第三十四話 謀略
「やめとけ」
襖に手をかけたところで、髑髏に制止された。
「いったん様子見だ。中の人数がやけに多い」
促されるまま、そっと膝を折り、襖の奥へ聞き耳を立てる。
……髑髏の言った通り、複数人の騒めきが耳にまとわりついた。
「御身を捧げてください、蛇神さま」
「お諦めください。すべては御仏の掌の上なれば」
「……ッ、己ら……どうして……どうしてじゃ……」
淡々と語る誰かの声に、呆然と呟く蛇神の声が聞こえる。
「我らは覚范さまのために」
「覚范さまこそ、我らを救ってくださる」
「覚范さま」
「覚范さま」
うわ言のように、それこそ呪詛か何かのように連ねられる「覚范」の名。
……先ほど言葉を交わした、おりんさんや彦五郎さんのような声も、心ここに在らずといった様子で覚范を称え続けていた。
「覚范さま」
「覚范さま」
「覚范さま」
「や……やめるのじゃ……頼む、やめてくれ……」
蛇神の声は聞いていられないくらいに弱々しく、彼女が窮地に追いやられているのが嫌でもわかってしまう。
「助けなきゃ……! 乗り込むよ、髑髏」
髑髏に言うと、髑髏は「ちょっと待て」と制止しつつ、私に白い小刀のようなものを渡した。
「……何、これ」
「『餓者髑髏』の一部だよ。細工が入ると念の込め方が難しくてな……さっき、ようやく仕上がったところだ」
「え! ずっと作ってくれてたの?」
「まあな。この形なら、あんたの護身用にちょうどいいだろ? 刹鬼の案だ。後で礼を伝えておきな」
私に伝え終わると、髑髏は襖に手をかけ、先導してくれる。
襖が開け放たれた途端、ぐるりと一斉に、あまたの視線がこちらに突き刺さる。……すべて、巫覡の皆の瞳だった。
「お前……さま……?」
続いて、怯えきった朱い瞳が、揺らぎながらも私の姿を捉える。
……声が、出なかった。
巫覡の皆は、あんなにも蛇神さまを慕っていたのに。ついさっきまで、あんなにも楽しげに話していたのに。……どうして、こうなってしまったんだろう。
彼らに蛇神を裏切る理由なんて、どこにもないように見えたのに。
「……巫覡が全員取り込まれたか。まずいな。これじゃ、蛇神様の力が弱まっちまう……」
髑髏のぼやきが傍らで聞こえた――かと、思えば。
「その通りだ。もはや、この蛇に『神』としての力はほとんどない。こうなってしまえば、ただの愛らしいおなごよ……」
背後から、今、一番聞きたくなかった声が届いた。
「……ッ」
髑髏が、悔しそうに歯噛みする。
「分霊はあまり役に立たなんだが……まあ、忠臣を一人引き剥がすことはできたか。髑髏武者も『骨刃牢』を使うた以上、『餓者髑髏』はしばらく使えぬ。……この盤面、どう足掻こうが愚僧の勝ちよ」
「……なぜじゃ……なぜ……。……わらわは、どこで間違うたのじゃ……」
震える蛇神の元に駆け寄ろうとして、巫覡達の壁に阻まれる。
「通して……! あなた達、どうして!?」
抵抗するけれど、巫覡達はビクともしない。
まるで意思のない人形のように、ただただ、私の進路を阻んでいる。
「……てめぇ、術を仕込んだな?」
髑髏が毒づく。
蛇神の様子を舐めまわすようにじっくりと眺め――覚范は、愉悦に満ちた表情を浮かべた。
「無論よ。……髑髏武者。お主が『刃』を隠し持っておることももう読んでおる。小賢しい男ゆえな、奥の手はいくらでもあろう?」
「ハ……ッ! 油断して叩き潰されたこと、ちゃんと覚えていやがったか! あん時ゃ刹鬼が世話になったからなぁ……おれもよーく覚えてるぜ……! 何度でもブッ潰してやらねぇとなぁ!! 」
青筋を浮かべながら、髑髏は骨の腕を天に翳す。
骨を尖らせた刃が浮遊し、髑髏の背後に次々と列を成した。
「要するに……てめぇが動けなくなりゃ、術も解けるんだろ?」
殺気を隠しもせず、髑髏は骨の刃先を覚范に向けて狙いを定める。
覚范も、祈るように――あるいは「術」の準備をするかのように手を合わせ、場は一触即発……
かと、思われた。
「お主の言う通りだ。それゆえに――用が済めば自壊するように仕込んだ」
「……は?」
自壊。
言葉の意味が、一瞬、よく飲み込めなかった。
「え……あれ……あたし……何を……」
突然、おりんさんが呆けた声で呟く。
「蛇神さま……? んん? みんな……どういう状況……?」
……これは……術が解けたってことで、いいのかな。
「良かった、正気に戻ったんだね……!」
私が喜びを口にできたのも、束の間だった。
おりんさんの口から、悲痛な叫びが迸る。
「え、な、何……!? 身体が……身体が崩れ……!? いやぁぁぁっ!」
どろりと、まるで泥の人形が崩れていくかのように、肌が、肉が、骨が、爛れて腐り落ちていく。
「ひぃ!? なんだいこりゃあ!?」
「蛇神さま!! 助けてぇぇぇっ!!」
「ぎぁぁぁっ! 痛い、痛いぃぃっ!」
「う……ぐ……っ、蛇神さまは無事……っすか……ぁ、あ、ぐわぁぁぁぁぁっ」
地獄絵図。
……そうとしか、表現できない。
蛇神の顔に、びちゃりと血飛沫と体液の混ざった液体がかかる。
「……み……皆……? これも……わらわが、判断を誤ったがゆえ……か……?」
蛇神は目を見開いたまま、呆然と呟き、この惨状を眺めることしかできていなかった。
……私だって、そうだ。
また、何もできなかった。
「……ッ、この野郎……!!!」
髑髏が、怒りに任せて骨の刃を覚范へと撃ち込む。
全身を突き刺され、血反吐を吐きながらも、覚范は不遜に嗤っていた。
「ははは……っ、これで力は削いだ! 『巡り』はもう発動せぬわ……! 愚僧はゆっくり、躯の再生を待つとしようぞ……!」
髑髏が僧形の頭を踏み潰すのが見え、思わす目を逸らした。ぐしゃりと骨がひしゃげ、血肉が飛び散る音がする。髑髏は憎々しげに唾を吐き捨て、「糞ったれが……!」と吼えた。
嗚咽を漏らす蛇神、変わり果てた巫覡達の姿、ボコボコと再生を試みる覚范の躯……
あまりにも惨たらしい光景を前に、私は、何も言うことができなかった。




