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第25話 悪夢

 クルードという男は、元は一般家庭に生まれた何の変哲もない少年であった。

 それなりに親に可愛がられ、順調に育っていくクルードを見て、周りの人々は微笑ましく見守っていたという。

 そんなクルードの人生を変えたのは、たった一人の身近な存在であった。


 実兄、エレガス。

 彼の存在は、クルードに鮮烈な憧れを抱かせるには十分なものであった。

 学院の歴史上、類を見ない天才として成長していくエレガスを見て、両親を含んだ周囲の大人たちは期待を寄せていく。

 そしてまた、クルードもそんな姿に憧れを抱いていった。

 自分も騎士になりたいと思ったのは、この時である。


 ソレが茨の道であると、当時の少年は知らなかったのだ。


 それからクルードは、聖キャバリス学院に入学するために努力を始めた。

 幼い頃よりエレガスを見てきたクルードにとって、目標ははるか遠く。

 だから、他の誰よりも人一倍努力した。


 その結果、無事に首席として入学。 

 上級生からの後輩いびりにも怯むことなく、どんどんと頭角を現していくクルード。

 周りの生徒たちはそんなクルードを妬み、微かな憧れを抱き始めた。

 そして、隣国の騎士との()()()()()をきっかけに、その期待は確固たるものとなる。


 しばらくしてクルードは、稀代の天才と謳われるようになった。


 ☨  ☨  ☨


「御前試合が決まったんだって!?」


 教室の片隅で、クラスメイトが目を輝かせながら話しかける。

 その相手はもちろん、一人しかいない。


「あぁ、一ヶ月後にあるらしい」

「いやー流石だな! よっ、我らが英雄様!」


 照れくさそうに口を開くクルードに対し、クラスメイトは称賛の言葉を述べる。

 その男はいわゆるお調子者であり、クラスの中心人物であった。

 彼はクルードに対して嫉妬心を抱くことも無く、ただ純粋に憧れていたのだ。

 それは、彼一人だけではない。


「クルード君なら勝てるよ!」

「そうそう! なんたって、あの七雄騎将に選ばれちまったんだからな!」

「ほんとほんと、凄いよねーっ!」


 クルードの周りを囲うように、人の輪が出来上がる。

 彼らは皆等しく、クルードのことを心の底から尊敬していた。

 自分の近くには、こんな凄い奴がいる。それが彼らの誇りでもあったのだ。


「いやいや、お前ら盛り上がり過ぎじゃね?」


 そんな人々がいる一方で、こんなことを言う者もいた。


「所詮は最下位。ついこの前も、六位の奴に負けてたじゃねえか」

「それな。たまたま選ばれただけの、兄の七光りだろ?」

「お前ら、そいつに期待しすぎなんだよ」


 彼らの瞳は、嫉妬に濁り切っていた。

 自分達と同じ年齢でありながら、七雄騎将に選ばれた天才。

 そんな人間が近くにいて、正気でいられるはずも無い。

 彼らは常に、穿った視線でクルードのことを見つめていた。


 しかし、その言葉は間違ったことを言っている訳では無い。

 事実として、クルードは六位に勝てずにいた。

 数ヶ月前に、不動の一位であった英雄が突然の病死。それに相次いで、実の兄であるエレガスが引退を発表。

 二名の欠員を出した七雄騎将を補充すべく、キャメロン王国上層部は審議の結果、二人の騎士を指名した。


 その一人が、クルードである。


「は? 自分が凡人だからって、天才を僻むなよ」

「あ? てめえだってこっち側だろうが。金魚のフンみてえに騒ぎ立ててるだけの癖によぉ」


 一触即発の空気が流れ、クラスの緊張感が一気に高まっていく。

 いつ剣を抜いて喧嘩が始まってもおかしくない、そんな空気の中で。


「まぁまぁ落ち着けって!」


 クラスのお調子者である男は、間に立って口を開いた。


「変に騒ぎ立てるのは止めようぜ! クルードは凄い奴。その認識は、みんな変わらないだろ?」

「…………まぁ」

「…………それはそう」


 彼の言葉で、一気に緊張感は解けていく。

 皆一様に、信じていたのだ。

 クルードに対して批判的だった者たちも、心の底では羨ましがっていただけ。心の底では、クルードに対して憧れを抱いてもいた。


「ま、この前の試合は調子が悪かっただけだって! 実際、めちゃくちゃ惜しかったしな!」


 そう言って、こちらに向かって笑いかける男。


「あ、あぁ。そうだな」


 俺は頷きながら、微かに微笑んだ。

 だが、本当にそうだろうか?


