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第六十三話 「希望の光」



 紫月の繰り出した連撃を華麗に躱し、美しい跳躍を魅せた水世がそのまま背後を取った。その直後に、二人の影が爆煙に飲まれる。


「くっ……」


 咄嗟に後ろに飛んで距離を取り、煙の中から飛び出した水世。床を滑りながら着地して、薄青の瞳が正面を見据えた。

 視線の先――煙の中から、先の水球が追ってくる。


「鬱陶しい!」


 前方のそれに手のひらを翳したところで、別の角度から迫り来るもう一つの水球が水世を挟撃する。

 十一番の魔法を足元に放った紫月は、爆煙を生むことで姿をくらまし、更に一発目を囮にして二発目の具現化を狙っていたのだ。


「Espoir15【水膜】」


 それらを一瞥し、挟み撃ちに対応すべく全身を水の膜で覆った水世。

 水球はそれに接触すると一斉に弾け、破裂音を響かせて散り散りとなった。


 凄まじい衝撃が水世を襲う。

 が、外側の膜が波打つだけで、中にいる本人には届かない。

 しかし、それで良かったのだ。


「いま、このタイミングだ」


 攻撃を凌ぎ切った水世。その身を覆っていた膜が霧散して消える。

 ――いや、消えたのではない。意図的に消したのだ。


 全方位からの攻撃に対応できる優れた性質を持つ反面、展開している間は身動きが取れない。

 その欠点を理解しているからこそ、おそらく水世は攻撃を防いだあとにすぐ具現化を解くのだろう。それは前にも一度だけ見たことのある、水世の癖だった。


「Reve24【大名颪し】!」


 果たして紫月が智也と同じ認識をしていたかどうか。

 第六感が働いたか、或いは偶然の産物か。何にせよ、完璧なタイミングでソレは放たれた。


 振り上げた手の軌道をなぞるように、具現化した刃が切り立ち、爆煙を裂いて、地を駆けていく。

 牙を剥いた獣さながらに隙を見せた獲物にソレが襲い掛かり、


「Espoir9【くれない】」


 習得するに当たって苦労を強いられた、努力の結晶たる魔法。智也が紫月と共有した時間の中で、初めて有意義であったと思えたその産物である。

 それが、冷たい声によって打ち消された。


 冷気すら幻視するほどの酷く冷めた声に反して、目の前のそれは赤々と燃焼していた。

 薄青の瞳で横目に見て、振るった腕から飛ばされた炎が地を走る刃の前に立ちはだかる。

 そして、勢いよく立ち上がった。


 もはや火の勢いを強めるだけのそよ風と化したソレに、水世がため息交じりに瞳を閉ざす。


「終わりね」


 そう呟いたとき、紫月の頭上に雨が降り出した。

 正しくは、雨のように細かい水滴が針のように刺した、だろうか。


