まることは無いのだから。
「悪いのは私ではなくこの国だ。いや、そもそもあの方がいなくなりさえしなければこんな悲劇は起きなかったのだからやはり私は悪くない。国が世界が人が血統が悪なのだから初めからこの世は間違っているという事になるだってそうだろう私は悪くないのだからそうだ私は何もやっていない何も関係ないあの方がいなくなったのは私のせいじゃないだから許してくれ私は陛下を守るためにいやそもそも何のためにここにいる何のために剣を振るうどうして私は弱いから守れないのか守れなかったから弱いのか嗚呼この傷が痛む痛む痛い痛いいたいいたいたいたいたいイタイイタイ」
怨嗟の呟きが、溢れ出す。
額から顎にかけて斜めに奔る傷跡を抑え、ゴルドレは感情を吐き連ねていく。
焦点の定まらない、虚ろな瞳。うわごとの様に呟かれる、意味不明な発言。
嗚呼そうかと、エレガスは静かに瞳を閉じる。
「…………おや、エレガス殿。どうされたのですか?」
いつからか。どうしてこうなったのか。
詳細は分からない。
「ハハハ、どうやら混乱されていらっしゃるようだ。さぁ剣を抜きなされ」
朗らかに、凶悪な笑顔を浮かべるゴルドレを見て。エレガスは、そっと視線を逸らす。
この男はもう、壊れてしまったのだ。
「心配せずとも、貴方もヴィクト殿と同じ所へ送ってあげましょう。嬉しいでしょう――――」
そう言ってゴルドレは、天高く剣を掲げた。
ギリッと、柄の軋む音が響き渡る。
王立騎士団長。その実力は王国最大勢力である騎士団の中で、並ぶ者無きと謳われるほど。
質実剛健。国王陛下の盾であり剣であるゴルドレが放つ一撃は、七雄騎将に劣らない。
「最愛の弟と一緒に、三人仲良くいられるんだからなアァッ!」
轟音と共に、剣が振り下ろされる。割れた卵の様に頭蓋骨を砕く威力を誇る一撃が今、エレガスに迫り――――
「君は二つ、勘違いをしている」
閃光が、煌めいた。
「一つは、クルードが負けると思っている点。あいつは君たちの想像以上に諦めの悪い奴だよ」
「…………………………………………はぇ?」
ゴルドレは間抜けな声を漏らし、静かに振り下ろした拳へと視線を向ける。
「もう一つは」
そして――――
「俺がいつまでも優しいと、勘違いしている点だ」
手首より先の、何も無い空間がゴルドレの視界に飛び込む。
振り下ろした拳も、握りしめた剣の柄も。何もかもが、そこに無かった。
有り得ない。確かに先程まで、そこにあった。
感触が、今も手首の先に確かに感じている。
そうだ、これが現実なはずが無い。だって、痛みすら感じないのだから――――
そう、ゴルドレが現実から逃避しようと顔を逸らしたその先で、彼は見てしまった。
「君にどれだけの事情があろうとも」
エレガスの右手に握られた、鮮血の滴る抜き身の刃。その先に映る、地面に転がった自らの拳を。
瞬間、壊れかけのゴルドレの脳裏に僅かな理性が蘇る。
そして思い出す。
「俺の弟に手を出して、無事で済むと思うな」
不可視の斬撃。白き閃光。
白金の騎士、エレガス。今目の前に立つ男は、誰よりも優雅で――――誰よりも冷酷な男だったということを。
本日、第二章の本編最終話を投稿いたします。
12時頃に投稿予定となりますので少々お待ちください。




