91: EP5-14 取引の代償
あー、またルルに借りが増えるなぁ...
まぁいいか、これぐらいじゃルルも大事にはしないはずだ。
西暦3020年9月11日、協定宇宙時01:00
木星近傍、木星近傍コロニー002
独立遊撃艦隊セイバー拠点、高級将校棟
結局のところ、神は気まぐれなのだろう
──Side: 三人称視点
深夜──
CAUに属するコロニーやステーションはESFと同じく24時間法を使っているのは最早言うまでもなく、それ故に午前1時と言われれば、それは間違いなく深夜だろう
ウィルクス──ステラにとって、睡眠は必須のものではない
しかし、例え神と言えど、人の形をしているのならば、それはしたほうがいいという話ではある
そして、今日のウィルクスはというと、一人ベッドの上、何をするでもなく横になり、部屋の天井を見つめていた
日々CAU海軍、あるいはセイバーの情報部から上がってくる報告を確認してはいるものの、大局に大きな変化がない今、艦隊長という役職が表立って動く必要のある事件もそうはないというもの
なおかつ、今のウィルクスの真顔とも言える表情からその感情を読み取ることはできない
ふと、ウィルクスが身体を起こし、無言で立ち上がる
表情を変えぬまま、ベッド横のテーブルに置いていたコップを覗き込む
見ると、横になる前に飲み残したレモンティーの表面に波紋が起きていた
──特に揺れも起きていないというのに
直後、ウィルクスは背を向けていた部屋の入口を勢いよく振り返る
「...シオンハート...いや、アビサルハート、か。」
いつも見慣れた人影の、その瞳の青さを認め、そう呟く
どういうわけか、前に会った時の直視できないほどの威圧感は感じない
「まぁ起きてるのは気づいてたが...」
そう言ってアビサルハートは苦笑する
「──ちょっと気が早いかもしれないが、貸しを取り立てようかと思ってな。」
「...」
ウィルクスが身構える
深海の神が何を考えているのか、見定めようとし、纏う雰囲気を変える
「あぁ、そう身構えるなって... ちょっとばかし教えてほしいことがあってな。 ウィルクス...あーいや、ステラ、どっちでもいい、答えてもらうぞ。」
「...余程じゃなければなんでも。」
渋々、といった具合にステラが答える
それを確認したアビサルハートが口を開く
「スノーから聞いたんだが... お前、何やら隠し事をしてるらしいな。 どうにも...ヒトには見せたくないようだが?」
ステラはアビサルハートの問いの意味を考える
スノーという名前を前に、1つの可能性がよぎる
しかし、それ故に逆に困惑していた
取引の対価が、その隠し事を明かすことでいいのだろうか? と
てっきり深海の神の要求というものだから、もっと壮大というか、大きなことだろうとステラはずっと考えていたのだ
「まぁその、なんだ。 命に係わるだとかそういうレベルの話だってんなら私も無理には聞かないでおくが。」
「...スノーからはなんと?」
自分の思い過ごしではないか、とステラが問う
「『私は別にかわいいと思うんだけどなぁ。』だそうだ。」
ステラが確信する
「はぁ。 やっぱりそれね。」
「反応を見るにアタリってとこらしいな。 それで? スノーからは『見せてもらってきなよ、私も行くからさ。』と聞いてるが、何を見せてくれるんだ?」
確かに隠し事ではあるが、それで取引の対価にしてもらえるのだというのなら安いものだとステラが割り切る
アビサルハートの瞬き1つの次の瞬間、ステラはそれを明らかにする
「...ほぅ? なるほどな、ステラ。」
アビサルハートがそう漏らす
その視線はステラの頭の上、そして背中のほうへと順に向けられていた
そこには人の形をしているものならば、到底存在し得ないはずのものがあった
アビサルハートの視線の先には──
彼女の特徴的なブロンドの髪、その上に、『耳』があった
そして彼女の背中、正確には尾てい骨のあたりから、いつの間にか服に空いていたスリットを通ってすらりと伸びる細長い──『尻尾』があった
どちらも、彼女のそのブロンドの髪と同じ色をした、スラリとした毛並みだ
「そっちが真の姿、ってヤツか。」
「そうね、アビサルハート。 普段は隠してるけど。」
「だろうな、ヒトに見られたら色んな意味で騒ぎになるだろ。」
本物だと知られれば生物学者や医者、とにかくありとあらゆる関連しそうな学者に詰め寄られかねないし、本物だと思われなくても、艦隊長ともあろう人物が一体何の目的でそんな恰好を、となるところだろう
というより、ほぼほぼ後者になるだろう
ふとアビサルハートがステラに近づき、その耳へと手を伸ばす
「...これは...ネコか?」
「そうね、一番近しいのはそうかも。」
アビサルハートの手がその猫耳の外側を撫でまわす
ステラは何かを言いたそうにしてはいるが、とりあえず言わないでおくことにしたようだ
「うーん、サラサラだな。 悪くない手触りだ...」
