協定
「今更なことをおっしゃいますね。解っていて巻き込んだのでしょう」
口調は穏やかだが眼光鋭く、相手は断定してくる。
怒っているというわけではなく、冷静に私を見定めようとしているように感じる。
いや、そう信じなければこの威圧感を受け流せない。
「それでも、礼儀として直接謝るべきと思いまして」
決して好意的ではない相手ではあるが、こちらの態度を変えてはいけない。
この程度なら貴族の挨拶みたいなものだろう。たったこれだけで冷静さと落ち着きを失うようでは、話し相手にすらならないと思われてしまう。
より一層穏やかであるよう意識して、私は表情を強ばらせないようにしながら微笑んだ。
「殿下は面白いことをおっしゃる。何の打診もなく我が娘を未来の王妃にと決められたその口で、礼儀を語られますか」
「あの日、私はお祖父様に既に決められた婚約者候補がいました。強権派のダッカート侯爵の息女リリアンナ嬢です。しかし、同派閥から立て続けに王妃が召しあげられるのは好ましくない。その為集団見合いという形式の大々的な茶会を催し、私がそこでリリアンナ嬢を見初めた、という茶番を演じるように指示されていたのです」
ある程度の立場の者なら察せられる事情を敢えて説明することで、状況的にお互い切迫していたことを明確にし、私の非常識な行動にも意味があったのだと理解を求めようと思ったが。それで簡単に納得してくれるわけもなく。
「ええ、公の場で殿下が宣言する言葉には意味がありますからな。我々の耳にも、そのことは入っていましたよ」
意訳:だからどうした。
そう、あっさり突き放されてしまった。
ここは何がなんでも押しきらなければならないだろうか。
相手の目を見て意図を読もうと思ったが判るのは、目がひたすらに感情を表出させずに凪いでいることと、表情は微笑からピクリとも動かないことだけだった。
読めない。
自分の取っている方針がこれで正しいのか、全然判断出来ない。
お祖父様みたいに端から私を侮っていたなら、表情も読みやすいというのに。目の前の相手は少しもこちらを下に見てくる素振りがない。やりづらくて敵わない。
「あそこで私がお祖父様の思惑に乗ることは、あなたにとっても避けたい事態だったはずですが?」
「さて、そうでしょうかな。まだ他にもやりようはあったはずですが」
「8歳のロクに教育も受けていない子供に、どのレベルまでの工夫をお求めなのか。メンディエンズ公爵家の求める水準は大層お厳しい」
「今まで愚かを装って難から逃れておいでだったのに、いきなり本性を現し、なに食わぬ顔をして派閥間の均衡を崩しにかかっている殿下が、まさかそのようなことをおっしゃられるとは。思いもしませんでしたな」
まさか他の方法が思い付けなかったとは言わせないぞ、と言外に含んだ言い方だ。私が狡猾に周りを騙していたのだと信じて疑わない、もしくは、噂通りの癇癪持ちのワガママ王子か見定める為の、敢えてこちらを苛立たせるような物言いだった。
しかしあのオリシスティスへの一目惚れは突発的なことだったし、そもそも私は前世の知識を思い出すまで、自分の置かれている状況すら全く訳がわかっていなかったのだ。
自分に無関心な母親。
滅多に会えない父上。
時々来てはくれるが愛情もなく、優しい声音で窘めてくるだけのお祖父様。
能面みたいな表情で、淡々として仕事をこなす侍女達。
私のやることなすこと貶し、悪し様に言う教師達。
顔を合わせても全く親しくならない、同年代の学友達。
これみよがしに王太子の愚かさを嘆き、遠巻きに眺めながら噂話する貴族達。
自分を取り巻く環境が、どうしてこんなに人と遠いのか解らなかった。本能的に誰かに触れたいと思っても、それは私には許されないことなのだと実感していたから、口に出すことも出来なかった。
