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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
30/31

相克 1

 


 馬車が動き出してアサンテが見えなくなると、ミハイルは本を開いてページをいくつかめくった。

 手を止めて内ポケットからペンを取り出すとさらさらと簡単なメモのようなものを書き足していく。


 ラージャは医務院で一度意識が戻って以降、馬車が揺れてもぴくりとも動かない。

 ルイスは心配になって鼻元に手をかざした。

 弱弱しい息がかすかにかかる。大丈夫だ、まだ呼吸はある。

 ほっと胸をなでおろして座り直した。


「そう言えば」

 寝そべっていたユーリが言いながら体を起こす。

「国境にクライドさんがいたんで軽く話をしたんですけど、晩餐会の出席を最後に国境警備に配置換えになってたそうですよ。事件の再調査を王太子に願い出たせいで降格処分になったとか?」


「!!王太子に直訴したのですか?!なんて無謀なことを…!!」

 ルイスは驚いて顔を青ざめさせた。


「何かまずいことなんです?」


「ええ、一騎士から王太子に声をかけるのは不敬罪にあたります。ましてや私見を述べるなど…、下手をすれば禁固刑になってもおかしくないのに、降格で済んでいるのは彼がウィンダム姓だからでしょうか?」


「それもあるだろう、クライドはシグルド中将の養子だから。中将の功績と現状の影響力を考慮すれば降格に留めるのが妥当だったのかもしれない。…或いはそこまでを見越していたとすれば…、彼が中将の座に居続けるだけのことはあるか」

 ミハイルは何かをしたためながら一人で納得したような素振りでふむ、と頷く。


「中将のご子息でしたか…」

 それであの席順だったのか、と、ルイスは晩餐会の様子を思い返した。

 ガーランド王国は血の繋がりよりも個人の実力や能力に重きを置く国。養子であってもウィンダム姓を継ぐ者として認知されているのであれば扱いが特別だったとしても納得だ。

 ふとベール越しに微かに見えたシグルドの姿を思い出す。ぼんやりとした顔しか思い出せないが、今思えば、城内で出くわした老騎士はもしや…。

「あの、父上が国を離れる以前、中将と懇意にしていたかご存じですか?昨夜は私たちを匿ってくれたように思うのです…」

 と、シグルドの顔を思い出していて、ルイスは何かに気づいてはっとした。

「…!まさか、兄上が()()()()()とおっしゃっていたのはこのことなのですか?」


 ミハイルがくすりと笑う。

「中将は君の祖母である前第一王妃とは学友だったと聞いている。ルイスの出生の際も、エリオス卿が王家を離脱する際も密かに彼の助力があったそうだ。中将の君たち親子に対する感情は並々ならぬものがある。王家の剣術師範でもあった彼がルイスを見れば当然幼少期のエリオス卿を思い浮かべるだろう。目の前によく似た幼子が現れれば可能な限り安全な場所に匿おうと考えるのは自然なことだ。私はそれがふと頭によぎっただけだよ」

 

「……」

 ルイスはなるほど、と口を噤んだ。

 シグルドが事情を知っていたのならば納得だ。幼い頃のエリオスの姿を知っているのだから、ルイスを見ればエリオスを連想するだろうし、出生を知っているのならば瞳の色でライナを連想もするだろう。

 では、ミハイルはその関係性までも考慮して思案を巡らせ行動していたと言うのだろうか。

 王家の現状を憂うシグルドがどう考えどう動くのか、カイリと別れた後にルイスが何を思いユーリがどう言う選択を取るのか、それらを計算に入れたあらゆる可能性の一つとして、かつ己の目的の一つとして地下墓所で合流するのを待っていたのだ。

 どんな道筋を辿ろうとも、ミハイルの目指す終着点への過程にはジュラを訪れることが含まれている。そこにルイスとユーリの行動が重なるよう、考えを巡らせたのだろう。何十、何百通りも先を見ていると言われるが大げさではなく彼の場合はそのままの通りだ。

 ミハイルの底知れない能力は初めから分かっていたこととはいえ、改めて目の当たりにすると恐怖さえ感じる。


「そうやって聞くと、なんだかその中将とルイスのお祖母さんがただの友だったとは思えないですね。ミハイルさんだってそう思ってるんでしょ?だから私たちを誘導してくれる相手としては適任だったんでは?」

 ルイスの頭にも一瞬よぎったことをユーリが口にする。


「…さあ、どうだろうか。可能性の一つとして在りえたのかもしれないね。なんせ人の心は計り知れない。我々がどう邪推した所で彼らの心を除きでもしなければ憶測で終わる話だ。エリオス卿がノラン前国王と似ていないのはキャトラの血が濃い母親似なだけかもしれないし、シグルド中将が婚姻をせずに養子を迎えたのは単に結婚に興味がないだけかもしれない。どちらも憶測でしかないよ」