「Reve27【霧雨】」


 いつの間に、と考える暇もなく、雨に打たれた紫月がその場に倒れ込む。

 全身に走る刺すような痛みに、気を失ったのかもしれない。

 そうして動けなくなった紫月に判定が成されて、


「水世怜、一本。勝負――」


 と、先生が言いかけたところで紫月の体が僅かに動いた。


「まだ……せめて一本だけでも……」


 容赦ない一撃を受けてなお、紫月は足を震わせながらも立ち上がろうとする。

 見違えるほどの根気だ。あれだけ怖気づいていた者が、ここまで変わるものなのか。

 智也は無意識に、心の中で「負けるな」と叫んでいた。


 ――しかし、紫月はこれまで何回魔法を使っただろうか。


 同じZランクの智也との間に、魔力量の差はそこまでないはずだ。

 であれば、もうとっくに限界を迎えていてもおかしくはなかった。


「それ以上はよしなさい。どっかのバカみたいに身を滅ぼすわよ」


 自覚があったのだろう。水世の忠告を大人しく受け入れた紫月が、力なくその場に座り込む。

 顔を俯かせ、覆った手の指の隙間から一滴の雫がこぼれ落ちた。


「……なんでだよ。負けるなよ」


 強者を前に、成す術なく敗退した惨めな弱者を見て、智也の心に穴が開く。

 まるで今から行われる自分の試合が同じ結末を辿ると示唆されているように思えて、心底気分が悪くなった。


 どれだけ努力を積んでも強者には敵わない。

 弱者が身の丈に合わない夢を抱いたところで、惨めな思いをするだけだ。

 わざわざ醜態を晒すくらいなら、いっそ潔く勝負を下りた方がマシだろう。


 誰かに、そう言われているような気がした。

 その得体のしれない輩が無性に気に入らなくて、腹が立った。

 でもそれは、努力は報われると信じる一方で、積み重ねてきたその努力を否定している智也自身だったのだ。


「これで最後だ。八試合目、始めるぞ」


 いつの間にかコート上にあった二人の姿が消えていた。

 代わりに、この模擬戦の掉尾を飾ることになった生徒――智也の対戦相手となる藤間が、ギャラリーの柵を飛び越え戦いの場へと派手に降り立った。


「……」


 無言の圧力。

 さっさと降りてこい、と言いたげな視線。

 それを受けて、智也も足を進めた。


「万全の策を考えた。狂いはない。俺はあいつとは違う。負けるはずがない」


 自分に言い聞かせるように、平常心を装うように、風穴の空いた心を埋めるように。

 独り言を繰り返して、舞台裏の階段を下りていく。


 背後で誰かたちが何かを言っていた気がするが、耳鳴りがするばかりで、智也には何も聞こえてはこなかった。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 扉の前で足を止める。

