三章 〈9〉
〈9〉
「むぅ……。これはまさか……、いやしかし、前回は……。いや……、そうだな、以前は仮説でしかなかった……」
冒険者ギルドに集まる情報を精査していた吾輩は、とある同じ情報をまとめた報告書の束を眺めつつ呻吟した。その報告の多さが、情報そのものの精度担保しているといっていい。
「ダ、ダゴベルダ博士、どうかいたしましたか?」
吾輩の声音の深刻さを感じ取ったのか、この町のギルド支部において、資料室の管理人にして資料整理を担うドロテア・シュヴァルベ女史は、心配そうに声をかけてきた。普段は穏やかな老婦人といった雰囲気の彼女が、いまは不安そうにこちらを窺っている。
ギルドの職員や冒険者といった連中には珍しい、知的なご婦人には、さしもの吾輩も多少は気を遣う。そうでなければ、鼻を鳴らして無視しただろう。
「少々厄介な可能性が浮上しました。シュヴァルベ女史、申し訳ないが今回ダンジョン対策の指揮を担う、あのなんとかいう若者を呼んできてはもらえないか?」
普通なら、この人に頼まず適当な人に任せるような雑事だ。しかしながら、事は露見すれば即座にパニックになるような重大事。知る人間はできるだけ少ない方がいいだろう。
「わ、わかりました……。一応、セイブンさんにお伝えしますが、いまはお忙しいのでいらっしゃるかどうか……」
「できるだけ急ぎで頼みます。吾輩にも確証がない事ではありますが、もしも万が一この懸念が的中した場合、我々は未曽有の危機に立たされる事になる」
吾輩の言に、シュヴァルベ女史は慌ただしく席を立ち、要件をこなすべく駆けていった。吾輩はといえば、仮説の傍証となる資料を確かめるべく、資料室の一角に並べられた本をまとめて取り出していく。
ここに並べられている本は、ある一つのダンジョンについてまとめられたものだ。当時の状況、わかっている限りのダンジョンの構造、起こった現象、識者たちの見解、いまだ解き明かせぬ謎……。これだけの本があってなお、ハッキリと結論じみた答えの書かれたものなどない。
それだけ、謎という謎を残して消えたダンジョンなのだ――
――一層ダンジョンというものは……。
● ○ ●
一級冒険者パーティに所属する副リーダー、改めて自己紹介をされて思い出した、セイブンという男に、吾輩の懸念を伝える。当然ながら、それを聞いたセイブンもシュヴァルベ女史も、深刻な顔つきである。
吾輩としても、これが杞憂ならばと思わずにはいられない。実際、かなり不確かで、仮説と呼ぶのも烏滸がましい程度には、確証はない。そのような仮説の段階で右往左往するのは、時期尚早の誹りは免れ得ないだろう。
だがしかし、もしもその懸念が実現されれば、その被害はあまりにも甚大だ。当時の仮説でしかないとはいえ、これは証明も否定もされておらず、そしてなにより、被害そのものは《《確実にあった》》のだ。無視するには、あまりにも大きな懸念だろう。
「博士……」
やがて、セイブンとかいう若造が沈黙を破って話しかけてきた。だがしかし、その顔色はあまり良くない。
「もしもこれが現実になれば、被害はどの程度のものになりますか……?」
「この仮説が現実になれば? もしもこの仮説通りの事が起こったならば、このアルタンの町は文字通りの意味で全滅だ。生存者など望むべくもない。当然だろう? 貴様は話を聞いておったのか?」
「いえ、その……。あくまでも、仮説なんですよね?」
希望的観測に縋るようにそう問い返してきたセイブンに、吾輩はため息を吐く。それはそうだ。仮説はあくまでも仮説。証明などされてはいない。だが――
「これが仮説だったのは、その説が提唱された段階においては、一層ダンジョンが討伐されたあとだった為、検証そのものが不可能だったからだ。仮説が証明されるにしろ否定されるにしろ、結論に至るという事は、実際にこの町の人間が一人残らずダンジョンに呑み込まれてからとなる。それでも証明したいのであれば、吾輩は構わぬ。存分に日和見を決め込むがいい」
吾輩が吐き捨てると、セイブンは懊悩するように眉間に深い皺を刻み、顎に手をあてて考え込み始めた。シュヴァルベ女史はオロオロと、吾輩とセイブンを交互に見るのみである。
「わかりました……」
やがて、セイブンはなにかに納得したようにそう言った。彼の目はなにかを決意したかのように真剣味を帯び、表情も引き締まっている。なにしおう一級冒険者パーティ【雷神の力帯】の副リーダーに相応しい顔付きであった。
「やや変則的ではありますが、早急にダンジョンの攻略計画を始動します。つきましては、博士にも同道をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ。構わぬ。吾輩とて、これ程不可思議なダンジョン、実際に足を踏み入れて調べてみたかったところである!」
