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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
9/30

出会い 3

 

 明け方前。

 ルイスはまたしても背中の痛みで目を覚ました。

 長椅子で寝たために体中は昨日よりも軋むが、足の疲労はいくらかよくなったように思える。

 ルイスは背中を伸ばして外套を羽織った。

「ユーリ?」

 向かいの椅子で休んでいるはずのユーリの姿がない。

 玄関前も見渡すがユーリはどこにもおらず、室内も当然真っ暗で辺りは静まり返っていた。

 料理屋にいるのだろうか?でも、こんな夜明け前に店が開いているか?

 ルイスは靴を履いて衣服の乱れを整えると、念のため荷物を肩にかけた。


 物音を立てないようにゆっくり戸口へ向かう。

 両開きの扉は片側だけ鍵が開いていた。恐らくユーリだろう。

 ルイスはそっと扉を開けて外へ出る。

 肌を刺すような空気の冷たさに体を震わせた。ガーランドはエノテイアほど寒冷な気候ではないが、疲労のとれていない体には堪える。

 目を凝らして辺りを眺めてみるが月明かりのない夜では数歩先さえよく見えない。雨はすでに上がっていたが、まだあちこち濡れていて危ない。

 ルイスは足元に注意しながら木の階段を下りた。

 外も静かで、人の気配はない。


 ふと、どこからか何かが近づいてくる音が聞こえてきた。

「馬…?」

 耳を澄ませてみると、それは数匹の馬の蹄の音だと分かった。

 音の間隔が狭い。かなりのスピードを出している。

 平穏な日常とは違いどこか空気が張りつめているような気がする。

 早く宿屋を出立した方が良いとクライドが言っていたが何事かあったのだろう。

 とりあえずユーリと合流しなければ…。

 ルイスはもう一度辺りを見回して、宿屋の裏手へ向かった。


「!っ」

 建物の角で、突如現れた人影にルイスは声をあげそうになった。

 人影はそれに気付いて口を塞ぐように指を当てる。


「しっ。私です」


「あ、ユーリ…!」

 ルイスは安心してほっと息をついた。

 驚いた。 それまで人の気配も音も全くしなかったのにいつ現れたのだろう。


「何か動きがあったのですか?昨夜までとは空気が違うように思います」


「ええ、殺気立ってます。さっき駐屯地の様子をうかがってきたけど上官連中のテントに人の出入りがありましたよ。夜中の間に何かあったみたい。…来た」

 ユーリは真剣な表情で道の向こうから走ってくる馬に目を凝らした。

 ルイスも振り返り、少し建物に身を寄せて息を潜める。


「虎…?違うな…」

 ユーリは通り過ぎざま、視線に意識を集中させて隊服を確認する。

 騎乗の兵士らはこちらに気付くことなく、宿屋の先を右折して駐屯地へ方角の消えて行った。

「クライドさんたちの隊服と違う。白色の、ヒョウかな?どこの所属か分かります?」


「恐らく雪豹ですね。王太子のもののはずです」

 ルイスは眉をひそめて答えた。

 ブライズ王家では成人する十歳の誕生日を迎えると、自らを象徴する印章を選ぶ習わしがある。エノテイアへの敬意を表したものになるのが慣習となっており、王太子時代にエリオスが選んだのは椿。降り積もった真っ白な雪に映える赤い椿が好きだったからだとルイスは教えられた。

 そして現王太子のオレドが選んだものは雪豹。エノテイアを雪として、その雪を踏み荒らす豹が王太子を象徴しているのではないかと一時問題視されたと聞いたのでよく覚えている。


「王太子…。じゃあ彼らにとっていい報せを持ってきたんでしょうかね。国境の警備が強化されると面倒です、急ぎ出立しましょうか」

 ユーリはルイスが荷物を持って来ているのを確認して、再び辺りを見回す。

 人気がないのを確認すると、二人は身をかがめながら街道を横切って足早に森の中へ入った。



 ・・・


 昼前。

 森をひたすら歩いた。そろそろ昼時に差し掛かる時間だろうか。太陽が木々の隙間から光を覗かせている。

 二度目の休憩から一時間。宿地を出てから四時間にはなろうか。徒歩での旅の苦労と言うものが時間を追うごとにルイスの体に蓄積していく。

 ルイスは額の汗をぬぐって前方を行くユーリの背中を眺めた。

 ユーリは陽を仰いで方角を確認し、辺りを警戒しながら森の中を迷いなく進んでいく。時折振り返ってはルイスの様子も窺うなど、気を配りながらそれでいてまったく疲労している様子を感じさせない。いかにオリクトを所有し、徒歩での旅に慣れていると言えど、ユーリも人間であることに変わりはない。少なからず疲れているはずだ。ただ彼にはそれを他人に悟らせないだけの平静さと余裕があるだけ。

