第12話 騒がしき逃走劇
人の喧騒が多く飛び交う表通りに対し、王国の裏通りは常に静寂が支配している。
薄暗く湿った空気の中で、目立たないように身を潜めて活動する住人たち。彼らが知る限り、裏通りが騒がしくなることなど滅多に無い。
静かに生きる者たちの安息の地。それが、この裏通りと言う場所の役割でもあったのだ。
「……なんだ?」
そんな地で、安寧が破られようとしていた。
商人の一人が、荷物をまとめる手を止めて顔を上げる。
微かな喧騒と、少しずつゆっくりと近づいてくる地響き。それは疑いようもなく、こちらへと真っ直ぐに向かっていた。
そして。
「どいたどいたっ!」
曲がり角から飛び出してきた一人の青年。彼はどこか焦った様子で、辺りをキョロキョロと見渡していた。
そんな青年と、商人の視線がぶつかる。
「ちょっとごめん! どうやったら表通りに出られる!?」
どうやらこの青年は、間違って裏通りに迷い込んでしまったようだ。
商人は迷った。何も知らない一般人だとすれば、上手いことやれば一儲けできるかもしれない。彼が身に着けている制服は、有名な騎士学校の生徒だろう。だとすれば、それなりに金はあるはずだ。
商人の頭の中に、暗い欲望が湧いて出る。
しかし、慌てて考え直す。もしも今ここで一儲けできたとしても、後々トラブルに巻き込まれたら面倒だ。
「……ここをまっすぐ行けば広場に出る。その中で、赤い看板のある家の脇道を通れ」
「ありがとうっ! この恩はいつか!」
仕方ない。商人は自らの欲望を律し、青年に短く助言を伝える。その言葉を受け、青年は感謝を述べながら一目散に駆けていった。
一体何を急いでるんだ?
不思議そうに首を傾げる商人の耳に、再び地響きが近づいた。
「いたぞッ!」
「広場の方へ逃げていったぞ!」
「追えェ!」
そして、集団が血相を変えて青年が走り去った方角へ駆け出していく。
何が起きているか分からない商人は、目を白黒させながらその様子を眺めた。口を開けたまま、間抜けな表情で放心する商人は思う。
もしかして、既に面倒な事に巻き込まれたのではないか、と。
「……逃げよう」
集団の後ろ姿が見えなくなったことを確認し、商人はそそくさと自分の荷物をまとめていく。
早くこの場から立ち去ろう。
そんなことを考える商人の前に、再び影が差す。
「やぁ。少し尋ねたいのだが、よろしいかな?」
突然現れた人物は、軽薄そうな口調で疑問を投げかける。
「この人物を探している。見覚えは?」
男は、懐から写真を取り出し商人の眼前へと突きつける。
その写真に写っていた人物は、さっき道を尋ねていった青年そのものであった。
☨ ☨ ☨
「ったく、しつこいな……ッ」
後方から騒がしく飛んできた声に、クルードは悪態をつきながら眉をひそめる。
かれこれ長い時間走り続けているというのに、一向に諦める気配が無い。絶対に捕まえてやるという執念が滲み出ているあたり、もはやここまでくると尊敬の念すら浮かんでくる。
とはいえ、捕まる訳にはいかない。クルードは足を一切止めず、ただひたすらに走り続けた。
もうすぐ、あの商人が言っていた広場に出るはずだ。
そう思った次の瞬間、視界が一気に広がっていく。
「あった……!」
真四角の広場の中で、ひときわ目を惹く赤い看板が目に入る。確かにその横には、人がギリギリ通れるだろう脇道が一本。
クルードは我先にと、その脇道へと足を踏み出した。
しかし。
「うそ、だろ?」
思わず目を丸くし、自嘲的に苦笑いを浮かべるクルード。
それもそのはず。
視線の先。今まさに通ろうとしていた脇道から、ぞろぞろと別の集団が出てきたのだから。
「もう観念したまえ」
かけられた声に、クルードはバッと後方を振り返る。
そこには、追いついた集団から前に出てきたデネットの姿があった。
「別動隊を用意しておいてよかったよ」
「……嵌められたってわけか」
「いいや。ただ私は自分に自信が無いのでね。予防線を張っていただけさ」
抜かせ。デネットの飄々とした態度に、クルードは唾を吐き捨てる。
どこまでも抜け目なく、慎重が故に隙が無い。
流石と言うべきか。王立騎士団の副団長を任されているだけあって、やはりこちらの一枚も二枚も上手であると実感する。
この男を出し抜くには、何か思考の裏をかかなければ――――
「やめておけ。抵抗は無意味だ」
クルードの考えを読んだかのように、デネットは淡々と言葉を紡ぐ。
「このままであれば双方が余計な被害を生むだけ。貴様が大人しく降伏すれば、無傷で連行すると約束しよう」
「へぇ。じゃあ仮に、もし抵抗したら?」
「無論」
ゆらりと、腰から剣を抜くデネット。
静かに立ち上る殺意が、じりじりとクルードの肌を焦がしていく。
「腕や脚の一本くらいは、斬り落とされる覚悟をしたまえ」
その発言に、嘘も躊躇も見当たらない。
汗が頬を伝い、ポタリと地面に流れ落ちる。
四面楚歌。絶体絶命。
これ以上は、もはや抵抗しても意味は無い。分かっている。頭では理解している。
だけど。
「……仮に無傷で連れてかれたとして、その後に無事な保証はどこにもないよな?」
「………………」
無言。
何も答えないデネットの姿に、クルードは静かに笑う。
それこそが、答えのようなものだ。
「なら、俺の答えも一つだ」
クルードは剣を天に掲げ、高らかに告げる。
「来いよ」
圧倒的不利な状況。先程よりも数が多い相手に、勝てる見込みは無い。
恐怖はある。不安が全身を震わせる。
それでも。
「お前らが諦めるまで、醜く足掻いてやる」
ニヤリと、クルードが不敵に笑う。
押しつぶされそうな負の感情を、鍍金で塗りつぶせ。
嘘でもいい。最後まで、堂々たる自信を顔に張り付けろ。
「……そうか」
一瞬、デネットの表情が歪む。
だが、口から零れた感情は暗く、どこまでも凍える程に冷たいモノであった。
「では、仕方ないな」
そして、デネットは無慈悲に言葉を吐き出した。
「死――――」
デネットが一歩足を踏み出した、その時。
「おい。誰の獲物に手を出している」
爽やかとは程遠い乱暴な口調で、第三者の声が響き渡る。
瞬間、新緑の風が吹く。
「それは僕の敵だ。副団長とはいえ、勝手に手を出さないでくれよ」
「…………貴様」
驚きに声を震わせ、デネットは疑念のこもった眼で睨みつける。
「何故、貴様がここに――――」
「やぁ。君は相変わらず、騎士団の連中に嫌われているようだね」
デネットの発言を無視し、その男はクルードに話しかける。
まるで、世間話でもするかのように。軽薄な口調で。
「まぁ、当然と言えば当然か」
デネットだけでは無い。クルードもまた、驚きに声が出せずにいた。
何故、この男がここにいるのか。
どうして、こいつが俺を助けるように割って入ったのか。
「君を好きになる奴なんて、まさしく凡愚に等しいからね」
傲慢さを隠そうともせず、嫌味な笑みを浮かべる男。
新緑色の髪をなびかせ、ウィンリーはその姿を現した。