「……」

 ミハイルの言う通り、これはあくまで主観の、憶測でしかない。

 けれど、ルイスには何か引っ掛かった。情の深さは人柄だけのものではない。ルイスを見つめる優しげな眼差しは、エリオスから向けられる眼差しを思わせた。その目元はエリオスに似ているとも思った。言葉には言い表せない既視感のようなものを覚えた。

 それは、血の繋がりと言う確かな絆があったから?それとも、若き日の記憶に思いを馳せただけ?分からない。やはりただの憶測で終わる話だ。


 ユーリは俯いたままのルイスをちらりと見た。

「…じゃあそれは置いておいて…、ルイスはこの後どうするつもりですか?」


「この後、とは?」

 ルイスは、はっと顔を上げる。


「ジュラの代表らと話して、その後です。このまま関与していくのか、離れるのか、関与するのならどういう立場をとるのか。もう答えを出さなければいけない段階だと思いますよ」


「そうですね…」

 ルイスはそう言われて戸惑ってしまった。

 ガーランドの事情、獣の実態、ガーランドの視点から状況を知ることが出来たが、まだ自分がどうしたいのか、何が出来て何をするべきなのか、明確に定まっていない。


「ジュラにつくのならばカイリさん、クライドさん、それからウィンダム中将とも敵対すると言うことです。逆にガーランドにつくのならば、アヤさん、イツキ君、そこのミハイルって言う人と敵対することになりますね」


「答えはほぼ決まっているだろう」

 ミハイルはルイスの胸の内が見えているかのように優しい声で呟く。


「……」

 ルイスは眉をひそめた。

 そう、答えは決まっている。けれど、決心がつかなくなってしまった。

「ガーランドの行いは決して許されるものではないと思っています。この時点で、ある程度、ジュラ寄りの見方をしていたとも思います。…ですがガーランドの立場で見聞きしてみたら、果たしてこれで良いのかと思ってしまったのです。一見するとガーランドの一方的な暴挙のようにも見えますが、王家がオリクトの呪縛から脱するためにはこうするしかなかったのではないかと、そもそも彼らが望んで引き起こした戦だったのだろうか、とさえ思えてきて…」

 ルイスは墓所の部屋でミハイルとオルガノ王の会話を思い返した。

 かつて先祖の誰かが犯した知りもしない罪の清算を続けてる名前だけの王家。

 王位を継いだ者の命が贖罪にあてがわれていることは誰も知らない。前国王ノランは病弱だったと言われていたが、そうではなかった。すべてオリクトを制御するためだったのだ。オルガノが死んだことでこれからはオレド、そして幼いルーナがそれを背負っていかなければならないのだろう。

 そんなものはあまりにも理不尽だ。もはや因果関係など存在しない代まで時が経っているのに、彼らはまだ解放されない。

 それは、もしエリオスが王位を継いでいたならば、エリオスとルイスが背負うことになっていたであろう責だ。そうなった時、エリオスはそれを仕方がないことだと諦めたりはしなかったはずだ。抗う術を模索し、最後まで可能性を探しただろう。

 同じように、子を思う親であるオルガノが選んだ結果が、今の状況なのかもしれない。戦と言う大きな動乱によって流れる血で、オレドがそれを終わらせようとしているのだとすれば?

 そう思うと…。


「それだけ彼らを憂いに思うのであれば、やはりジュラ側に立つべきだ。この戦は起こるべくして起き、成るべくして成った。あの国は最初からオリクトの牢獄でしかなく、どう道を修正したところでこの先も国として機能していくことは出来ない。今、オリクトの枷から解き放たなければこの大陸は血の海に飲まれるだけだ。犠牲は少なく小さい方が良いに決まっている、そうだろう?」


「…だから、兄上は駒として自ら動かれているのですか…?」

 ルイスは深く納得した。

 『渦中で戦略を練る者は、その時間を少しでも早く短く、最小限の被害で最善を導き出すのが役目』

 死んだ者を印にするガーランドと、三種のオリクトを携えた大国エノテイアが衝突すればこの大陸の全土が戦禍に飲み込まれるとてつもない大規模な戦争となる。そうなる前に、すべてを終わらせるのが最善と考えこの国へ来たと、そう言う事なのか。


