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始発前

それからミオは、時々スタジオへ行くようになった。


毎回、「暇だから」とか、「新宿来たついで」とか、どうでもいい言い訳をしながら。


レイはそれを毎回ちゃんと聞いて、毎回ちゃんと流した。


地下スタジオは相変わらず埃っぽくて、空気が悪かった。


でも嫌いじゃなかった。


アンプのノイズ。

チューニングの音。

誰かの笑い声。


そんなものが混ざる空間にいると、自分が少しだけ普通の人間になれた気がした。


「ミオー、そこ歌詞違う」


ドラムのタクがスティックを回しながら言う。


「細か」


「いや、そこ大事じゃね?」


「お前に言われたくない」


「ひっどー」


タクが大袈裟に傷ついた顔をする。


それを見てレイが笑った。


「お前ら仲良くなったな」


「なってない」


ミオは即答する。


けれど、初めて来た日のような気まづさはもう無かった。


練習が終わる時刻はいつも終電後だった。


スタジオを出ると、新宿の夜風が熱の残った身体を冷やす。

歌舞伎町のノイズが身体を包む。


「コンビニ寄る?」


レイが言う。


「ん」


自然に返事をしてから、ミオは少しだけ驚いた。


誰かと当たり前みたいに時間を過ごすことなんて、いつぶりだろうと思った。


コンビニ前。


レイはブラックコーヒー。

ミオは白のエナドリ。


「それほんと好きだな」


「酒よりマシ」


「比較対象終わってるわ」


レイはタバコを咥えたミオを見て、軽く眉を寄せる。


「また吸うの」


「何?母親みたいなこと言って」


「肺死ぬぞ」


「別にいいし」


そう言った瞬間、レイにタバコを取られた。


「あ」


「没収」


「返して」


「やだ」


「ガキかよ」


レイは笑いながら自分のポケットに突っ込む。


「歌うなら自分の身体大事にしろ」


その言い方が妙に自然で、ミオは少しだけ黙った。


今まで、そんなふうに言われたことがなかった。


自分の身体なんてどうでもよかったし、誰も気にしなかった。

別に明日がなくてもいいと思っていた。誰かにぐちゃぐちゃにされても別によかった。


でもレイは、当たり前のことのように言う。


まるでミオがずっと歌い続けると決まっているように。


コンビニ前の縁石に座りながら、ミオはぼんやり街を見る。


歌舞伎町は今日も眠らない。


酔っ払いの笑い声。

パキってる若者の声。

遠くで鳴るパトカー。

タクシーのライト。


全部うるさいのになぜか安心した。


「ミオ」


「んー」


「お前、最初よりちゃんと笑うようになったな」


ミオは眉を寄せる。


「……笑ってない」


「笑ってる」


「気のせい」


「そういうことにしとくか」


レイは缶コーヒーを傾ける。


沈黙。


でも不思議と苦じゃない。


ミオは視線を落としたまま呟いた。


「……レイってさ」


「ん?」


「なんでそんな音楽やってんの」


レイは少し考えるように空を見る。


「他にできることないから」


「何それ」


「ミオと同じ」


その言葉に、ミオは少しだけ息を止めた。


レイは笑いながら続ける。


「昔、一回バンド辞めようとしたことあんの」


「へえ」


「でも無理だった。結局これしか残んなかった」


街灯に照らされた横顔は、いつもの軽そうな表情じゃなかった。


その時初めて、ミオは思う。


この人もちゃんと傷ついたことがあるんだ、と。


「……意外」


「何が」


「もっと適当に生きてるタイプかと思ってた」


「適当だよ」


「嘘」


レイは笑った。


その笑い方が少し寂しく見えて、ミオはなんとなく目を逸らす。


始発前の新宿は、少しずつ静かになっていく。


ネオンだけが、ぼんやり光っていた。


「ミオ」


「何」


「お前は歌ってる時だけちゃんと生きてる感じする」


その言葉は、前より深く刺さった。


ミオは缶を握る。


冷たいアルミの感触。


「……何それ」


「褒めてる」


「キモ」


「はいはい」


レイが笑う。


その横顔を見ながら、ミオは思った。


この夜が終わらなければいいのに、と。


でも同時に怖かった。


こんな時間、どうせ長く続かない。


居場所なんて、いつも突然消える。


期待した瞬間に壊れる。


だから、あまり好きにならないようにしようと思った。


なのに。


「明日も来る?」


レイが何気なく聞く。


ミオは少しだけ黙ってから、


「……気分次第」


と答えた。


レイは笑う。


「そう言っていつも来るじゃん」


ミオは何も言い返せなかった。


始発前

朝焼けの新宿歌舞伎町

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