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第12話 先輩と後輩

「どいつもこいつも、まじめに授業受けてて楽しいもんかねぇ」


 群青色の空が眩しく輝く昼下がり。

 ベッドで横になりながら、俺はポツリと愚痴をこぼす。

 真っ白なシーツを太陽が照らし、温かな心地よさに目を細める。

 そんな最高の時間を邪魔するように、堅苦しい女性の言葉が飛び込んできた。


「アンタみたいな不良と違って、普通の生徒は授業を受けるもんよ」

「……俺のこと言える筋合いねぇだろ。こんなとこで本読んでるだけの癖に」

「あら、アタシは良いの。非常勤講師なんて暇をつぶしてなんぼのもんよ」


 ぱらりとページをめくる音が室内に響き渡る。

 口うるさいこの女性こそ、俺が授業をサボる時に使っている保健室の番人。

 ボサボサの茶髪に眼鏡をかけた姿は、まさにインテリといった様相であった。

 常に白衣を身にまとっており、もはやその恰好がトレードマークとなっている。

 というか、白衣を着ている時以外は見たことが無い。


「小難しい本を読んで、インテリぶるのはやめろよな~」

「うっ、さい!」

「痛ッ!?」


 女性が投げてきた本が頭にぶつかる。しかも、一番堅い角の部分。

 思わず痛みに声を漏らし、頭をさすりながら女性を睨みつける。

 この女、絶対本を大事に扱うタイプじゃねえ。

 

「いてて…………ん? これ、キャメロン王国の歴史本じゃん。何、エマ先こういうのに興味あるの?」

「エルマーナ先生! ……別に興味なんてないわ。ただ、時期的に新入生はこういうのを習う時期だろうなって思っただけよ」


 そう言いながら物憂げな表情を浮かべる女性、エルマーナ。

 こういう顔をする時は、決まって何か考えている時だ。

 それなりに長い付き合いで、俺もこの人の特性を少しずつ理解していた。


「なんか考え事してるんだろ?」

「だとしてもアンタには言わないけどね」

「どうせ兄貴から聞くからいいよ」

「なんでアタシがエレガスに相談する前提なのよ……!?」


 とか言いながら、どうせ兄貴に相談する癖に。

 微かに頬を赤らめるエルマーナを眺め、その慌てっぷりに笑みを浮かべる。


「……何笑ってんの」

「べっつに~」

「腹立つわね、アンタら兄弟はいっつも!」


 そう。

 この人は、俺たち兄弟と縁のある女性であった。

 縁があるというのも、俺より兄貴の方が付き合いは長いのだが。

 その関係もあって昔から接しているおかげか、今は姉のように感じている。

 絶対に本人には言わないけど。


「学生時代も、エマ先は兄貴に色々からかわれてたんだろうなぁ」

「そればっかりは否定できないわ……。アイツは先輩に対する敬い方を知らないのよ」

「先輩らしくないからじゃね?」

「アンタねぇッ! …………ていうか、そうよ」


 頭を抑えながら困った表情を浮かべていたエルマーナ。

 その表情が、徐々に変化を遂げていく。

 怒りから、笑いへと。

 それも人を小馬鹿にするような、いやらしい笑みを浮かべていった。


「アンタ、担当の後輩ちゃんへの対応に苦労してるらしいじゃない?」

「は!? なんでエマ先がそのことを……」

「色々と評判よぉ? 入学式をサボり、初日から揉め事を起こす問題コンビ。先輩として敬われてないのはどっちかしら~?」


 オホホと口に手を当て、エルマーナはどこぞのお嬢様のような高笑いを響かせる。

 こ・の・ア・マ!


「はんっ、そっちだって似たようなことやってるじゃねえか! 今なお語り継がれる、おとぎ話の一幕!」

「ちょ、それは――――」

「優しき英雄は、愛する女性を守るために鬼と化す。英雄が悪漢共をなぎ倒し、その腕に抱きしめられた女性は、茶色い髪の毛で紅潮した顔を隠し――――」

「いやぁぁぁぁぁあッ! やめてぇぇぇぇぇぇッ!」


 エルマーナは顔を真っ赤に染め、奇声を上げながら表情を手で覆う。

 そしてボサボサの茶髪で顔面を隠そうとする。

 この仕草、やっぱ昔からあったんだな。


「はっはっは、勝った」

「…………覚えときなさいよ。アンタだって七雄騎将の一人なんだから、そのうち逸話として語り継がれることになるんだからね」


 エルマーナは神の隙間から瞳をのぞかせ、悔し紛れに言葉を放った。

 それに対し、俺は少しキザったらしく言葉を吐き捨て、自虐的な笑みを浮かべる。


「俺? いやいや、俺は無いだろ。()()()()()()で、他の奴らに地位を奪われて終幕ジ・エンドさ」


 自分で言っておきながら、胸の奥がズキリと痛む。

 そうだ。

 どうせ、俺の短い英雄人生は幕を下ろすことになる。

 だったら初めから、期待など持たない方が良い。


 だが、目の前の女性はそうは思わなかったらしい。


「…………アンタだって、努力してるじゃない」

「努力すれば奴らに勝てるって? 世の中そんなに甘く無いのは、エマ先が良く知ってんだろ?」


 慰めにかけられたエルマーナの言葉を、俺は無情に振り払う。

 そしてベッドからゆっくりと腰を上げ、先程投げつけられた本をエルマーナに返す。

 何も言い返せなくなったのか、エルマーナはただ無言でその本を受け取った。


「ま、その心遣いだけでも嬉しいよ。エマ先、ありがとな。いつも保健室貸してくれて」

「……クルード。私は、アンタにだって輝く何かがあると思ってる。普通の人間が、努力だけでその地位にいられること自体、どれだけ凄いことか――――」

「俺はさ、もう疲れたんだよ」


 エルマーナの言葉を遮り、小さく呟いた。

 粘着質の感情が、塊となって口から溢れ出る。

 嗚呼、良くない。

 良くないことだって、分かってるのに。


「つい最近、また一人の天才と出会っちまった。俺には無い輝きを持つ奴を見るたびに、心の中がこう、グツグツ煮えたぎるんだよ。こんな感情、英雄らしく無いだろ?」


 今の俺は、一体どんな表情をしているのだろうか。

 ハッと我に返り、恥ずかしさに顔を伏せる。

 そして保健室から出ていこうと扉に手をかけた、その時。


 背中から、悲痛な声が鼓膜を震わせた。


「……英雄らしさとか、才能とか、そんなもんで自分を見失うなよ。アタシはわかる。同じ、圧倒的な天才を後輩に持つ者同士だからな。それでも――――アンタはアンタだ」


 エルマーナの表情は、振り返れば見ることが出来るだろう。

 それでも、俺は。


「……………………ごめん」


 震える声色を振り絞り、俺は保健室から飛び出した。

 今はもう、何も考えたくない。

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