第二話・まあ、何とか
昨日の夜間違えてアップしてしまったものをもう一度アップしています。
すみません、毎日朝七時更新だと思って下さい。
『まあ、何とかやってみるよ』
彼、本間君が口にした言葉で、私が最初に覚えたものは、その一言。高校二年生の夏休み明けの事だった。
当時同じクラスだった私と本間君。私は毎年そうしているようにクラス委員になり、男子のクラス委員は本間君ではない男の子がやっていた。私がそうであるように、彼もまた、小学生の頃から毎年クラス委員やっているような子供だった。だから、私はこの一年間は仕事が楽そうだと考えていた。口には勿論出していないけれど、相手の男の子もそう考えている節は伺えた。
その男の子が夏休みの間に転校していた。親の事情とだけ私達は知らされ、詳しい事は何も分からないまま、ただ現実だけをポンと目の前に置かれた。
私は、それなりに仲良くやって来た彼が挨拶もしないままにいなくなってしまった事にそれなりのショックは受けていたものの、それよりもこれからのクラス委員はどうなるのだろうと事務的な事をより強く考えていた。
担任の教師もそこには気が付いていたらしく、要領を得ない転校の説明を一通り終えると新しい男子のクラス委員を決めると言い出した。当然の事だけれど誰も立候補する人はいなかった。
暫く沈黙が続き、それから私は、残り半年間しかないのだから私が一人でやりますと提案した。脚を引っ張られるのは嫌だし、状況がどう変わるのか分からなくなるくらいなら悪い状況だとしてもこのまま続けた方が私としてはやり易い。
そんな時に手を上げたのが本間君だった。
その日まで、私にとって本間君は男子の中の中心人物でありながら女子とは一線を引いて接している、そんな印象の男の子だった。その隣でお前が出来るのかよ、と不安そうにしていた高ノ宮君に向かって先程の言葉を言い、そして私に、僕じゃ出来ないかな? と聞いて来た。
「そんな事はないと思うけれど、これからの時期大変よ」
大概の場合、学校の行事の中で大きな催しは秋から冬にある。体育祭はもう目前で、その後には文化祭、二年生の私達には修学旅行も控えていた。
それでも本間君は頷いて、その日から半年間、私達はクラス委員として全体の半分以上の日を放課後のクラスで過ごすことになる。
「大変な役目を引き受けちゃったわね」
本間君がクラス委員になった次の日には早くも体育祭、文化祭、修学旅行の仕事が始まった。体育祭は出場者を決めてまとめ、提出するくらいだったけれど、文化祭はクラスでの出し物を決め、同じ出し物をするクラスがあった場合の為、具体的なプランを考え、必要な道具、人数、経費を割り出し提出。修学旅行は全ての班の自由行動時間での予定を提出させて、内容が曖昧な班はやり直させる。文化祭実行委員も務めていた私の二学期は、中途半端な部活動をやっている生徒よりもよっぽど忙しかったと思う。
「僕が引き受けなかったら初瀬倉さんがもっと大変でしょ?」
ホームルームで決定した出場者の表を纏める作業の途中にした質問に、本間君はそう答えた。
「ありがとう。でも私は慣れているから大丈夫」
その頃、まだまだ猫を被って気を使っていた私はそんな風に笑顔でお礼を言ったと思う。実際にどう言ったのかまでは覚えていないけれど私の性格からしてきっとそう。内心ではコイツももしかして私の事好きなのかな、面倒臭い。とうんざりしていた。自意識過剰と思われてしょうがないことだけれど、その頃私は頻繁に異性に告白されていた。よく知らない人からの時は、どうして私とまともに話した事もないくせに告白を受け入れてくれる可能性があると思ったのか神経を疑ったし、ある程度顔見知りの場合は社交辞令で向けた笑顔の意味も理解出来ないのかと溜息を吐いた。私がいないところで、じゃあ勘違いするような事するんじゃねえ。というような事を言っている人がいることも知っていた。そんな事を言っている男子も、それをわざわざ私のところに伝えに来る女子も嫌いだった。
「いや、ご免嘘かな、聞こえの良い事を言った」
「え?」
私は女子の分のまとめを終わらせ、本間君の作業を待ちつつ、文化祭についての仕事を進めていた。その作業の途中で、不意にそんな事を言われて手が止まった。その前の会話が終わって既に十分以上が経過していた。
「変わりたいと、自分を変えたいと思ったんだ」
恥ずかしそうに言って、それから私がどうして変えたいの? と質問するよりも先に素早く紙を突き出した。終わったよ、と一言。それで、一旦作業を終わらせ職員室に向かった。
「初仕事が終わったわね、お疲れ様」
職員室へと向かう間、私達の間に会話はなく、提出した書類が認められ職員室を退室した直後、私からそう言った。
「そうだね、時間がかかっちゃったけど」
「そんな事ないわよ、頑張っていたわ」
そんな事あったけれど、相手の為ではなく自分に悪印象を持たれない為の優しい言葉をかけた。
「変えたいって、どういうところを?」
どうせ半年間、私は脚を引っ張られ続けるのだからせめて興味をひかれた話くらいは聞かせてもらう権利もあるだろうと、先程逸らされた話を蒸し返した。
「えー、っと、まあ、自分の嫌なところを」
「嫌なところ? 本間君は良い人でしょう?」
嘘ではなかった。本間君を嫌い、と言っている人を私は見た事がなかったし、積極的に好きだという人も知っていた。男子の中でも、中心人物になっている高ノ宮君と中が良く、それでいてクラスの端にいるような地味な男の子達とも分け隔てなく話している姿は同じクラスであれば皆見た事がある。単にお人好しで、誰に対しても害がない、というだけではあったけれど。