 ルイスは自身の非力さと経験の浅さにうんざりしていた。本に埋もれ知識ばかり蓄えたところでそれが役立っているとは言い難い。自分にとって最も必要なことは目で見て実際に肌で感じることなのだと痛感するばかりだ。


「大丈夫ですか?」

 ルイスの気持ちが落ちているのに気づいてユーリが振り返る。

「さすがに疲れましたね」

 ユーリはそう言って大きく深呼吸をした。

「川の音がするからそこで水の補充をしましょう。ついでに地図と現在地の確認をさせてくださいね」

 ユーリは水筒を逆さにして空な様子を見せる。


「ありがとうございます」

 ルイスは肩で息をするとほっとして微笑み返した。

 今は少しでも先を急いだ方が良いとは思う。でも正直、休憩もしたい。けれど疲れているのは自分だけで、頻繁に休憩したいとは言うのは気が引ける。

 そんなルイスの本心を見抜いているのか、ユーリは嫌味の無いようにうまく誘導してくれる。

 彼は、相手をそうしなければならない方向へ持っていくような気遣いをする人物だと言うことをルイスはこの何時間かで知った。

 ただ優しいだけではない。人を見て、その人へ合った優しさを考え、そして使い分けているのだろうと思う。

 長く生きていると色々あると言う話はよく聞く。実際、ユーリは『(しょう)』のオリクトと人間相手に長い時間を過ごしてきたのだろう。他人のためにそこまで出来る人は本当に少ない。情の深さにただただ感服するばかりだ。

 これまでは父のように在りたいと思い、エリオスだけを手本にしてきたが、これからはユーリやクライドなど出会った人々をよく観察し自分にない部分を見習って行こうとルイスは改めて思うのだった。



 二人は川辺まで出ると、木陰の岩に腰かけて現在地の確認を行った。

「今はこの辺りかな。北上すれば関所ですね」

 ユーリは国境をまたぐテンケイ川の分流である小川の辺りを指差した。

 関所はこのテンケイ川の橋の手前に設けられている。

 進んできた方角、小川の規模から言っても現在地にほぼ間違いはない。小まめに陽の位置を確認していたおかげで、ずれることなく目的地へ来られたようだ。

「あとは無事に越えられるかですけど」

 ユーリはうーん、と唸る。


「例のロスターの兄妹(きょうだい)への追手を考えれば関所の監視は厳しくなっているでしょう。でもクライドさんであればうまく手はずを整えてくれているように思います」


「確かに。機転がきくタイプっぽかったですね」


「今は信じて進みましょう。休ませてくださってありがとうございます」

 ルイスは水筒の蓋をぎゅっとしめて立ち上がった。

 座っているユーリに手を差し出す。


「うん。無理せず。少しずつで良いんですからね」

 ユーリはふっと微笑むとルイスの手を掴んで立ち上がった。





 テンケイ川 西の関所 ー ガーランド王国 国境関所~ジュラ連合国 



 それから小川を北上し、本流であるテンケイ川に辿りつくと関所はすぐに見えてきた。

 ガーランド王国とジュラ連合はこのテンケイ川とその先に広がるセンジュ湖によって隔てられており、この西の関所以外には中央の大橋、南の関所からでなければ国境を越える事は難しい。

 関所は強固な石造りで、手前にはジュラ側を見渡せるだけの監視塔も建てられていた。関所への力の入れようからしても国境問題の深刻さがうかがえる。

 兵士は門に四人、塔の前に二人、監視塔にはさらに数人の兵士が配備されているだろう。これから戦争に発展ともなれば配備される兵士は倍以上になるはずだ。ジュラへ入るにはこの機会を逃せば困難となる。


「ユーリ、クライドさんの件がありますので、私の家は最近商売を始めたばかりでまだ名が通っていない設定に変えてもいいですか?私は父の代わりに各国の品物の見聞や流通確保のために旅をしていると言うことで」


「うん、良いですね。その方が突っ込まれた時に言い訳しやすい」

 ユーリはうんうん、と頷いて草むらから街道へと足を進めた。


 街道を歩いてくる二人の姿に塔の前にいた兵士がすぐに気付く。

「そこの二人、関所に何の用だ?」


「どうも、ご苦労様です。ジュラへ行きたいんですけど、どうかしました?」

 ユーリは何も知らないただの旅人を装って兵士の方へ近づいた。

 兵士は二人をじろじろと眺めて何か小声で話し始める。

 ユーリは神経を研ぎ澄ませてその会話に聞き耳を立てた。


(…例の兄妹には見えないよな?…)