唯一カザランドだけは人間味のある対応をしてくれたが、それは彼が人がいいからというだけで、私のことを好きだとか特別と思ってくれてのことではない。仕事だから、私に構ってくれたのだ。
それでも彼をからかうのは楽しくて、毎日起こる嫌なことを相殺できるくらいには、私にとっての拠り所と言えた。
私はひたすら、自分のことで精一杯だった。
派閥や国のことなんて、噂で耳にしても何も思わなかった。それより誰かに、私に触れてほしかった。
手を繋ぐ親子が妬ましかった。
肩を叩きあう兵士達が羨ましかった。
笑いあって会話する貴族達が楽しそうだった。
私には何もなかった。私の周りには、誰も居なかった。誰でも良いから、傍に来てほしかった。
そればかりで頭が一杯な私が、機を狙って何かを装える筈もない。
彼の言うことは見当違いだ。
だけど、それを説明するわけにはいかない。向こうの話に乗って私が上手くあわせられなければ、交渉のテーブルにも着かせてはもらえないだろう。
優秀でもなんでもない、ただ庇護を求めるだけの子供なんてお荷物でしかない。
使うことも出来ない荷物なんて、誰が好き好んで運んでくれるというのか。
「私の能力を高く買っていただけているようで、光栄なことですね。しかし私は、あの場でオリシスティス嬢に会うことがなかったら、きっと今もお祖父様の言いなりでい続けることを、選択していたことでしょう。彼女に出逢ったから、私は初めて人生の目標を見出だしたのです」
少し気障ったらしく聞こえるかもしれないが、これは事実だ。
耳に心地よい言葉で下手に飾り立てても、相手の心には届かないのを知っている。
表面上気分よくさせるのは、関係をその場だけの一時で終える予定の相手だけだ。
長く良い関係を築きたいなら、自分の深い所にある本音も見せる必要がある。何より、整合性を考えた嘘をつかなくて良いから楽だ。
私の発言に意地悪く目を細め、正面の人物は大袈裟に驚くふりをした。
「おや、今は言いなりではないと?」
「なるべくその状況から脱したいと、足掻くことにしたのですよ」
「ほぅ。てっきり我が娘を取り込むことにより、正権派に対する抑止力にでもなさるおつもりなのかと思っていましたが」
「お祖父様にとっては、それも目的の1つでしょうね」
王太子の婚約者という立場は、危ういものだ。
どの派閥からも命を狙われる理由も揃っている。万が一不慮の事故に遭う確率が跳ね上がるし、政治の世界にいきなり孤立無援状態で放り込まれる可能性もあるのだ。
王妃という立場に昇りつめれば、そういった危惧も減るだろうが、そこに至るまでは気が抜けない。そうならないよう、他の派閥にもある程度の理解を求める為、事前の根回しや、味方作りが必要になってくるのだ。
今回強権派は、根回しもなかった正権派の令嬢を抵抗なく王太子の婚約者として認める、という懐の深さを見せた。貸し1つ、という心境であると同時に、いつでも口撃の捌け口と出来る大義名分を得たようなものだ。
しかし私には、みすみす彼女をそんな危険な目に遭わせる気はない。
「殿下は違うと?」
「ええ、私は一目で彼女に心を奪われてしまったのです。ですからこの命をとしてでも、この国の歪みを正し、迫り来る滅亡を回避するために自ら動くことを決意しました」
「滅亡、ですか……」
大袈裟な表現に若干引き気味で、唸るような相槌が返された。
私がサラリとした愛の告白には何も反応がないのだろうか。
ちょっと拍子抜けである。向こうは政略でしかないと思っているのだろうから、私はちゃんと彼女のことを大事に思っているとアピールしたかったのに。
なんにせよ相手が引いたなら、こちらが踏み込むチャンスである。
ここぞとばかりに舌を滑らかに動かし、しかし口調はあくまで神妙に、私は畳み掛けた。
「ええ、この国は傾いています。このままいけば、保って数年。他国に侵略されるか、乗っ取られるか、内乱で多くの犠牲が出るでしょうね」