「ありがとうございます。こちらから協力をお願いしている冒険者兼ダンジョン研究家でもある、ハリュー姉弟も一緒なのですが、よろしいでしょうか?」
「ほう、ショーン君もか。あの子はなかなか見どころがある。姉の方はあまりダンジョンに興味もなさそうではあったが、なかなかの魔術師であったな。同行について、否やはない」
吾輩が彼の姉弟の同行を許可すると、あからさまにホッとしたようなセイブンが、挨拶もそこそこに資料室を出ていった。恐らく調整やらなんやらで、しておかなればならない手続きが多いのであろう。勤め人というのは大変なものだ。
吾輩はセイブンに見せていた本を手に取り、そのページを読み返す。一層ダンジョンについて書かれた本には、まずこう書かれている。
『一層ダンジョン。それはゲッザルト平野に突如として現れた、一層だけの広大なダンジョン。それはいまだに多くの謎を残している』
そして吾輩が読んでいるページの末尾には……――
『――以上はあくまでも仮説である。一層ダンジョンの主が討伐されてしまった現状では、証明のしようもない仮説である。しかしながら、それはある意味で良かったのかもしれない。著者は、この【貪食仮説】が未来永劫仮説であり続ける事を望む』
吾輩はため息を吐きつつ、その本を閉じた。願わくは、その仮説がアルタンの町の犠牲によって、証明されぬようにと祈りながら……。
● ○ ●
アルタンの町の裏の顔、ウル・ロッド。
そんなアタイらの本拠である邸宅はいま、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
「ママ! こいつぁどうしやす?」
「それはそのままでいいよ。それよりも、花の方はどうなったんだい?」
「当日に、必要分は届けるよう注文していまさぁ! だが、どうにもカタギの連中が浮き足立っちまってて、本当に当日注文分の花が集まるのか、わかんねえっすわ」
「仕方ないね。予備も含めて、別んとこにも発注しときな!」
「へい!」
「食材の手配は?」
「そっちはつつがなく。町の連中も、流石にこの状況で高級食材には用はないようで、普段からは考えられないような値で仕入れられましたよ」
「よし。ただし、アタイらは向こうの好き嫌いを知らない。万が一も考えて、別の食材もしいれときな」
「了解しました」
理由は単純。我らウル・ロッドにとって宿敵ともいえるような、魔術師のガキ——白昼夢が、よりにもよって面会のアポイントメントを取ってきたからだ。
いや、正直なところ、アタイや上の連中にとっちゃ、ガキに対する敵意なんざ残っていない。これは、ガキの強さにビビってひれ伏したとか、目を逸らしているってわけじゃあない。
どちらかといえば、お貴族だの上級冒険者だのと同じく、触っちゃなんない輩が、この町には一種類多かったと認識しただけだ。ただし、それがわからないバカも多い。特に、下っ端連中のなかには。
しかも、そんな連中にとっちゃ、件のガキが巣穴からのこのこと顔をだし、こちらに赴いてくるというのは、香草咥えた野ウサギが手元に転がり込んできたように思えるらしい。
ウル・ロッドにとって、先の敗北はいまの立場を築く契機となった。そういう意味では、大きな声では言えないが、負けて良かったとすら思っている。が、やはり単純に、『負け』という事実に拘泥する連中というのはいるのだ。
そして、そんな連中の自信の根拠は、魔術師の工房に殴り込んだのが良くなかった。外であれば、魔術師一人恐れるに足りず、というものだ。
ある意味正しくはあるのだが、そんなみっともない言い訳をして、闇討ち紛いの状況で勝っても、ウル・ロッドにとってはなんの得もない。いまある名声は地に落ちるし、せっかく白昼夢が引き付けてくれている他の組織の注目が、こっちに向いてしまう。勿論、それ以外の目だって厳しくなるだろう。
それにも増して厄介なのが、和睦の仲裁者である一級冒険者パーティ【雷神の力帯】の顔を潰す点だ。こっちはもう、掛け値なしにアタイらならずもんが触っちゃなんない、絶対の接触厳禁だ。
もしも連中の機嫌を損ね、どころか顔に泥を塗ろうもんなら、ダンジョンの代わりにウル・ロッドが潰される。上級冒険者というものは、それだけアタイら一般人とは隔絶した存在なのだ。ダンジョンの化け物と、タイマン張って引けを取らない、同じ人類というカテゴリに属しているだけの、化け物だ。
だからこそ、アタイらは目に見える形で、白昼夢を歓待しなければならない。どんな下っ端でもわかるよう、双方の関係は良好であり、良好に保つ為にお互い、少なくともウル・ロッドとしては動いているのだ、と。
アタイらはここんところ、その準備にかかりきりだ。まったく、町の騒動でそれどころじゃないってのに!