(…あっちも男だ。風体も違う。朝の報せでは髪は黒檀に目は青緑、兄は十八と言っていたから歳も合わない…)


 ロスターの兄妹のことだ。

 昨夜クライドに聞いた情報よりもさらに細かい特徴まで出回っているということは、完全に身元がはっきりしたのだろう。

 兄妹らはまだここには来ていない。ガーランド国内にいるのか、それとも別の手段で国境を越えたのか…。


「おまえたち、出身は?」


「アランドールです。商いの見聞で近隣国を回っています」

 ルイスがそう答えると、一人の兵士が何か納得したように頷いた。


「あぁ、クライド様の知り合いの。話は聞いている、通行を許可しよう」


「はい、どうもー」

 ユーリとルイスは顔を見合わせて頷いて歩き出した。

 門の前に立っていた兵が脇にそれる。

 二人は数人の兵士たちの視線を浴びながら何食わぬ顔で門を通り抜けた。

 振り返ることなく橋を進む。


「情報を手に入れましたよ。ロスターの兄妹は兄が十八歳ですって。ルイスの一つ上だね。あと目は青緑」


「そこまで特徴が絞れているのなら人目のつく行動は避けているでしょうし、彼らはまだガーランド国内にいるのかもしれませんね」


「関所を無理矢理通った様子はないですから、うまく逃げ回れているんでしょうけど。村生まれの子が追手から逃げながらそう何日も野宿できるとは思えないなぁ」


「そう言えばこの川は上流まで登れば越えられないこともないですよね」

 ルイスはセキテイ山がそびえる上流方面を眺めた。


「うーん、確かに川幅は狭くなるから自力で渡れないこともないでしょうけど、それを見越して警備は強化されていると思いますよ。ガーランド側はクライドさんが探しているだろうし、我々はジュラで気にかけていればいいんじゃないですか」


「そうですね」

 話しているうちに、二人は橋を渡り切りジュラ連合国へ足を踏み入れた。



 ジュラ連合国。

 自治権をもつ四都市一参道が大国エノテイアとガーランドの脅威から領地を守るために結託した連合国家である。

 セキテイ山脈、テンケイ川、センジュ湖を隔ててそれぞれの都市がエノテイア、ガーランドと隣接しており、両者は古くから幾度も国境圏争いに揺れてきた。

 民主主義として国内争いも少ない平穏な国だ。有事の際は各都市代表による話し合いと多数決によって指針が決められる。物資の蓄えはガーランドを超えるものの、すべての事柄は基本的に代表の話し合いから始まるため、戦となると決断力と俊敏性に欠け利点を生かせないことが多い。

 雨量が多く自然豊かな大地はガーランドよりも暖かく、農業、畜産業などが盛んだ。かつてはセンジュ湖での水産業も栄えていたが、現在はガーランドとの諍いの一つにもなっているために両国共に範囲を縮小している。


「ユーリもジュラは初めてですか?」


「ええ。一般的に出回っている情報しか持ってないですね」


「私の持っているジュラの地図は古いものなので、色々と情報を書き足しながら進んでいこうかと思います」


「良いですね。旅の醍醐味の一つだ」


 ルイスは白紙の本を取り出すと、さっそくテンケイ川の西関所について情報を書き始めた。石造りの門であること、監視塔が建てられていること、平時の兵士の数など大よその規模を記していく。