「まるで見てきたかのように断言なさるのですね」
「見えていますよ。絶対に、このままではいけないということは」
乙女ゲームのバッドエンドの話だが、そうなった理由は必ずあるはずだ。
これからそれを探っていくので、まだ原因は特定できていないにせよ、警戒を促しておく分にはいいだろう。
所詮子供の戯れ言なので、切って捨てられる可能性はあれども。
沈黙が落ちた。
何かを思案するように彼は顎を擦り、次いで私を真剣な表情で、真っ直ぐ見つめてきた。
「殿下は我々と手を組むことで、その破滅が回避出来ると考えておられるのですか?」
「はい、もちろんです」
私の目的は明らかにした。
さて、正権派の目的は何だ?国を建て直したいという着地点が一緒なら、きっとお互い迎合できるはずなのだが。
見つめ返せば、男性はソファから身を乗りだし、肘を両膝に乗せて組んだ両手で口元を隠し、無情とも言える顔をした。
「正権派の総意が、王権制度を廃したいということだとしても?」
なるほど、そうきたか。
王族相手に、よくもまぁ言ったものだ。お前らはいらないと、はっきり言われたようなものだ。
しかし、だ。
「良い手です。段階を踏めば、決して実行が難しい話ではないでしょう」
「ほう?」
そんなことで、正権派の助力を断念する私でない。
「初めの内は反発や混乱もあるでしょうから、話の解る貴族にはあらかじめの根回しと、政権移行後の法律をしっかり取り決めておいてスムーズに運用出来るようにした方が良いでしょうね。信頼できる強国と渡りをつけ、後押しをもらえれば言うことはないのでのですが……。メンディエンズ公爵ならば、もう良い案は浮かんでおられるとは思いますが」
「その口ぶりだと、我々の案に賛同しているように受け取れますが」
「悪くないと思っています。特に反対する理由もないですね。国民にとっては、権威を握れもしないくせにトップに据えられている御飾りの王ほど、害悪なものはありませんから。公爵の判断は、当然の帰結かと」
私にしたって悪い話ではない。
やつれていく父上を見るのは辛い。
それは全て、権威がないのにトップに据えられざるをえないからだ。父上が全てを掌握してくれているのなら、私は正権派と敵対するしか道はないだろう。
しかし今の政治は派閥が割れバランスを保つのに必死で、本来国民のために国の在り方を考える場所が、貴族達による権力抗争の盤上遊戯と化している。
父上はそれを悪化させないようにするのが精一杯なのだ。
そんなの、本来の政治ではない。
ならば正しく機能していないそんなものは、一度壊してしまえばいいのだ。
うん、悪くない。
「ただ、公爵のお考えを実行するのには、今のままでは欠けている物があります」
「ほぅ。それは?」
「国民の安全と利益を保証することです。正権派が今のまま政権交代を謀るなら、クーデターを起こすしかない。しかしそれでは、罪のない国民を巻き込みかねない。長引けば他国の付け入る隙を与えるかもしれませんし、クーデターの対応に人員が割かれることで政治が機能せず行政が滞り、国民の生活が一層脅かされるかもしれません」
他にも思い付く問題はいろいろあるが、そんなことは私が指摘しなくとも彼らも解っているはずだ。
だから、まだ蜂起せず機を窺っているだけなのだ。
片付けるべき問題がまだまだあるから、自分達が一番良いと信じていることでも、実行に移せずにいる。
「つまり、殿下は政権交代に反対しておられると?」
「いえ、王政はいずれ廃止すべきでしょう。しかしそれなら、一度私を王位に就けていただく必要がある」
「どういうことでしょう?」
「私が一度即位し、周辺環境をある程度整理した上で、王権制度の廃止を宣言する。それが一番、スマートな方法だと思いませんか?」
私なら、その抱える問題を全てクリアにしてみせる。
