狂愛の檻
廃工場に、何かしら音が響いていた。
「(視界が真っ暗……)……紫呉。紫呉そこに居るのか?」
「…零──」
足音が、目の前で止まる。
次の瞬間、乱暴に布が剥ぎ取られた。
「――はじめまして」
伊月修二は、この場には似つかわしくない笑みを浮かべていた。
「修二ィ、煙草かコーヒー頂戴」
大きな欠伸とともに目を覚ました春臣が、気の抜けた声で言う。その一言で場が白けた。
小さくため息を漏らした伊月が指を鳴らす。数秒遅れて、扉の向こうで足音が止まった。
「──警察官のメイドさん。煙草頂戴」
「はい、春臣さん」
男は迷いなく歩み寄り、煙草を差し出す。その手つきに、一切の迷いはない。
——視線は合っている。
だが、こちらを“見ていない”。
「春臣はこんな使い方してるが、指示を出せば──お前等の首なんて、一瞬だ」
伊月の背後に手足を拘束され、放り出されたように転がる男を──神崎の目が捉えた。
「鹿島……クン?」
「! 政宗!?」
その時になって初めて、君下は気付く。次に何が襲い掛かってくるのかも解らない──その得体の知れなさの中に、自分たちがいたことに。そして、三剣の存在を、認識した。
「ほら、起きろ」
伊月は三剣の腹を蹴り上げた。
意識を飛ばしていた三剣は、咳き込みながら意識を戻しす。
誰かが、自分の名を呼んでいる。自分と伊月以外に誰か居るのかと、ぼやける視界で周囲を見渡すと、見覚えのある顔が二つあった。
「紫呉…零くん…?──…伊月テメェ…!」
「何だ、まだそんな顔出来たんだな」伊月はしゃがみ込み、三剣の頬を鷲掴みする。「身体は正直みたいだな。俺を憶えてる」
伊月は三剣の頭を踏みつけ、君下と神崎に言葉を飛ばす。「クソガキ共。俺の何を調べてたんだ?」夏己から報告を受けているにも関わらず、敢えて質問をする。
「「……。」」
神崎は今すぐ訊き出したい筈だ。三剣が次どんな目に遭うか考えてしまい言葉が喉に詰まる。
「零くん…!俺は…、どうなっても構わない。あの日だって帰って来ただろ…ッ。訊きたい事があるなら訊くんだ!」
「ほら訊けよ。鹿島もこう言ってんだからよ」
神崎の身体もまた、三剣同様に伊月の言葉に反応を示す。
「……ッ。鹿島クンと…秋斗兄ちゃんを返せッ!!“三葉蓮介”!!」
伊月の命令に従いたくない。抗いながらも、今にも襲いかかりそうな勢いで、冷静さを欠いた神崎は伊月に怒鳴りつける。
伊月修二の以前の偽名が出て、伊月だけ異様な雰囲気だった。
「へぇ…普通はそこまで知ったら、もっとマシな反応するもんだがな」
神崎にわざと見せ付けるように、伊月は懐から銃を取り出す。グリップには──刃物で刻まれた“S”の文字が──。
「秋斗の生死はどうでもいい──。……観客が居た方が面白いだろ?」伊月は銃をホルダーに仕舞い、胸ぐらを掴む。「鹿島。九薙にどんなツラ見せてやれるか楽しみだな」
鈍い音が耳に届いた。
三剣の口から、血と一緒に歯が転がり落ちた。まるで伊月を煽るように。
「…ゲームはまだ始まったばかりだ。そうだろう?──伊月」
伊月の笑みと三剣の血まみれの口元。二人の間には、互いの覚悟と狂気がぶつかり合う異様な空間があった。三剣の声はかすれていたが、その言葉が、むしろ伊月の興奮を煽る。絶望の淵に立つ三剣を前に、伊月の瞳には、壊して傍に置きたいという歪んだ執着心が剥き出しになっていた。破れた歯と滴る血が、この場に生々しい現実を刻み、二人の間の狂気の糸はさらに絡み合う。