 ここを開ければ、間もなく試合が始まるだろう。

 しかし、とてつもない不安が襲い掛かってきて、これまでの努力と自信を奪い去っていこうとするのだ。

 本来なら、心に空いた穴もすぐに埋まっていたはずなのに、今はそれができていない。


「俺、なにか忘れて……」


 と、ドアノブに手を当てたまま固まる智也の耳に、冷たい風が当たった。


「情けない顔。まるで死地に駆り出された兵士のようね」


「顔……」


 風が吹いた方を見やれば、舞台裏の壁に凭れていた水世が、こちらを見て鼻を鳴らしていた。

 指摘されても、鏡もないため自分がどんな面をしているのか智也には分からない。


「ったく、シャキッとしなさいよ。負けたら死ぬわけ? しょうもないプライドなんか捨てて、男らしく戦ってみなさいよ!」


「俺のこと何も知らない癖に……」


「知らないわよ。知りたくもないわ。ただ、私に勝っておいて無様に負けたら、私の顔に泥が付くって言ってんのよ」


「なんだよそれ。励ましてくれるんじゃないのかよ」


 放心していた間に好き勝手言われており、それに気付いた智也はだんだん怒りに近い感情が沸き上がってきた。

 そんな智也に、水世は心底理解できないといった顔を向けてくる。

 毒を吐いてくる口に、激励を期待するだけ無駄であったか。むしろ、毒でもいいから浴びたいと思えるほどに、智也は追い込まれていたということか。


「は?」


「すいません、なんでもないです」


 吹っかけられた毒で正気に戻ったところで、こちらに突き刺さる酷く冷たい眼差しに、思わず苦笑する。


 おそらく水世は思ったことを口にしたまでである。

 それで智也の気が紛れたのは事実だが、感謝でもしようものなら「謂れはない」と足蹴にされるだろう。

 それが分かったから智也もそれ以上は何も言わず、背を向けた。


 ――視界が開ける。


 薄暗い舞台裏から明るい会場に出て、微かに感じた眩しさに目を細めながら歩を進める。


「智也……くん」


 不意に声がして。

 首を向けると、隅の方で新井先生に介抱してもらっていた紫月の姿が視界に入った。

 新井先生も何かを紡ごうと唇を動かしていたが、紫月の声に反応して、その口を閉ざしてしまう。


「……気を付けてね」


 紫月は言葉を探すように視線を彷徨わせたあと、優しい声色でそう呟いた。


「――あぁ」


 それに一言だけ返し、智也は新井先生に一礼してその場を去る。

 ポケットに手を突っ込んだ藤間が待ちくたびれたと言わんばかりにガンを飛ばしてきたが、それを軽くあしらって、向かい合うように立ち並んだ。


「揃ったな」


 固唾と共に、寸前まで抱いていた無駄な感情をまるごと飲み干し無理やり溜飲を下げる。

 いまは目の前の男に勝つことだけを考えろ。

 黒瞳にそんな意志を灯して、獣のように鋭い眼光と相対する。


 そして、無限のように長く感じた間があいたあと、先生が口火を切った。


「八試合目、黒霧智也VS藤間影虎。――始め!」


「Reve11【火弾】」


 その合図に被せるように言霊を唱え、瞬く間に火球が具現化する。おそらく開始前の段階で、既に準備を整えていたのだろう。

 そのための時間と魔力さえ用いれば、久世や藤間でなくとも「一発目」は特大の魔法を瞬時に顕現させることが可能なのだ。

 幸い、藤間のそれは特大サイズでなかったものの、どちらに転んでも対処できるよう、智也は対策を練っていた。


「Reve11【火弾/赤鷲】」


 遅れを取ることなく、藤間に合わせて火球を具現化し、撃ち放つ。

 少ない魔力量でやりくりするために改造されたそれは『強度』を削っており、本来撃ち合いに使うべきではない。

 では何故、あえてその魔法を用いたのか。


 衝突する二つの火球。当然力負けした智也の方は爆散して消えてしまう。

 眼前、勢いを増した炎が押し迫ってくるが、その軌道が僅かに上にずれた。

 火球の位置を調整して放つことで、衝突の際に生じる爆風を利用して軌道を逸らせたのだ。


 身を屈める智也の頭上を通り過ぎた火球が、緞帳にぶつかって燃え上がり、やがて何事もなかったかのように霧散して消える。

 同時に、智也は前傾姿勢のまま言霊を唱え、努力の結晶たる魔法を具現化させていた。


「Reve18【火蜂】」


「あ?」


 両腕を脱落させた妙な構えを見てか、藤間が訝しげに眉を寄せる。

 そこに間髪入れずに、智也は腕を振り払って八つの玉をばら撒いた。


 有効打を取り合う模擬戦、延いてはクラス対抗戦において、広範囲の攻撃を可能とした上に一つでも当たれば点を取れるこの魔法は、初級魔法の中でも随一の性能だと智也は睨んでいた。だからこそ、どうしても物にしたかったのだ。

