隠された選択肢
宮は唸りながらに突進を。その迫力はたまげたものだが、火龍との体格差は歴然である。押し倒すのは物理的にも不可能に近い。しかしそんな質量差をもってしても、宮の踏み込みと気迫は尋常ではなく、首に掴みかかる宮を前に、火龍は大きく体のバランスを崩すことに。倒されまいと踏ん張る火龍だが、その間にも宮は、強靭なる腕力をもって頸部を強く締め付ける。
バーサーカーに戦略はない。考えなしに、ただただ相手に向かうのみ。だが、宮の行動は結果的には最適だった。頸部の死角に潜り込むことで、火龍の武器となるブレスや牙が届かない。長き首には両腕も届かず、つまり火龍は直接的に、宮に攻撃する手段を持たないのだ。
「は、離れろ!」
ここまでの動向を眺めた後に、マルスはようやく指示を出した。そこに意図がある訳ではなく、それほどまでに団員も我王も、そしてマルスも。宮の変化にただ茫然とし、理解が追い付いていなかったのだ。
「いいか、こうなったらやるしかねぇ。宮の暴走にはたまげたが、さすがに火龍に勝てるとは思えねぇ。俺達はできる範囲で宮の補助をする、分かったな」
「あ、ああ……」
「わ、分かったよぉ」
「うむ……」
各々の返事を確認し、頷くマルス。次にマルスは女性陣へと視線を移す。
「ヒカリはユリアを連れて、できる限りで距離を取れ。正直二人を守れる自信はねぇ、いればむしろ足手纏いだ。そうはなりたくねぇだろう」
「は、はいっ」
マルスの命の下、ユリアはヒカリの肩に手を回し、直ちにその場を離れていく。無力といえる二人の逃走、しかし他の生物に襲われる危険性は皆無だ。一帯の動物は皆、火竜の存在に怯え震え、既に遥か彼方に逃げはじめている。
「とはいってもだ、俺らにできることも多くはない。なぜなら宮は味方ではねぇ、同士討ちする魔物同士だと思え。宮の意識がこちらに向けば、襲われる順番は俺達からになるということを忘れるなよ」
変貌した宮は、目に映る者に襲い掛かるだけの戦闘狂と化している。最悪、宮の命は犠牲になっても仕方がない。そう考えるマルスであるが、しかし我王は――
「俺は、宮を守ると約束した。いざとなれば、俺は宮を守りに場に出るぞ」
「ち……」
それは許さんと、そう言いたげなマルスだが、言ったところで意味はない。いざ窮地が訪れれば、結局我王は忠告を無視して我が身を呈する、そういうタイプの人間だから。マルスにできることは、そうならないように全力をもって補助すること。
「ないとは思うが、宮の圧勝というケースもいただけねぇ。バーサーカーが何を条件に鎮まるかは分からねぇからな。恐らく闘争本能の鎮火か戦闘不能、どちらにせよ相応のダメージを負う必要はありそうだ」
マルスの予測通り、バーサーカーはその二つをもって終焉を迎える。逆を言えば、それが為されるまでは決して暴れることを止めはしない。
宮の侵攻に荒れる火龍。危険だが、つまりちゃんとダメージを受けているということ。宮の力はハズレだが、単純な闘争はSスキルに匹敵する。それはミラノアの言う、異世界で生きることのできる強さに相当する。更にその強さはゴーレム程度に敗れた転生者達の、Sスキルを持て余すような類のものではない。Sスキル本来の強さを引き出した、それに匹敵する強さだということ。宮の腕力は火龍の気道を圧迫し、満足のいく呼吸を妨害するに至っている。
「くそ、暴れすぎて重力波の範囲が絞れねぇ。宮ごと巻き込むことになっちまう」
下手に宮は攻撃できない。それは火龍との戦力としての意味合いもあるが、同時に宮を敵に回さない為の配慮でもある。力の使いどころに悩むマルスだが、そんなマルスを余所に、我王は一人、陽を仰ぐ。