 以前、六位の奴と剣を交えた時に感じた、とある違和感。

 実力的に、そこまで離れているとは感じなかった。

 だが、何故だろう。

 明確に違う、何か。その異物感が、ずっと脳裏から離れない。


「俺たちは信じてるから! 今度の御前試合も頑張れよ!」

「うんうん、応援してるよ!」

「頑張って!」


 口々に温かい言葉をかけてくれるクラスメイト。

 そうだな、きっと気のせいだ。俺には、こんなに期待してくれる友がいる。

 大丈夫。俺はもう、何も怖くない。


「おう、任せとけ!」


 俺は明るく笑い飛ばし、拳を天高く突きあげた。



「ふむ、君が噂のクルード君か。よろしく!」


 そして迎えた、御前試合当日。

 俺の目の前に立っているのは、柔和な笑みを携えながら新緑色の髪の毛を靡かせる好青年。

 聞けばこの男、最近騎士団の間で台頭してきた、新進気鋭の天才と言われているらしい。

 名を確か――――


「僕はウィンリー。今日はお手柔らかに頼むよ」


 ウィンリーと名乗った男は、こちらに向かって手を差し出した。

 キャメロン王国において、騎士団は数多く存在する。

 その一つに、学院卒業生ではなく各地から人員を募集する傭兵まがいの騎士団が一つ。

 それが、ウィンリーの所属する騎士団であった。


「こちらこそ、よろしく。いい勝負にしよう」


 俺は差し出された手を掴み、握手を交わす。

 そして、交錯する視線。その奥に宿る、仄暗い感情。

 俺は思わず、反射的に目を逸らしてしまう。

 なんだ、こいつは。


「それでは両者、指定の位置へ!」


 言葉にできない不安感を抱きながら、俺は審判の言葉に従い指定の位置に着いた。

 大丈夫、きっと気のせいだ。

 俺は剣の柄に手を伸ばし、ゆっくりと引き抜いていく。

 いつも通り、しっくりくる心地よい感覚。よし、問題無し。


「キャメロン王国の名代のもとに、御前試合を執り行う」

「聖キャバリス学院2年、クルードの名のもとに。御前試合を受諾する」

「キャメロン王立騎士団、ウィンリーの名のもとに。御前試合を受諾します」

「今ここに、両者の決闘受諾を聞き入れた。貴殿らはこの闘いに何を望む?」


 宣誓を終えた俺たちは、同時に口を開いた。


「騎士の名誉を」


 その言葉に審判は頷き、ゆっくりと手を挙げていく。


「己の誇りを守らんとする若き騎士よ。今ここに――――賽は投げられた(アーレアヤクタエスト)