「ウル」
「ロッドかい。下の連中には言い聞かせられたかい?」
「うん。でも、ちゃんと言いつけ守る、わからない」
「はぁぁぁ……。本当のバカってのは、扱いづらくてやんなるね」
ウル・ロッドファミリーはマフィアであり、ならず者の集団だ。要は社会不適合者の集まりであり、その末端ともなれば、その知能レベルは赤ネズミと大差はない。
アンタッチャブルにも平気で手を出して、勝手に命を落としかねない。別に被害が当人だけにとどまるなら、それでもいいのだ。しかし、残念ながら組織の一端ともなれば、その責は否が応にもアタイらの双肩にものしかかってくる。
こんなときばかりは、統制の利かないならず者集団の長というものに、少々ウンザリする。とはいえ、愚痴っていても仕方がない。
「必要なら、バカやろうとしたもんの一人二人は潰していい。とにかく、あの白昼夢に余計なちょっかいはかけんじゃないよ。噂を聞く限り、アレは本当に手をだしたら面倒だ」
「うん」
素直に頷く弟にアタイも頷きながら考える。
どうやら、白昼夢は姉弟だったらしい。話に聞く限り、この姉もそうとうにヤバい。ややもすれば、白昼夢よりも危ないといえるかも知れない。少なくとも、白昼夢はある程度自制が利くが、この姉はまったく利かないらしい。
それに加えて、どうやら相当な【魔術】を使いこなすようだ。知られているだけでも、属性術と幻術に関しては、並み以上の腕前である。
しかも、【魔術】だけかと思えば然にあらず。バカでかい槍を担ぎ、まるで騎士のような鎧に身を包んで、町を闊歩していたという。十全にそれらを使いこなせるというのなら、単純な暴力——即ちアタイらの領分においても、白昼夢の陣営は十分に厄介だといえる。
だとすれば、穴倉からでてきたといっても、なに一つ安心などできない。手を出してから、相手が竜種のモンスターだったと覚っても、手遅れなのだ。
「白昼夢も白昼夢で、得体が知れない……」
一度、町に白昼夢の死亡説が流れた。だが、すぐにそれは誤報だとわかった。しかし、この一連の流れもおかしい。
最初の死亡説の出どころは、件の一級冒険者パーティの斥候からもたらされたものだった。情報の出どころとして、これ程信頼できるところもない。特級及び三級の冒険者ともなれば、情報の出どころとしては下手な貴族の情報よりも信じられる。
戦闘能力を評価基準にしている冒険者ギルドの階級において三級というのは、斥候では世界最高峰といっても過言ではないだろう。そんな人間が、意図して誤報を流すとは考えられない。
つまり、彼女は完全に、白昼夢が死んだと認識し、自分の名と肩書きにかけて報告をあげたのだ。
だというのに、それを否定した報告の出どころは、実に曖昧で胡散臭い。なにせ、白昼夢の屋敷の使用人がギルドに直接持っていったのだ。普通に考えれば、白昼夢生存の方が嘘臭い。
この事実が、実に気持ち悪い。
情報の精度としては、逆が正しい。出どころのあやふやな生存報告よりも、情報元のたしかな死亡報告。信じるならば絶対に後者だ。
だが、白昼夢は間違いなく生きている。町を歩いている姿を、ウチのもんも確認している。
「ったく、化かされている気分だよ……」
白昼夢の白昼夢たる所以。あまりにも掴みどころのない相手に、アタイは天井を見上げてボヤく。
「マ、ママぁ! てぇへんだ!! は、白昼夢の屋敷が、チンピラ集団に襲撃されたんだ!!」
「なんだってっ!?」
よりにもよってこんなタイミングでッ!?
