第百話 「白は白く、灰は暗く」
「おーっす。夜野から申請書もらってきたぜ」
二ヶ所に設けられた待機用の一室。横開きの扉を勢いよく開け放った長身の男が、一枚の紙をヒラヒラさせながら中に入ってくる。
どうやらそこでは来る決勝に向けての話し合いが行われていたようだが、わざわざ彼が使い走りの真似をしているのには少々ワケがあるようで、「ごめんね司くん」と一人の少女が囁いていた。
「灰川、同い年なんだからいい加減呼び捨てでいいって。それよか、部外者混じってるじゃん。誰? こいつら」
灰川と呼ばれた少女の謝意を軽く受け取り、男は質素な部屋の中心にある長机に目を向ける。
と、彼の訝しげな視線を受けたイガグリ頭の一人が反応し、声をあげた。
「裏瀧さん、それは酷いっすよー。俺たちはホラ、神崎さんの側近で……」
「……呼んだの?」
「気付いたらそこに座ってた」
「なんだよ、呼ばれてねーじゃん。勝手に入ってきたのか」
その神崎さんとやらに確認すると、そちらからは興味なさげな反応が返ってきて。裏瀧は、呆れたように嘆息した。
「んで、そちらさんは?」
長机の端、明らかに肩身を狭そうにして座っている男子生徒がいる。そちらに向けて改めて問いを発するが、本人からの返答はない。
「あー? おいコラ、何者だって聞かれてんだぞ」
「そうだぞコラ。なんで部外者がここにいんだよ」
「オレが連れてきた」
「あっ……。そうならそうと言えよな!」
「そう、そうだぞ!」
「お前らもう帰れよ……」
縮こまる男子生徒に群がっていたイガグリ二つが、神崎の一声によって態度をがらりと変える。それを見た裏瀧が、ため息をもう一つ。
「……確か、A組の虎城っつったか。なんでも、オレたちにとって有益な情報があるって話じゃねぇか。この場で聞かせてくれよ」
「え……? い、いや、俺は無理やりここに……」
「気に喰わねぇんだろ? あの担任がよ。だったらいいじゃねぇか。お前はオレたちに情報を流し、オレたちが代わりに鬱憤を晴らす。なんなら分け前だってくれてやるさ。こんな旨い話が他にあるか?」
「でも、この事が皆にバレたら……」
「告げ口なんてしみったれた真似するヤツ、ここにはいねぇよ。第一やるメリットがねぇ。つまり、他の連中には知りようのない話ってことさ」
どこか後ろめたさを秘めていた眼差しが、神崎の巧みな弁舌によって惑い、誤った方向へと思考が誘導されていく。
しばらく渋っていたものの、最終的に虎城はその首を縦に振っていた。
「物分かりがいいヤツは嫌いじゃない。さぁ、聞かせてくれ」
そうして彼は自主的に、A組の選抜メンバーについて知り得る限りの情報を吐き出した。
各々の適性や得意とする魔法に始まり、極めて重要な――決勝のポジションさえも。
「へぇー、異性への免疫がない……か。手強そうな相手に見えたけど案外ウブなんだなー。じゃあ、その雪宮ってヤツはお前らのどっちかがやるわけか」
「……」
右隣の灰川と机を挟んで向かいに座っている桃色頭の少女を交互に見る、その裏瀧の視線に前者が暗い顔を、後者は退屈そうに指に髪を巻いて遊んでいた。
「なら俺は、あの坊ちゃんの相手でもすればいいのかね」
「そいつは愛梨がもらうから」
「なんだよ、まともに喋れるじゃん」
意外な反応を見せた少女に裏瀧は目を丸くさせ、口を衝いて出た素直な感想に少女が不服そうに鼻を鳴らす。
裏瀧個人に対してか、或いはB組全体でかは分からないが、日頃あまり口を開かないらしいその少女がどうして急に意思を示したのか。物珍しそうな彼の視線にしかし返されたのは釘を刺すような睨視だけ。
顔を引き攣らせて身を引く裏瀧。と、黙って話を聞いていた神崎が再び口を開いた。
「修斗、あの水世って女と知り合いだって言ってたよな」
「はい……幼馴染です」
「こいつが……?」
「じゃあアイツはお前がやれ」
有無を言わせない物言いと、服従しか認めない横柄な態度。
これがただの餓鬼大将であったなら幾許か可愛げの欠片も感じられただろうが、他を支配する圧倒的な力を有しているとなると、これがなかなか凶悪だ。
同年代であるにも関わらず、赤来はただ言われたままに従うしかなかった。