 この関所を攻略するために人数や手段を記す項目まで書き始めたところでユーリは笑い出してしまった。

「あははっ!商人が書く内容じゃないな」


 ルイスは、はっと顔をあげる。

「!そうでした、商いの旅なのに!これは捨てます…」


 しまった、と困惑するルイスを見てユーリはまた笑ってしまう。

「いや、ルイスらしくていいけどね。書きたいこと書けばいいよ。どんな情報でもあとできっと貴方の糧になる」

 ユーリはページを破こうとするルイスの手を止めた。


「私らしいですか?どの辺りが?」

 ルイスはユーリを見上げて不思議そうに首をひねる。


「そうなってるとこ」

 ユーリは思わずまた笑ってしまった。


「?」

 変な人だ、とルイスは更に首をひねった。



 ・・・


 街道をそのまま数十分歩いた。

 ジュラの国境付近はいたって平穏だ。関所も解放されており、街道を巡回する警備の兵士もいない。

 駐屯地らしき場所も見かけたが放置されまったくの手つかずで、隣国と戦争が始まりそうな気配など微塵もない。

「ふうむ。何だかこっちはー…」

 ユーリは街道の雰囲気に違和感を覚えずにはいられなかった。


「平和ですね」


「戦争が仕掛けられそうなのに、呑気なもんですね」


「仕方ありません。ジュラは連合国。代表の話し合いの場において初めて国を動かせるのですから」


「民主主義ってのはめんどうで苦手です」

 ユーリは理解できない、と言った様子で息を吐いた。


「君主国家よりも民主国家のが圧倒的に平和的ではありますよ」

 ルイスは自国を比較に出して苦笑いを浮かべる。


「いえね、民主国家を否定するわけじゃないんですよ?そのめんどうのせいで起きる悲惨な事由もたくさんあるってだけで」

 ユーリはそっと瞳を伏せた。


「……」

 ルイスは何か言おうとしてぐっと口を噤んだ。

 時々、何かを想ってユーリはこんな表情をする。とても哀しそうに、けれどどこか懐かしそうにも…。

 他者が無暗に触れてはいけない、遠い記憶のどこかで癒えることのない深い傷が今も蝕んでいるような、そんな雰囲気をまとうのだ。


「おや、看板がありますよ。分かれ道ですね」

 ふと前方をユーリが指差す。

 ルイスも前方を見て、慌てて古い地図を取り出した。


「私の地図には特に何も記載されていません。丘があるぐらいでしょうか」

 看板の元まで着いて、ユーリが読み上げる。


「”美しいテンケイ川を眺める丘で旅の疲れを癒しませんか ードナの料理屋ー”ですって。そう古くない看板ですね。そろそろしっかり休みたいし、情報仕入れがてら寄ってみます?」

 ルイスは地図に道を書き足し、名前も添えた。

 丘の上へと伸びる道はただの砂利道だが、草刈りもされており人の行き来がある道だ。


「はい。例の兄妹についても何か聞けるかもしれません」

 二人は丘へ足を進めた。


 丘を上がると、木々に囲まれた山小屋を改築したような可愛らしい二階建ての家が建っていた。料理屋と言うだけあって、正面の窓辺にはテラスが併設されていて、机と椅子を出せば外でも食事がとれるようになっている。

 ユーリはテラス横の階段を駆け上がり、扉を二度叩く。

 ルイスも続いて階段を上がる。扉の前で後ろを振り返ると、傾き始めの陽がテンケイ側を照らし、揺れる水面がキラキラと輝いていた。確かに旅の疲れが癒される最高の景色だ。


「こんにちはー」

 ユーリがもう一度、扉を叩いて声をかける。しかし返事はない。扉に耳を寄せて人の気配を探った。

「気配がない。留守ですよ」

 扉の取っ手に手をかけると、扉はあっさりと開いた。

 ユーリは警戒して五感に神経を集中させる。


「不用心ですね」

 ルイスはユーリの背後から頭を傾けて室内を覗き込んだ。


「魔晶の痕跡はなし。争った様子もありません」

 良くない事態を想定したが杞憂だったようだ。室内に漂うのはこもった木の匂いとわずかな生活臭だけ。血生臭い匂いはしない。

「家を空けてまだ数日ぐらいですかね」

 室内は料理屋らしい造りで、テラスがある右手の窓辺には三つの丸テーブルと椅子が置かれ、左手側には厨房がありその手前にはカウンターが備えられていた。

 ユーリはずかずかと中へ入って行く。


「あ、ユーリ、勝手に…」


「良いんですよ、鍵が開いてたし。何も盗もうってわけじゃないんですから」

 どんどん奥へ行ってしまうユーリを見てルイスは戸惑いながら辺りを見回した。


「お邪魔致します。留守中に申し訳ありません」


「誰に言ってんの」

 ユーリは噴き出した。


「少し換気しましょう」

 ルイスは恥ずかしそうに唇を尖らせて閉められた窓を開く。

 テンケイ川からの心地の良い風が部屋の中へと一気に舞い込んできた。

「この土地の風は色々な緑の香りがしますね」

 ルイスは気持ちよさそうに深呼吸をした。

 冷たく研ぎ澄まされたエノテイアの風とは全く違う。


 反応がないユーリの方へ振り返ると、ユーリはカウンター内の引き出しを漁っていた。

 ルイスはぎょっとして駆け寄る。

「ユーリ!何も盗まないと言っていたではありませんか!」


「盗まないよ、見てただけ。おかげでこちらの料理屋さんが何で無人なのか分かりましたよ」

 ユーリは二枚の紙をひらひらとさせてルイスに差し出す。


「え?避難指示書?」

 見出しの通告文を見つけてルイスは目を瞬かせた。


「平和ボケしてるかと思ってたけど、国境近隣の都市は一応ちゃんと考えてはいるみたいですね。”…昨年の、セキテイ山の異常な降雪量により、雪解けと共にテンケイ側の増水が危険水域へ達するものと想定されます。つきましては国境近辺の該当地域の方へ早急な避難を指示いたします…”」