「これでも一応気にしてるから。 手入れだって欠かしてないの。」
「嫌いじゃない。」
アビサルハートがそう言いつつ、猫耳を撫でまわしている右手とは逆の手をステラの背中に回そうとする
尻尾を触りかけたそこでふと手を止める
「...あー。 ネコって尻尾の付け根は触らないほうがいいんだったか? 何でだかは忘れたが。」
「あまり気にしないでもいいけど... 一応お願いするわ。」
「分かった。」
そう短く返したアビサルハートは尻尾のなるべく中間あたりを触る
「こっちも手入れしてるってわけか?」
「もちろん。」
「だろうな、サラサラだ。 なるほど、ヒトがちょくちょく毛皮というものを好む理由が何か分かった気がしないでもない。」
微妙に的外れな感想が漏れる
そこでふとステラが何かを思い出したような顔をする
「...あれ、そういえばさっき『私も行く』って...」
「やほ、来たよ。」
いつも通りのノースリーブの迷彩服を着た少女──スノー・シトラスがいつの間にか部屋にいた
「...見てたわね?」
「そりゃもちろん。 こういう機会でもないと直接はお目にかかれなさそうだったからね。 ルルに頼んだんだ。」
「ルル?」
「ん? あ、そうかそうか。 アビサルハートに、ね。 それはそうと、私にも触らせてくれるかな? ネコは私も好きなんだ。」
ステラが同意、あるいは否定を口にするよりも先に、スノーの手が伸びる
「お、これはこれは...」
「ちょ、ちょっと...」
スノーの手がステラの尻尾に伸びる
強すぎない程度に少しぎゅっ、と握り、引っ張ってみたり、元に戻したり...
「...スノー、お前がそういう雰囲気になるのはかなり珍しいよな...」
アビサルハートがぼやく
「ん?」
短くそう漏らしたスノーがアビサルハートのほうを振り返りつつ、ステラの尻尾の付け根に手を伸ばす
「うにゃっ...」
「うにゃ?」
アビサルハートがステラの奇妙な声に反応する
「...思ったよりネコなんだな。」
「...にゃー...」
ステラはあえてわざとらしく、そう抗議するかのように少々不満げな表情と共に鳴いてみせる
「思ったよりかわいい。 私はそういうの卑怯だと思うよ、ステラ。」
「思ったより、ってどういうこと、スノー?」
「いや、いつもの凛々しいウィルクスからは想像もできないね、って。 誉めてるんだよ。」
そう言うスノーの表情は明らかにからかっているのが分かるものであり、また非常に楽し気だ
「...あーあ、そうだねぇ、せっかくならあの子...ええと、ルイナにも見せてあげれたらどんなに良かっただろうね、ステラ?」
「あの子は...ただの人間だから。」
「そうやって自分を律せる君の事は素直に尊敬してるよ。 私は別に、君達ぐらい親密な関係ならそれぐらいは構わないと思ってるけど。」
「それはそれ、これはこれ。 でしょう、スノー。」
真っすぐな瞳でスノーを見つめ、言い切るステラ
「うん。 だから私は君が嫌いじゃないんだ。 さて──一通り楽しませてもらったよ。 ありがとう、ステラ。」
今の会話の間も耳や尻尾を触り続けていたスノーだったが、その言葉と同時に、その言葉通りに手を放す
「はぁ、どういたしまして。 ...それで...アビサルハート、本当にこれでいいの?」
「あぁ。 いつもならそんなことはないんだが、今回は気が向いた。」
「何だか君らしくないね、ルル。」
スノーがそう呟く
「...2人共、報告は読んだんだよな?」
「ん? あぁ、例の...ルイナ、だね?」
「えぇ、読んだけど... あの子があんな風に苦しんでいたなんて、私には気づけなかった。」
アビサルハートが表情を引き締める
「まぁ、何ていうんだろうな。 ...同情、とでもしておくか。 そういうことにしておいてくれ、ステラ。」
「別に無慈悲な神ってわけじゃないのね。」
「そんな印象だったのか?」
「え、違うのかい、ルル?」
「違うだろ、スノー... 一体もう何年付き合ってると思ってるんだ?」
「んー... 4桁から先はもう数えてないな。」
「だろ?」
アビサルハートが肩をすくめる
「...待って、スノー、貴女って...」
「気にしないこと。 人を辞めるのって簡単じゃないんだから。」
スノーがそう言って苦笑する
「それじゃね、2人共。 また。」
その直後、スノーの姿はどこにもなかった
「...相変わらず自由奔放なヤツだ。」
「全くそうね... アビサルハート。」
「ああ、全く、だ。 さて、用事も済んだことだ、私は帰るとしよう。」
「分かったわ。 ...ね、アビサルハート。」
振り向こうとしたアビサルハートをステラが止める
「ん?」
何事かと顔をステラに向けたアビサルハートに、彼女は言う
「..本当に.ありがとう、ルイナのこと。」
「──気にするな、星の神。」
直後、アビサルハートの姿は水に溶けるように消えていった
そして、ウィルクスはそれを見届けると再びベッドに横になり──
今日はよく眠れそうだ、とその目を閉じた




