第4話 違和感
「突然の要求に応じて頂き、ありがとうございます」
純白の鎧に身を包み、ニコニコと笑顔を浮かべる女性はそう言って深く頭を下げた。
燃え盛るような真っ赤な髪の毛がその穏やかな表情とのギャップを感じさせ、強烈な印象として脳裏に染みついていく。
そして鎧の胸部に刻まれた太陽のシンボルは、彼女が王立騎士団であることを物語っている。
「は、はぁ」
「どうもぉ」
イリスとカミュは曖昧な言葉を口からこぼす。
王立騎士団から呼び出しを喰らうなど、身に覚えのない話。そんな状況に、二人はすっかり委縮してしまっていた。
「そんなに緊張なさらないでください。今回はお二人にぜひ、簡単な調査にお答えいただきたく伺いました」
「調査……?」
「はい!」
怪訝そうな様子で首を傾げるイリスに対し、女性は晴れやかな表情で口を開く。
「ズバリ、学生の身で七雄騎将に選ばれたクルードさん! 彼の人柄やその実態とは!?」
身体を前に乗り出し、意気揚々と目を輝かせる女性。その姿に得も言われぬ威圧感を覚え、イリスとカミュの二人は椅子の背もたれに深く寄りかかる。
「お二人にとって、クルードさんとはどういった存在ですか?」
「そ、うですねぇ。私にとってクルード先輩は、優しくて困った時は頼りになる先輩です」
女性の勢いに押されながらも、カミュは冷静に自分の気持ちを口にする。
行き場を失った自分を、その場の勢いとはいえ優しく受け入れてくれた。その恩を、感謝をカミュは未だに忘れていない。
女性はその回答に満足したのか、深く頷きながら微笑んだ。
「なるほどですね。では、イリスさんはいかがでしょう?」
「私、は……」
イリスはその問いかけに、一瞬喉を詰まらせる。
クルードと言う人間が、一体どういう存在か。それはイリスにとって、一言で表せるような簡単なモノでは無い。
自分の原点を振り返りながら、イリスはゆっくりと想いを紡いでいく。
「クルード先輩は私の恩人であり、騎士としての憧れであり、そして――――」
女性の瞳を見つめ返し、イリスは毅然と言い放つ。
「いつか、超えたいと思う壁です」
「……ほう?」
イリスの回答に興味を惹かれたのか、女性は静かに目を細める。先程までの勢いは鳴りを潜め、今はただ相手の言葉に耳を傾ける姿勢を取り始めた。
「それはどういう意味でしょう。今年度首席のイリスさんにとって、やはり同じくして首席であるクルードさんは打倒すべき相手……ということでしょうか?」
「別にそういうことじゃありません。ただ純粋に、あの人を超えたいという意味です」
「ふむ……? まぁいいでしょう。では、続けて次の質問に参ります」
何か腑に落ちない様子で、女性は静かに首を傾げる。しかしそんな様子もつかの間、女性は表情を切り替えて次の問いかけに移っていく。
「何か最近、クルードさんについて違和感を覚えたことはありませんか?」
「いわ」
「かん?」
突然そんなことを言われても、特にそういったモノを感じたことは無い。クルードは変な人間ではあるが、逆にいつも通り過ぎて違和感など覚えはしない。
「些細なことでもいいんですよ」
「窓に反射した自分の顔を見て髪の毛を弄ってるところとか?」
「それはいつものことでしょ! ほら、素振りをしながら軽く鼻歌を歌ったりするとこじゃない?」
「それだっていつも通りじゃないですかぁ」
「……お二人とも、流石に些細すぎます」
クルードの個人情報だけが漏洩されている状況に、女性は静かにストップをかける。
後輩から好き放題言われているクルードがこの事実を知ったら一体どうなるのだろうか。そんな馬鹿らしい考えが二人の脳裏を横切っていく。
「うーん。とは言っても、他に違和感なんて感じないですしぃ」
カミュが困った様子でうんうんと唸っている横で、イリスは改めて先程のクルードの姿を振り返る。
試合で相対したあの時、自分は手も足も出なかった。どこまでも余裕そうな表情で攻撃を見極められ、軽い足取りで懐に潜り込まれる。
悔しいと思ったと同時に、どこか誇らしげな感情を抱いたのもまた事実であった。
これだけ全力で挑戦してなお、一歩二歩先を歩んでいるような感覚。あの御前試合以降から、その勢いは止まることを知らずに――――
「……あ」
そしてイリスは気付く。その状況こそが、違和感そのものであることに。
「何か心当たりでも?」
「……いえ、大したことじゃないと思うんですけど。この前の御前試合から、クルード先輩はさらに強くなったような気がしてて」
「御前試合というと、あれですね? うぃ、うぃん…………」
「ウィンリーですか?」
「そう、ウィンリー選手! 彼との試合以降、クルードさんは益々強くなっていると。なるほどなるほど」