「戦争については触れていませんね」


「”…同封の許可証をお持ちの上、一週間以内にテレジア市避難地区にて登録手続きを行ってください。なお手続きがされない場合、許可証は自動的に無効となりますのでご注意ください…”と。かなり理由は強引だけど結構な厳戒態勢ですよ」


「ジュラ自体はまだ指針が整っていないようですが、国境に近いテレジア市は最大限の警戒に移行するぐらいの緊張感はあるのでしょうか」

 ルイスは腕を組んで考え込む。


「まあ、とりあえずテレジアには今から向かっても夜になってしまうし、今日の所はこちらで休憩させてもらいましょうか」


「え、ええ…ですが家主さんが不在なのにそんな勝手をしてしまっていいのでしょうか…」


「そういえば、”旅路でお困りの際は店内の備品をご自由にお使いください”って書置きがありましたよ」

 ユーリは机に置いてあった紙をルイスに見せた。


「!だから鍵が開いていたのですか。素晴らしい心遣いですね。感服いたします」


「ありがたく使わせてもらいましょう。食べ物もいくつか残っているし、あ、保存用のパンがありますね。ジュラ産の小麦はエノテイアとは違う味でしょう。火を起こしましょう。少し温めると柔らかくなる」

 ユーリはカウンター上の戸棚を遠慮なく順に開け、食材や食器を取り出していく。


「あ、ユーリ、ではお湯も沸かして頂けますか?茶葉があるようなので私はお茶を淹れたいです」

 ルイスは見つけた茶筒を嬉しそうに手に取ると葉の香りを嗅いだ。

 ジュラ産の茶葉はエノテイアまで入ることがほとんどないためルイスも初めて試す。ジュラでは葉と共に、すり潰した葉の粉末も一緒に淹れて楽しむと本で読んだことがある。


「お、いいですね。楽しみ」

 ユーリはポットを戸棚から取り出して声を弾ませた。


「水は、こちらに…?」

 ルイスはカウンターの奥にある厨房へ入り設備を見渡す。

 キャトラ邸の調理場には湖から直通する専用の貯水槽と池があったが、ここにそう言った設備はなさそうだ。普通の家庭は水はどうしているのだろうか、と疑問が浮かぶ。


「こういう一軒家は必ず川から水をひいてるはずだから裏手を見て来ますよ」

 ユーリは水桶を一つ手にとって奥にある裏手口へ向かった。


「なるほど。あ、私も行きます」

 興味本位でルイスもユーリのあとを追う。


 裏手には大きな水皿が置かれ、綺麗な水が溢れていた。地面には土を掘って木枠でしっかりと補強された人口の水道が造られている。

 テンケイ川へと繋がる小川からひいているらしい。

「このようになっているのですね」

 ルイスは興味深げにまじまじと作りを観察した。

 自室に冷えた水と温かい水が用意されているのが当たり前だったルイスにはささいなことも新鮮だ。


「…ん?」

 ユーリは桶に水をくみながら、ふと上流を見上げ眉をひそめた。


「……」

 真剣な表情のユーリに気付いてルイスも視線を向ける。


「小川の上流に誰かいますね」


「え?」

 言われてルイスもじっと目を凝らした。小川を辿るように視線を滑らせるが、木や草に岩があるだけで人影らしきものがあるようには見えない。

 恐らく、ユーリは視認ではない方法で感知しているのだろう。


「念のため確認します。私の後ろから離れないでくださいね」

 ユーリは水桶をその場に置くと刀に右手を添えて、ゆっくりと水道を上へと歩き出した。

 足元を気にしながら、ルイスもユーリのすぐ背後について慎重に進む。


「二人か…」

 ユーリは耳を澄ませて神経を集中させる。

 川にしゃがみ込んで何かしている人影がルイスの目にも確認できた。

 体格は大きくない。


「子供?」


「ですね」

 薄暗い影の下にいるのではっきりとは見えないが大人ではないのは確かだ。

 武器のようなものは、足元に小型のナイフが一本。ぼろぼろでとても武器とは呼べない代物だ。

 ユーリは右手を離して警戒を解いた。


「君、そこで何を?」

 こちらに気付いていない人影に声をかける。


「だれ?!」

 その人影は驚いた様子で立ち上がると、敵意むき出しでナイフを身構えた。