 だが今回はそれを決め手としてではなく、詰みの一手として用いる作戦である。


 爆撃の如く頭上から降り注ぐ火の玉を、藤間がバク転で躱していく。

 標的から外れたそれらは床に着弾すると花火のように炸裂し――同刻、前傾姿勢のまま腕を振るった智也は、流れるような所作で右手を後ろへ回していた。


 一切無駄のない動きと計算し尽くした策を以て、詰めにかかる。


「――Reve13【風牙】」


 顕現した刃を逆手に持ち、後ろ手に隠すように構えたまま地を蹴った。

 たった一度の踏み込みでトップスピードに乗る智也。

 火の玉を躱していた藤間が視線を外した一瞬の隙に詰め寄り、右手の刃を当てにいく。


 ――強化した脚力で駆けながら刃を振れるほどの技術と動体視力が、智也にはない。


 そもそもどうにか実践に間に合わせたものの、今の智也では刃の形を維持するだけで手一杯なのである。故に、得物を振って相手を切ることなど不可能だった。

 だがその反面で、己の未熟さを埋め合わせるだけの策が、智也にはある。

 刃を振り回すことが叶わなくとも、構えたまま疾走すればそれだけで相手を切り裂くことは可能なのだ。


「一点目――!」


 疾走しながら、智也はすれ違いざまに風の刃を切りつけた。

 藤間にはいつ補助魔法を使ったのかすら分からなかったはずだ。急接近した智也に、反応出来るわけがない。

 ――はずだった。


 高速の刃が、絶妙な身熟しによって躱される。

 無論、当てた感触は智也の手にもあらず。動揺しつつも迂回して、すぐさま二撃目を狙う構えを取った。


「練習の成果はちゃんと発揮できているはずだ」


 不出来だった装備型の魔法は試行錯誤の末、こうして実戦で使えるほどまでとなった。

 直線にしか走れなかった強化魔法も先生に指導を仰ぎ、練習を重ねて改善された。

 ちゃんと結果は出ているはずなのだ。

 だから、その努力の成果をもっと目に見える形で分かりやすく肌で感じたくて――、


 迂回して、狙った二撃目が再び容易く躱される。

 足を止める練習はまだしていなかったが、足場を壁に変えて距離を稼ぎ、それを蹴って身を回しつつ体勢を整えてどうにか着地した。


「どうした、もう終わりか? その程度の付け焼き刃じゃ掠りもしねぇぞ、雑魚ランク」


「――だったら、これならどうだ」


 呼吸と姿勢を整えて、身体をゆっくり前に傾ける。

 そしてつま先に体重を乗せ、今度は全力で地を蹴った。


 ――智也の体が、消えた。


 そう錯覚するであろう速さで駆けて、切りつけて、壁を蹴って、また切りつけて。

 神速の刃が、完璧に見切られる。


「まだだ!」


 強化魔法の効力が残り少ないと体感しつつ、最後の一撃に全てを懸け、智也は壁を蹴って懐に飛び込んだ。

 そんな渾身の一撃が、あろうことか藤間に歯で受け止められる。

 そのまま脆い刃は噛み砕かれ、虚しくも散り散りに消えていく。


「遅ぇよ」


 藤間の拳が、智也の顔面を撃ち抜いた。


「ぶぁっ」


 訳も分からず体育館の床を跳ねながら、壁に激突して蹲る。


 ――顔が熱い、背中が痛い、口の中が気持ち悪い。


 不快な感情ばかりが湧き上がってきて、智也の体を内側から焼いてくる。

 その不快感をぶつけるように強い眼差しを向けるも、藤間はむしろ心地よさを感じるかのように凶悪な笑みを浮かべている。


「残念だったなぁ、必至の手が通じなくてよ。あれだけ一心不乱に練習してたんだ、お前が十三番それに重きを置いてたことくらい見てりゃ分かんだよ」


 今回模擬戦を行うに当たって、練習の場が分けられなかったことは智也も気にしていた。

 一対一で戦う手前、対戦相手の対策を練ろうにも、その練習が相手に筒抜けとなってしまうのだ。


 幸い智也には自主練習をする場が設けられており、それを利用することで手の内を明かさないよう努めることはできた。

 しかしながら初級魔法一つ会得するにしても、智也には時間を要した。

 自主練の時間だけではどうしても間に合わず、ある程度は授業内でも練習を積む必要があったのだ。

 

 自分の練習に必死で藤間のようにアンテナを張り巡らせる余裕はなかったが、それでも時折目を配らせていた智也には、藤間がどんな練習をしていたのか、全く知らないわけではない。