ひとまずロッドに手下を集めさせて、白昼夢の屋敷に向かわせよう。たぶん既に片付いているとは思うが、だとしたらその連中に連なるヤツを炙りだして〆るのは、ウチの役目だ。
あのガキが舐められると、こっちも困るのだ。
ただでさえ忙しいってのに、さらに積みあがった仕事に目眩を覚えつつ、アタイは手下に指示を出し始めた。
● ○ ●
昨夜、夕食後の我が家に来客があった。しかも超大人数で。
すわ、またマフィアの襲撃かと一騒動あったのだが、それはマフィアはマフィアでも、ウル・ロッドの連中だった。まぁ、騒動を起こしかけたのは言わずもがな、問題児二人組だ。
問題児を宥めて、彼らの用向きを聞けば、こちらの応援というか、支援というか……まぁ、僕が舐められると、自分たちの威光にも傷が付きかねないから、襲撃者の関係者をしばき倒す為に、部隊を率いてやってきたとの事だ。
その部隊を率いていた、ウル・ロッドの双頭片割れ、ロッドさんと話をしたところ、これもマフィアと町とを守る為に必要な行動だとの事だ。どうやらいまのこの状況で町で騒動を起こすような者は、ならず者であろうと厳しく〆るという姿勢を示しておかないといけないらしい。
なんでマフィアであるウル・ロッドが、いまの町の騒動を積極的に治めようとしているのか聞いたら、その答えは実に単純なものだった。
ウル・ロッドは、この町においては絶大な影響力を有しているが、それはあくまでも、この町ではという但し書きが付く。それを守る為に動くのは、義侠心や正義感というよりも、組織運営を行ううえでの合理性らしい。
実に納得である。さらに、それに加えて、マフィアは意外と、地元住民からの心証というものが必要な家業なんだとか。まぁ、ここら辺は「へぇ」くらいで流したので、あまり詳しくは知らない。
襲撃者が自分たちを『べラス一家』と名乗っていた事と、生き残りは衛兵に突き出してしまったという事を伝えると、この話はそこで終わりとばかりに、ロッドさんは話題を変えた。
「ほ、訪問の日取りは、予定通り、よかったです、かい?」
「ええ、その予定ですが、そちらは問題ありませんか?」
「も、問題ない。ですぁ」
無理なく喋っていいと伝えたら、泣く子がショック死しかねないような厳つい顔を、くしゃっと歪めて喜ばれた。なんか可愛いな、このおっさん。
「準備、大変」
「あれ? 僕なんかを迎える為に、そんな大掛かりな事をやってるんですか?」
「歓迎、白昼夢の為、同じくらい、ウル・ロッドの為」
辿々しい口調で語られた言葉を要約すると、下が迂闊な行動をしないよう、締め付けの意味も込めて僕を歓待しないといけないらしい。ただ、前述の通り、ウル・ロッドはこの町での立場を守る為にも、いまは忙しい時期らしく、僕のアポのせいでてんてこ舞いだったそうだ。そこにダメ押しで、べラス一家の襲撃だ。
ウル・ロッドのもう片方の——というか、実質的にはこちらがトップといえるウルさんは、この事態に頭を掻きむしって憤慨したらしい。ロッドさんが苦笑している事から、事態はそこまで深刻ではなさそうだが、会いに行くときはそれなりの土産を持って行った方が良さそうだ。
と、昨夜はそんな事があって、今朝はかなり遅かったのだが、我が家は割と平常運転だった。朝食後に、新素材の鎧の試着テストを行っていたところに、シッケスさんが訪れるまでは。
「え? そんな急に?」
「そうらしい。セイブンが言うには、最悪が起こり得る可能性が生じたから、早急に動く、だそうだぜ? こっちも詳しくは知んね」
あまり興味なさそうに、シッケスさんは肩をすくめた。
僕としては、どうして急にダンジョンの攻略が早まったのか、気にはなるが、僕の計画においては有利な事態なので、まぁいいかと流した。
「あ、そうだ」
そこでシッケスさんは、思い出したといった雰囲気で手に持っていた本をこちらに渡して寄越す。
「これは?」
「その最悪の可能性ってのに関係ある本らしい」
「ふむ。一層ダンジョンに関係する文献のようですね。さらっとですが、読んだ事はあります。これがなにか?」
