第8話 黒金の騎士。またの名を
黒金の騎士、ヴィクト。
それは、近代でも稀なほどに国民に愛された大英雄が一人。
三十年前の戦争よりも後に英雄となったにもかかわらず、異例の速度で序列一位へと上り詰めた傑物。
現序列一位のスレイドを抑え、兄であるエレガスを退き、あの王国の天秤に認められし男。
その異名の数々は知れず、多くの逸話を世に残してきた。
人は皆、彼を真の天才と呼んだ。
だが、昨年に突然の病死。王宮からの発表、その詳細は不明。
熱狂的なファンの暴動は凄まじく、王立騎士団によって鎮静化が為され、近隣の街には箝口令が敷かれる事態となった――――
そんな死せる伝説。黒金の騎士ヴィクトの肖像画が、まさかこんな路地裏で見つかるとは。
クルードは胸の高鳴りを抑えられずにいた。
「……君は、七雄騎将の中で誰が好きとかある?」
「え?」
興奮冷めやらぬまま、クルードは目の前の少女に語りかける。
突然、気まずい空気の中で投げかける質問じゃないだろう。それはクルードにだって分かっている。
現に、少女は目を白黒させて困惑した表情を浮かべていた。
それでもクルードはこの気持ちを抑えられなかった。この驚きと興奮を、誰かと分かち合いたかったのだ。
「えー、私ですか……」
しかし。
「私、実は七雄騎将とかあんまり興味なくて……」
返ってきた答えは、期待を大きく裏切るモノであった。
「え、そうなのか!?」
「す、すいません!」
「いやいや、こちらこそごめん! 突然変な質問しちゃって」
「いえ…………その、私実は地方出身で」
少女は表情を暗くさせ、少し影の差した笑みを浮かべながら口を開く。
「貧しい家に生まれて、おとぎ話なんて読ませてもらえるような状況じゃなくて……。聖キャバリス学院に入学したのだって、両親の負担を減らすために自分から進んで決めたんです」
「そう、だったのか……」
少女の語る身の上話は、彼女自身が置かれてきた境遇を感じさせるには十分なモノであった。
しかし、悲しいことにこのような事例は珍しいものでは無い。その事実をクルードは知っていた。
聖キャバリス学院は、有望な人材を常に求めている。それ故に多くの少年少女が入学を希望し殺到する。
そして、その多くは現実を知ることになるのだ。
新入生の大半は、授業の厳しさや騎士の道のりの険しさに挫折していく。やがて三年生になるころには、その総数は最初の頃の十分の一ほどになる。
生半可な覚悟の者は、騎士の門をくぐることすら許されない。それが、キャメロン王国の残酷な真実であった。
「だから、七雄騎将のことはあんまり知らなくて」
「なるほどな。ごめん、辛いことを話させてしまって」
「いえ……! 大丈夫です!」
空元気な笑顔を見せる少女の姿を見つめながら、クルードは心の中で思う。
イリスと初めて会った時、七雄騎将に興味が無いなんて変な女だと思った。だが、実は違ったのかもしれない。
自分が入学した時よりも、七雄騎将に対しての関心が薄れつつあるのか。今の新入生には、どうやら以前までの七雄騎将に対する強い憧れのようなものは無いのかもしれない。
少し寂しいな。クルードは素直にそう思った。
時代の流れと共に、何か大事なものが変わっていってしまうような。そんな言葉にしがたい感情が心に浮かんでは消えていく。
「……先輩は、七雄騎将がお好きなんですね」
そんなクルードの気持ちを察したのか、少女は静かに微笑みながら優しく口を開く。
「え、やっぱバレちゃう?」
「ふふ。だって先輩のさっきの表情ときたら、大好物を前にした子供みたいでしたもん」
「えー、いやぁ恥ずかしいな」
少女の言葉に、クルードは照れくささを感じて頭を掻いた。
だが、否定できない。
七雄騎将というものは、クルードにとって核そのものであり、憧れの象徴でもあったのだから。
「……君が話してくれたから、俺も昔の話をするよ」
そう言って、クルードはゆっくりと口を開く。
「俺には兄貴――エレガス先生が身近にいたから、昔から人一倍騎士に対する憧れが強くてさ」
「そうだったんですか?」
「あぁ。周りの大人も凄いって囃し立てるもんだから、俺もあの人みたいにって毎日泥だらけになりながら剣を振ってたよ」