頷きながらメモ帳に筆を走らせる女性に、イリスは一瞬強い違和感を覚える。王立騎士団出身であるはずの彼女が、麒麟児と呼ばれているはずのウィンリーの名前を思い出せないでいたという事実。
何故だろう。それだけの筈なのに、どうしてこんなにも引っかかるのか。
「では、続いてですね――――」
まぁ、そういう事もあるか。イリスはそう思い込み、一人静かにその思考を水に流した。
☨
「ご協力ありがとうございました! お二人には心からの感謝を!」
「いえいえ、こちらこそ」
「ありがとうございましたぁ!」
あれから様々な質問を繰り返し、気がつけばかなりの時間が過ぎていった。すっかり緊張は解け、三人の間には和やかな空気が流れている。
「こんなに遅くなってしまい申し訳ございません。気をつけてお帰りくださいね?」
「大丈夫ですよ! 私たちだって、騎士の卵なんですから!」
「アハハ、心強いですね!」
胸を張るカミュの自信満々な態度に、女性は声を上げて笑う。
辺りはすっかり日が沈み、夜空と満点の星々が優しく三人を照らしている。
「では、私たちはお先に失礼します」
「失礼します!」
イリスとカミュは頭を下げ、ゆっくりと部屋から退出していく。
「あ、そうそう。イリスさん」
と、その時。背中越しから女性の声が響く。
「これから先、クルードさんは七雄騎将の中で勝ち上がっていけると思いますか?」
「……それは」
「個人的な質問です。あなたの率直な意見が知りたい」
「なら、答えは一つですね」
真剣な声色で女性が問う。
その言葉に対し、イリスはゆっくりと振り返りながら口を開く。先程のカミュの様に、自信に満ち溢れた表情を浮かべながら。
「あの人は負けない。どんな状況でも諦めない、不屈の人だから」
☨
廊下に響き渡る、カツカツと靴底が床に当たる音。軽やかな足取りは一定間隔でリズムを刻み、悠々と歩みを進めていく。
そんな音が突然鳴り止み、次の瞬間。
「失礼するよ」
ガラガラと扉を開け、その音の主は部屋へと入室する。
そして。
「……ちょっと、ここ禁煙なんですけど」
目の前に広がる光景に、エルマーナは眉間に皺を寄せる。
窓の縁に腰を掛け、星を眺める真っ赤な髪の女性。純白の鎧をその辺に投げ捨て、彼女は口から煙を揺らしていた。
「なんだ、エマか」
女性は静かにエルマーナを一瞥すると、悪びれる様子もなく再び窓の外へと視線を向ける。
月明かりが女性を照らし、真紅が光を反射してより一層輝きを放つ。
「その名で呼ばないで」
「なんだよ、つれないねぇ。昔は私にべったりだったのに」
「……昔の話でしょ」
「なぁ、エマ」
女性は突如として姿を消し、そして次の瞬間。
「王宮に戻って来い。私も、あの子も。お前を必要としてる」
「痛ッ!」
女性はエルマーナの腕を掴み、壁に強く押し付ける。
身動きの取れない状況で痛みに顔を歪めるエルマーナの姿に、女性は少し慌てた様子で手の力を緩める。
「あ、ごめ――――」
そして、謝罪を口にしようとしたその時。強烈な殺意が女性の全身を貫いた。
「その手を離してもらえますか?」
気がつけば、女性が立っていた場所には抜き身の刃が突き刺さっていた。
訓練用の木剣ではなく、紛れもない殺傷能力を有する鋼の剣。一瞬でも遅れていれば貫かれていただろう状況で、既にその場から飛び退っていた女性は不満げに口を尖らせる。
「なんだ、お付きの騎士様も一緒かよ」
「悪かったですね。私が一緒で」
「あぁ、悪いね。最悪の気分だ」
口ではそう言いながらも、女性は静かに笑みを浮かべていた。優しげな微笑みなどでは無い。獰猛な獣のような、凶暴な視線を乱入者に向ける。
そんな視線を受けてなお、エレガスは涼しげな表情を浮かべている。
「それで、何の用ですか? ベリエッタ先輩」
エレガスは苦虫を嚙み潰したような表情で、女性に真意を問いただす。ベリエッタと呼ばれた女性は、髪を手で払いながら颯爽と言い放った。
「まぁ、立ち話もなんだ。座れよ」
エレガスとエルマーナに対し、上から目線でものを言うベリエッタ。彼女の表情は依然として変わらない。笑みを浮かべ、獣の如き野性的な瞳が室内を睥睨していく。
だが、その変わらない表情に反して内心は穏やかでは無かった。それは全て、あの言葉。
『あの人は負けない。どんな状況でも諦めない、不屈の人だから』
小娘が軽率に口にした言葉。その意味がどうであれ、ベリエッタは見極めなければならない。クルードという人間が、一体どれほど成長したのか。
「さて、旧知の仲が久しぶりに集まったんだ」
美と狂気を纏いし獣、ベリエッタは嗤う。
「作戦会議も兼ねて、同窓会といこうかね」