「知らねぇよ。こっちもセイブンの野郎に聞いてはみたが、資料を読めばわかるとか言いやがってよ!! こっちはこんな分厚い本なんざ、読みたくねぇから聞いてるってのに!」
憤慨するシッケスさんの言葉を適当に聞き流しつつ、僕はその本に目を通していく。それなりに古いもので、どうやら一層ダンジョンが討伐されてから、それ程経っていない頃に書かれたものらしい。つまり、一〇〇年くらい前の本だという事だ。結構貴重なものだろう。
ふぅむ……。以前読んだときも思ったが、一層ダンジョンというのは本当に不思議だ。その行動原理が、よくわからないのだ。ダンジョンとしてはあまりにも異質。ダンジョンコアとしての本能から考えれば、ダンジョンは地中を目指すものだ。
だが、このダンジョンは横に横にと、ひたすらその範囲を広げる事にのみ腐心したのが窺える。次から次へと侵入者がダンジョンに入ってきても、そのスタンスは変わらず、人海戦術で討伐する人間側の基本スタンスでも、大規模ダンジョンかという程の人数が必要になったらしい。
構造以外にも、多くの謎が当時から残っている。モンスターの種類が多様すぎる点、ダンジョンの主が通常の中規模ダンジョンよりも弱かった点、ダンジョンコアの質も悪かった点、そして——
「——ダンジョンが延伸した範囲の地上にあった村がいくつか、消失している……?」
貪食仮説と銘打たれたその仮説は、実に恐るべきものだった。それは、即座にダンジョン攻略を急いだセイブンさんたちの判断を、僕も支持し、即座に準備を始める程には、重要な情報だったからだ。
まずい……。このままじゃこの戦い、確実に負ける……。
しかしどうしたものか……。
計画を早めるというのはいい。必要な事だ。
問題は、昨日確認したばかりのウル・ロッドとの面会の日程が、たぶんダンジョン探索で丸潰れになるという点だ。いや、事情を話せば先方とて理解はしてくれるはずだ。
――が、これはこれで問題でもある。なにせ、事はウル・ロッドも頭を悩ませている、この町の奴隷飽和問題とも関連してくる。後々まで引っ張ろうとしても、維持管理費が奴隷商たちの懐を圧迫するし、後手後手に回っていると見られれば、その奴隷たちもさっさと鉱山や魔石製造工場にされている小規模ダンジョンに売られてしまう。
しかも、計画そのものはかなり動き出してしまっている。ぶっちゃけ、ウル・ロッドが噛まなくても、もう止まりはしないだろう。なにせ、領主まで巻き込んでいるのだ。ウル・ロッドが介入しなくても、表向きには問題がないところまでお膳立てはすんでいるのである。ただ、そうなるとウル・ロッドとの軋轢が生じ、それが計画全体の蹉跌にもなりかねない。万全を期すなら、この計画にはウル・ロッドの協力が必要なのだ。
その計画の為に、奴隷たちという労働力が欲しい僕らとしては、できれば早急に話を進めたい案件であり、そして下手に遺恨を作らない為にも、ウル・ロッドとの調整はしておかねばならない。
「そんなわけでジーガ、悪いんだけどウル・ロッドからの歓待は、君が受けてきてもらえるかな? 僕がいけない事を丁重に詫びて、ね?」
僕がそうお願いすると、ジーガはぽかんとした表情で「はぁ……」と気のない返事を返したあと、たっぷり三十秒は沈黙してから「はぁッ!?」と驚愕の表情で奇声を発した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、旦那! いまウル・ロッドが、なんで方々駆けずり回って歓迎の準備をしてんのか、旦那だってわかってんでしょ!? それを俺が代わりに受けるなんざ!!」
彼が怒鳴るのももっともだろう。要は、僕を歓待する為に苦労しているウル・ロッドの努力を、無下にするような真似なのだ。
「それは僕だってわかっているけれどね。でもだからといって、この危機に予定がブッキングしたら、より緊急性の高い方を優先するべきでしょう?」
「そ、それは……」
「ウル・ロッドもどうやら町の安全に心を砕いているらしいし、詳しい状況を聞けば納得もしてくれるさ。まぁ、最悪彼らの末端が暴走して、僕らが相手しなければならなくなるかも知れないけど、そのときはまぁ、後始末は任せてくれていいから」