「いや、それよりもだマルス。一つ、思い付いた作戦がある。マルスの重力は、そのことの為に使って欲しい」
「…………我王?」
龍とは、長き時を生きる知的生命体。他の生物に比べ知能は高く、かつ学習できる時間も長い。攻撃の届かぬことを理解した火龍は、自身の体を地面に叩きつけることを選び出す。地面を利用し、自傷ともいえる行動を自らの意志で選択する。それは他の生物にはできそうで、しかし中々できないこと。
一つ大きく羽ばたく火龍は、首をのけぞらせ、まるでプロレスのボディプレスのように、自らの頸部を宮の体ごと、強く地面に叩きつけた。その衝撃は宮を頸部から離れさせることに成功するが、しかしダメージには至らない。むしろヴォルテージは向上し、闘争本能に身を任せる宮の体を、更に屈強に変化させる。
もはや面影すらなくした鬼の形相、そして宮は休むことなく、再び火龍に飛び掛かる。しかし火龍は学習しており、接近に合わせて後退を、更に一跳ね宙を舞う。奴を近づけてはならないと、そう判断した火龍は高度を保ちながらに――
頬まで裂ける口は大きく開く。立ち昇るは高温のガスで、それが発火器官で引火すれば、宮に目掛けて、灼熱のブレスを吐き出した。
「グゥオオオオオオ!」
仮に目を瞑ってしまえば、どちらが敵かも分からぬほどのけたたましい呻き声。超高音のブレスを前に、宮の体は瞬く間に焼かれていく。
「み、宮ぉおおお!」
我王の足は一歩前へ、しかしそこで踏ん張った。業火に焼かれる宮だが、しかし同時に再生もしている。瞬時に体を巨大化させる身体構造、それは同時に体の修復にも使えるということ。
震える我王はぎりぎりと、歯を食いしばりながらに、宮の生命力に望みを懸ける。そして我王も手をこまねいているだけではない。ワイバーンの時と同じく、火龍の翼に硬質化を付与する。火龍をしても、飛び慣れた翼の異変には対応できない。バランスを崩し、地面に落ちる火龍の巨体。そして宮は――
燃え盛る火炎の中から飛び出すと、半焼のままに火龍へと立ち向かう。皮膚は焼かれ、剥き出しの拳で、ひたすらに火龍の胴を殴りつける。その一発一発が、まるで鉄球クレーンの如き衝撃と轟音。拳からは血飛沫を上げながらに、しかし威力は増していく一方。
破壊と再生を繰り返しながら、鱗を砕き、肉にめり込み、宮は火龍にダメージを与えることに成功していた。火龍の歩行は速くなく、そして我王に飛翔も封じられた。退くことも、自身を巻き込むブレスを吐くこともできない。なんだ、火龍って、言う割に大したことないじゃないかって、端から見ればそう思ってしまうかもしれない。
しかし、純粋な闘争力で言えば魔人にも匹敵すると、火龍をそう紹介したはずだ。魔人は何故、そこまで強いのか。火龍の持つフィジカル故の強さか? 人とは比べ物にならない、圧倒的な体格差からか? いや違う、魔人の体躯は人と比べて大差ない。では何故ゴーレムやワイバーンでは敵わず、しかし火龍は魔人に匹敵するのか。その答えは――
「な、なんだ……あれは……火龍の前に現れた、輝く光の円陣は……」
「俺も数える程しか見たことはねぇ、だが一度見たら忘れない。あれが、スキルをもってして人類が魔人に敵わない最大の理由――――魔法だ」
火龍の胴と、殴る宮の境の領域。そこに現る、光で描かれる魔法陣。
「逃げろッ! 宮!」
悲痛な我王の叫びだが、荒れ狂う宮の耳には届かない。痺れを切らし場を飛び出すが、そんな我王の後ろ手を、マルスは反射的に捕まえた。
「馬鹿が! 行ってどうなる!」
「離せ!」
「離すか! てめぇで言った作戦を、てめぇで台無しにするつもりか!」
「くっ――」