そんな彼を、隣の少女はゴミを見るような目付きで見下げていた。
「てことは俺は余り物のチビ助ね」
頭の後ろで手を組みながら、「身も心も痺れるゥ~!」と騒いでいる坊主二人を一瞥し、裏瀧はだら~んと背もたれに体を預けるとそのまま静かに目を瞑った。
✱✱✱✱✱✱✱
脱兎のごとく駆け回る背を、三体の野干が付け狙う。
――正確には、獣の形を模した炎だ。
しかし、生物の特徴を捉え形状だけを変化させた擬い物とは異なり、ソレはほぼ生体としての機能を兼ね備えていた。
想像とも召喚とも言えない、智也には初めて目にするタイプの魔法だった。
「……!」
尾を巻いていた少年が振り向きざま、手を翳して何度目かの言霊を唱える。顔半分を隠すほど長い煉瓦色の髪が、力の入れ具合を表すかのようにふわりと逆立った。
襲い掛かる野干に変化はなく、わずかに体毛から火の粉が飛び散るだけ。何度試そうと、ソレには彼の操作魔法が通用しないようだった。
距離を詰められ、たまらず火の壁を具現化させて障壁を作る。それと同時、横合いから放出された炎が少年の身を飲み込んだ。
「女だからって遠慮することなんてないのに、ほんとに優しいんだね。そんな君の優しさに付け込むようなことしたくはなかったけど……言い訳にしかならないか」
火炎の中の少年に憂いを帯びたような目を向けて、小さくかぶりを振った少女は自嘲気味に笑う。
そうして揺らめく炎を見据えて「……きっと後悔するよ」と呟くと、やがて胡桃色の瞳に火を灯した。
「せめて全力でいくね」
吹き荒ぶ風が火炎を取っ払う。
少し焼けた髪の下、焦げ茶の瞳が大きく見開かれた。
両の手に作った狐の印を合わせ、少女は唱える。
「【火ト星】」
ぼう、と浮かび上がった狐火が、左右に広がるようにして数瞬の間に数を増やしていく。
神社に並び立つ灯篭――或いは夜天に瞬く星々のような荘厳で神秘的な雰囲気に、誰もが息を呑んだ。
「【焔狐】」
続けて重ねた言霊で、点された炎が形を変え野干と成る。その数は先の比ではない。
高音性の耳鳴りのような鳴き声を上げ、それらは一斉に少年へと飛び掛かった。
らしくない動揺が垣間見え、切羽詰まった表情でそれらと対峙する少年。この際、異性を苦手とする弱点なんてもはやあってないようなものだった。その少女は彼にとって、最大の天敵だったのだ。
「――」
具現化させた火の玉が少年の手から飛び立つ。
己の手足のように自在に操ることのできるそれらは群れを避け、少女に迫ったが、同じように意志を持つかのような動きを見せた数体の野干がそれに飛び付き、食い千切った。
手数の差は一目瞭然だが、どうやら個の強さも大きくかけ離れているようだ。
野干が少年に噛み付くたび大きな火柱が立ち上る。
爆ぜる音はしばらく止まず、静けさを取り戻した後もずっと耳に残るほどだった。
焼けた地面の上、咬傷を全身に負ったあられもない少年の姿。
審判の素振りを窺う限り、あれでまだ有効打とは判定されなかったようだが、それだけ紙一重の攻防が水面下で起きていたということか。
とはいえ肩で息をするその様は、もう立っているのがやっとのように見えた。
「……強い」
あれだけの猛攻を受けてなお、地に伏すことなく立っているのだ。むしろ押している少女の方が怯んでしまうのも納得できる。
これでもし、彼が躊躇なく牙を剥いてくるような獰猛さを持ち合わせていたらと、そう考えれば体も打ち震えることだろう。
「でも、次で決める」
手短に、三体の野干を生成して脇に侍らせ、満身創痍の少年に向けて指示を飛ばす。
焔狐。と唱えた少女の声に呼応し走り出す獣。先のような追いかけっこをする体力も足も、彼には残されていまい。
それは、絶体絶命の窮地だった。
「Reve23【電身柱】」
瞬間、全身から弾けた魔力が襲い掛かる野干の体を貫き、稲光を走らせた。
全く予想だにしていなかった展開に、智也たちは文字通り雷に打たれたような衝撃を味わうことに。
思い起こせば、いつの日か彼の適性をそれとなく聞いたとき「だいたいの初級魔法なら扱える」と明言していたか。だがまさか、本当に電属性まで網羅していたとは。
そんな風に智也が度肝を抜かれている間に、雪宮は攻めに転じていた。