僕の言う《《後始末》》の意味がわかったのだろう、ごくりと喉を鳴らすジーガに笑いかけ、僕は乗っ取り計画に関するあれこれを、ジーガに丸投げした。まぁ、適材適所だと思う。
なにせ、この乗っ取り計画の原案を提示した張本人だしね。僕はそこに、鉄幻爪だの聖杯だのを付け加えて、現実味を加えただけだ。
そんなわけで、ダンジョン攻略の為に準備を早める事になった。幸いな事に、急げば杖の製作は間に合うとの事。僕も、新素材による鎧の新調を急ぐとする。この前作ったアクセサリーの中から、持っていくものも選定しておこう。
● ○ ●
どうやら本当に急いだらしく、そこから数日でダンジョンにもぐる事になった。それだけ、セイブンさんやその他上層部は、【貪食仮説】に危機感を覚えたという事なのだろう。
僕らは下水道の前に集合していた。この場合の僕らというのは、数百人規模の中級以上の冒険者となり、今日の下水道前はそんな大勢の人間でごった返している。
中規模ダンジョンの攻略ともなれば、これだけ多くの人を一度にダンジョンに送り込む、大仕事らしい。
まぁ、これだけ人でごった返している場所でも、僕らの周りは人口密度が極端に下がっている。腫れもの扱いも、ここまでくると面倒事が避けられていい。
多くの冒険者たちを忌々しそうに眺めては、いまにも舌打ちでもしそうな表情をしているのは、女騎士というよりも可憐な姫騎士のような姿のグラだ。ただし、色合いはワインレッドと黒が基調である。
この鎧も、新素材を用いて新調したもので、ついでにランスと盾の表面にも同じ素材が使われている。
その隣で、僕は【貪食仮説】について、いろいろと考えを巡らせていた。僕の格好も、同じように新調された、ダークブルーの鎧であるが、その姿は騎士然としたグラのものとは対蹠的に、現代的なプロテクターに近い。どちらかといえば、簡略化されたマッスルキュイラスだろう。
たしかに危険度という点では、この仮説は最上級の代物だ。そこは認める。
ただなぁ、そんな事があり得るのかという思いも、僕は同時に抱いている。それができるなら、ダンジョンという生物は、その生物の根本からしてあり方が変わってくる。
ダンジョン側の存在だからこそ、本当にそんな事が可能なのかと疑ってしまうのだ。それは言ってしまえば、人間を五〇〇年生存させる医療技術が発見されたと言われたって、にわかには信じられない心境に似ていると思う。
それくらい、ぶっ飛んだ説なのだ。この【貪食仮説】というものは。
「やぁ、ショーン君。贈った本は読んでくれたかい?」
うんうんと、【貪食仮説】について考えていたら、相変わらずローブにすっぽりと姿を隠したダゴベルダ氏が話しかけてきた。これ幸いと、僕は彼に疑問をぶつける事にした。
やっぱり、持つべきものは頭のいい知り合いだよね。
● ○ ●
「お久しぶりです、ダゴベルダ氏。ええ、実に興味深く拝読させていただきました。氏は【貪食仮説】について、どの程度信憑性があるとお思いですか?」
挨拶もそこそこにそう切り出すと、ダゴベルダ氏は声に喜色を滲ませて応えてくれる。予想通り、余談に時間をかけるのを好まない質らしい。
「うむ! 吾輩もその件について、君と語ってみたかったのだ! 無知蒙昧なる輩は、あり得ると思えばあるとしか思わず、あり得ぬと思えば頭から否定してかかる愚か者ばかりでな。話にならなかったところだ」
「それはまぁ、お疲れさまでした……」
ダゴベルダ氏の気苦労を慮り、僕は苦笑しつつ労いの言葉をかける。彼はゆるゆると首を振ると、なおも嬉しそうに話しかけてきた。
「どうやら君も、【貪食仮説】がそのままの形で現実になるとは、思っておらぬようだの?」
「それはそうでしょう。そうなったら、ダンジョンは迷宮ではなく巨大なワームです」
「ハッハッハッハ!! 面白い事を言う。しかも正鵠を射ているときている! その通り。しかしな、仮説が丸っきり眉唾とも思えぬ事情もある」
「一層ダンジョンの広さ、ですね?」