 とはいえ、とはいえだ。まさかここまで差があるなんて誰が予想できただろうか。


「く……」


 狂気すら感じる獰猛な眼差しに、不快感を堪えつつ歯を食いしばる。

 そうして立ち上がろうとする智也に、藤間が更なる追い打ちをかけようとしてきた。


「知ってるぜ。お前の魔力じゃあと二発しか撃てねぇんだろ? 勝利条件は有効打を二回だ。さぁ、後がなくなった。――どうするよ、雑魚ランク」


「…………」


 勝ちを確信したような藤間の物言いに、智也は深い安堵を覚えた。

 確かに本来であれば、藤間の言っている通り『六回』しか魔法は使えない。だが智也は『改造』によって魔力を節約しているのだ。

 更に言うなれば、残りの魔力も同様に『改造』して用いることで、使用回数をかさ増しすることもできる。

 あと二回と高を括っている藤間に一泡吹かせられる可能性は、まだ潰えていなかった。


「――大丈夫だ、予定通り藤間は誤想している。策は上手く機能しているはずだ」


 重要なのはここからだ、と痛む口元を手の甲で押さえて、智也は気を入れ直す。


 藤間が読み違えている魔力量と実際の残量。その差異に気付かない内に、一点でも多く取ることが智也の勝ち筋。

 当の藤間は変に隙を生ませないためか、不用意に攻撃を仕掛けようとしてこない。

 ただ慢心しているだけなら楽だったが、あと数回攻撃を凌ぐだけで自分の勝利が揺るぎないものになると、ちゃんと理解しているのだ。


 獅子は兎を狩るにも全力を尽くす――などというが、このときの藤間の瞳はいつもの獰猛な獣のそれではなく、聡明で気高い、鷹のようであった。


 もう何度も反芻した作戦を今一度思い起こして、覚悟を決めて立ち上がる。


 限られた魔力量。外せば終わる。

 悟られないよう、一気に畳みかける。


「Reve11――!」


「ハッ、残量が二発分しかなけりゃ補助魔法に魔力は割けねぇ。おまけに棒振りも無意味と来たら、当然お前には十一番それしかねぇよな」


 右手を翳し、藤間に聞こえやすいようあえて大口で詠唱する智也。大方、それを見て感情を込めているとでも思ったことだろう。

 こちらの行動は想像の範疇だと、嘲笑うかのように藤間が鼻を鳴らし、



 ――その鼻っ柱をへし折るために。



「Espoir20【円環】」


 伸ばした腕を固定したまま、狙いを定めて言霊を唱え直す。

 飛んでくる火球を軽く躱そうと身構えていたであろう藤間は、面白いくらい簡単に智也の罠に引っ掛かった。


「なに……!?」


 具現化した青い光の輪が、藤間の胴体を縛り付ける。

 そのとき初めて動揺を見せた藤間の面に、智也は胸がすく思いをした。

 だが、喜びを噛み締めるにはまだ早い。藤間の理解が追い付く前に、先ずは一点を取りに行く。


「Reve11【火弾/赤鷲】」


「ちっ……!」


 同じように翳した手から、今度は攻撃用の魔法を放つ。

 自らが推察してみせたように、よもや二発分の残量しかない智也が、大事な一回を補助魔法に当てるなどと思えるはずがないのだ。

 ――そう。対戦相手のことをちゃんと調べていたからこそ、藤間は智也の術中にはまったのである。


 舌打ちを飛ばし、身動ぎするが、光の輪はそう簡単には外れない。

 冷静に考えれば縛っているのは上半身だけなため、足を動かせば逃げることは可能だった。

 しかし狙い通り動揺を誘えたおかげで、今の藤間にその猶予はない。となれば、藤間がとる選択肢は――、


「【隔壁】!」


 さすがの対応力で、咄嗟に岩壁を生み出した。

 足から魔力を流して壁を作るという高等技術は、先生の話では鍛錬を積んだ、それも土属性の適性者にしかできない芸当とのことだったが。

 なんにせよ、藤間の視界はいま、二メートルを越える壁によって遮られたわけだ。


「――Espoir3【強歩/一陣いちじん】!」


 智也は脚に熱が帯びるような感覚を得ながら、身を屈めて、強く地を蹴った。

 ただし、跳ぶのは正面ではなく――上方へだ。

 