 そして、舞台の幕は切って落とされた。



 御前試合では、相手を斬り殺さないために両者が持つ剣の刃は押し潰される決まりとなっている。

 だが、どんなに手を施そうとも鉄の鈍器であることに変わりはない。

 当たれば怪我は必須の凶器が振り回されていく。


 試合は順調に進んでいった。

 空中で火花を散らしながら、俺とウィンリーの刃が交錯する。

 手に伝わる感触から、相手の確かな力量を感じる。

 このウィンリーという男、やはり只者では無い。


「流石は英雄クルード君。思ったよりやるね」

「あ?」


 突然、ウィンリーがポツリと呟いた。

 審判にも聞こえない、俺にしか聞こえない声でウィンリーは世辞を述べる。

 しかし、その言葉は何処かこちらを見下しているようで。俺は少しの苛立ちを覚えながら口を開く。


「試合中にお喋りなんて、随分と余裕じゃねえ……かッ!」


 ウィンリーの刃を弾きながら、ウィンリーの首元めがけ剣を振るう。

 刃は風を斬り裂き、僅かな距離を残して避けられる。

 まだだ。


「フッ!」


 すぐさま剣を切り返し、ウィンリーの隙を狙い攻勢を仕掛ける。

 脇腹、手首、頭部。

 骨を砕く覚悟で振るった一撃は、どれもウィンリーに届かない。

 だが、あと少し。あと少しで剣が届く。


「ふむ、まぁこんなものか」


 その時。

 ウィンリーが放った一言は、俺の想像を超えるものであった。


「さぁ、そろそろお遊びは終わりにしよう。本気でかかってきたまえ」

「……………………は?」


 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

 お遊び? 本気?

 こいつは一体、何を言っているんだ。


 さっきから俺は、全力を出しているというのに。


「…………何を、言っているんだ」

「何って、そろそろお互い本気を出そうという話さ」


 俺はこの時、始めて人を理解出来なくなった。

 同じ言語を話しているはずなのに、まるで話が通じない。

 目の前の人間が、同じ人種とは思えなかったんだ。


「僕はね、次期七雄騎将として期待されているんだ。王立騎士団の中から七雄騎将を輩出する名誉を、この僕が承ったのさ。だからこんなところで足踏みしている訳にはいかない。さぁ――――ここからが本番だ!」


 瞬間、ウィンリーの剣が視界から消えた。それとほぼ同時に、横腹に強い衝撃を受ける。

 

「ゴッ!?」


 あまりの衝撃に身体は吹っ飛び、ゴロゴロと転がり土に塗れていく。

 何が、起きた。

 激しい痛みが身体を襲っている。

 まさか、俺は今斬られたのか?


「おいおい、何してるんだ。早く立ち上がってくれよ」


 俺の戸惑いを察することなく、ウィンリーは剣を振り下ろす。

 咄嗟に飛び起きた俺は、慌てて剣で受け止めようとする。

 しかし。


 剣の軌道が、滑らかに動きを変えていく。

 ゆっくりと動く時の流れの中で、俺は限界まで目を見開いた。

 まるで、剣が自分の意志で避けているような。

 芸術的なまでの剣技の冴えを、俺は瞬きもせず見惚れていた。


「ガッ!?」


 そして、その刃が俺の頭部を強烈に叩いた。

 チカチカと爆ぜる視界。

 次いで感じる鈍い痛みと共に、意識が飛びそうになる。


「……何をしているんだ?」


 膝をつく俺の頭上で、冷めきったウィンリーの声が降り注ぐ。

 その言葉には、微かな戸惑いが込められていた。

 ウィンリーは少し考え込むように首を傾げた後、とんでもないものを見たかのように目を見開いた。


「…………まさか、それで全力なのか?」


 それは予想外と言う他にない、驚きの表情。

 信じられないとばかりに口を抑えたウィンリーの口元が、ニヤリと嗤う。


「おいおい、嘘だろ? これが英雄?」


 そして現れる、悪魔のような本性。

 瞳の奥底で燻ぶっていた悪意の芽が、今花開いた。


「やっぱ所詮は、兄のコネか」

「……な、に?」

「おかしいと思ったんだ。この僕を差し置いて、誰が七雄騎将に選ばれたかと思えば……、こんな凡愚だとはねぇ」

「ぼん、ぐ…………?」

「あぁ、そうさ!」


 そう言って、ウィンリーはつま先で俺の腹に蹴りを入れる。

 

