番外編⑨ 洗濯屋、部分洗いを極める
振り向いた瞬間、私は凍り付いた。
膝をついたマイクさんの肩口に、
棘の切れ端が深々と突き刺さっている。
そこから、血が流れていた。
しかも――
棘は、何かを送り込むように脈動している。
「大丈夫だ!」
マイクさんが、低く叫んだ。
けれど。
傷口の周囲は、すでに黒く変色し始めている。
まるで腐食するように、じわじわと――。
「いけない! 毒が……回ってる……」
歯を食いしばり、額に汗を浮かべるマイクさんに――
「マイクさん!」
私が駆け寄ろうとした、その瞬間。
勇者アレンの腕が、ぐっと私を止めた。
「だめだ!」
「でも……!」
「洗濯屋殿!」
騎士レオンの声が、震えている。
「まだ、棘が残っている。
触れれば危険だ!」
(……そんな)
頭の中が、一気に冷えた。
(私のせいだ……。
「きらきら」は万能だって油断したから……)
そう考えない方が無理だった。
けれど――
次の瞬間、私ははっきりと理解した。
(……違う)
これは、ただの毒じゃない。
(これは……汚れだ)
千年分の穢れ。
源泉に溜まり、スライムに濾され、
押し出され――
こうして、人を蝕む形で噴き出したもの。
それでも、結局は汚れは汚れ。
つまり。
(洗えるはず)
それに――
「きらきら」は、状態異常にも効く。
だって今朝、
ちゃんと――
“二日酔い”にも効いたのだから。
私は、ゆっくりと前に出た。
「……大丈夫」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「洗えます」
「きらりちゃん……?」
マイクさんが、苦しそうにこちらを見る。
「……無理するな」
「無理じゃないです」
私は、にこっと笑った。
「私、洗濯屋ですから」
そう言って、膝をつく。
マイクさんの前に座ると、
周囲の誰も――止めなかった。
きらスラが、私の肩からぴょんと跳び降り、
マイクさんの足元で、ぶるぶると震える。
(……応援してくれてるのね?)
目を落とすと、
きらスラの透明な身体を透かして、
陽光が集まり、地面をふるふると照らしていた。
(……これは、使えるかも。
でも――その前に)
そっと、その小さな身体を撫でてから。
私は、マイクさんの肩に突き刺さった棘へ、
両手をかざした。
「きらきらりん☆」
今度は、強くない。
優しく、丁寧に。
――部分洗い。
光が、棘と傷口を包み込む。
じゅう……と、嫌な音。
黒い棘は、泡立つように形を崩し、
やがて色を失うと、どろりと溶け落ちた。
続いて――
マイクさんの肌に広がっていた黒ずみが、
まるで洗剤を含ませた布で拭われるように、
すっと、消えていく。
「……っ」
マイクさんの身体から、力が抜けた。
「……助かった」
「はい」
私は、胸を撫で下ろす。
「ほら。
しつこい汚れ、ちゃんと落ちましたよ!」
周囲から、安堵の息が一斉に漏れた。
「……なるほど」
「汚れ、か……」
「洗濯屋様、恐るべし……」
でも――
「――終わりじゃない」
私は立ち上がり、キンスラを見据える。
巨大な黒い塊は、
こちらを認識したように、ぐにゃりと向きを変えた。
さっきの「きらきら」の効果か、
体の色はわずかに薄れ、
巨体の中央に――
真っ黒な核のようなものが、ぼんやりと透けて見える。
(……あれが、本体)
「……きらりちゃん」
マイクさんが、ゆっくりと立ち上がる。
「君は、俺たちが守る!」
勇者と騎士も、剣を構え直した。
「洗濯屋殿、お願いします」
「ここが、正念場だ」
私は、深く頷く。
「……じゃあ、部分洗い、始めます」
――洗濯物は、仕上げまで。
汚れを落とし、すすぐ。
それでも落ち切らない、ひどい汚れは――
「――部分洗いできっちり落とします!」
足元で、ぷるぷると震えるきらスラに声をかける。
「おいで!」
ぴょん、と跳ねたきらスラを掌に載せ、
前へ掲げる。
「ちょっと、手伝ってね」
「きらりちゃん……何を?」
「ふふ……見てのお楽しみです」
マイクさんに、微笑みかける。
そして――
私は、今度こそ全力で宣言した。
「きらきらりん☆☆☆」
手元から光が溢れ――
掌のきらスラが虹色に輝き、ぷるりと震えた。
「怖いよね。でも、お願い」
しかし、今回は光は広がらない。
きらスラの透明な身体を通して、一本の光が、
キンスラへと収束していった。
「きらりちゃん、これは――!」
「はい。プリズムとレンズの応用です」
「……プリズム? レンズ?」
「理屈は後。今は洗濯に集中です!」
そう言うと、私は微笑んで手のひらに魔力を込めた。
放たれた虹色のビームがひときわ眩く輝き、
正確にキンスラの核を貫き――
キンスラの身体全体が虹色に染まる。
やがて、ぶるぶるぶる……と、
その巨体が大きく震えた。
誰もが固唾を飲んで見守る中、
キンスラの身体から四方に光が放たれ――
次の瞬間。
びしゃり――っ!
キンスラの身体が四散し、透明な飛沫が雨のように飛び散った。
陽光に照らされた広場が、きらめきに満たされ――
ぱちん、と最後の雫が弾けた。
見れば、さっきまであれほど黒かった水面も、
もう一滴の濁りもない。
「洗い上がりました」
私がそう宣言すると、きらスラが掌でぴょこんと跳ねた。
マイクさんも、騎士も勇者も、警備隊長も。
兵士たちもみんな、びしょびしょになりながら笑ってる。
「やった!」
「やったぞ!」
「洗濯屋様、ありがとう!!」
広場が歓声で包まれた――。
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけましたら、
★評価やブクマをくださいますと、とても励みになります。
番外編⑩に続きます。




