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第三話・今日はありがとう

数限りなくある格言というものは、ある意味都合が良いからこそ長い時間をかけて人の口に登って来たのだと思うけれど、その分とても恣意的であったり独善的であったり、物事の一方からしか見ていなかったり、響きがいいだけで内容が伴っていなかったりする。


 その点、三つ子の魂百まで、という言葉は大したもので私だけではなく多くの人にぴったりと、反論の余地無く当て嵌まる。私が私の性格の悪さを自覚したのは小学生の低学年の頃だったけれど、私が私らしく性悪であったのは物心がついた年、三歳頃の事だったと記憶している。


 家族が嫌いで、出掛ける事も少なかった。親は私に沢山の習い事をさせた。私はそれらの習い事を一度もサボった事が無い。それどころか熱を出していても通った事があるくらい。それはそろばん塾やピアノ教室やスイミングスクールが好きだからという訳ではなく、ただ家にいたくなかったからで、学校でクラスの学級長や忙しい委員会などに進んで立候補したのも帰りの時間を合法的に遅らせる事が出来る。という理由からだった。


 性格の悪さを自覚。という言葉を使ったけれど、小学生の段階では自分の事を理解しただけで、本当の自分の性格が周囲には受け入れられ難いものであるという事についてまでは考えが至っていなかった。私は周囲よりも良い結果を取れる人間になりたかった。でありながら、足が遅かったり太っていたり成績が悪かったり運動が不得意であったりする人から羨ましいと言われる事が嫌いだった。


 こうして文章として羅列し見てみると、我ながら自分の人間性の醜悪さに嫌気がさすけれど、私にも言い分があるのだ。私は天才でもないのは勿論、秀才ですら無い。ただ性格的に何かこれをしなさいと言われた事を完璧にこなす、という作業が好きなだけ。学校教育における勉強というものが、その私の性格にぴったりと合っていた、という事。


 だから私は小学生の頃から自宅でしっかり予習復習をしていたし運動会の前になれば子供ながらに一人でトレーニングを積んだ。しっかりと努力をして来たのだから、羨ましいとか初瀬倉さんは最初から出来る子とか言って来る人に対しての怒りが収まらなかった。私も幼かったのだ。


 「何も頑張っていなかったのによく泣けるわね」

 小学生の頃の運動会で、泣いている同級生の女の子にそう言った事がある。嫌みでなく、本当に疑問に思っての一言だった。その子は徒競走で最下位、私は一位。


 昼食の後にあった徒競走の為に、私はあまり多く食べず、午前中の種目もなるべく体力を節約して、前日には徒競走で走るコースを自分で走ってみて、どう走ったら良いのかというチェックをしていた。彼女は自分の足よりも大きな運動靴のまま走っていた。


 私は女の子本人からではなく、周囲の子達から責められた。泣いている女の子と、その周囲の女子から靴が悪かったし、ご飯の後で全力を出せなかったという事を言われ、私はどうして靴を変えなかったのか、予め徒競走がある事を知っていたのにどうしてお腹いっぱい食べてしまったのか、という質問をした。


 「ごめんなさい、本当に頭が悪かったのね」

 それならばしょうがないと、そう謝った次の日から私はクラスの女子から無視されるようになり、先生に呼び出され、結果が出ない人の気持ちも分かる人になろう。と言われた。


 先生、あの子達は結果がでない訳じゃなくて、出すつもりがないんです。それなのに自分の前に出された結果に不満を言います。

 私の言葉は先生には届かなかった。小学校で私が学んだ事は、馬鹿に馬鹿と言ってしまうと嫌われる。だ。


 中学生になって、人に嫌われないように心がけるようになった。正しさというのは内容ではなくて多数決で決まるものだと、クラスメイトから無いものとして扱われている間に理解出来たから。当たり障りの無い事を言って、努力もせず、結果だけほしがっているような人にはノートを見せたり一夜漬けで覚えられるものを教えたりもした。水泳部の女子よりもクロールのタイムが良かったり、書道部の女子を差し置いて習字のコンクールで金賞を貰った時には嫉妬を避ける為に昔から習っているからとか、たまたま出来が良かったとか、それなりに相手が納得出来そうな理由を考えた。私は全力を出して、彼女達はそうではなかったのだと分かってはいたけれど、彼女達のプライドをこれ以上傷つけては危ないと、口をつぐめるようになったことこそが私の小学校生活の財産。