「旅の者です。近くの子ですか?陽が沈んだら森は危険ですよ」

 ユーリは優しく諭しながら少年に近づいていく。少年はユーリの歩みに合わせてじりじりと後退した。

 視界が薄暗さに慣れ、次第に子供の容姿がはっきりとしてくる。

 ルイスはその子をじっくり観察し、気付いた。

 黒檀の髪、青緑の瞳、年はルイスと同じぐらいか。


「ユーリ、この子、ロスターの兄妹では?」


「!!」

 ルイスがそう呟くと、少年は驚いた様子で二人をじっと睨んだ。


「…っ」

 ユーリはぞわりと身の毛がよだつのを感じた。

 よく知る感覚。体の内側からこちらの情報を探られるような気持ち悪さ。彼らと遭遇すると、毎回違った意味で不快な気分に陥る。

 まずは警戒。それから相手の状況を知り、出方を探る。

身の安全を確保する必要がある面倒臭さがユーリにとっては何よりも不快だった。

「ルイス下がってね、オリクトです」


「え?」

 ユーリは左手を手前に掲げた。

 こちらに害を成す所有者の部類には見えないが、見た目で判断は出来ない。一番遭遇したくないタイプの人種であれば戦闘もやむなし。


「オリクト?何でそれを?!」

 少年は動揺した様子で唇を噛んだ。似つかわしくない錆びたナイフをぎゅっと握りしめている。


「…イ、ツキ…?」

 岩陰から声がした。イツキと呼ばれたその少年の敵意が一瞬にして消える。


「アヤ!?良かった…!」

 イツキはナイフを放り出して岩に体を預けたまま地べたに座っている少女に駆け寄った。


「大丈夫?水は?飲める?」

 アヤは息も絶え絶え、イツキが差し出した水を一口飲む。

 怪我をしているのか太ももには血のにじんだ布がまかれていた。


「怪我をしているのですか!?」

 ルイスが気付いて駆け寄る。


「ちょ、っと!ルイス…!」

 ユーリはぎょっとした。

 話を聞いていたのか?少年らはオリクトを持っていて、危険人物かもしれないと言っているのに…。


「何する!」

 イツキはアヤの額に手を伸ばすルイスの手を思い切り叩いた。


「っ…落ち着いて、えっと、イツキくん?私たちはあなたがたに危害を加えるつもりはありません」


「…イツキ、…この人たち、大丈夫…、なんでしょ…?」

 アヤは苦しそうに必死に言葉を紡いだ。

 顔色は真っ青で手足は小刻みに震えている。なのに額には凄い汗をかいていた。


「でも、アヤ…」


「失礼します」

 ルイスは不審がっているイツキには目もくれずアヤの額に手を当て、首の頸動脈に指を添えた。

 冷たい。脈ははっきりとしているがとてもゆっくりと脈動している。


「怪我はいつ?何によって?」

 首筋や頬も体温が下がっていた。体全体が冷えている。汗の量からして怪我による炎症で発熱しているのかと思ったがそうではないようだ。病気か何かの中毒症状か?


「えっと…昨日のお昼だったと思う。川を渡る途中に流れに巻き込まれて岩にぶつかって…」

 イツキは困惑しながら答える。


「ほう、上流から国境を越えたのか。勇気のある子供たちですねぇ」

 ユーリは感心して唸った。


「体調が悪くなったのはいつからですか?」


「夜になっても血が止まらないので今日の朝、血止めの薬草を煎じて傷に塗った。血は止まったけど少し後ぐらいから様子がおかしくなって…」

 ルイスはイツキの話を聞いて記憶を探るように考え込んだ。


「血止めの薬草ですか…。専門家ではないのではっきりとは言えませんが、アヤさんはその植物を摂取したことによる中毒症状を起こしているかもしれません」


「中毒…?まさか!薬草は間違ってない」

 イツキは眉をひそめて声を荒げた。


「ええ、間違ってはいないと思います。その薬草は鳥の目のような二重丸の白い花が咲いていませんでしたか?」


「白い花…?咲いていたような…」

 イツキはぼんやりと記憶を辿る。


「トリメヒルドキと言う花だったと思います。葉は一般的な傷薬として使われますが花粉に毒性があります。摂取しなければ害はありませんが、葉を採集した際に花粉に触れてしまいそのまま傷の手当てをしたことで傷口から毒が侵入した可能性はあります」


