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第5話 覚醒の兆し

 死ぬ可能性が少ないとはいえ、躊躇なく頭部めがけて木剣を振り抜くことが出来る人間はどれだけいるのだろうか。

 当たりどころが悪ければ致命傷に成り得る状況下で、親の仇でも何でもない相手に向かって刃を振り下ろす。そんな人間は、イカレているとしか思えない。


「おらッ」


 だが、現に目の前の人物はそういったイカレた人間であった。

 可愛い生徒に対して容赦なく攻勢を仕掛ける。そんな人が、まさか自分の師匠だなんて誰が想像できるだろうか。


「考え事してんな、よッ」


 轟音が鳴り響くとともに、目と鼻の先を凄まじい速度で刃が通過していく。

 あと少し頭を後方にずらしていなければ、今この首に頭は乗っかっていないかもしれない。そう錯覚するほどに、振るわれた一撃は唸りを上げて風を斬り裂いた。


「おいおい、どうしたルー坊! 避けてばっかじゃ意味ねぇぞ!」


 そんなことは分かってるっつーの。ガレッソの挑発に心の中で愚痴を吐きながら、クルードは静かに剣を構えた。

 ここで闇雲に突撃したところで、あの剛腕に吹き飛ばされるのは目に見えている。

 豪快な性格をしているように見えて、物事を俯瞰して見る繊細さを持ち合わせている事を、クルードはこれまでの訓練で嫌と言うほど分からされてきた。

 ガレッソという男は、無策で挑んでいい相手じゃない。


「うるせぇッ!」


 ならば。

 クルードは即座に身体を屈めながら、流れるようにガレッソの懐に潜り込む。


「そりゃ無謀ってもんだ」


 ガレッソの無慈悲な言葉が頭上から降り注ぐ。

 瞬間、全身を貫く殺意の感覚。クルードの死角から放たれる横薙ぎの刃が、頭部めがけて飛来する。


「わかってるよ!」


 クルードはそう言って、突然懐に潜り込む勢いを押し殺す。そして足の裏で地面に対し踏ん張りを利かせ、反対側へと飛び出した。


「おっ?」


 バックステップ。

 虚を突かれたガレッソは僅かに驚きの声を上げる。その隙をクルードは待っていた。


「今だッ!」


 ガレッソが振り抜いた剣は、戻ってくるまでに若干の遅れが発生する。つまり今、ガレッソは自らを防ぐ手立てが無いという事。

 クルードは勝利を確信し、声高らかに口を開く。


「もらった――――」


 剣を振り上げ、ガレッソの頭部めがけて刃が迫る。クルードの放った一撃が遂に直撃しようとした、その直前。


「あ」


 間抜けな声を漏らすガレッソの表情が視界に入り、次の瞬間。

 パコーン、と。真横から飛来した影に頭を強く打ち抜かれ、クルードの意識は闇に落ちていった。



「いやー、悪い悪い! やりすぎちまった、ガハハ」


 全く悪いと思っていない様子で、ガレッソは豪快な笑みを浮かべる。その姿を見つめ、クルードは痛む頭を抑えながらため息をついた。

 まさかあの状況から、剣を引き戻すことが可能だとは思いもよらなかった。無理やり軌道を変えて再び剣を振るうなど、剛腕がなせる業とでも言うべきか。すっかりしてやられてしまった。