 綱渡りのように、足を踏み外さないように間違えないようにと丁寧に過ごして来た中学校だったけれど、足を踏み外し、そして転落するのは一瞬だった。

 二年生の終わりに、クラスメイトの一人が卒業する先輩に告白をするという話をされた。野球部で背の高い、人気のある先輩だった。


 「振られるから、止めておいた方が良いと思うけれど」


 私はそう答えた。理由は二つで、一つめは彼女が太っていて立ち居振る舞いも不自然で女子の私から見てすら可愛いとは思えなかったから。そしてもう一つは私がその人に告白されたばかりだったから。人がそんなにすぐに心変わりをするとは思えない。したとしても、私の後が彼女とはもっと思えない。


 私の忠告虚しく、彼女は先輩に告白して振られた。その際に先輩はなぜか私の事を好きで、告白した事があるという事も伝えてしまったようで、暫くしてその子とその友人達に問いつめられた。


 どうして告白された事を黙っていたのか。どうして、告白された事を言わなければならなかったのかと言い返すと、次にぶつけられた言葉は意味のある言葉ではなく酷い、とか最低、という罵倒の言葉だった。告白して振られた女の子が可哀想とは思わないのかと問いつめられて、可哀想と思ったから止めたと答えた。回りの皆が興奮してきて、初瀬倉さんは私達の事を馬鹿にしていると言われ、それまでの話が無かったかのように唐突に私に対しての非難が広まった。


 「馬鹿にはしていないわ、元々貴女達に興味が無いのだから。そもそも私の視界に入っていないのよ、貴女達は」

 一時間程、魔女裁判のように私が悪者と決まっている話を続けられて、最後に私が切れた。


 「貴女達が勝手に私の事を見上げるのは自由だけれど、私がそんな下らない事を考えていると妄想するのは止めて。見下されていると思ってしまうのなら、何か一つだけでも良いから私に勝てば良いじゃない。貴女達が二年間私に媚びるみたいに近づいて来ていたのは、私と対立すると自分がどれだけ駄目なのかが分かってしまうからでしょう? 私は、それでも貴女達は勉強や運動よりも大切なものがあって、その為に頑張っている人達だと思っていたけれど、違うみたいね」


 それから、四対一の、女五人が放課後の教室で取っ組み合うという、見た目にも当人としても気味の悪い光景が五分程続いた。


 「才能がなくて努力もしていないくせに良い結果だけを求めているなら、貴女達全員死んだらいいのよ」


 四人全員を張り倒して、鞄を担ぎ教室を出る時、そう捨て台詞を吐いた。


 翌日から四人のうち二人は学校を休んだ。虐められるのが嫌だった私は彼女達が体制を立て直すよりも先にグループを作り、学校に来ている二人を手早く虐めて学校に来られなくした。そうしなければ自分が同じ事をされる事が分かっていた。だからしょうがないことなのだと、良心を納得させる理由を作っていたのに、自分でも嫌になるくらいに、私の良心はそよりとも傷まなかった。


 それからの一年間、私はクラス委員で女子のリーダー、教師受けも良い優等生として過ごし高校へ進学する。小学生の頃はいじめられ、中学生になっていじめる側になり、高校一年生、二年生の頃は敵を作らず味方を増やして平穏に過ごした。私は成長していったけれど、私の中身は物心ついた日のまま何も変わってはいなかった。


だからこそ本間君に言った人は変わらないという発言。成長すれば、私は私の本質を人から見抜かれずに済む。馬鹿にしていると思われる事もなく、嫉妬も浴びず、心地良い距離を保ったままでそれなりの友達ごっこをして卒業出来る筈。誰も私の事を理解してくれないのなら私も、誰かに自分を見せるような真似はしない。私の本心を知れば、本当の私を知れば、誰もが私の事を嫌いになる。私ですら私の事を嫌いなのだから。嫌われる事は嫌い。わざわざ敵を作るのは面倒臭い。味方にしておけば何かの役に立つかもしれない。回りが望む初瀬倉陽子で良いのなら、私はいくらでも演じられる。私は誰にも私を見せたりはしない。そう考えていた高校二年生の頃。




 本間君がクラス委員になって最初の大仕事だった体育祭が終わり、中間試験も終わってからの私の放課後は、文化祭実行委員の仕事に費やされるようになった。中間試験で成績を伸ばし勉強の楽しさに目覚めたという本間君は三日に一度くらいの割合で放課後教室にやって来た。殆ど毎日教室に残って仕事をしている私に勉強を教わる為に。


 本間君が平出花ちゃんを連れて教室にやって来たのは中間試験の結果が帰って来て、廊下に張られた成績順位がそろそろ剥がされようという頃のこと。


 「初瀬倉さんだったんだ」


 教室の中で会うのは久しぶりな花ちゃんは私を見るなりにそう言った。私は本間君から幼なじみの中間試験が散々だったから、一緒に教えてくれないかと言われていた。私は一人教えるのも二人教えるのも変わらないからと了承し、そして連れて来られたのが花ちゃんだった。