 撃ち放った火球が岩壁に衝突し、爆発するが崩れない。

 壁が強固だったというよりは、智也の火力不足が原因だろう。しかしそうなることは想定内である。

 魔力量を読み違えた藤間を不意の補助魔法で拘束し、それで間隙を突いたとしても必ず対処されると、相手の腕を買っていたからだ。


「Reve14【土塊】!」


 と、藤間が動かせない両手の代わりに足を壁に当て、蹴り飛ばすように魔法を放った。

 足裏から放出された魔力が壁の中央をくり貫き、顕現した土のかたまりが智也の眼下で砕け散る。


「……! どこに行きやがった」


 こちらの姿が見当たらないことに気付いた藤間は、すかさず背後を振り返った。

 おそろしいくらいの判断力だ。拘束に成功して優位に立っているにも関わらず、依然、逼迫した思いが拭えない。


 だが、そんな思いもここまでだ。


「Reve11【火弾】――!!」


 藤間の真上に跳んだ智也が、その手に火球を具現化させる。

 想像しやすい簡易な形状。燃える赤い球体。

 今までと何ら変わらない、特異性のない普通の魔法だ。

 しかしそこには、節約のために火力を抑えていたそれまでとは、似ても似つかなぬほどの思いと力が込められていた。 


 正直これだけの魔力を使えば、智也には余力が残らない。

 ほんの寸前まで苦悶していたが、意を決し、次を残す策ではなくここで確実に点を決める方を選んだのだ。


 元々智也は、二本先取の勝負でその倍の点を狙えるように備えてきたつもりだった。

 備えあれば憂いなし、と念に念を重ねて考え抜いた策ではあったが、思いの外に藤間との距離が遠かった。

 だからこそ、ここに来て魔力を節約するという選択肢を智也は捨てた。

 もし万が一、この攻撃までも対処されてしまったら、それこそ一巻の終わりだからだ。


 それに、何故か今日はいつものような倦怠感が襲ってこない。本来なら紫月のようになるはずだったのにだ。

 或いは例の『魔導具』を用いた練習によって、智也の『魔臓』が成長しているのだろうか。

 いずれにせよ――、


「当たれ……!」


 両手で放った火球が、猛々しく燃え上がった。

 まるで智也の心情そのものかのような激しさで、真下の藤間に降りかかる。


「当たれ、当たってくれ……!!」


 重力に従い落下する己の体を気にも留めず、智也は心の中でひたすらに祈り続けた。



 藤間はまだ気付いていない。





 気付いていない。







 気付いて――、









「【水膜】」



 こちらに視線を向けないまま、その場で藤間がなにかを呟いた。

 それは何度も耳にしたことのある、しかし今は聞こえるはずのない単語で、智也の脳に無理解が響き渡る。


「は……?」


 全力の策が、魔法が、水に溶けて消えていく。

 身を守る膜を蒸発させることくらいはできたようだが、それでは意味がない。

 間抜けな声が勝手に口から漏れていて、顔の痛みも、受け身を取ることも忘れるほどに智也は混乱していた。


 ――何故、こちらの攻撃に気付いたのか。


 いや、その可能性は十分にあった。あったからこそ智也は警戒して、魔力を十二分に使って仕掛けたのだ。

 それよりもどうして藤間が水属性の魔法を、それも詠唱破棄が扱えるなんて――、


「智也くん!!」


 誰かの声が頭に響いて智也は我に返った。

 このままではまずいと、視界に入った備え付けのバスケットゴールに手を伸ばし、バックボードを掴むも手を滑らせて落下する。


「ぐぁ……」


 滑り落ち、背中を打ち付けて苦鳴が漏れた。

 幸い、高さと落下速度を和らげられたおかげで衝撃は緩和されたが、そんなことよりも精神的なダメージが大きすぎる。


「――終わった」


 ごくわずかな魔力でも戦えるように工夫して、なるべく長持ちさせてきた。だが、それも今ので完全に使い尽くしてしまったのだ。

 もう智也に残された魔力は――、