「…ありがとうございます、迷いが少し晴れました。…まだ思う所はありますが、私は私なりの最善を選べるようにジュラで役に立てることを行おうと思います」

 ルイスは少し力強く頷いた。


「軸がはっきりすることは良いことです。ルイスが求める結論に至れるように私も助力は惜しみませんから。では、私も自らの立ち回りを表明しておかないといけませんね」


「?ユーリの立ち回り?ですか?」


「ええ、ジュラにつくのであればサーシャの対処は避けて通れません。あれは間違いなく『(つるぎ)』の傍にいてオリクトを手に入れようと暗躍していますから必ず障害になります。サーシャと対立すると言うことはガーランドへの敵対行動にもなりますから、私はジュラに対して行動指針を明確にしておく必要があると思います。ミハイルさんが対処してくれるってなら話は別ですけども」

 ユーリはミハイルにちらりと視線を送る。


「ご高齢の魔女のお相手はご免被(めんこうむ)る。私は他にも対応をしなければいけないことがあるからその辺りは君ありきで考えているのでよろしく頼む」

 ミハイルは微笑みながら答えた。


「他?ミハイルさんは単独行動ではなく?ジュラ連合として活動するんですか?」


「連合に与するつもりはない。だが彼らが真に結束して勝利を目指すと言うのであれば私にとっても有益ではあるから協力関係を構築することも可能ではあるだろうね」


「真の結束ですか…」

 ユーリはそれは難しそうだな、と唸った。

 ジュラの重役で信用できるのはマルシュとレーゲン、アサンテの代表ぐらいだとカイリが言っていたのを思い出す。

 ガーランドから遠い都市の代表ほど戦の真実を知ろうとはせず、自らに火の粉が飛んで来ない限りはガーランドとエノテイアを刺激しないよう平和的に済ませようと言う考えだ。

 決定権を持つ者が多いほど歩みは不揃いになりやすい。民主主義の欠点でもある。


「ユーリの行動指針と言うのは、具体的にサーシャさんにどういった対応をされるのですか?」


「……」

 ルイスの問いにユーリはすぐに答えなかった。

 どこから話して、どこまで言うか、何が言えて、何が言えないのか、自分の中でしっかりと線引きをしなければならない。


「その前に、少しだけサーシャとの経緯を説明させて下さい。…私は、かつてオリクトと共存する強大な大国でヒイラギとそのオリクトを管理する立場にいました。その国は様々な要因によって瓦解(がかい)し、暴走するオリクトと偶発的にオリクトを手にした所有者との争いの末に滅亡してしまいました。その一端を担ったのがサーシャです。私は管理者として事態を収束させ、サーシャに責任を取らせる必要がありました。…ですが、当時の私は冷静さを欠いていた。サーシャを仕留めた後、どうでもよくなってしまって、死を確認せずにオリクトと彼女を放置したんです。その結果、あれはオリクトの力によって生き延びていた…。過去を清算しなければ報われない命がたくさんあります。オリクトを引き剥がし、今度こそ確実にサーシャの息の根を止めなければいけません。その後は、『(ふみ)』をエノテイアに託そうと考えています」


「ヒイラギ様に?…それは、ユーリにとっての正解なのですか?」

 ルイスは困惑しながらちらりとミハイルに視線を送る。

 ミハイルはもちろん想定通りといった様子で静かに微笑んでいた。


「正解ではありませんが、現状での最善だろうとは思っています。オリクトを回収したところで私は所有できないし、そのまま所持しているのも危険です。同じく国で管理者として生きてきたヒイラギであればその危険性も扱い方もよく分かってますから、信用はしてませんが託すに値する能力はあると言えます。あの人自体もあの人のやり方も好きではありませんが()()()()()()()()()を興したことについてはある程度評価してますので…」


「ははは!ユーリ君からそんな言葉が聞けるとは、ヒイラギが聞いたら笑って椅子から転げ落ちるな」

 ミハイルが声を上げて笑う。


「そのまま死んだらいいよ」

 ユーリはうんざりした様子で息を吐いた。


「ヒイラギ様とは、その…ただ事ではない縁があるのだろうとは思っていましたが…、話してくれてありがとうございます。ユーリが考え決めたことですのでお任せします。私は何かお役に立てることはありますか?戦闘面では足を引っ張ってしまいそうではありますが…」


「あれの戦闘能力は大したことありませんから私一人で事足ります。オリクトも戦闘向きではないので対策をしていれば脅威ではありません。問題が一つあるとすれば、私があの人を熟知しているように、向こうも私の能力を把握していると言う点です。私に力で敵わないことは分かり切っていますのでまず正面からの戦闘は避けるでしょう。人を人とも思わない狂人なので、あらゆる卑怯な手段を用いてくると思います。なので、その際はルイスは私から離れて別行動をしていて欲しいです。間違いなく貴方に危害を加えようとするでしょうから」