 敗因は、油断と推測不足だ。


「クソ、絶対勝ったと思ったのに……!」

「まだまだ精進が足りんなぁ。頑張りたまえ若人よ」


 大人げなく勝ち誇った表情を浮かべるガレッソに対し、クルードは悔しさに顔をしかめる。

 そんな様子を見つめ、ガレッソは優し気な笑みと共に口を開く。


「ま、今回はよく頑張ったな。あの場面で避けられると思わなくて少し驚いたぞ」


 ガレッソに慰めの言葉をかけられ、何とも言えない表情を浮かべるクルード。

 確かに驚かせることには成功したが、結局それ以上の成果を上げることが出来なかった。

 これまで幾度となく挑んでなお、未だ一撃も入れることが出来ていない。


「……次こそはやってやる」

「ガハハ! そいつぁ楽しみだ」


 悔し紛れの言葉を涼しい言葉で受け流すガレッソに、クルードは隔絶した実力差を感じていた。初めて出会ってから、その距離が縮まった実感は無い。

 クルードは、自分とガレッソの決定的な違いについて考える。腕力、技量、洞察力。どれをとってもガレッソの方が一枚の二枚も上手だ。

 追いつくためには、一体何が足りないのか。


「……結局、今日もダメだったな」


 いや、本当は分かっていた。自分とガレッソの、決定的な違い。それは――――


蛮勇凶化ベルク・バーバリズム


 二人を繋ぐ縁。凡人が天才に抗う術を、クルードは確かにガレッソに教わった。

 しかし。


「限界まで痛めつけられなきゃ使えないなんて、欠陥もいいとこだよなぁ」


 クルードは天を仰ぎ、一人静かにため息をつく。

 御前試合でウィンリー相手に使用した時、本当は使いこなせる状況では無かった。

 試合当日まで僅かな時間しかない中で、ガレッソが考え抜いた策。それが、身体に極限まで痛みを蓄積し、脳を強制的に覚醒させること。

 逆にそこまでの条件を課さなければ、クルードに蛮勇凶化は使いこなせないとガレッソは判断したのだ。


「危険信号を発し続けた脳は、一時的に限界を超えて機能を飛躍させる……って。改めて思い返しても言ってる意味分からないんだけど」

「そのまんまの意味だぞ」

「だから分かんねぇんだって!」

「ったく、仕方ねえなぁ」 


 助けを求める生徒の願いを、どこか投げやりに受け入れる教師。本当にこの人は学院で教鞭を取ってるんだよな?

 心の中で呆れた独り言を呟くクルードの目の前で、ガレッソは一つ一つ言葉を紡いでいく。


「人体の中で最も使用されている箇所はどこか。何かを握りしめるための手か? 前に進むための足か?」


 ガレッソは、自らの頭に指を差した。


「違う。ココだ」


 頭をトントンと叩きながら口を開くガレッソは、心なしか楽しそうに笑みを浮かべている。


「脳は、運動と感覚を司る神経の中枢。いわば人体の核だ。ここには、未だ明かされていない人間の神秘が詰め込まれている」

「神秘……?」


 何を言っているか分からないと言った様子のクルード。困惑したその姿に、ガレッソは静かに笑う。


「曰く。ある者は、火事で倒壊した家屋から自力で瓦礫を持ち上げ生還したという。ある学者は、集中のあまり一瞬で時が流れたかのような感覚を覚えたという」


 身体機能の上昇と、感覚機能の鋭敏化。

 二つは全く異なる事象の様に見えて、実のところ全く同じものであるとガレッソは語る。


「これら全ては、()()()()に起因している」

「脳の、覚醒……?」

「そうだ。そして、蛮勇凶化はその覚醒を促す――――いや、強要するモノだ」


 ガレッソの笑みが変化する。その瞳は、どこか危険な色を帯びているような。昏い感情が揺ら揺らと燃えているような、底知れないナニカをクルードは感じ取った。


「自分をとことんまで追い詰めろ、ルー坊。崖っぷちの状況でこそ、人は真価を発揮する」

「……少しだけ。ほんの少しだけ分かった気がするよ」


 時折見せる、ガレッソの不安定な色の揺らぎ。生徒を導く教師の背中と、人の可能性を模索し続ける瞳。これら二つの相反する要素が共存する姿こそ、ガレッソの本質であるとクルードは気付いていた。

 一体、この人は何者なのか。答えを知りたいと、何度思ったか分からない。

 それでも。


「ありがとう。俺、もっと頑張るよ」


 無力に絶望し、自らの闇に呑まれそうになっていた自分に、手を差し伸べてくれた。

 それで十分だ。

 その事実だけで、俺は既に救われている。


 独りじゃないと、月明かりが優しく照らしてくれている。

 クルードの心に、また一つ火が灯る。



 一人残された夜空の下で、ガレッソは冷たく息を吐く。徐々に温かくなっていく季節の流れの中で、自分の心だけが凍えている。

 人としての温かみは、既に失われていた。

 否。


 自ら進んで、捨てたのだ。


「覚醒、か」


 口から零れた感情は憐れみか、はたまた憤りか。

 自虐的な笑みを張り付けながら、男は嗤う。


 嘘をついた。

 脳の覚醒。それは確かに、蛮勇凶化の最も大きな要素の一つである。

 だが、本質はそこには無い。もっと深く、長期的な計画を以て、技はようやく完成に至る。

 技?

 いや、技と呼ぶには少し違う。


 コレは、()()だ。


「……まだだ」


 クルードはきっと、自らの変化に気付いていない。

 緩やかに、されど確実に、片鱗は現れ始めている。もう、流れは止まらない。


「後、もう少しか」


 ガレッソは、旧き戦士は静かに待つ。

 新たな戦士の覚醒を。

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