「ほう。さすがルイス、よく知ってますね」


「ヴィルに倣って少し勉強しました」

 ルイスは少し照れてはにかんだ。

 本来ならそこまで興味のない分野だったが、ヴィルヘルムが熱心に勉学に励むのに倣って共に薬学書を熟読したおかげだ。


「とにかく、ここにいても症状が悪化するだけです。下の料理屋で体を温めましょう。ユーリ、運ぶのを手伝ってもらえますか?」


「ふう…分かりました、仕方ないですね」

 ユーリは少し不満げにしながらアヤへ近寄った。

 あまり接触はしたくはないが、オリクトの気配も薄れていることから何かあっても問題はなさそうだ。所有者が弱っているからだろう。


「待て!勝手に話を進めるな…!」

 そんなユーリの前にイツキが立ち塞がった。

 オリクトの存在を口にしたユーリに対して警戒心を露わに睨む。


「気持ちは分かります。でもとりあえずお互いに事情は置いておきましょうよ。今は一刻を争う状況です。守る人を失いたくはないでしょう?」

 ユーリは息を吐くと、なだめるようにゆっくりとした口調で呟いた。

 イツキが必死になるのも無理はない。

 彼らはガーランド軍から追われ命からがら川を越えジュラへ逃れてきた。いま、妹を守れるのは自分だけ、それ以外のものすべて敵だと認識しなければ生き抜くことは出来ないと自分に言い聞かせて自らを奮い立たせているのだ。そうしなければ心が簡単に壊れてしまうことをユーリは良く知っている。


「イツキ君、このまま陽が沈んで気温が下がればアヤさんの容体はもっと悪くなります。私は多少なりと知識があるのでお役に立てると思います」

 

イツキは、小刻みに震え意識がおぼろになりつつあるアヤに視線を送った。

 大した知識も、大した力も無い自分ではこれ以上、何も出来ない。ただ弱っていくアヤを見ているだけ。助かる可能性があるのなら、それが何であれ、今はすがるしかない。

「…分かった…」

 イツキは心の中で何度も葛藤しながらも、すっと身を引いた。


「素直でよろしい。では私は彼女を運ぶんでイツキ君はルイスと水を運んでもらえますか」

 ユーリはにこりと微笑んでアヤを軽々と抱き上げた。


「うん…」


「桶が下にあります、行きましょう」

 ルイスはイツキの手を取るとユーリを追って走り出した。



 それからルイスの指示でユーリとイツキは忙しなく料理屋の中と外を駆けずり回った。

 まずは火を起こし、水を温め、綺麗そうなシーツでアヤの体をくるんで体温をあげるところからだ。

 その間にルイスはイツキが見つけた乾燥アーモンドをすり潰して水で薄めたものをアヤに飲ませた。すぐに吐いてしまったが、慌てずまた新しいアーモンド水を飲ませる。その繰り返しをしているうちに、アヤの顔色は徐々に赤みを取り戻していった。


 呼吸が正常に戻った頃には日が暮れ、外は真っ暗になっていた。

 夜通し追手から逃げ続けていたであろうイツキは、アヤの落ち着いた様子を確認するとそのまま気絶するように眠りに落ちた。

 あまり似ていない兄妹だと思ったが、あまりのそっくりな寝姿にルイスとユーリは顔を見合わせて小さく笑ってしまった。



 ・・・


 後片付けがてら、ユーリに促されてルイスは沸かしたお湯のあまりで体の汗を拭きとることにした。

 エノテイアを出てから肌着もずっと着たままだ。夏場ではないのでそこまで汗は掻いていないがさすがに気になって、ついでに軽く洗うことにする。かまどの前に干しておけば火が消える頃には乾くだろう。

 顔と髪は石鹸水ですすいで、外套と上着は濡らした布で拭き取った。


 気付けばエノテイアから逃亡して、もう三日目。

 父上は責め立てられ無茶な任務を課せられたりしていないだろうか…?

 ヴィルヘルムは、家の者たちは、虐げられたりしていないだろうか…?

 ルイスはため息をついて、右手で輝くオリクトにそっと触れてみた。

 オリクトがうっすらと瞬く。

 ”大丈夫、同じように強く在るよ”

 優しいエリオスの声が聞こえたような気がした。


 ルイスは髪を拭きながら厨房を出る。


「私も初めて見るオリクトです」

 ユーリは、安らかに眠っているアヤの左手をじっと眺めて呟いた。


「イツキ君がオリクトの所有者かと思ったら、どうやらアヤさんだったみたい。オリクトはアヤさんの左腕にあって、イツキ君の右手には印があるのに、何故かオリクトの気配はイツキ君からする…。私の知ってるオリクトとは少々毛色が違うみたい」

