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第六十二話 「夢幻泡影」



 階段から転び落ちた智也は保健室に運ばれ、新井先生の治療を受けていた。

 特に外傷もなく大事にならずに済んだものの、要安静との診断を受け、昼休憩の間だけでもとそこで休むことに。

 そうして無茶を言って午後からの授業に出させてもらえることになった智也は、一足先に体育館に戻ろうとしていた。


「本当についていかなくて大丈夫なのか?」

「本当についていかなくて大丈夫ですか?」


「……大丈夫ですよ、子供じゃないんだし」 


 それは智也目線で十歳未満のことを指していたが、周りの大人から見れば十四歳なんてまだまだ青二才であろう。

 この場合、智也の発言には別の意味も孕んでいたが。


 そんな風に声を揃えて身を案じてくれる二人に再々断りの言葉を言って、智也は保健室を後にする。

 どの道あとからあの二人も合流することになるのだが、試合前にちゃんと体が動くかどうか試しておきたかったのである。

 そんなことを考えながら渡り廊下を歩いて、第一体育館の扉をくぐる。


「智也くん、大丈夫なん!?」


「……あぁ、なんとか」


 と、その姿を見るや否や紫月が駆け付けてきて、こちらに注がれる熱い視線に、智也は後頭部に手を回しながら思わず目を逸らした。

 そのまま視線を漂わせると、同じような眼差しを向ける二人と目が合う。


「……」


「大丈夫なんスか……?」


 ゆっくりと歩み寄ってきた七霧が、わなわなと小刻みに体を震わせながら智也の肩に手を伸ばしてくる。

 それに苦笑しながら「大丈夫だよ」と返した智也は、後ろで気まずそうな表情を浮かべる国枝を見て、内心で首を傾げた。


「……ごめん、あんなことになるなんて思ってなくて」


「いや……? 大丈夫だよ、この通り元気だし」


 一瞬、誰の声か判断できなかったほどに、国枝のそれは今にも消え入りそうな声だった。


「ほんとに大丈夫なの……?」


「あぁ、新井先生がそう言ってたからな」


「そっか、よかった……」


 下手くそなりに笑って見せると、深碧色の瞳から、少しは不安の色が薄れたような気がして。

 また無駄な心配をかけてしまったんだなと、智也は反省する。


「無事で良かったっス~~。みんな黒霧さんのこと心配してたんスよ!」


「悪いな」


 心の底から安堵したようなその表情に、智也も心底申し訳ないと思って苦笑いを浮かべた。

 そんな二人のやり取りを、浮かない顔つきで見る国枝。智也はその機微に気付くことができなかった。


 しばらくして、智也がウォーミングアップを済ませた頃合いを見計らったかのように、気の抜けた声を放ちながら先生がやってきた。


「全員揃ってるな。模擬戦、再開すんぞー」


 智也がそちらに視線を向けると、ちゃんと新井先生の姿があり。

 それに気付くと何か訴えるような眼差しを向けてきて、無茶はしませんよと心の中で苦笑交じりに応じた。


「さて、次の試合は――」


「満を持して俺の出番が来たってわけだな!」


「ウチ、やる前からもう不安なんですけど」


「大丈夫! 不安がる暇もないくらい一瞬で決めてやるぜ!」


「どの口が言ってんだが……」


 大口を叩く神童に呆れながら、智也はため息を溢した。

 それもそのはず、これまで神童がまともに戦っていた場面は皆無なのである。

 的当ての授業では見当違いなところに魔法を放ち、チーム戦では開始直後に自爆して気絶。そのうえ地獄鬼でも、大した活躍もないまま脱落となっていた。

 目立ちたがりな部分が散見される割には、いつも口先だけで何の実績も残していないのだ。


 そしてあの日、黒ローブの者との密会を目撃してから、智也はまだ一言も彼と言葉を交わしていない。

 謎深いあの男が何を企み何を考えているのか、残念ながら今はそちらに構っていられるほどの余裕がない。

 この模擬戦に勝利し、クラス対抗戦への出場権を得ることができたならば、その余裕も多少は生まれるだろうか。そのときは今度こそあの男をとっ捕まえて――、


「黒霧さん、行くっスよ」


「え? あぁ」


 いつの間にか、周りの生徒はみなギャラリーの方へと上がっていた。

 七霧に呼ばれて我に返ると、智也も急いでその後を追う。


「んじゃ、六試合目。東道千春VS神童隆――始めろ」


