3 私の今と彼女の今
次の日、私はまた十時に書店に行った。
まだシャッターも開いていなく、私はお爺さんが出てくるのを待った。
今日も日差しが眩しくて、昨日と違って気温は高め。夏が終わるとはとても思えない。商店街もまだシャッターが閉じているとこばっかりで、お祭りの日でもこの風景は変わらないような気がする。いったいお祭りにはどのくらいの人が集まるのだろうか。
「おーい、待たせたな」
シャッターが一つ開き、お爺さんが中から出てきた。
「おはようございます。今日は暑くなりそうですね」
「そうじゃのう、祭りまでは暑くなるぞ。この商店街では祭りが終わったら秋が来る」
「へぇ、なんだかいいですね」
「だからそれまでは、店番よろしく頼む」
「任せてください」
私は笑って、そう答えた。
答えたはいいものを、私はまたお昼までを本を読んで過ごした。お昼に出前が届き、美玖が帰ってくる時には、半分まで読んでしまった。
「なに読んでんの?」
私は読みながら表紙を見せる。
「うわっ、古そうな本。おもしろい?」
「うーん……どうなんだろう」
「わかんないのに読んでるの? 暇人ねぇ、って言ってもここじゃしょうがない気もするけど」
美玖は二階に上がり、部屋着を来て降りてきた。
「ねぇねぇ、れいってさ。二十二歳って言ってたよね。大学は卒業したの?」
私は読み進めながら答える。今は区切りが悪いのでもう少し読みたい。
「一応ね、青海美容専門学校……」
「えっ、えっ。今青海って言った? 超有名どころじゃん! なんでこんなところにいるの?」
いきなり大声を出されたので、本を前になんだか集中力が途切れた気がする。私は諦めて本を閉じた。
「ねぇ、何科だったの? 美容師科とか?」
「その美容師科だけど」
「じゃあ今度髪切ってもらお! いやぁ、なんでそんな大切なこと話してくれなかったのよー」
凄く嬉しそうな美玖と比べて、私の気持ちは冷めていた。
「そんなすごいものじゃないよ。毎年入学生だって結構な人数採るし」
「でも入学試験すっごく難しいって聞くよ?」
「確かに難しめではあるけれど……」
私は本を置いて、その頃のことを少しだけ話すことにした。
私の学校は確かに試験の難易度が高い、県内屈指の美容専門学校と呼ばれた場所であった。そこを卒業した美容師は引く手数多、その実力はよくテレビの美容コーナーなどでも出演するほどだ。私も美容師を夢見ていたので、高校の時は猛勉強をして、親の反対をも熱意で押し切って入学を勝ち取ったのだ。
しかし、私の入った世界は、想像を越えたものだった。
毎週出される膨大な量の課題。個人の力に対する集団の嫉妬。友達なんて作る暇もなく、優秀な人はその道へ、それ以外の人達は容赦なく落とされる、まさに弱肉強食の世界だ。
私は必死にカリキュラムについてはいったのだが、学校生活が終わり卒業したときには、私の中からはすべてが燃えつきていてなにもやる気が起きなくなってしまっていた。就職活動も上手くいかず……実際はほとんどやっていなかったんだけど、今の宙ぶらりんな生活になんとなく落ち着いてしまったのだ。
その一部始終を話すと、美玖は真剣に聞いてくれて、うんうんと頷いてくれた。
「まぁそんなこんなで美容師はやる気が起きなくて今はバイト生活、フリーターだよ。なんで美容師になりたかったかなんてのも忘れちゃった」
「へぇ……みんな有名になれるわけじゃないんだね」
「そんな人は本当に一握りだよ。私と同じような人たちの方がたくさん」
美玖はなにか考え込み、一つ息を着いたと思うと。
「私にはまだわからない世界かも」
私がいたあの世界は、特殊なものだと思う。一部の原石を宝石に変えるための、そしてそれ以外は全てゴミ箱に捨てられる。そんなような、今の美玖には知らなくてもいい世界。
