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ともあれ、これで石鹸作りは一通り終わった。後はあれが冷えて固まっていれば大成功、そうでなければ条件を変えて再実験するだけである。今回は廃油を固形化させるのがメインの実験なので洗浄力は二の次だ。
さて、この時点で早くもいくつか問題点が見えてきた。やはり知識だけでなく、実際にやってみると色々と見えてくるものがあるので実践は大事。
まず一番に思ったのは、『時間かかり過ぎ』。
灰から灰汁を採取するのに、最低三日かかるというのは大問題だろう。これでは大量生産するのは難しい。もっと効率的に、そして短時間で灰汁を、もしくは灰汁の代わりになるものを採集できるようにしなくては。
だがこの問題は、早くも解決策が見えている。
ヒントになったのは、庭師のガードナーの言葉である。
灰汁を抜いた出がらしの灰を彼に渡した時、『スカスカだから卵の殻や芋の皮を混ぜ込んで寝かせる』と言った。つまり、抜けた養分は後から足せるのだ。
それと同じことを、灰汁でもできないだろうか。
石鹸作りに必要な成分は肥料とほぼ同じなのだから、彼の言う通りカルシウムやカリウムをメインに補充してやればいいだろう。
しかも卵の殻や芋の皮は、コロッケを作る時にゴミとして出るものだ。これを利用しない手はない。
うまくすれば、灰に頼らずアルカリ溶液を採取できるようになるかもしれない。そうすれば大幅に時間短縮になる。
後は大量生産する時に、一度に鍋を複数使うとか巨大な鍋を使うなどすればいいだろう。
これで灰汁の問題は解決。
次の問題は『灰汁を掬うのに神経を使う』。
これも解決策はある――というか、知っている。
わたしの現代知識では、灰汁を煮出した後は目の細かい布で濾すのだ。こうすれば、わざわざ神経をすり減らして掬い取るよりずっとか早いし何より楽だ。
問題は、この世界に現代の濾し布やさらし布に匹敵するような目の細かい布が存在するかどうかだ。今回使わなかったのはそのせいである。
灰の粒子は細かいので、わたしが今着ている服のような目の粗い布では素通りしてしまうだろう。木綿、いや贅沢を言えば絹くらいの目の細かさが欲しい。
絹か……。そういえばシャーロットのドレスにも絹がふんだんに使われていたので、この世界にもシルクかそれに近い品質の布は存在するのだろう。ただ間違いなく高価だろうから、この件は保留。
おお、早くも二つも問題点が浮き彫りになり、しかも解決策が出ている。これは非常に幸先が良い。
好調なスタートに気を良くしたわたしは、ご機嫌な昼食を終えると再び厨房を訪れた。洗い物をしているドゥーイに声をかける。
「こんにちはドゥーイさん」
「こんにちはエミーさん。石鹸の様子を見に来たのですか」
「はい。お邪魔してよろしいですか」
「どうぞどうぞ」
ドゥーイは前掛けで両手を拭うと、今朝石鹸を流し込んだバットがある場所まで案内してくれた。
「さて、もう冷えたかな?」
見れば、バットの中に茶色の煮凝りのようなものができている。指で触ると天ぷら油を固めて捨てる薬剤を使用した後のような感触がした。わかりやすく言うと、乾いた羊羹やういろうかな。現代の石鹸と比べると何とも頼りない。
「硬いっちゃ硬いけど、予想より固まらなかったな……」
やはり苛性ソーダを使わないときっちり固まらないのかな。まあアルカリ溶液の濃度をもっと上げると固まるのかもしれない。要再検討だ。
さて、後はこれをバットから出して小さくカットすれば石鹸の完成だ。ついでに洗い物で洗浄力のテストもしてしまおう。
ではまず石鹸をバットから取り出そう。だが寸胴一杯分の石鹸を移したバットは、見た目よりかなり重い。ここは素直に男性の力を借りることにする。
「ドゥーイさん、石鹸を入れ物から出してください」
「わかりました」
ドゥーイがよっこらせとバットを持ち上げ、台の上で裏返す。予定ではここでぼとっとバットから石鹸が落ちるはずなのだが、一向に落ちない。
「あれ? この、この……ずいぶんと手ごわいですね」
バットを揺さぶってみるが、石鹸はびくともしない。がっちりと貼り付いて、落ちる気配すら見せない。
「あ、これってもしかして……」
やってしまった。
ケーキを作る時、材料を型に流し込む前にクッキングシートを敷かないと今みたいに型から剥がれず困ることになる。無理やり剥がすとボロボロになり、形が崩れて台無しになるのでレシピにも必ず注意書きがされている工程だ。
今回も、バットに直接石鹸を流し込んだことによって、石鹸がバットに貼り付いて固まってしまったのだ。
ということは、次から型に石鹸を流し込む時は、型から剥がしやすいように予め布か紙を敷いておかなければならないということがわかった。
これは経験則じゃなくても、ちょっと考えればわかることだったな……。まあ致命的な失敗じゃないので助かったが、この手の予想可能な失敗はしないに越したことはないので以後気をつけよう。
「ドゥーイさん、出すのは諦めて、先に小さく切ってしまいましょう」
「その方が良さそうですね」
ドゥーイは包丁を持ってくると、石鹸に刃を入れて切り始める。元々そう硬くはなかったからか、それとも包丁かドゥーイの腕が良いのか、石鹸はサクサクと切り分けられていった。
次回更新は活動報告にて告知します。