「良い人っていうか、お人好しで臆病なんだよ」
あら、自分でも分かっているのね。と、私はとても失礼な感想を抱きつつ、表面上はそんな事、と否定した。けれど、本間君本人は思っていた以上に自分の事を客観的、かつ正確に理解していた。
「昔から、女の子と話をするのは苦手で避けてきたし、こういう、面倒臭いって言われる仕事からも逃げて来て、あんまり格好良くないなと、このままじゃあ良くないなと、そう思ったので何か今までにしてこなかった事をしようと、そう思った」
ふうん、と、聞き流しながらほんの少しだけ思うところもあった。同世代の男の子から、ほんの少しでも自分の悩みや後悔めいたものを聞いたのは、その時が初めてだったから。彼のようないつも笑っている男子は悩みなど成績が悪いとか、好きな子が出来たとか、お金が無いとか、そういった類いのものだと勝手に思っていた私としては、本間君が未熟ながらも自分の内面を見詰めて行動を起こした。というのは新鮮な驚きだった。もっと有体に言ってしまえば、見直した。
「じゃあ、私と一緒に仕事をするのは女の子と話す事が出来るようになる為の第一歩、私は練習台って事になるわね」
わざと意地悪なことを言ってみた。私は本間君の前を歩いていて、彼の顔は見えなかったし向こうも私の背中しか見えなかったと思うけれど、慌てている様子は伝わって来た。
「そんなつもりじゃないんだけど、ご免」
「人はそんな簡単に変わったりしないわよ」
謝る本間君に、知ったような言葉を返した。
「女の子と上手に話せないのも、事務仕事が遅いのも、それを変えようとするから大変なのよ。元々持っているものを変えるだなんて、たかがクラス委員になった程度の事で変えようだなんて、そんなの甘いとは思わない?」
返事がなかった。足音は続いていたので付いて来ている事は分かったけれど、行きとは違う意味での沈黙が続き、そのまま階段を登り、教室の前へ。
「そうだね、初瀬倉さんの言う通りだ」
「大丈夫よ」
扉を開けて、教室に入った。私達が出た時と同じように並べられた机。教室の端にある机が向かい合わせにされていて、そこに私達の荷物があった。
「本間君は、男の子とは楽しくお話し出来るし、距離を取ったりしないのだから、その範囲を広げれば良いのよ、一人くらいいない? 何でも気兼ねなく話せる女の子とか」
首を捻られた。その時の顔が思い出せないけれど、きっと戸惑ったような表情だったと思う。
「女の子として意識していない幼なじみとか、家族でもいいのよ」
「小学校の頃からの同級生とか、妹とか母親はいるけど、それじゃあ」
「それで良いわ、小学校の頃からの幼なじみなんてそうじゃない人からしたら女の子以外の何者でもないのだから、彼女と話が出来るのなら、その友達とでも良いし、妹さんの同級生でも、話せる筈よ」
「でもそれはあくまで花、幼なじみの友達とか、妹の同級生だからで」
「そこから慣らしていければいいじゃない。女の子には変わりないわよ。極端に言えば、学校の女の子全員とその、花ちゃんっていう幼なじみの娘と同じように話せるようになったら良いんでしょ?」
そうかな、そうかもな、と良くわかっていない本間君。もう少し理解し易いように言い方を変える事にした。
「今の本間君を変えるのは大変だけれど、今の本間君を成長させるのはそれほど難しくはないわ。喋れない自分を変えるのではなくて喋れる自分を伸ばして行きましょう」
「はい」
「仕事もよ、今日の仕事では私が一人でやった方が速いくらいだもの」
「ごめんなさい」
「でも、丁寧な仕事だったからミスは無かったわね」
「よかった」
「本間君はそういう人だから、これを変えるのではなく、丁寧なまま少しずつ作業出来る量を増やして行きましょう」
「分かりました」
そこまで言ったところで耐えられなくなって笑った。本間君も笑って、暫く二人で笑いあった。
「初瀬倉さんは良い人だね」
「今の会話で良い人って思うだなんて、変わっているのね」
あなたの方が余程良い人だわ。と言いながら、何となく分かったのは、彼は良い人であるとか、変わった人であるとかではなく、素直な人なのだということ。それは、ちっとも素直ではなくて、自分が思った事と言っている事、感情と表情がいつも違う私としては羨ましくもあり、彼の事が不安になりもした。
「あとほかに、今の自分への不満はあるかしら?」
「成績を伸ばしたいな」
「分かりました。じゃあ暫く放課後は勉強の時間ね。その日の授業で分からなかったところを、何が分からなかったのか纏めて私のところに持って来なさい」
「そこまでしてもらうのは申し訳ないよ」
「心配しないでも良いわ」
表情筋だけで作った人工的な笑みを浮かべて私は本間君の肩を叩いた。
「ただで教えてあげる程お人好しじゃないから。代わりに文化祭実行委員の仕事も手伝ってもらうわ。勿論、クラス委員の仕事も私の脚を引っ張らない程度までスキルを上げてもらうわよ。暫くの間教室を出られるのは七時過ぎになるわね、覚悟しておきなさい」
嫌だったら今嫌だと言ってくれたら無理にとは言わないわ。そう言って本間君を正面から見た。宜しくお願いします。と頭を下げられて、頷いた。鞄を取って帰る事にした。この時私は、仕事が嫌になって来なくなるかもしれないとも思っていたし、いつまでこの素直なお人好しが続くかしらと、ある意味面白いおもちゃを見付けたような気持ちにもなっていた。結果だけ見たら、最後には私が助けられるようになって、彼無しでは学校なんて行く意味も無い、と思うようになってしまうのだから、私の負けだったのだけれど。とにかくこの日、私は彼に興味を持った。




