第26話 信頼という名の重責
どれくらい眠っていたのだろう。
目を覚まして、ふと窓の外を眺める。
すっかり日は沈み、暗闇が部屋中を覆い隠していた。
まだ、頭が痛む。
否、頭だけじゃない。
身体中が、心が悲鳴を上げている。
夢を見た。
最悪の光景が、未だ脳裏にこびりついている。
嗚呼、そうだ。思い出した。
思い出してしまった。
「ク、ハハハ」
乾いた笑いがこみ上げる。
おかしいな。なんだか楽しくなってきた。
「ハハハハハハハハハハッ!」
傑作だ。
とんだ笑い話じゃないか。
現実を正しく認識できなかった哀れな少年が、醜く足掻き続けている。
こんな茶番、面白すぎて死んでしまいそうだ。
「ハハハハッハハハハハハっハハハハハハハッ!」
もういいじゃないか。
剣も握れない凡人に、英雄たる資格は無い。
このまま学院を辞めて、普通の人間に戻ろう。
そうだ、それがいい。
叶わない夢を見続けるくらいなら、折り合いをつけて諦めるしかない。
それか、いっそのこと死んでしまった方が――――
コンコン
「おーい、生きてるか?」
ドアを叩く軽快な音に、粗野な声が鼓膜を貫く。
聞き覚えのある男の声に、俺はおもむろに立ち上がりドアノブに手を伸ばした。
「お、よかった。まだ生きてたか」
「…………何の用だ?」
「先生が生徒の様子を見に来ちゃダメか? ガッハッハ!」
そう言って、ガレッソは豪快に笑った。
こんな夜更けに教師が生徒の寮を尋ねるなんて、そもそもが非常識だろう。
そう言おうとして、止めた。
今はもう、そんなことに構っている暇はない。
「悪いけど忙しいんだ。頼むから帰って――――」
「御前試合に、七雄騎将クルードが参戦。学院は今、その話題で持ちきりだぜ」
ガレッソが語った内容に、呼吸が止まる。
「昨年の屈辱を晴らすことが出来るのか。学院だけじゃねえ、試合を見に来れない国民の間でも注目が集まってるらしいな」
「な、にを」
「さて、どうなることやら。下馬評では、お前の勝ち目はかなり薄いと思われてるそうだ。まぁ俺としては、大穴狙いで助かる――――」
「何を言いにきたッ!?」
感情が爆発する。
喉を掠れさせながら、俺は怒りに身を任せて口を開く。
「もう俺なんてほっといてくれよッ! 俺のことを嘲笑いに来たならそう言えッ! 俺は、俺はもう二度と、夢を見ないから。身の程知らずの哀れな男は、潔く身を引くからさ。だから、ほっといてくれよ……」
そうだ。
本当は怖かった。
誰かに期待されて、その信頼を裏切ってしまうことが。
だから規範を破り、誰からも見向きされないところまで堕ちようと思った。
そうすれば、もう誰も俺に期待しない。
もう二度と、誰かの失望する表情を見なくて済む。
「……酷い顔だな」
顔を伏せる俺の頭上から、ガレッソの声が鼓膜を震わせる。
そのいつもと違う声色に、俺はゆっくりと顔を上げた。
「自惚れてんじゃねえぞ」
そして、ガレッソの険しい表情を見た。
嗚呼、そうか。やっぱりこの人も同じだったのか。
俺はまた、一人の信頼を失ったのだ。
「ハハ…………、ごめ――――」
「お前がどこまで偉くなろうが、お前は普通の人間だ。英雄だから我慢しなきゃいけないとか、一人で夢を諦めれば丸く収まるとか、どこまで自分を過大評価してんだ?」
俺の謝罪を無理やり遮り、ガレッソは静かに語り始めた。
「お前はほんっとに誰かに頼ることを知らねえクソガキだな、ルー坊。そういう自尊心とかかなぐり捨てて、甘えてこいよ。縋れよ。助けを求めろよ。お前は周りの人間全員を敵だと思ってんのか?」
「ガレ、ソ……」
「大体な、お前が落ちぶれて無くなるような信頼なんてクソの役にも立ちやしねえ。ウ●コ以下だ。そんな奴らの戯言に、耳を貸してんじゃねえ。そういうもんは紙に丸めてトイレに流しちまえ」
ガレッソの言葉は、一見すれば罵倒のように聞こえるものばかり。
しかしその内容はどこか温かく、厳しくも優しい言葉に溢れていた。
口が悪いのも、今は何故だか心地良い。
「本当の仲間から向けられる信頼の重みってのはな、意外と気持ちがいいもんだぜ?」
「信頼の、重み」
「おう」
そんなこと、感じたことも無かった。
俺にとって信頼とは、いつか必ず裏切ってしまうものだから。
期待されることに怯えてしまった今の俺には、その気持ちよさなど到底理解出来ない。
「どうだ? 俺から向けられる期待は? 気持ちがいいだろ?」
「……意味わかんねえよ」
「ガッハッハ! まぁそのうち分かるようになるさ」
そう言って、ガレッソは再び豪快に笑った。
この人はいつも、何を考えているかわからない。
粗野な一面を見せたかと思えば、その実誰よりも鋭い言葉をかけてきたりする。
相反する特性を併せ持つガレッソは、まさに俺の理解の及ばない人種そのものであった。
「ほんじゃ、俺は帰るわ」
「……は?」
俺が心の中でそんな風に考えていると、ガレッソは唐突に帰宅の意志を見せる。
その身勝手さに、俺は思わず呆れた声を漏らした。
なんなんだ、この男。
「ま、来れるようになったら学校に来いよ。俺はいつまでも待ってるからな。あ、その分宿題は溜まる一方だけどな!」
ガハハッと笑い飛ばしながら、ガレッソは踵を返す。
そして。
「あぁ、そうそう」
最後に、ガレッソは小さく呟いた。
「お前のことを信頼してる奴は、俺だけじゃねえと思うぞ」
例えば、意外な奴とかな。そう言って、ガレッソは今度こそ立ち去っていく。
嵐のような男の背中を見つめながら、俺はその言葉の意味を考える。
しかし。
誰が信頼できるのか、今の俺には分かるはずも無かった。




