ライブハウス
初ライブが決まったのは、六月の終わりだった。
「再来週一本入った」
スタジオでレイがさらっと言った瞬間、ミオは固まった。
「……は?」
「ライブ」
「聞いてない」
「今言った」
「てかライブに出るとは言ってない」
タクが笑いながらドラムを叩く。
「大丈夫だって。ほぼ知り合いしかいねーし」
「そういう問題じゃない」
ミオは眉を寄せる。
ライブなんて、ちゃんと見たこともない。
歌うのは好き。
でも人前で歌うのは別だった。
レイはそんなミオを見ながら、平然と言う。
「まあ、ミオならいける」
「その根拠のない自信やめて」
「根拠あるし」
「どこに」
「歌」
それだけだった。
でもレイは本気で言っている。
だから困る。
適当な慰めじゃなく、ちゃんと期待されている感じがした。
それが嬉しくて、怖かった。
⸻
ライブまでの二週間、ミオはほとんど毎日スタジオへ通った。
歌詞を書いて、消して。
歌って、上手くいかなくて。
書き直して、また歌う。
レイは細かく指示するタイプではなかった。
「もっとこうしろ」じゃなくて、
「好きに歌え」
と言う。
でも時々どうしようもなく真面目な顔で、
「そこ息吸う音まで聴かせろ」
とか、
「今の感情逃げた」
とか言うから厄介だった。
誤魔化せない。
ミオが本気じゃない時、レイはすぐ気づく。
「……何で分かんの」
ある日、休憩中にミオが聞くと、レイは煙草を咥えながら笑った。
「分かるよ。お前の歌だし」
その言葉に、ミオは何も返せなかった。
⸻
ライブ当日。
地下ライブハウスは思ったより狭かった。
酒の匂い。
汗。
機材の熱。
暗い照明の中、知らないバンドマン達が笑っている。
ミオはステージ袖で、爪を噛んでいた。
心臓がうるさい。
逃げたい。
「緊張してんの?」
隣に来たレイが缶コーヒーを差し出す。
「……してない」
「嘘下手」
レイは笑う。
ミオは缶を受け取る。
冷たい。
「無理かも」
思わず零れた声は、自分でも驚くほど弱かった。
レイは少しだけ目を丸くする。
たぶん、ミオがそういうことを言うのは珍しかった。
でもすぐ、いつもの顔に戻る。
「大丈夫」
「何が」
「お前の歌、絶対刺さるから」
静かな声だった。
軽くもなく、適当でもなく。
真っ直ぐだった。
その一言だけで、少し呼吸ができた。
ステージに呼ばれる。
ライトが眩しい。
客の顔なんてよく見えない。
でも怖かった。
レイがギターを構える。
視線だけが合う。
——いける。
言葉にはしないのに、そんな顔だった。
ドラムが入る。
ギターが鳴る。
ミオはマイクを握った。
最初の一音を出した瞬間、不思議と震えが消えた。
歌う。
歌舞伎町の夜を。
眠れない夜を。
居場所のない人間の孤独を。
全部吐き出すみたいに。
途中、客席の一番後ろで、女の子が泣きそうな顔をしているのが見えた。
その瞬間、ミオの胸が痛くなる。
ああ、届いてしまったんだ、と思った。
歌が。
自分のどうしようもない、しょうもない感情が。
曲が終わる。
一瞬の静寂。
それから、拍手。
多くはない。
でも確かに、そこにはあった。
ステージを降りた瞬間、全身の力が抜ける。
「やば」
タクが笑いながら肩を叩いてくる。
「普通に最強じゃん」
「うるさ……」
息が上手くできない。
でも嫌じゃなかった。
レイが近づいてくる。
「ほら」
「……何」
「言ったろ」
ミオは少し俯く。
心臓が熱い。
こんな感覚、知らなかった。
「……また歌いたい」
気づけば、そう口にしていた。
レイは少しだけ驚いて、それから笑う。
「知ってた」




