第30話 騎士の頂を目指す者たち
曇天の空模様は光を完全に覆い隠し、涙を流すかのように雫が零れ落ちている。
雨に濡れたくないと、人通りがぽつりぽつりと減っていく。気付けば誰一人としてその場に存在しない道のど真ん中に、異様な黒装束の姿。
見る者が見れば、その存在に目を疑う事だろう。
何故ならそれは、二年前の事件。そして、今まさにクルード達の前に立ち塞がる不穏な集団と、同等の姿なのだから。
そんな異分子の塊が、ゆっくりとフードを外していく。雄大に広がる白き鬣が徐々に雨に濡れる。
「ガハハ! さぁて――――」
白髪を靡かせ天を仰ぎ、大男は嗤う。
「そろそろ、雨が止むな」
☨
「さっきから意味のわからないことをペラペラと。一体、何の話?」
呆れ返るような退屈さを表情に浮かべ、イリスは淡々と言葉を紡ぐ。その姿は、自分が何をしたのか理解していない様子だった。
そんな無自覚に口を開く様に、衝撃を受けるものが一人。
「何の話、だと……?」
イリスの言葉に対し、ナナシに身体を震わせながら充血した目を見開いた。
そこに映し出された感情は、驚愕と恐怖。そして、肉体から溢れ出す程の嫉妬の感情。
「とぼけるのもいい加減にしろよ。俺がそれを見間違えるはずが無いんだ。……それは、殺し屋の技だろう?」
「…………え?」
「それもただの技じゃあ無い。キミが今使った歩行術は、かつて伝説と謳われた暗殺者が得意としていた境地……」
憎悪が形を成し、言葉の刃がイリスを貫く。
「なァ、教えてくれよ。キミは、誰?」
「わ、私は何も……」
「何も…………? だったらさァ、周りを見て見ろよッ! それでも本当に、何も知らないと白を切るつもりなのかッ! アア!?」
ナナシが放つ迫力に気圧されるように、イリスはゆっくりと辺りを見渡した。
そして、理解する。
驚愕、諦観、呆然、嫉妬。それと、恐怖。無数の瞳が、イリスの全身を貫いた。嫌でも、分からされる。自分に向けられた視線、そこに含まれた意味を。
その様子に、脳の奥底に閉じ込められた記憶が蘇る。思い返すは、懐かしき故郷の光景。
それはかつて向けられた、あの忌まわしき瞳の群れ。
「あ……」
一歩二歩と後退し、おぼつかない足取りでイリスは静かによろめいた。優しい友と出会い、勘違いしていた。
そして、ようやく思い出す。
自分の力は他人から見れば異常で、忌避されるべき代物である、と。
「キミは俺たち殺し屋の技を盗み、今度はそこの緑髪君の技も盗んだ。いやはや、凄いなホント。呆れるくらい嫉妬する、大罪級の才能だ」
言葉が心を蝕み、視線が肉体を縛り付ける。イリスを囲むすべてが、敵に見えていく。
呼吸が、浅くなる。足が竦み、平衡感覚を失っていく意識の中で。怨嗟の言葉だけが繰り返し脳内を駆け巡る。
傍から見れば、その様はまさに処刑台に繋がれた魔女。
「でも、俺は気付いちゃったんだよねェ。キミさ――――」
そして、追い打ちをかけるようにナナシは真実を口にする。
「命のやり取りをしたことが無いでしょ? 殺す覚悟も殺される覚悟も足りない、甘ちゃんの香りがプンプンすんだよォ」
「そ、れは」
その言葉に、イリスはようやく自覚する。それは、初めて出会ったあのブーテン村の時から生まれた小さな感情。死への恐怖。
ブーテン村で初めて死を身近に体感し、体の芯から凍える程の恐怖が全身を襲った。そしてそれは、クルードとの再会を果たした後にも訪れていたのだ。
学院決闘で、カミュを傷つけた相手に勝利したその瞬間。
『………………負けてねェェェェェエエエッ!』
粘着質のような、濁り切った悪意がイリスを襲った。直後、身体が無数の鎖で縛りつけられたかのように、身動きを封じられたのだ。
嗚呼、そうか。そうだったのか。
自分には、トラウマなんて何もないと思い込んでいた。クルードのような、剣を握れなくなるほどの挫折など経験したことが無いと、そう思っていた。
でも、違ったんだ。
トラウマは、自覚できない速度でじわじわと心の奥底に蓄積する。そして、ふとした瞬間に溢れ出す。
イリスのトラウマ。
それは――――人から向けられる、純粋な悪意。
「ち、ちが……。わ、わたしは……」
「通りでさっきの一撃で、俺が死んでないわけだ。ったく、ビビらせやがって」
図星を突かれたように、苦悶の表情を浮かべるイリスの姿。そんな様子に、ナナシは徐々に落ち着きを取り戻していく。
弱り切った獲物を前に、溢れ出す悪意の華。
「キミは一体、何しに来たわけ? そこの死にかけを助けに来たのかい? 何の為に? そこの男は、自分で破滅の道を歩もうとする愚か者さ。そんな人間の為に、キミが出来ることなんて何もない」
誰も言葉を発しない独壇場で、ナナシは言葉を吐き捨てる。
そして。
「どう? キミもこっちにおいでよ」
悪魔の囁きが、イリスの鼓膜を震わせる。
「キミは特別だ。その驚くべき才能を、そこの凡庸な男に捧げるなんて勿体ない。そもそも、キミだって思ってるはずだ。本当は――――」
ナナシが放った言葉は、この場において最悪の発言。
「才能のない人間は嫌いだって」
クルードとイリス。
凡人と天才。
二人を引き裂く、怨嗟の呟き。
☨
嫌い。
その言葉は自分が想像していた以上に、心の臓を激しく貫いた。
鋭い痛みと痺れが、クルードの頭のてっぺんからつま先まで奔る。心が、かき乱される。
本当は、心のどこかで思っていた。
イリスにとって、自分の才能は憎むべきもの。故に彼女はその力を恐れ、否定し、無意識に遠ざけていた。
だが、そうなってしまった原因は何だ?