「おっしゃいくぜええええ!」


「Reve12【水風船/雨燕】!」


 気合を入れるように吠える神童へと、東道の容赦ない一撃が撃ち込まれる。

 その、どこか聞き覚えのあるフレーズに智也は目を見開いた。


 どちらかと言えば数で弾幕を張ったり物量で圧倒するのが十二番の魔法の特色だ。

 その個性を殺し、真逆の性能へと無理やり改造(かいぞう)したもの――そう、それは水世が得意としていた『改造魔法』のそれである。


 その弾丸の如く射出された魔法が銀髪の男の顔面すれすれを通り過ぎる。

 神童はそれに冷や汗を流しながら、顔をひきつらせていた。


 そうして動揺してる間にもう一度引き金が引かれ、次々と飛んでくる弾丸に、案の定尻尾を巻いて逃げ出す始末。


「ひええええ!!」


「……やっぱりな」


 誰もが予想していたであろう展開に、ため息も出ない。

 やる気がないように見える彼の戦い方は、相手をさせられている東道の迷惑だろうし、真面目に取り組もうとしている者への侮辱である。

 だから智也は始まる前からこの試合が嫌だった。

 東道には悪いと思ったが、二人の戦いから学べるものはなにもないと、そう言い切れたからだ。


「これで一点目!」


 弾丸の雨から逃げていた神童が、とうとう壁際に追い込まれた。

 逃げ場を失った神童に、とどめの一撃が放たれる。


「だが甘い!」


 あろうことか東道に背を向けると、彼は壁に向かって走り、それを蹴って宙返りしてみせた。

 追い込まれたはずだったのに上手く攻撃を躱したのだ。

 しかしそこまでは良かったものの、着地の際に足を捻り、情けない声を出して素っ転んでいる。


「く……猪口才な真似を……!」


「いや、自分で転んだんじゃん」


「ふっ、どうやらお前のことを甘く見ていたようだぜ。こうなったら、こちらも奥の手を使わせてもらおう!」


「え……なに?」


 その独特なテンションについていけず、東道は頬を引きつらせて戸惑っている。

 そんな東道を捨て置いて、神童の独壇場はまだ続く。

 相も変わらず意味の分からないことをほざいて、また何かやらかすのかと智也は白い眼を向けたが、


「Reve12――!」


 そのとき、銀髪の男を取り巻く空気が変わった気がした。

 彼の口から出る言葉はいつも中身がなく、薄っぺらくて信憑性がない、軽いものばかりであった。

 しかしその声には確かな重みが宿っているように感じられ、


「【水風船/雨燕】!」


「は!?」


 思わず声を上げてしまうほどの衝撃が目の前で起きた。

 神童の突き出した拳から、弾丸の如く水泡が打ち出されたのだ。


 ただのはったりではなく、自滅するでもなく、確かに具現化した魔法が東道の、その後方の壁に衝突して霧散していた。


「くー! やっぱ制御がむずぃな~!」


「なんで神童も使えてんの!?」


「そりゃーこっちの台詞だぜお嬢さん。あれは水世っちのだろ?」


 目を白黒とさせる東道に、神童がいちいち決め顔を作って答える。

 それに対し東道が「そうだけど……」と言葉尻を濁して、


「ウチは水世さんに直接教わったんだよ」


「おん、知ってんよ。俺もこっそり聞いてたからな!」 


 訳を話す東道に神童がサムズアップしてみせて、少し離れたところから「は? あり得ないんだけど」という鬼気迫るような水世の声が聞こえてきた。

 それに気付いた東道が、苦笑いを浮かべる。


「さすがにそれは引くわ。てか、水世さんの視線がマジ怖いんだけど……」


「いーじゃん! だって普通に聞いても教えてくれないじゃん! じゃん!」


「そーだろうとは思うけど……って、なんか戦いにくいなぁ」


 地団太を踏みながら拗ねる神童を蔑むように見つめてから、東道は肩を落とした。


「くそー! なんでいつもこうなるんだよー!!」


 よく分からない不満をぶちまけて、やけくそ気味に神童が走っていく。

 東道は少し眉を寄せて、嫌なものを拒絶するかのように手を翳した。


「Reve12【水風船/雨燕】」


 放たれた弾丸が神童の体に直撃。その身を後方に弾き飛ばす。

 そして風車のように回転しながら体育館の壁に激突して、そのまま倒れて動かなくなった。


「東道千春、一本」


 判定を告げながら先生が神童の方を見やる。