 「ああ、そういえば本間君が花、って言っていたわね」


 私はそう呟き、納得した。彼女だったら小学生からの同級生で高校まで同じ学校に通っている人がいれば自然に幼なじみになってしまうだろう。

 花ちゃんと知り合ったのは一年生の時、入学してすぐ。クラス分けで彼女が私の後ろの席だった。


 「平出、ひらいで、って読むの難しいでしょ? 花でいいよ」


 人懐っこくて、人に警戒心を抱かせない。当時今よりも人に対して壁を作っていて、その壁を見透かされたくなかった私はいつも通りに笑い、よろしく花ちゃんと言った。それからの一年間、席替えで席が離れたり近くなったり、話をしたりしなかったりという関係が続いた。私は所謂女子のグループには所属していなくて、全ての女子と平等な距離を保って生活していた。女子ならば分かると思うけれどこれはかなり難しい事で、大概はグループの一員として所属してしまうと別の場所へ行ってはいけない、というような暗黙の了解が出来上がってしまう。女子の嫉妬深さというものは同性にも働くようで、裏切り者として認知されてしまったら村八分になるまでに必要とされる時間は短い。


 中学生になるまでにそれらについての学習経験を済ませていた私としてはそうなるのも嫌だったし、そうするのも嫌だった。だから高校生になったら誰かと仲良くなる事はあっても、どこかに所属するような事は止めようと思っていた。一年間、誰とも親友にならず誰とでも友達になる。そんな事を考えていた高校一年生女子。可愛くないなあと思う。


 花ちゃんもまた、私と同じようにどのグループにも所属していなかった。けれど私と同じような事を考えていたのかといえばそれは違う。私の場合はクラス全員と一定の距離を保とうとしていたのだけれど花ちゃんの場合は逆にクラスメイト全員との距離をなくそうとしているように見えた。私は計算ずく、彼女は完全天然だった。


 私と花ちゃん。それと更に男子と話をしている方が多い子や他クラスにいる部活の友人と仲が良い子など、そのクラスには中々個性の強い生徒が揃っていたように思う。そもそもクラスメイトとしての意識が強くない学級であった為、一年生の頃は女子特有のグループ分けが曖昧なままで、私としては助かった。

 私に対しても当然距離を詰めて来ようとする花ちゃん。それなりの距離を保って仲の良い友達を演じようとしていた私。一年生の頃は私に軍配が上がり、学年が変わるまで私達の距離は一定だった。


 二年生になってクラスが離れ、それも一組と八組になった私達は校舎の中で会う事も少なくなったのだけれど、それが再び頻繁に会う中になるのはこの日からだった。


 「初瀬倉さんは凄いねぇ」


 その時の中間試験で学年二位の成績を取った私に、花ちゃんは朗らかに笑って言った。単純に褒めてくれているのは分かったのだけれど、彼女の褒め方というのは何となく、母親が子供を褒めているような言い方になる。嫌いな言い方ではなかったけれど毎回気にはなっていた。というか、嫌み無くそんなことを言える花ちゃんに多少の嫉妬を覚えていた。


 二人が私と同じだけの時間自宅で勉強をしていたら見え方は変わって来ると思うけれどね。などと捻くれた本心は笑顔でもみ消す。頼ってくるのなら振り払うような真似はしない。なるべく敵は作らず味方をコレクションしておくのが私のやり方。


 「初瀬倉さんは頑張ってるから出来るんだよ」

 「そだね、私も頑張らないとね」

 だからその時、二人が何気なく交わした会話に、私の気持ちが少し揺れた。


 「頑張っているだなんて久しぶりに言われたわね」


 動揺から、思った事をそのまま口に出してしまった。何事も始めから出来ると思われていて、結果が良くて当然と思われていたその頃は何かを成し遂げても達成感とは無縁で、結果を褒められても過程を褒められる事はなかった。


 「そうかな、僕の中で初瀬倉さんは努力家っていうイメージだけど」

 「私も〜」

 「……そう」


 何と答えるべきかよくわからないまま答えて、そのまま勉強を再開した。二人にとってその時の会話は特に意味があったのではなく、長引かせる程重要なものでもなかったようでそれからその話を蒸し返されるような事は無かった。それくらい、当然の事として話をしたようだった。


 「今日はありがとう」


 その日の帰り際に私がお礼を言った意味を、二人は分かっていない。分かるように言わなかったから当然で、ありがとうを言うのはこっちだよ、と二人から笑われた。そうね、間違えちゃったわと答え、帰った。


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