周りの環境。
誰も自分を受け入れてくれなかった、自分をただ一人の少女として見てくれなかったからでは無いのか。
つまり――――
天才を迫害し続けた凡人を、イリスは心の底で恨んでいた。
そう、思っていたのだとしたら。
『先輩なんて嫌い!』
脳裏に、あの時のイリスが吐き捨てた言葉が蘇る。
もしもそれが真実だとしたら。
俺にできることは、何も無い――――――――
「……私が憧れた人間は、才能なんて無いのかもしれない」
光が、声に乗って響き渡る。
「私は、確かにこれまでの人生で、この身を否定され続けてきた。才能を妬み、羨み、多くの憎しみをこの身に負ってきた。嫌い……。ええ、嫌いかも。誰も私の苦しみを理解してくれない。天才として持ち上げられる孤独が、寂しさが、どれほどのモノなのか知らないだろ、って」
顔を、上げる。
クルードの真っ赤に濡れた視界の中で、イリスの背中が弱々しく震えていた。
その姿に、思わず手を伸ばそうとし、指先に力が入らない事実を再確認する。
「どんなに優しい仲間に出会っても、こんな時になってようやく思い知らされた。結局、私は疫病神と呼ばれていた時から何も変わっていない。何も、成長できていない」
動かない腕に、脚に、身体に残る全ての力を注ぎこむ。
だが。どんなに願おうとも、この身は欠片も応えてはくれない。
「師範の言う通り、私は異常者なのかもしれない」
ふざけるな。
こんな時に立ち上がれなくて、一体いつ立ち上がるというんだ。
彼女が、イリスが、大切な後輩が身体を震わせながらも毅然と立っている。しかし、その姿は今にも崩れそうな程に脆く弱々しい。
お前は、あの背中を見ても何も感じないのか。
ここで無様に膝をつき、彼女に守られているだけでいいと、本気でそう思っているのか。
「でも、先輩は違った」
立て。
「才能だけが全てじゃ無いと、世界に証明してくれるって。騎士の頂点に立つって、約束してくれたから」
立ち上がれ。
そして、剣を握れ。
「それなら私も、目指すしかないじゃない。騎士の頂で、私は先輩と闘うって約束しちゃったんだから」
例え、この身が朽ち果てようとも――――
「馬鹿げた理想を本気で叶えようとする、超が付くほどの愚か者。それが、私の大好きな人よ」
俺はコイツの信頼に、応えなきゃいけないんだ。
☨
「あり、えない……」
ナナシが、ポツリと呟いた。その場にいた全員の視線の先が、一つに向けられる。
泥に塗れ、瞳から血を垂れ流そうとも。
英雄は、二本の脚で立っていた。
「何なんだ、キミたちは…………」
そして、先程まで瓦解しそうな程に弱り切っていたイリス。その表情は、笑みに溢れていた。
「大丈夫ですか、先輩? 体調が悪いなら休んでてもいいですよ」
「抜かせ。お前の方こそ、さっきまでガタガタ震えてただろうが。こいつは俺がやっとくから、甘ちゃんはおねんねしとけ」
「は? そんなボロボロな姿の先輩に言われたくないんですけど」
「あ? これはあれだよあれ。……男の勲章ってやつだ」
「はい、絶対いま適当に考えた! っていうか、まだ助けに来てあげたことのお礼言われてないんですけど!?」
「うるせーな! てかそもそも何でお前がここに――――」
ギャーギャーと喧しく言い争うその姿は、とても戦場にいるとは思えない。まるで日常の中にいるような、自然な光景に思わずその場にいた者たちは目を奪われる。
どちらも先程まで、沈みゆく泥船のような顔つきをしていたのに。
気が付けば、二人の間には笑顔が戻っていた。
「まぁいいや。イリス、ちょっと肩貸してくれ」
「はい? ……まったくもう」
クルードが何気なく放った言葉に、イリスは一瞬訝しげな表情を浮かべた。そして全てを察し、何も言わずに身を寄せる。
もう、これで限界なのだ。
先程まで全く動けなかったクルードが、立ち上がっただけでも奇跡。これ以上、クルードに残された力は限りなく無に等しい。
それでも。
イリスはその全てを受け入れて、静かにクルードの腕を取る。
「さ、名無し野郎」
二人の騎士は、並び立つ。
「再戦といこうや」
☨
その背中を見て、奮い立たぬ者はいない。
あれだけ戦意を喪失し、絶望の淵に立たされた状況でも。希望を失わない姿を見せつけられたのだから。