「なんかしんみりさせちゃったね。レシピでも見て今日の晩ご飯でも決めよう」
美玖は料理本を本の山から何冊か持ってくる。
「それ、売り物じゃないの?」
「私のだよ。本置く場所がないから、私が勝手に置いてるだけ」
売れないでずっと本棚に積み上げられている本たちを見やり、少し私みたいだな、と思ってしまった。
私たちはレシピを見たり、たまに来るお客の相手をしてたりしたらあっという間にお爺さんが帰ってきた。夕ご飯のメニューはホワイトシチューに決まり、美玖に細かく注意されながら作ったホワイトシチューはなかなかの出来で、お爺さんも喜んでくれた。美玖から言わせればまだまだだったらしいけど。
「今日もお疲れさまでした」
「お嬢ちゃんのおかげで準備も順調だよ。祭はついに明日じゃから、始まったら店先に出も出てみるといい」
「楽しみにしてますね」
そうして家へ帰ろうとすると、店の中から美玖が出てきて、私に並んで歩き始
めた。
「お爺ちゃん、食後の散歩行ってくるね」
私がもう暗いのにいいのかな? と思ってお爺さんとアイコンタクトすると、お爺さんは笑って手を振ってくれた。大丈夫のようだ。
「じゃあ、散歩に行きましょうか」
「れいの家までね」
「少し遠いよ? そこまで行って大丈夫かな」
「大丈夫。この辺は私の庭同然なんだから……ほんとは家にいても暇なだけだからなんだけど」
月明かりが照らす狭い路地を、私と美玖は歩いた。さっきから気になる美玖の長い黒髪は、月明かりに照らされてさらに綺麗に見える。
「なに?」
見すぎてしまっていたのか、美玖に気づかれてしまった。別に盗み見をしていたわけでもないのに、なぜかとても悪いことをした気になる。
「いやっ、髪、すごい綺麗だなって思って。でもそこまで長いと手入れも大変でしょ?」
「さすが美容師さん、わかる?」
きっと、言われ慣れてはいるのだろう。美玖はその髪は掻き揚げる。
「でもねー……何回も切ろうと思ったんだよね、この髪」
そして同時にそう溢す。やっぱりそうだろうな、と私も思っていた。
「でも、お母さんもお父さんも切るなっていうからさ、お母さんも同じくらい長いし、髪をすごく大切にしてるんだ。髪は女の命、らしいよ。でも私はそんな拘りはないし、むしろ邪魔だから切っちゃいたいんだけど、実際に美容室前に行くと、なんか少しだけ怖くなっちゃうんだよね、いざ鋏が髪に当たることを考えると……なんでだろうね」
その気持ちはなんとなくわかる気がした。長い時間伸ばしてきた髪を切るのは、今までの時間を切ってしまうのと同じような感覚だと私は思う。切ってしまったら、それは戻ってこないのだ
「それにお爺ちゃんもこの髪、気に入ってるみたいなんだよね。口では切りたいなら切りなさいって言うんだけど」
「私だって、その髪は魅力的だと思う。学校行っててもそんな綺麗な髪の人いなかった」
「みんなそういってくれるのも、切れない理由」
この髪で歩くだけで何人の人が振り返るだろうか。
「でも、もしかしたら明日切っちゃうかも」
「なんで明日?」
「お祭りに、好きな人誘ったの」
いきなりの発言に、私は息を飲んだ。でも学生なら好きな人の一人や二人、いてもおかしくはない。
「それで、告白もしちゃうから、振られたら切ろうかなって思って。そういうきっかけがあったら短くしても不思議じゃないでしょ? お母さんには怒られるかもしれないけど」
失恋したから髪を切った、確かによくある理由だ。でもその髪は…
「私は、やっぱりもったいないと思うよ。その髪、美玖だって嫌いじゃないからちゃんと手入れしてるんでしょ?」
「……」
その問いに、美玖は答えなかった。