「アグッ!?」

「駄目じゃないか。凡人が、天才のフリをしてちゃあ!」

「ゴほッ!?」

「お前みたいな、冴えないボンクラはさぁ!」

「ガッ」

「一生、地面で這いつくばってろよ!」


 何度も何度も、執拗に腹を蹴り飛ばすウィンリー。

 息が詰まり、呼吸が思うようにできない。

 苦しい。

 こんな、こんな騎士がいるのか。俺が憧れる騎士とは、一体何なんだ。


「あぁ、こんな調子じゃあ期待外れかな」


 自問自答を繰り返す脳内に、冷ややかな声が浴びせられる。


「君の兄エレガスもとんだ愚か者だよ。所詮は、英雄の責務から逃げた臆病者、か」


 その声が、鼓膜に届いたその瞬間。


「て、めぇぇぇぇェェェェェェッ!」


 視界の全てが、真っ赤に染まる。

 兄を侮辱された怒りが脳内を支配し、俺は無意識に剣を振るう。

 意志も込められていない、無秩序な一撃。決して危機になるはずが無いのに。


「くッ!?」


 その時、ウィンリーが初めて焦りの表情を浮かべた。

 慌てて剣を引き戻し、刃でしっかりと受け止める。

 しかし十分に構え切れていなかったのか、僅かに剣先がウィンリーの頬を掠める。


 小さく流れる鮮血を、ウィンリーは指で拭う。

 そして。


「この、凡愚が…………ッ!」


 屈辱に、顔を歪めた。


 そこから先は、目も当てられぬ一方的な惨劇であった。

 もはや闘いとは呼べない程に、完膚なきまでに嬲られていく。身体中が痛みを覚え、限界を訴えている。

 薄れゆく意識の中で、それでも俺は耐え続けていた。

 ここで諦めれば、何かが壊れてしまうような気がしたから。


「さて」


 だが。目の前にいる男は、そんな俺を許さなかった。

 ウィンリーは尊大に両手を広げ、コロッセオにいる観客全員に聞こえるように口を開く。


「おお。これが英雄? 七雄騎将? 否、お前はただの凡人! 本来ならここに立つ資格すらない、偽者だッ!」


 何をしようとしているのか、理解できなかった。

 俺を貶めて、一体何が起きるのか。

 そんな俺の疑問に答えることも無く、ウィンリーは高らかに、そして無慈悲に告げる。


「残念だ。君には、圧倒的な輝きが足りない。クルード君。君は――――七雄騎将に相応しくない」



「勝者、ウィンリー!」


 降り注ぐ大観衆の歓声を浴びながら、俺は静かに地面を見つめた。

 砂ぼこりに塗れた身体と、擦り切れた手のひらを眺める。

 そうか、俺は負けたのか。


 傷だらけの身体を何とか動かしながら、俺はゆっくりと立ち上がる。

 応援してくれたクラスメイトたちには、随分と見苦しい姿を見せてしまったな。

 申し訳ない気持ちになりながら、俺は揺れる視界を観衆の方へ向けた。


「…………………………え?」


 そして、彼らの表情を見た。

 あれだけ応援してくれると、期待していると言ってくれたクラスメイトたちは。


「ふざ、けんなよ」


 失望に、顔を歪めていた。


「この学院の恥さらしが!」


 これは、悪夢だ。


「引っ込め偽物!」

「何が英雄だ! お前なんかがその舞台に上がる資格は無い!」


 何かの間違いだ。

 きっとそうに違いない。

 だって、あんなに俺のことを信じてくれたじゃないか。

 俺は、みんなの期待に応えるために、今まで必死に身を削りながら努力をしてきたんだ。


「失せろ!」

「消えろ!」


 視界が揺れる。

 呼吸が、徐々に荒くなる。

 手先が痺れ、震えが止まらない。

 なんだ。これは一体、何なんだ?


 その時。

 最後まで優しい言葉をかけてくれた、あのクラスのお調子者である彼と目が合った。

 そうだ、彼ならきっとこの混乱を鎮めてくれる。

 縋るように見つめる俺の視線の先で、彼はゆっくりと口を開く。


鍍金メッキだらけの凡人のくせに、俺たちを騙したな!」


 自分は天才であると、誰もが一度は錯覚する。


 ふとした瞬間、他人よりも優れていると感じた時。

 人は自らを天才と思い込み、才能に酔いしれる。

 そして、その鍍金メッキに塗りたくられた自尊心を満たすために、人は無謀にも高みを目指す。


 非情な現実が待っているとも知らずに。


 幾度の敗北を味わった。

 幻想はちりと化し、いつか夢は覚める。

 お前は天才では無いと、目の前の現実がその事実を突きつけた。

 嗚呼、そうか。


 俺は、天才じゃない。

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