 次にイツキの右手に浮かぶ印をルイスに見えるように出した。

 それはかつてエリオスがヒイラギによってつけられた、オリクトの名を冠する従僕の証であり、ある種の呪いでもある。

 ユーリは再びアヤの左腕で輝くオリクトを見つめて、そっと指先で丹色(にいろ)の晶石に触れてみた。


「……」

 じりじりと指先が痺れるような感覚。痛みを感じるほどの強さはないけれど、手を避けたくなるような得も言われぬ振動が伝わってくる。

 こうして直に接触すれば、所有者が何らかの制御をしていない限りオリクトを通して意識の共有と言う意味で基本情報を得ることが出来る。

 しかし、このオリクトからは何も得られない。拒絶はしていないが、かと言って受け入れてもいないと言うことだろうか。


「ちょっと調べてみますね」

 ユーリは治療に使った乾燥アーモンドの残りを全部口に放り込んで意識を集中させた。

 眠るように瞳を閉じ、柔らかな羽毛の中に体を沈めるような感覚に身を委ねると、左腕のオリクトがぼんやりと紅い光を放ち始める。

 ユーリの持つ『(げん)』のオリクト特有の魔晶の一つで、無意識領域、つまり夢の中に入ることが出来る。

 ルイスはその光景を無言でじっと見つめた。



 ・・・


 そこは白い靄の立ち込める無意識の世界。

 ゆっくりと進んでいくと、次第に雨の降り始めのような砂埃の香りが漂ってきた。遠くの方から子供らの無邪気な声が微かに聞こえてくる。

 アヤの無意識領域に入った、そう思った瞬間、辺りに暗雲が立ち込めた。のどかな町の喧騒から、砂と火の粉が舞う戦場へと一瞬で変わっていく。

 けたたましい建物が崩れる音、人々の悲鳴、子供の泣き声、馬の蹄の音、血しぶきや砂ぼこり…。

 その中に、ぽつんと花が咲いていた。燃えることも、踏まれることも、風になびくこともなく、戦場の中で静かに佇む。雲間から差し込んだ丹色の陽が花を守るように照らしている。

 闘争の渦中にあって、絶対的に侵されることのない力。それがこのオリクト、『(そう)』だった。


 景色がまた変わる。屋敷の物置だ。部屋の隅に小さくうずくまるイツキがいた。耳を手で抑え、震えている。胸元にはオリクトの晶石が輝いていて…。

 アヤはどこだ?ユーリがイツキに近付こうとすると、灰色の閃光が目の前を走った。何かが迫りくるような気配を感じてユーリは振り返る。けれど背後には灰色の塵が舞って、辺りの景色は一瞬で消え去ってしまった。残るのは焼け焦げたようなにおいと、口内の妙な味。

 さらりとした、鉄…?いや、血か?濃い、血の味だ。味はどんどん濃くなって、口の中を満たす。それは絶え間なく、飲めと促すように溢れてきて…。


 ・・・



「っ…!」

 ユーリは吐き気を催して目を見開いた。オリクトから手を離し思わず口元を抑える。


「大丈夫ですか?」

 ユーリの様子を見ていたルイスが心配そうに覗き込む。


「…、ええ…。『(つるぎ)』の気配だ…。どのタイミングかは分からないけど、この『争』のオリクトは『剣』と接触してますね」

 血の味。あれは間違いなく『剣』のオリクトの痕跡だ。

 元々はエノテイアが所有していたオリクトで、ガーランド建国の際にヒイラギが領土と共にオリクトの管理を任せる意味で初代王に授けたと言われている。


「接触?まさか、誰かが所有していると言うことですか?『剣』のオリクトは王城グランシュの地下で誰にも触れられないよう保管されているはずなのに…」


「私もそう認識してる。『剣』は戦を好むオリクト。所有者をあくなき闘争へと誘う危険な性質を持っているからヒイラギも所有者を出さないよう自ら保管してたぐらいなのに…。いくら軍事国とは言え危険性を知ってる王家がオリクトを持ち出すとは思えないし、そもそもエノテイアが絶対に許さないでしょ」


「何か隠し事があるのでしょうか」


「かもしれませんね」

 ユーリは小さく頷いた。


「ともかく二人が目覚めたら話を聞いてみましょう。ルイスも随分疲れたでしょう。カウンターの奥にもう一つソファーがあったからそちらで休んでください。私は川で少し汗を流してきますので」

 ユーリは戸棚から綺麗そうなシーツを取り出してルイスに手渡す。


「助かります、今にも寝そうでした」

 ルイスは苦笑いを浮かべて素直に受け取った。



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