心の痛み④
ヒクリ、ヒクリとしゃくりあげて、いつの間にか、涙は止まってた。
泣きすぎて疲れたのか、おばさんも呆然としてる。それから、ふっと我に返って、蹌踉とベッドに向かう。
かろうじて子供の胸が上下していることに、ほっとした。あの騒ぎの中、息をひきとっていたら、取り返しがつかない。
室内なのに、ふわりと、春風のようなあたたかさを感じて顔を上げる。
「あ、天使様」
不思議と驚きはなくて、むしろ穏やかな気持ちになるのは、見知った顔で、よい思い出しかないから。
ドレスコードがあるのか、ちゃんとこの世界にあった服装をしている。
「こ、この子は渡さないよっ」
きょろきょろと見えぬ敵を探して、母親は守るように子供に覆いかぶさる。
天使様は、ゆるゆると首を横に振っている。そこ、天井があるはずなのに。物理法則、完全に無視ですね。
「私を迎えにきてくださったのですか?」
ぎょっとしたワルサさんの手に力がこもる。いつの間にかつかまれてた腕が痛い。
「違いますよ」
前より、いくぶん元気に見える天使様。まわりの人たちに、その声は聞こえていないみたい。
「では?」
「あなたに、神々の言葉を伝えます」
やわらかかった眼差しが、急に力を帯びて、怖くなる。これ、絶対に逆らったらイカンやつだ。
『おおくの彷徨える魂を救いし乙女よ』
割れ鐘のようにやかましく、雷鳴のように苛烈に、大音声がこだまする。
枯れ木のような少年ですらも目を見開き、体を震わせ悲鳴を上げる。
ワルサさんは立ち尽くして、宙を凝視し、騎士たちは尻もちをつき、仰のいている。この神々しい姿、皆、見えてるのかな?
『いまこそその枷を外し、その子を、この地を、そしてこの世界を救うのだ』
言われていることに、正直、実感はない。病んだ子供をどうにかしようとさえ、この瞬間まで考えもしなかった。
はっきり言おう。目の前のことにいっぱいいっぱいで、自分の力を忘れてた。そこまで強力なものだなんて、夢にも思わない。
一人分の命だって重いよ。それが、この地域? 世界? 自信ないし、自分のことだけ考えたら、まだ隠しておきたい。
でも、きっと、それじゃダメなんだ。
『与えし力は、《回復》〈極み〉。さあ、行え』
命令だもんなぁ。
「はい、天使様」
厳しい瞳に映る自分を、瞼を閉じて隠す。自分たちの命令をきいて当たり前と思ってる存在って怖いわ。
私にすごそうな力をぽんと与える力を持っていて、なのに直に手を下さないのは、なんか制約でもあるパターン? めんどくさいなんて理由だったら、殴りたい。あっ。最近、私も脳筋になってきたみたいよ、クク先生。
とにかくやると決めたら、まずティアラを外さなきゃ。カランと、どっかに落ちる音。
力、力。いざ使おうとすると、どこにあるのかわからない。ちょっと風邪ひいたり、それを治したりするのとはわけが違う。
魔力は、息をする時いっしょに取り込んでるはずだけど、一度も感じたことがないしね。
でも、治そう。治さなきゃ、この子を。
思考の枝葉を落とせば、そうできることが素直にありがたい。こんな小さな子が苦しまなきゃならない道理はどこにもないんだから!
感謝しながら怒ったら、頭とお腹がほかほかしてきた。なんか、胸の奥も熱いような。
手足もしだいに熱を持つ。血管が、皮膚が、眼球まで膨張して破裂しそう。
突き出した手の先。人差し指の爪から、髪の毛ほどの力が、じわりと立ち上がる。これ、きっと、いまだっ!
「神の御力をもって、彼の者を癒せ。《回復》〈極み〉」
呪文はなんでもいいんだって教えてくれたのは、母国のおじいちゃま先生。ああ、こっそりとでも目を治してあげればよかった。私は、どこまでも自分勝手。
自分の心にしっくりくる言葉は、魔法の引き金。そして、暴走を防ぐ網にもなるらしい。
でも、でも、これはあまりに強烈すぎる。熱くもなく、冷たくもなく、心地よいあたたかさだけど、光があふれて何も見えない。
神様、天使様、これでいいんですか?
なんにも聞こえなかったけど、頭をそっと撫でられたような。
そうして、なにもわからなくなった。




