第三十五話 支え
佇むことしかできない私の耳に、髑髏の声が届く。
「……本殿はおれが片付ける。覚范はなるべく再生が遅れるように切り刻んどく。……だから……」
髑髏の骨の手が、私の両肩を掴む。
「蛇神様を、頼む。……あの方の支えになれるのは、お前さんしかいねぇんだ」
それは、あまりに必死の懇願だった。
「おれは生前も死後も碌でもねぇクソ野郎だった。そんなおれを……蛇神様は、拾ってくださったんだ。刹鬼のだって……昔は正気を失って人を斬るか自害するかしかできなかったのに……今じゃどうだ? 自分の呪いを識って『護る』力に変えるまでになっていやがる……。全部、全部、蛇神様のおかげなんだよ……。おれらを……救いようのねぇ怪異だったおれらを、蛇神様が人間の魂に戻してくださったんだ……! ……だから、頼む。蛇神様を、助けてやってくれ……!」
髑髏は、一気にそう言い切ると、はぁ、はぁと息を切らしながら一度だけ大きくため息をつき――いつも通り、飄々とした雰囲気に戻っていった。
「……おれ達の詰所が、門の近くにある。そこでいったん、二人で休んでてくれ」
それはきっと、戦場で生きてきたがこその切り替えだった。
……私も、いつまでも自失してる場合じゃない。髑髏のように、切り替えないと。
「……あの……大丈夫……じゃ、ない……よね」
どうにか声をかけてみるけれど、返事はなかった。
蛇神は目を見開き、朱い瞳から止めどなく涙を流したまま、その場に座して動かない。
その視線は、ふらふらとさまようようにして、巫覡たちの亡骸に向けられていた。
「……ッ」
思わず、その身体を抱き締めた。
小刻みな震えが、腕を伝って彼女の哀しみを痛いほどに教えてくる。
「……う、うう……うぅうぅううううう……っ」
溢れ出す嗚咽。
肩や袖が涙に濡れるけれど、そんなの構わない。彼女が落ち着くまで背を摩り、「大丈夫、大丈夫だよ。辛かったよね。泣いていいんだよ」と声をかけ続けた。
それぐらいしかできないけれど……何もできないよりは、ずっといいと思えた。
***
ふらつく蛇神を支え、どうにか門番たちの詰所まで連れていく。
かつて「神」と呼ばれた姿は見る影もなく、すっかり憔悴しきった様子で……本当に、見ていられないくらいに弱ってしまっていた。
「布団、敷いておいたから。ちょっとは横になった方がいいんじゃない……?」
……なんて、声をかけてみたけれど、蛇神は力なく首を横に振るだけ……。
もう、返事をする気力さえないように見えた。
子蛇たちも、傍らで心配そうに蛇神を見上げている。
「……どうすればいいのか、私には分からないけど」
拳を握りしめ、どうにか言葉を選ぶ。
……ああ、もう、嫌になる。
どうして、こんなに優しい蛇が、こんなにも苦しまなきゃいけないんだろう。
「……ここに、いるから」
鱗だらけの手を、そっと握りしめる。
蛇神はぴくりと身体を震わせ、消え入るような声で言葉を紡いだ。
「旧社に……行っておったようじゃな」
「うん。……あなたにとって、『朱乃』は本当に特別な人だったんだね」
「……その通りじゃ……」
畳の上で、青白い手がきつく握りしめられる。
鱗に覆われた手の上に、ぽたぽたと、透明な雫が落ちた。
「わらわは……千年もの間、お前さまを待っておったのじゃ。お前さまにいずれ出会えることだけを、心の頼みにしておったのじゃ」
「……うん」
堰を切ったように溢れ出す、胸が痛くなるほどに純粋で、切実な想い。
「お前さまに助けて欲しかったわけでも、お前さまを縛り付けたかったわけでもない。ただただ、わらわが頑張ったことを……この村を守ろうとしたことを……認めてもらいたかったのじゃあ……!」
顔を涙でぐちゃぐちゃにし、子どものようにひっくひっくとしゃくり上げながら、蛇神は私への想いを語る。
こんな時なのに、そんな場合ではないのに――どうしても、「可愛いなぁ」と思ってしまった。
「ごめんね、寂しかったよね……」
謝るだけなら簡単だ。
でも、私たちは先に進まなければいけない。
ちゃんと、対話しないと。……向き合わないといけないんだ。
障子を開け、子蛇ちゃん達を外に出す。みんな、後ろを振り返りながらも、素直に外に這い出てくれた。
……今は、二人きりで話をしたかった。
「でも、前世の記憶なんて簡単に思い出せるものじゃないし……大事なことなら尚更、伝えてもらわないとわかんないよ」
「つらい記憶じゃ。無理やり思い出させるわけにもいかぬと、思うてしもうて……」
蛇神の口ぶりからするに、私がまだ思い出せていない部分に「何か」があったのだろう。
ただの蛇だった彼女を、「神」にしてしまった、「何か」が……。
「それでも……あなたは私を『庇護する』ために遠ざけてたよね。……優しい気持ちは嬉しいけど、『私って邪魔なのかな』って思っちゃった」
「う、うう……確かに、そうじゃ……。お前さまに幸せになって欲しくて、お前さまに傷ついて欲しくなくて、お前さまに『どうして欲しいのか』……もう、わらわには訳が分からなくなってしもうて……すまぬ、お前さま……」
眉根を下げ、項垂れる姿が愛しくて、思わず抱きしめた。
蛇神は予想外の行動に固まったかと思うと、行き場の失った手を空中にさまよわせてわたわたとうろたえ始める。その仕草があまりに可愛らしくて……胸が苦しいぐらい、愛しさでいっぱいになっていく。
「ううん……私もごめんね。重い荷物、背負わせちゃったよね。……もう、独りにしないよ」
決めた。
今度は、私が助ける番だ。
本当は、最初からこうすれば良かった。
無力を嘆く暇があるなら、自分にできることを探せば良かったんだ。
「……お前さま……」
「よく頑張ったね。……ほんとに、よく頑張った」
私の言葉で、最後の砦が決壊したのだろう。
「う……ぅぅっ、お前さまぁぁぁあ!」
蛇神は私の背に手を回し、縋り付くようにしてわんわんと泣く。
気丈に振舞っていた神の姿はどこへやら。今、私の腕の中にいるのは、可憐な乙女の姿を纏った一匹の白蛇だった。
泣きじゃくる蛇神の顔を、そっと両手で包み込む。
涙に濡れた頬を拭いながら、私は彼女の朱い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……千年、ずっと、頑張ってきたんだよね。ずっと、ずっと……『朱乃』との約束を、守ろうとしてくれたんだね」
「……すまぬ……わらわは……何も……」
「『何もできなかった』? ……そんなはずないよ。少なくとも私は、あなたにたくさん救われたんだから」
気が付けば、私は彼女の唇に自分の唇を重ねていた。
唇と唇が触れた瞬間。胸の奥に、ざあっと色鮮やかな光景が流れ込んでくる。
これは――千年前の、記憶だ。