「分かりました。身の安全の確保を最優先に行動するようにします」

 ルイスは努めて冷静に自分を納得させるように頷いた。

 役に立たないのはよく理解している。せめて邪魔にさえならないようにしなければならない。


「ではルイスには私の傍にいると良い。あの魔女の知能がまだ正常に機能しているのならば私に手を出すような愚かな手段は選ばないだろうからユーリ君も気兼ねなく戦闘に集中出来るはずだ」


「サーシャさん自体はエノテイアと構えるつもりはないと言うことですか?」

 ルイスは首を傾げた。


「それもあるでしょうけど…、私だって敵でなければミハイルさんを攻撃しようとは思いませんよ。無傷で済みそうにないですもん」

 そう呟いて、ユーリはミハイルが自らにかけているであろう何重もの防護魔晶の存在を想像して身震いした。

 これだけ先見の明がある魔晶士だ。保全対策は万全に決まっている。剣を振り下ろそうものなら防護魔晶によってそれが自分に反射する可能性の方が高い。

 ミハイルの魔晶精度の高さは、王城の地下道で垣間見ただけではあるが驚かされるものがあった。はるか昔、誰よりも魔晶精度に優れていたヒイラギをも超えるだろう。

 仮にオリクトを含めた本気での戦闘を行うとしても、ユーリの剣技がミハイルの知力に劣るとは考えたくもないが、もし一瞬で決着がつかなければ沈黙させることが容易ではないことだけは確かだ。

 そもそもミハイルはユーリの能力を熟知しているのに、ユーリはミハイルのこともオリクトの性能も分からないと言うところが攻撃をしたくない大きな理由でもあった。

 それはサーシャにとってもそうだろう。ヒイラギのことはよく知っていても、ミハイルとそのオリクトのことは全くと言っていいほど情報がない。

 この不明瞭な部分が明確になったとしても、現段階でミハイルと戦闘することはただただ不毛であり、そうせざるを得ない事態にでもならない限りは、わざわざ危険を冒してまで戦いたくないと言うのが本音だ。


「賢明な判断だね。君がそう考えるように、出来るならば私も君とはやり合いたくはない。あまりにも無益だ」

 ミハイルはにこりと微笑む。


 戦闘を避けたい理由が勝てないからではないと言うところがミハイルらしくて、ルイスは思わず吹き出してしまった。


「…さて、悪いが私はこの辺りで休ませてもらうよ。さすがに問題なく、とはいかないようでね」

 そう言うとミハイルはふう、と息を吐いてすぐに目を伏せた。


 ミハイルはこの会話の間もずっと魔力を操作し続けていた。

 治療魔晶は対象者の血中魔力を操作する必要があるため、熟練の治療士であっても神経をすり減らす高度な魔晶である。いくら原理を理解していようとも、治療士としての経験もないミハイルではやはり消費する魔力も相当なもの。剣の扱い方を本で読んで完璧に理解していたとしても、実際に振るうとなればまったくの別物であることと同じだ。