「……何なんだ、あいつらは」
ウィンリーもまた、その様を見せつけられ、何かを感じずにはいられなかった。
己の技を模倣され、驚愕と絶望が胸中に渦巻いている中で。それでも諦めない奴らの背中を、ただ後ろで眺めている。
そんな状況が、許されていいものか。
そして、ここにもまた。湧き上がる闘志を抑えられない者が一人。
「……思い出したよ。私が、何の為に剣を握り始めたのか」
簡易的に巻かれた包帯を手で押さえながら、デネットはゆっくりと立ち上がる。
「そうだ。私は、彼のようになりたかった」
「おい! 動くな、死ぬぞ!?」
「色々な挫折を経験し、私は諦めてしまったが。彼らは、未だ夢見ているのだな」
焦燥を滲ませるウィンリーの言葉がまるで聞こえていないのか。青白い顔色で、それでも笑みを浮かべながらデネットは口を開く。
「騎士の、頂を」
その言葉に、ウィンリーは目を丸くする。
「騎士の、頂……?」
「私も、まだ間に合うだろうか」
震える指先で、デネットは静かに手を伸ばす。
「あの背中を、追いかければ………………」
クルード、そしてイリス。二人の騎士が並び立つその背中を、デネットは恋焦がれるように見つめていた。
熱が、伝播する。
☨
「意味、わからないよ……」
今、この瞬間。状況は、大きく変わろうとしていた。
あれだけ劣勢で、風前の灯火であったはずの士気が。たった一人の男が無様に立ち上がったというだけで、一気に風向きが変わっていく。
熱が、炎が、激しく燃え盛っている。
「なんなんだ、キミたちはァァァッ!?」
その理由が、ナナシには理解できない。
「キモイキモイキモイキモイキモイッ!」
だから、その全てを破壊すると決めた。
「そんなに死にたいなら、全員仲良くあの世に送ってやるよォッ!」
ナナシの言葉に、黒装束の集団が反応する。
全員が、刃を振りかざす。それはまさしく最後の突撃、その予兆であった。
これで、終わり。
その事実が、辺りの緊張感を一気に高めていく。
「さぁてめェら! 殺――――」
「そこまでよ。全員、大人しくしなさい」
瞬間、第三者の言葉が響く。
熱意に当てられ、誰もが気づくことが出来なかった乱入者の登場にその場の全員が総毛立つ。
そして、啞然とする。
「特にデネットとクルード。あんたら、死にたいわけ?」
数多の視線を受けてなお、堂々と佇むその人物。その姿は、およそ戦場に似つかわしくない様相であった。
「あな、たは……!?」
青白い表情を驚愕に歪め、デネットは口を開く。
それもそのはず。
ボサボサの茶髪に眼鏡をかけ、白衣を身に纏った女性。それは、騎士でも何でもない、ただの一般人。
だが、彼女を知る者が受ける驚愕は他の人物の比では無い。そして、そんな感想を抱いたのはデネットだけでは無かった。
「エマ先……!?」
「うそ、エルマーナ先生!?」
クルードとイリスが、信じられないと口を開く。
その姿は紛う事無き聖キャバリス学院の保健医、エルマーナその人だったのだから。
「まったく。揃いも揃って、こんな路地裏で何やってんだか」
そんな視線も意に介さず、エルマーナは呆れたようにため息をついた。
「そんなわけだから。後は頼んだわよ。ベリエッタ」
そこから先は、まるで信じられないような光景だった。
あれだけ空を暗く閉ざしていた曇天が、ひび割れていく。無数に零れ落ちる雨が、徐々に泣き止み始める。
光の柱が、降り注ぐ。
そんな、神話的な光景の中で。
「よォ、クソガキ共」
ソレは、顕現した。
まるで血染めされたかのように、真紅に濡れた全身鎧が太陽の光を反射する。
焼け焦げてしまうのではないかと錯覚するほどに、烈火の如き赤が艶やかに煌めいていた。
まさに異様な姿。
それは見た目というだけの話ではない。
醸し出される雰囲気、風格が、桁違いに吹き荒れる。
その様に、クルードは信じられないとその身を震わせる。
全身から立ち上る闘気は、クルードの勘違いでなければ――――
「さて。アイツの頼みもあるし、さっさと終わらせるか」
ガレッソやエレガスでさえ、及ばない。
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