僕の答えに、我が意を得たりとばかりに手を叩き、こちらを指差すダゴベルダ氏。
「然り。ダンジョンの広さ、深さは、ダンジョンの主の強さに直結する。すなわち、若いものは狭く、浅い。対して、経験を積んだダンジョンの主のダンジョンは、広く深いというのが一般的だが、その成長の糧となるものが、我々人の命であると考えられる」
重々しく語るダゴベルダ氏に、僕も神妙な面持ちで頷き返す。
正確にいえば、生命力の源は、必ずしも人間でなくてもいい。人間の生存圏外で生まれたダンジョンの場合、野生動物や外部のモンスターを一時の糧としているものは、それなりにいるようだ。まぁ、当然だろう。
ただし、そういったものは、経験で危険な場所に寄り付かなくなる為、定期的に得られる糧とはなりにくく、やはり中規模以上のダンジョンに成長する為には、自らダンジョンに飛び込んできてくれる、人間という糧が必須なのだ。
これは僕も、人間以外を糧に成長できるならそうしたいと思っていたので、グラに詳しく聞いている。
「しかし、そういう意味でも、一層ダンジョンというものは例外なのだ。広くはあっても、深くはない。深くなければ、糧は少なくとも良いのか? あるいは、広さに見合った糧は必要なのか? だとすれば、その広さを担保する糧とはなんだったのか? 浅いからこそ、少ない糧で広げられたという見方もあれば、本来ダンジョンの主が用いるエネルギーすらもダンジョンの拡張に回したからこその広さだったとか、様々な仮説が立てられておる。だが、真相は闇の中……」
なるほど。どうやら一層ダンジョンの主――ダンジョンコアはとても弱かったらしいし、戦う為のDPすらもダンジョンの拡張に回していたという説には、それなりの説得力はあるな。どうしてそんな事をしたのかという点を除けば、それがかなり信憑性が高くも思える。そして、地表付近の地面を掘るのに消費するDPが少ないのもその通り。
やはり侮れないな、人間。結構正確に、ダンジョンの事を掴んでいるじゃないか。
「その仮説の一つが、【貪食仮説】ですか……」
「うむ。ダンジョンが広がるうえで、その先にあった地上の村々を、《《食っていった》》という説。それが【貪食仮説】だ」
それは、さながら体に入り込んだ異物を細胞が食らい、消化するように、ダンジョンが延びる先にあった村々を、異物として取り込み、消化していったという説だ。
たしかにそれならば、一層ダンジョンの近隣にあった村々が消失した理由にはなる。ダンジョンを拡張した生命力の出所にも、説明は付く。
ただし、ダンジョンというのはそういうものではない。これは僕がダンジョン側にいるからこそ、明確に否定できる。
先にも述べた通り、それではダンジョンは巨大なワームでしかない。以前グラも言っていたな。それではダンジョンの向きが違うのだ。
「僕はその、ダンジョンが積極的に外の集落を食らって広がったという、仮説そのものには否定的な立場です。ですが、集落が消え去ったという事実と、広がったダンジョンに関連性がまるでなかったとも思えません」
「左様。吾輩も同意見である。ダンジョンが外の地上生命を襲えるのであれば、そうせぬ理由がない。いま現在、我々が試みているダンジョン討伐の策など、ダンジョンが自由に外部の生物を襲えるのであれば、根底から間違いであるという事になる。今次の策も、まず上手くはいくまい」
「しかし、これまではそうではありませんでした。これからは……――保証できませんが……」
「であるな。もしかすれば、このダンジョンは地上に浸食する術を手に入れたのかも知れん。それは、我ら地上生命にとって、最悪の未来の到来を意味するだろうが、それを頭から否定する理由などない。我ら学者は、絶対に希望的観測に縋ってはならん。最悪の予想が杞憂であれば、そのとき笑い飛ばせば良い。もしも危惧の通りであれば……」
ダゴベルダ氏はそこで言葉をためると、僕を試すようにこちらを見上げ、先の言葉を口にした。その口調は、意外な事に楽しそうなものだった。
「……杞憂にしてしまえばよい。違うかな?」