「いや、まだ行けるのか……?」


 胸に手を当て、己自信に問いかける。

 何度も限界まで消耗を繰り返してきた智也は、誰よりも魔力管理に長けていると自負していた。

 ただでさえ総量が少ないのだ。そんな智也が見誤うなんてこと、あるはずがない。

 まさか本当にこの短期間で『魔臓』が成長したというのか。分からない。


 でももし、万が一、何かしらの要因でまだ戦えるというのならば、


「たとえ一点でも、取ってやる……!」


 どこかの誰かが同じ言葉を呟いていたのを見て、智也は惨めだと、カッコ悪いと思っていた。

 でもそれより、諦めて勝負を下りていたことの方が恥なんだと、今になって気付いたのだ。

 男らしさを語ったあの人ならきっと最後まで本気で戦うだろうと、その者を一目見て、智也は痛みを堪えながら再び立ち上がる。


「なるほどなぁ、そういうワケかよ」


 いやに冷淡な声で、愚弄するような言葉が投げられた。

 なにか心を見透かされているような、そんな不快感が智也の胸の中で渦を巻く。


「最初から妙だとは思ってたんだよ。改良を施していないただの『言霊魔法』の撃ち合いで、同じ魔法に優劣が付くわけがねぇってな」


「それがどうした」


「強がるなよ。御自慢の戦術が見破られて泣きそうなんだろ? 雑魚ランクの雀の涙みてーな、こんな魔力を薄めて伸ばしてるとは思わなかったぜ。ハハハ!」


 二本指で豆粒程度の大きさを表しながら、藤間が軽快に笑う。

 まるで智也が練ってきた策が、培ってきた努力が、全て無駄だったと言われているようで腹が立って仕方がなかった。


「……」


 腹の底から湧き上がってくる灼熱をどうにか抑え、押し殺し、頭を冷やして機を狙う。

 今の藤間は完全に油断している。怒りを抑えて隙を窺えば、必ずチャンスはあるはずだ。


「これで分かったろ。俺とテメェとじゃ格が違うんだよ。分かったならそのムカつく面を、すんじゃねぇ!」


「……がっ!?」


 藤間の蹴りが脇腹に刺さり、智也の体が横に飛ぶ。

 模擬戦のルールにない、必要のない暴力だ。

 さすがに見ていられなくなったのか新井先生が立ち上がるが、智也の知らないところで担任がそれを止めていた。


 横腹を抑えながら、もう一度智也は立ち上がろうとする。

 膝をつき、さらに眼光鋭くして闘志を燃やしながら。


 ――今の自分は惨めで、不格好だろうか。


 なんて、痛みから意識をそらすために自問自答して、飛んでくる藤間の罵倒に邪魔をされる。


「気に喰わねぇ、最初からそうだ。テメェは俺より弱いくせに勝った気でいる眼をしてやがる」


「……はっ、事実だろ」


「舐めてんじゃねェぞ」


 そうして智也が鼻で笑い返してやると、目を血走らせながら藤間が飛んでくる。


 走りながら繰り出された飛び膝蹴りから、智也は腕を交差して頭を守るも、勢いを殺しきれずに後ろに蹴り飛ばされる。

 痛みに全身が悲鳴を上げているが、まだその時ではない。

 耐えろ耐えろと自分に言い聞かせ、智也は静かに牙を研いで待ち続けた。


「終わりだ、雑魚ランク。言っても分からねぇならその身に刻んでやる。天賦の才――その絶対的な力の差ってヤツをな」


 言いながら、智也に背を向けた藤間が中央に向かって歩いていく。


 絶好のチャンス。またとない機会。

 耐えて耐えて耐え抜いた鬱憤をぶちまけるには、もう今しかなかった。


「Reve29――」


 初級魔法の一番最後に掲載されている、火属性の魔法。

 藤間は智也の決め手が十一番や、強化魔法を併用した十三番での奇襲だと思い込んでいたようだが、密かに練習していたこの魔法こそが、正真正銘智也の奥の手だったのだ。


 どういうわけか具現化に必要な魔力は足りており、天の恵みかと感謝すら覚えながら、藤間に悟られないよう静かに言霊を唱える。


「【相縁気炎あいえんきえん】」