「【火蜂】!」
飛び立った八つの玉が鳥さながらに飛翔して、無防備な少女を襲う。
先の一幕に呆気に取られてか、思考力が著しく低下した今の少女にはソレの対処が叶わず、年相応の反応を見せるだけに留まる。
防衛とはとても呼べないような柔弱な守り。しかしその身を襲うはずだった火の玉は目的を忘れたかのように四方に散って弾けていく。
既のところで、雪宮が目を逸らしたのだ。
「なんで……?」
「くっ……」
確実に今のは雌雄を決する一打となっていた。
自分の状況を鑑みても、甘い考えで逸していい時機じゃなかったはずだ。それを理解しているからこそ生じた、彼のあの表情だったのかもしれない。
拳を握り締めながら下を向く雪宮に、少女が再度「どうして」を問いかける。
その問いに、彼はおもむろに口を開いた。
「姉さんが……言ってた。女の子には、絶対に乱暴なことしちゃいけないって……」
「それで自分が痛い目にあってもいいの?」
「……。でも……どうしてもこの試合は負けられない、から……」
「私も、君みたいに真っ白なままでいられたらよかったのにな」
軒から垂れ下がった氷柱みたく伏せられた長い睫毛。それは艶やかで猛々しくもあったが、触れれば簡単に砕けてしまいそうな儚さを秘めていた。
氷解して滴り落ちた雫のような独り言には哀愁が満ちており、真珠のような心を持つ彼を見る目は白濁としている。
「き、君は優しい人……だよ。あんなに難しい魔法を使える腕があるのなら、僕なんてもっと簡単に倒せたはず……」
「違うよ。私はたまたま『生成魔法』が得意だっただけ。自分の手を汚すのが、嫌なだけだよ。きっと……その心様が現れた結果なんだろうね」
そう言って少女はまた、自嘲的な笑みを浮かべると「だから君とは同じじゃないんだよ」と、どこか寂しそうで穏やかそうな顔をして、
「私は臆病で、脆くて、逃げてばかりいる弱い人間なの。……でも、生きていくためには戦わなくちゃならないし、ずっと背を向けたままでもいられない。あいつの側にいるためにも、強くなくちゃいけないから……だから」
「……僕はどうしたらいいんだろう」
「君はそのままでいいんだよ。……さっきので私の魔力もほとんど底を突いてる。だから次の撃ち合いで終わりにしよ。それを制したら――君の勝ちだよ」
小さく首を縦に振った雪宮に、少女は微笑み、刀を抜く。
行くよ。と黒く濁った瞳に火を灯し、刀を――剥き出しになった刃を振るった。
それは、端的に表すならば日輪の如くに赫赫明明とした月のようであった、
「――【日月の閑】」
「【獅子神楽】!」
魂を込めるように大声で両の手を突き出した雪宮。
全身全霊を用いて目の前の障害を取り除こうと奮闘し、彼は気張りに気張った。
刀背での一打でも身を切られるような威力を秘めていたのだ。それが正しく星眼に構えられとなれば、繰り出された一撃に秘められし力は計り知れない。
それでも、雪宮は男を見せた。
襲い掛かる熱風に身を焼かれようとも決して顔を背けず、全てを以ってして少女の刃を御したのだ。
風散し、ガラスのように割れた月の欠片を操って、少女に向けてそれを飛ばす。
小さな破片だったが、柔い女の肌を裂くには十分な殺傷力だった。
「【新月】」
溢れる光が天を衝くほどの勢いで広がり、観衆の目を、雪宮の意識を、そして少女から色を奪った。
胸元まで伸びた透明感のある髪も胡桃色の瞳も、何もかもが色褪せ陰に隠れてしまう。その一点以外は、こんなにも眩い光で満ちているというのに。
強い光を浴びて目を眩まされた瞬間、「嘘……」とこぼれた雪宮の声。
光の中、どこからともなく謝罪の声が聞こえた気がした。
視力が回復したのはそれから十数秒経ったあとだった。
徐々に本来の機能を取り戻していく視神経。目を凝らせば、先と変わらぬ立ち位置で正対した二人と誤認する。
肩越しに後ろを見やる雪宮。その体が、風に吹かれる木の葉のように前に倒れた。
俯く少女。その手の中で散り散りになった紙切れが、宙に舞い、風に乗って空へと飛んでいった。
――中堅戦。勝者、灰川真緒。得本数「二」。
――総得本数、A組「二」対、B組「四」。