懐かしい幼少の記憶を振り返り、ふと笑みがこぼれる。
クルードにとって、それこそが原点。始まりの記憶であった。
「そして当然のように、あの人は七雄騎将になってた。やっぱ凄いなって思うと同時に、悔しいなって気持ちもあったんだ」
「へぇ! やっぱり兄弟だからですか?」
「それもあるけど、一番は遠くの存在に思えたからかな」
「遠くの?」
「どこまで追いかけても手が届かない。血を分けた兄弟の筈なのに、住む世界が違うって何度思ったことかわかりゃしねーよ」
段々と素の話し方に戻ってきたクルードに対し、少女は何も言わず静かに続きを待った。
「俺がそんな風に不貞腐れてる中だったかな、兄貴が一度だけ友人を連れて帰省してきた時があったんだ」
そして、英雄と出会った。
「ヴィクト、って聞いたことあるかな?」
「あ、流石に知ってますよ! めちゃくちゃ凄かった人ですよね!?」
「あぁ。俺が遠い存在だと思ってた兄貴が、自分よりも凄い奴だってその人を紹介するもんだからさ。当時は信じられなかったよ」
でも、事実だった。
今でもあの日のことを忘れないと、クルードは笑う。
誰もが、兄すらも認める男がいたという衝撃。そんな中で、彼が語った言葉の数々を。
「その人がさ、俺に色々話してくれたんだよ」
☨ ☨ ☨
『いいかぁ、金ぴか弟。今はまだ、お前は兄貴の足元にも及ばねえ。でも、諦めんな』
『そりゃお前、絶対追いつけるとは言わん! だが、絶対追いつけないって決まってる訳でもねぇ』
『実際どうかなんて、やってみなきゃわかんねぇ――――だろ?』
☨ ☨ ☨
「なんていうか……、クルード先輩に少し似てますね」
「逆だよ。俺が、あの人の真似をしてるんだ」
「憧れてるんですか?」
「おう」
そして、クルードは口にする。
英雄ヴィクトには数多の異名が存在し、その中で最も大衆に知れ渡っている二つの呼び名。
黒金の騎士。またの名を――――
「不屈の騎士。俺も、あの人みたいになりたいんだ」
言葉が熱を帯び、憧れの感情が少女の胸を焼け焦がす。
そう錯覚させるほどに、クルードの言葉には熱意が込められていた。
「不屈の、騎士……」
「何度倒れても必ず立ち上がり、決して折れない鋼の精神。まさに黒鋼――――黒く輝く金色の騎士だ」
黒鋼であり、黒金。それが、英雄ヴィクト。
クルードの、憧れの騎士であった。
「…………だからさ。君も、頑張って」
「……え?」
「本当は君、俺のファンじゃないでしょ?」
「ッ!?」
なんでバレたのか。そんな感情が少女の顔にありありと浮かんでいる。
クルードは小さく笑う。途中から、薄々感づいてはいたのだ。
どっかの誰かさんが熱烈な想いを扉の前で吐露してくれたあの時と違って、少女の言葉には熱を感じなかった。
分かりやすい後輩を持つと、こういう時に嘘が早く気付けて助かるな。そんな風にイリスの顔を頭に思い浮かべながら、クルードは少女の頭を軽く撫でる。
「ありがとう。デート、楽しかったよ」
「…………ッ! 先輩、私は――――」
顔を赤くし、涙をこらえながら少女は口を開く。
しかし。
「よくぞここまで連れて来てくれたね」
その言葉は、第三者によって遮られた。
「ほら、報酬だ。受け取り給え」
突然現れた男は、少女に向かって袋を投げつける。袋は少女の手元に届く前に地面にぶつかり、勢いよく中身が飛び散っていく。
金銀様々な硬貨が地面に転がる様を眺めながら、少女は表情を青ざめさせる。
「先輩、ちがッ!」
「何が違うというのだね? 金に釣られて先輩を売った、卑しい女だろう? 貴様は」
そう言って、男が腕を上げる。瞬間、周囲を取り囲むようにぞろぞろと男達が現れた。
身なりはどれもいたって平凡、どこにいても不思議ではない恰好である。しかし、クルードは気付いていた。服の下に来ている鎖帷子のジャラジャラとした音。
そして。
「初めまして、クルード君。いや――――」
彼ら全員が、一般には持つことが出来ないような質の良い真剣を装備しているということを。
「罪人クルードよ」
王立騎士団の魔の手が、クルードを完全に包囲した。
ついに、裁きの時は来る。