 同じ初級魔法とは思えないほどの熱が放散され、藤間の背を焼き焦がした。

 ここまでこてんぱんにされたのだ、不意打ちだったとはいえこれくらいは許されるだろう。『魔法服』もあることだし、大事には至らないはずだ。


 そんなことより、大口を叩いていた藤間の面がどうなったのか楽しみである。

 格下だと罵っていた智也に有効打を取られ、困惑しているかもしれない。或いは怒りに満ちた表情で、それこそ猛獣のように暴れ回るだろうか。


「そうなったら、どうにか逃げ切るしかないな……」


 まだもう一度【強歩】を使うくらいの魔力は残されているようだ。

 今度はそれで藤間の魔力が切れるまで逃げ延びて、最悪優位を維持できれば勝てるだろう。

 そんな風に考えながら期待に胸を膨らませていた智也は、ふと違和感に首を傾げた。


 先生の判定が聞こえてこないのだ。


 おかしい、確かに有効打を取ったはずなのに。

 まさか余所見でもしていて智也の活躍を見過ごしたわけではあるまい。

 と、視線を移そうとして――――、


「Reve47【大佗羅だいだら】!」


 理解できない数字の羅列が聞こえて、理解したくない現象が目の前で起こっていた。


 智也の奥の手が、突然現れたとてつもなく大きな腕によって掻き消されていたのだ。


「な……なんだよ、それ……」


「だから言ったろ、終わりだってな」


 真っ白になりそうな頭を振って、目の前の光景をもう一度視認する。体育館の床に光るそれは、魔法陣だった。


 ――いつの間に、と声を震わせながら視線を上げると、天井まで伸びる巨大な腕があり、何度見ても目を疑いたくなる。


 こんな魔法、今まで一度も見たことがない。

 その圧倒的な存在感に、智也は腰を抜かして尻餅をついてしまう。


「よんじゅう……?」


 耳を疑いたくなったが、確かに藤間は四十番台の詠唱を行った。智也が知っているのは二十番台まで。まさに、異次元の世界である。


 だが初級のみというルールは前回の授業までで、既に中級魔法は別の試合にて何度か使用されていた。

 それらを見た上で、智也はどこかで考えないようにしていたのだ。

 ソレの対策を、練っていなかったからである。

 気付いたときには、もう備えるための時間がなかったからである。


「ハッ、ようやく理解したか。それでいいんだよ。弱者は弱者らしく、強者を敬ってればなァ!」


 藤間の動きに連動して、巨大な腕が横薙ぎに振るわれる。

 まるでゴミを払うかのように、智也の身体は宙に投げ出された。


 宙を舞い、壁にぶつかり、床に崩れ、倒れ伏し、智也の体は、指一本も動かせなくなった。


 何度も、何度も何度も心を折られ、その度に自分を奮い立たせてきた。

 あの人みたいに強くなりたいと焦がれたからこそ、中途半端で終わりたくはなかったのだ。


 ――心配すんな、お前はきっと強くなれる。この俺が保証してやる。


 そう言ってくれたから、智也はその言葉を信じ、これまで努力に励んできた。

 しかし超えられない壁というのはやはりどこの世界にも存在して。


 それでも諦めず、果敢に挑んできたつもりだった。

 でも今の智也の黒瞳には、もう絶望の二文字しか見えなかった。



 ――ああ、終わった。



 勝負を捨てた智也の視界に、とどめの一撃が迫ってくる。

 積み重なった疲労と痛みで意識が薄れていき、瞼の裏の深い闇へと吸われていく。


 そんな消え入りそうな意識の中で、最後に二人の先生が自分を守ってくれたような、そんな光景が見えたような気がした。











 落ちていく、落ちていく、どこまでも暗い海へと落ちていく。

 沈んでいく、沈んでいく、どこまでも深い絶望へと沈んでいく。


 海面に伸ばそうとしたその手は、ガラスのように砕けて海の藻屑となった。



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