前世で聞き齧った知識に頼ることにはなるが、私を王位に一旦就けるだけで、まるごと全部丸く収めてみせようというのだから。大変お得な交渉条件と言えないだろうか。
自信満々に振る舞ってはいるが、内心は冷や汗ものだったのはここだけの話だ。
財務大臣であるメンディエンズ公爵が味方なら、ある程度政策を推し進められるはずだと、少し皮算用もしているのだ。
新しいことを始めようとすると、何においてもお金がかかるものなのだ。
財布の口紐を握っている人間が此方側なら、国の懐事情も考慮して策も練れるというものだ。
「殿下が王位に執着がないと言えますか?」
私の思惑は伝わっているはずだが、念を押すように彼は訊ねてくる。
私はためらいもなく、力強く頷いた。
「ええ、玉座には何の魅力も感じません。あんなものがあるから、父上は命を脅かされながらもいらぬ苦労を背負い込み、国民は貴族に不当に虐げられるのです。傀儡の王なら、いりません。より優れた者が、自らの責任を持って統治すべきなのです」
「なるほど。殿下のお考え、よくわかりました」
彼は手を降ろすと背もたれに背を預け、僅かに口元を緩めて見せた。
結論は出た。それは、決して悪くない感触だ。
「我々にとっても殿下にとりましても、互いの存在が有用であることを認め、理想実現の為に正式な協定を結ぶこととしましょう。我が娘オリシスティスと殿下の婚約は、その証とさせていただきたい」
「良いのですか?」
私は思わず、驚きに目をみはった。
まさか結論を今日貰えるとは思っていなかったのだ。
「構いません。一時とはいえ、王妃は必要でしょう。彼女はその座が務まるくらいの器はありますので」
「いえ、てっきり貴方はメッセンジャーだと思っていたので、決定権まであるとは想定していませんでした」
私の指摘に、今度は向こうが目をみはる番だった。
オリシスティスのそれとは違うグレーの瞳が、意外そうに光を宿す。
「まさか気付いておられたのですか?それならそうと仰ってくだされば良かったのに、お人が悪い」
「私は決して、貴方に公爵と呼び掛けなかったでしょう?大変そっくりではありましたが、髪は染められても目の色は変えられませんからね。公爵の瞳はオリシスティス嬢と同じだったと記憶しています。遠目からなら、充分騙せたのでしょうが」
オリシスティスは髪は母親、瞳は父親から受け継いでいるようだと、マリーナから聞いていた。彼女の情報が間違っているとは思えないし、それに目の前の人物が公爵であるとしたら、とても派閥を率いていけるとは思えなかった。
私の発言に対して受け身であることが多く、どうにも積極性がなかった。会話の主導権を取りに来なかったのである。
それは予め想定しておいた例文だけで、会話をしていたからに他ならないのではないか?
「旦那様がお会いしないことを、お怒りにはならないのですね」
「普通に考えれば、メンディエンズ公爵と私が2人きりで対話することはないですから。派閥の長が、わざわざ敵対派閥に囲われている王太子などと密談する理由などないでしょう。ですから先に、その点に関しては理解を示したつもりでしたが?わざわざ私との話し合いの為に、ご多忙中にもかかわらず質疑応答文を事前に考えていただいたようですからね。お時間を割いてもらったので有り難い、と」
ちゃんと過去系で言ったつもりだぞ、私は。もしここに公爵本人が来ていたらもっと別の言い方をしていた。
しかしあり得ないこととはいえ、公爵が現れていたらこんなに簡単に話がまとまることもなかっただろう。
代役様々である。
「そうきましたか。とんだ食わせものですね、貴方は」
「そんなことはありません。いたいけな、ただの8歳児ですよ」
閲覧、ブクマ、評価、ありがとうございます。
やはりオリシスティスの登場は次回に持ち越されてしまいました。
カテゴリー恋愛なのに、申し訳ないことです。