マルスの言は正論で、瞬間我王は躊躇った。しかしそれを差し引いても、宮の命を犠牲にすることなどできない。振り解こうと力を込めるが、抗う我王のその横を、過ぎ去る影が目の端に映る。その影を追い振り返れば――
膨れ上がる脚部は、硬い山岳の地面を蹴り上げて、凄まじい速さで宮へと向かう。自身に危険が及ぼうが、宮が負ければ全滅の可能性が、そう判断したその男は、自身の命を顧みずに、宮の下へと駆け出したのだ。
「バ……」
「バンデッド!」
その影はバンデッド。筋肉操作で脚部を強化し、その健脚をもってして、バンデッドは宮を救いに走り出した。それを見た我王は理解する、自身のやるべき行いを。
「バンデッド! 俊敏を掛けるぞ!」
その掛け声と共に、我王はバンデッドの走りを加速させる。魔物と同様、合図もなしに俊敏を付与されては、速さの変化に対応できずにバランスを崩しかねない。だから我王は掛け声を、そしてバンデッドは我王と共にした鍛錬で、俊敏の効果を理解している。
そして目先一丈足らず、踏み込むバンデッド。宮の体を突き飛ばす為、魔法の射線から外す為、その身を宙に浮かせたのだ。魔方陣からは、既に電流の如きスパークが迸る。もう間もなく、魔法は射出されてしまう。息を吞む一同、できることは祈るだけ。魔法の発動より早く辿り着けるように。宮も、そしてバンデッドも。両者無事であることを、ただただ神に祈るのみ。
そしてバンデッドの掌が、宮の体に触れたその時。遂に、火龍の描く魔方陣から、高温の熱線が発射された。
「宮ぉおおおおおお!!!」
我王は叫んだ。居ても立っても居られずに、堪え切れず咆哮した。目が眩むほどの熱線は、山岳の一部を消し飛ばし、熱は岩をも溶解する。巻き上がる土埃、そして光線故に眩む視界。バンデッドが宮に触れていたのは確かだが、しかしその後は――
彼らに残るのは四つの結果。一つは二人とも無事、これが最善。二つ目と三つめは、片側だけが生き残る。悪いが、限りなく最悪に近いが、それでも一番ではない。では最も悪い事態はというと、二人共に巻き込まれること。それが最悪の事態。
視界の悪さという点は、放った火龍も例外ではなく、宮の気配を探らんと長い首を見回している。当然、我王達の存在には既に気付いてはいるものの、目下、火龍の警戒は暴れる宮の存在で、目の端に映る我王達などまるで意に介していない様子だ。
そうして、次第に収まる土煙。そこに見えた人影とは――
「み、宮! バンデッド!」
熱線を外れ、命からがら地面に転がる二人の姿が目に映る。宮とバンデッドの無事に、我王の目には彼らしからぬ涙が浮かぶ。マルスも声を上げこそしなかったが、思わず安堵の息が漏れ出した。
「まじで、死んだかと思ったよぉ。遠目からでも輝く禿げ頭が眩しいぜぇ」
そう、冗談を口にするシャルも、視界は涙に滲んでいる。頭を過った四択の内、最善の選択肢が選ばれる。それは奇跡であり、神への祈りが通じたのだと、この場の誰しもがそう思っていた、思ってしまった。
しかし――
彼らの願った神、それに当たる存在は――――ミラノア。
血も涙もない無慈悲な神、そんなミラノアに祈りを捧げてしまった。彼らが信ずるべきものは、築き上げた力のみだったというのに。神が選んだ結末は、隠された五つ目の選択肢。それはある種、最悪の四択目すら超越する、最悪中の最悪な結末。マルスは安堵故に判断が遅れて、それに気付いた時には、既に手遅れだった。
「バンデッドォオオオ! そこを離れろぉおおお!!!」
我王とシャルの二人は、叫ぶマルスに意識が向いて、そこから再び見直すまでの、ほんの僅かな時の間――
握られるのは赤き塊。バンデッドの胸から生えるように、突き出す宮の凶腕が。血に染まる掌は、掴むそれの鼓動に合わせて、微かな脈動を繰り返していた。