 ぐったり倒れて動かない様を確認すると、呆れたように嘆息し、そのまま先生から第六試合の決着が言い渡された。

 結局いつもと変わらない展開に、智也も釣られてため息を溢す。


「なんかウチ、全然勝った気しないんだけど……」


「やっぱ神童さんは神童さんなんスね~」


「そうだな……」


 頭の後ろで手を組みながら、七霧がそう微笑する。

 それに賛同しながら智也が視線を横にずらすと、七霧の奥にいた国枝が一瞬困惑したような表情を浮かべ、すぐに「そうだよね」と言って苦笑していた。


「あ、私……もう行かな」


 と、左隣にいた紫月が、強張ったような表情でそう呟いた。

 思えば次で七試合目。智也の試合も、もうすぐそこである。

 変に意識をすると思考がよくない方向へ進むため避けていたが、ここまでくると否が応でも考えてしまう。


 ――落ち着け、冷静さを欠いていてはできることもできなくなる。


 自信を持って取り組むのと不安に駆られて戦うのとでは、コンディションに大きな差が生じてしまう。

 今は余計なことを考えるべきではない、と智也は精神統一を図った。


「紫月さん、頑張ってね」


「行ってらっしゃいっス!」


 そうして智也が思考に耽っている間、七霧と国枝に激励を貰った紫月が、舞台裏に進めていたその足を一度止めた。

 不安に満ちた瞳がちらとこちらに向けられた気がしたが、智也はその意図が分からず、口を噤んだままその背を見送った。


「――智也くん、頑張ってくるね」


 何か呟いたように思えたが、その声は智也に聞き取れなかった。

 顔をしかめ、首を傾げようとしたそんな智也の背に、鋭い語気がナイフさながらに突き刺さる。


「邪魔よ。どきなさい」


 後ろを見やれば、白雪と見紛うほどの純白が現存していた。

 人目を引くような際立った美を持ち合わせているが、不機嫌さを前面に出しているその面と、口から飛び出る凶器が薔薇についた棘を思わせる。

 おそらくは先の神童のせいだろうと考えて、智也は苦笑を浮かべながら道を開けた。


 触らぬ神に祟りなし。

 そう思っていたのだが、何故かすれ違いざまにその鋭い眼差しを向けられて、半場八つ当たりのように威嚇されてしまう。


「俺が何したんだよ……」


 そう不満を溢したが、水世は「ふん」と鼻を鳴らすとすまし顔で去っていった。


「――始めるぞ」


 コート上で待っていた先生の前に、先の二人が向かい合わせに立つ。

 緊張しているのか、紫月は胸の前で手を合わせていた。

 対して水世の堂々たる佇まいには、油断も隙もありゃしない。


 そして確認を取る先生に二人が首肯して、試合開始の合図が、今、なされた。


「七試合目、紫月未奈VS水世怜。始め!」


「Reve16【半月切り】」

「Reve16【半月切り】!」


 開始の合図と同時に放たれた斬撃が、衝撃波を生んだ。


「二人揃って風魔法?」


「同じ適性同士、有利を取ろうとしたんだろうな」


「……そっか。さすがだね」


 ぽっと出た疑問に智也が答えると、少し間を空けてから納得の声が返される。

 しかし、納得した割にはイマイチ浮かない表情をしており、智也は小さく首を傾げた。


「――」


「Espoir13【隔壁】!」


 と、水世が手を翳した瞬間、すぐさま紫月が床に手をついて岩壁を生成した。どうやら、例の『改造魔法』を警戒しているようだ。

 射出速度に優れた先の十六番をも上回る速さには、それくらいの警戒心がなければ対処できない。

 いい対策と気構えだと智也も思ったが、そればかり警戒していては逆に裏をかかれそうである。


「Reve16【半月切り】」


 壁の裏から、紫月が仕掛ける。

 不意を打つにはもってこいの組み合わせだが、既にそれは前の試合で使用されている。

 腕を組んで堂々と構えていた水世に斬撃が急襲するが、その身を裂く前に霧散して消えてしまう。


「そんな愚策じゃ、私には届かないわよ」


 片目を瞑り、毒を吐く水世。

 その身は厚く覆われた水の膜によって守られていた。


「やっぱり守りが堅いな」


「そうっスね……」


 智也たちも苦戦を強いられたそれは、三人の力を合わせることにより、どうにか打ち勝つことに成功した。

 しかし今回は個人戦。あのときのような手が使えないのであれば、同じように改良を施して突破するしか方法はない。

