第29話 開花する天賦
お待たせいたしました。
「本当に、よかった……」
「イリス……。なんで、ここに?」
今にも泣き出しそうな表情のイリスに対し、クルードは静かに口を開く。
今でも夢なのではないかと思うほどに、目の前にイリスがいるという光景が信じ難い。
だが、これは紛れもない現実だ。姿も、声も、柔らげな瞳も。その全てが、本物のイリスであると証明している。
「……それはこっちのセリフです。どうして――――」
そしてイリスは、微かな怒りと猜疑心を内包した視線を向ける。
「あの男が、ここにいるんですか?」
イリスの瞳が向かう先。
そこには、突如として現れたイリスに驚愕の表情を浮かべるウィンリーの姿があった。
「もしかして、この騒動の原因はまた……」
「それは、違う」
「……なら、どうしてあの男がクルード先輩の味方を?」
イリスの言葉は刺々しく、隠しようもない敵意に溢れていた。
それもそのはず。あれだけ侮辱の言葉を浴びせられ、御前試合で互いに刃を向けあった。そんなウィンリーが目の前にいて、まるで何も無かったかのように味方ヅラする現状は不可解極まりないだろう。
当の本人たちを除いて。
「……大丈夫だ」
クルードは静かに、それでいてはっきりと言葉を紡ぐ。
「アイツとの因縁は、俺たちだけの問題だ。部外者だらけの今だけは、敵じゃない」
「……そう、ですか。なら先輩を信じます」
その言葉の意味を、イリスはきっと理解できない。
クルードにトラウマを植え付けた張本人と、肩を並べる理由など想像もつかないだろう。
それでも、クルードが大丈夫というのなら。
イリスは再び安堵したように、フッと笑う。
「では、私たちの敵は――――」
そしてイリスは笑みを消し、鋭い眼差しを別の方向へ向ける。
「アイツですね」
そう言って、イリスは剣を強く握りしめた。
迸る殺意の矛先は、遠く距離を置いた立ち尽くすナナシただ一人。
「………………だ」
だが、どうも様子がおかしい。
顔を伏せ、微かに身体を震わせるナナシ。ブツブツと何やら呟く様子は、先程とは打って変わり不気味な空気を身に纏っている。
不味い。クルードは直感的にそう思った。
この感覚は、人が激しい怒りを抱いている時。または、殺意を帯びた雰囲気に近しい。
力の入らない身体を必死に動かし、クルードは近くに転がった剣を拾い上げた。
「…………キミは」
しかし。
「キミは一体、何者だ……?」
ナナシがゆっくりと顔を上げる。その表情は、怒りでも憎しみでも無かった。
困惑と、微かな恐怖を滲ませ、ナナシは静かに口を開く。
「ありえない……。どうして、キミが」
「何を、言っているんですか?」
「いや、そうだ。ありえない。きっと何かの間違いに決まっている」
意味が分からないといった様子で首をかしげるイリスに対し、ナナシは自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
そして。
「認めて、なるものかァァアッ!」
冷静さを欠いたナナシが、咆哮と共に駆け出した。
その速度は、先程までクルードと命の奪い合いをしていた時と同様の凄まじい加速力であった。
「に、げろッ!」
覚醒状態のクルード相手に時間稼ぎをするほどの技量の高さ。そんな男の攻撃を、首席とはいえただの学生であるイリスがどうにかできる訳が無い。
震える指先をイリスに向け、クルードは今から起こるだろう惨劇を止めるべく口を開く。
「――――任せてください」
だが、クルードの予想は斜め上の方角に外れることになる。
「こんな輩に、私は負けないから」
その言葉と同時に、イリスの身体が陽炎のように揺らぐ。
輪郭が朧げに変化する中で、彼女の握る剣が徐々に揺らぎを加速させる。
そして現れる、三又の刃。
「な……ッ」
「ば、かなッ!?」
その現象に声を漏らしたのは、クルードとウィンリー。驚愕に声を詰まらせ、限界まで目を見開き、ただ眼前の光景を見つめることしかできない。
ソレは、二人が一番よく知っている。
御前試合の最終局面で、ウィンリーが見せた新たな可能性。天才が生み出した、さらなる高みの片鱗。
天技、翠玉陽炎。
イリスは、その御業を己がモノにしていた。
「はぁぁッ!」
短い闘志の叫びと共に、イリスが刃を振るう。その速度は、流石にウィンリーが放ったあの時の一撃と比べれば遥かに鈍い。
だが、剣に込められた威力は見劣りしないものであった。
ガキンッ
甲高い金属音と共に、ナナシの握っていた剣が空高くに舞う。
ナナシは焦りに表情を歪ませる。その表情には、先程までの余裕など微塵も感じられない。
あるのは唯一つ。イリスへの、未知への恐怖である。
「く、そがァァァァァァァァアアアッ!」
恐れを断ち切るように、ナナシが再び激しく咆哮する。
そして、次の瞬間。
「ッ!?」
イリスの視界から、ナナシの姿が消える。
「イリス! 後ろだッ!」
ナナシのその動きは舞うように地面を滑り、イリスの死角へと回り込む。
余りにも流麗な動作に、傍から見ていたクルードは背筋が凍る感覚を抱く。
だが、何故だろう。
「これで終わ――――」
懐から隠し持っていた短剣を抜いて、ナナシが勝ち誇る姿を眺めながら。
クルードは、その光景をまるで見たことがあるような、そんな既視感を覚えた。
「いいえ」
そして、その感覚を裏付けるように。
「これで、あなたが終わりです」
イリスが、全く同じ動作を繰り返す。瞬間、ナナシの視界からイリスが跡形もなく消え去った。
そして。
「が……ッ!?」
咄嗟に振り返りながら剣で身を守るナナシを、衝撃が襲う。
防御してなお轟くイリスの攻撃は、そのままナナシの肉体ごと吹き飛ばした。
その光景を見て、クルードの脳裏にとある言葉が蘇る。
『人の才能を奪う、疫病神。それがこの女についた忌み名です』
それはかつて、イリスの同郷であるフランという女が口にした蔑称。
認めたくない。だが、確かにクルードは理解してしまった。
ウィンリーの天技を真似たかのような剣術。あれはまるで、才能を奪ったのではないかと思ってしまう程に。理解不能の領域、天賦の片鱗であった。
それは、クルードだけでなく。
「僕の、技が……………………」
ショックのあまり、呆然と立ち尽くすウィンリー。
そして。
「どうして、キミが……」
身体を起き上がらせ、砂に塗れたままの姿でナナシは口を開く。
表情に、絶望的なまでの恐怖を滲ませて。
「どうしてキミが、その動きを知っている……!?」
まだ誰も知らない、無名の少女。
いずれ王国を揺るがす天賦の才が、今開花する。