 ――だが智也も紫月も、そこに回せるだけの魔力に余裕がないのである。


「Reve12【水風船】!」

「Reve12【水風船】」


 紫月に合わせるように、水世が詠唱を重ねた。

 放たれた複数の水泡がぶつかり合い、弾け、小さな水滴となってキラキラ輝きながら散っていく。

 幻想的な景色だが、それに見惚れている場合ではない。


 数少ない魔力を無駄打ちに使って、そこになんの意味があるというのか。

 早急に守りを崩す策を講じねば、最悪向こうが守りに徹しているだけで紫月の魔力は枯れ、水世の勝利が確定してしまう。

 ――そう考えて、智也は自分が紫月を応援しているのではないかという疑問を抱いた。


「いや……違う。練習の手伝いをした以上、無様に負けられたら俺が恥をかくからだ」


 それに、紫月に勝ってもらわないと自分も――と心の中で呟いたところで、微かに光明が見えた気がした。


 それは水世の癖なのか、記憶を掘り返してみると前にも一度だけ同じ動きをしているようだった。

 紫月がそのことに勘付くかどうかが一番の問題だが、そこを狙えば或いは――。


「どうしよう、やっぱり水世さんは強い。私なんかが考えた作戦じゃ全然通用しやへん……」


 不安げな表情を浮かべたのは一瞬で。喝を入れるように両頬を叩いた紫月は、その瞳に確かな闘志を宿していた。


「攻守ともにワンパターンだと読まれやすい。一つ一つの魔法に意味を持たせる……やよね」


「戦いの最中に相手から目を逸らすなんて、随分と余裕そうね」


 ぶつぶつと独り言を呟く隙だらけの紫月に、水世の魔法が容赦なく襲い掛かる。

 それを間一髪のところで身を屈めて躱したが、氷にように冷たい眼差しを向ける水世に、観ているだけの智也の背筋まで凍りそうになる。


「そんな余裕そうに見えるかな? 水世さん強いから、もうてんてこ舞やよ」


「そ。それが分かってるなら降参しなさい」


 自嘲気味に笑う紫月の顔に、水世が毒を塗った。

 確かに誰が見ても力の差は歴然としている。さすがの辛口を受けては紫月も尻込みするだろうかと智也は思ったが、


「しやへんよ、そんなこと。何の努力もせず、悲観して泣き喚くだけなら誰にでもできる、そう学んだから。――降参なんか絶対にしやへんし、努力を無駄になんかさせへん!」


 それは、智也が紫月に向けて放った言葉だった。

 目標に向けて必死になっていた智也の傍らで、卑屈で後ろ向きで、弱弱しい発言をする紫月が気に入らなくて、自分の努力が侮辱された気がして思わず怒りを口にしたものだ。


 それと同じ言葉を言い放った紫月。

 そこにどんな思いが込められていたのか、少なくとも声を大にして叫んだ今の紫月には、後ろ向きな気持ちなどないように見えた。


「Reve20――」


 奮起するように、己を鼓舞するように叫んだあと。腕を横に伸ばして手のひらを下に向ける。

 魔法の具現化には型があるため、予備動作を見ただけでも使う魔法が予測できることがある。

 特に二十番の魔法はそれが顕著であるため、洞察力の高い水世には見破られていた。


「【水鞠】!」


「【水風船/雨燕】」


 紫月の手のひらから、雫のように滴った魔力が球体を象り、飛来する弾丸が即座にその玉を穿つ。

 耐久性がなく、衝撃に弱いという欠点を突いた見事なまでの早撃ち。

 あの弾速の前では、魔法を放つことすら叶わないのか。


「消えてない……!?」


 二度目の衝撃を受ける智也。

 弾丸に貫かれて弾け飛んだと思われた水球は、まだ現存していた。

 紫月の手のひらから離れたそれは、重力に従い落下して――弾丸の推進力を受けて波打つように揺れると、後方にぶっ飛んだ。


 水球が紫月の背後の壁に衝突して、バネのように反発。狙ったかのように水世に向かって飛んでいく。


「改良……甘いわね」


「まだまだ! Reve16【半月切り】!」


 迫る水球を難なく躱し、前方に駆けながら続く斬撃を華麗な舞いの如く美しい跳躍で飛び越える。その動きに圧巻され、誰もが言葉を失っていたようだった。

 首に巻いた赤いマフラーを靡かせて、音もたてずに紫月の背後に降り立つ水世。その細くて白い五指を紫月の背に当てて、


「終わりよ」


 冷たく言い放たれたあと、二人が爆煙に包まれた。



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