 顔には出ないが相当疲れているだろうと言うことはルイスにも感じられた。



 ・・・


 ぽかぽかと暖かな日差しの中、馬車に揺られて数時間が経った。

 ルイスは帆の隙間から覗く景色を楽しんでいた。

 ゆったりと走る荷馬車からの景色は、以前カイリに連れられてベリゴールからアサンテ方面へと向かった時とは違った面白みがある。

 木々や花々、生き物が伸び伸びと生きている暖かい大地ならではの豊かな景色はどれだけ見ていても飽きが来ない。

 何度も本で目にしていても、実際に生きて動いている生き物と言うのは何とも言えない感動を与えてくれる。


 ミハイルは横になったまま眠り続けている。アサンテでオリクトを使用したことも含めればかなりの負担がかかっているはずだ。

 ふと、ミハイルの手元に視線が向く。指の隙間に青紫色の光が見える。『(しん)』のオリクトだ。

 何だろう?とルイスが不思議に思っていると、ミハイルがぱっと目を覚ました。


 髪をかき上げて光る指輪に触れる。

「…どうした?」


「”閣下、お休み中のところ申し訳ございません。閣下が出立してから『剣』の気配がうるさくて気付くのが遅れました。鼠が城内を出てます。特定できますか?”」


「…ふむ…」

 ミハイルはふっと鼻から息を吐いて瞳を閉じた。意識を集中させて『史』の気配を探る。


「?」

 その場で誰かが話しているかのようにはっきりとした声だ。

 ルイスは驚いて思わず馬車内を見渡す。


「転声魔晶ですよ。ずいぶん高度なことをする話し相手じゃないですか」

 横になっていたユーリが声の主に気付いて体を起こす。

 転声魔晶とは、声だけを転移させている上位魔晶である。それなりの魔力に魔晶精度も精密でなければならないので少し得意と言うだけの魔晶士程度では扱えない代物だ。

 それほど気にしていなかったがミハイルの従者もただ者ではなかったらしい。


「兄上の従者の、レイシェンと言う方の声ですね。鼠とは誰のことでしょうか…」

 ルイスは会話を邪魔しないように小さな声でつぶやいた。


「…ああ、こちらに近いな。テレジア近郊にいる。ここからそれほど遠くない」


「”えーっ!?まさかあいつ閣下を追って行ったんじゃ?!そりゃあ、閣下は血筋も容姿も知能も財力も何もかも兼ね備えた歩く国家権力みたいなものですけど、鼠ごとき小物の分際で分不相応にもほどがありますよ!!”」

 レイシェンは至極真面目によく分からないことを口走っている。


「えっと…、その鼠ってサーシャのことですよね?以前もテレジア付近をうろついてましたよ。隠蔽魔晶を解いてるってことは…」


「あぁ、君を誘っているのかもしれないね?私が狙いではないようで安心した。…レイシェン、落ち着いて。あれは婚約者に会いたくなってわざわざジュラまで足を延ばしているようだ」

 ミハイルはちらりとユーリを見てにこやかに笑みを浮かべる。


「ミハイルさんとはちゃんと話し合う必要がありますね…」

 ユーリは苛立ちをぐっとこらえて努めて冷静にミハイルに微笑み返した。


「”え?!鼠なんかに人間の婚約者がいるんですか?ってことは三角関係?それって閣下とはどういう構図になるんです?!そんな面白そうな瞬間を見ないわけにはいきませんよ!閣下、やっぱりいますぐ僕をそ…”」

 ミハイルは転声魔晶をぶつりと断ち切った。


「……」

「……」

 ユーリとミハイルはそろってため息をついた。


「…サーシャがこちらへ来ているのならば好都合、誘いに乗ってやりますよ。テレジアの内部の状況も確認しておきたいと思っていましたから。ラージャさんのこともありますからお二人はこのまま参道へ向かってください。」

 ユーリはそう言うと立ち上がって刀を腰に差した。

「ルイス、前にくれた飴菓子はまだ残ってますか?」


「あ、はい。…ユーリ、どうか気を付けてくださいね」

 ルイスは飴菓子を手渡しながら唇をかみしめた。テレジアの森で結界に囚われていた時のことがよぎる。


「大丈夫、さすがにもうこの前みたいなことにはなりません、約束します」

 ユーリは安心させるように微笑みながら飴を口の中へ放り込んだ。

 そうして荷馬車から軽やかに飛び降り、心配そうな眼差しで過ぎていくルイスに手を振った。



 馬車が小さくなっていくのを確認して、ユーリはテレジア方面へ走り出す。

 左手を握りしめて隠蔽魔晶を解くと、すぐに感知魔晶を使用してサーシャの気配を探った。

「!!」

 途端に感じられたオリクトの気配に、背筋にぞくりと寒気が走る。思わず立ち止まり、もう見えなくなってしまった馬車の方に目を凝らした。

 サーシャの居場所を特定するために使った感知魔晶なのに、何故かミハイルのオリクトの気配が先に感知された。つまりは、ミハイルがユーリに対して感知魔晶を使っていると言うことになる。ユーリの居場所を把握して監視でもするのだろうか。

「信用出来ないのはお互い様でしょうよ…」

 ユーリは不快そうに息を吐いて再び走り出した。

 所が、ミハイルの気配はどれだけ離れても薄れなかった。何をするでもなく、ただじっと見られているような感覚。よくよく考えてみると、これは感知魔晶ではないかもしれないと思えてきた。

 ただの感知とは違う、何か探られているような感覚に近い。しいて言えば、ユーリが他者の無意識領域に入り込む魔晶にどことなく似ている気がする。入り込まれているのではなく、意識を俯瞰して見られているとでも言った方が的確かもしれない。

 この予想が正しければ、”何でも知っている”とミハイルが言っていたことが本当にそのままの意味になってくるのではないだろうか。

 これまでのミハイルの言動から察するに、感情までは読み取れていないのが幸いではあるが、サーシャのことが済んだらすぐに隠蔽魔晶をしようとユーリは心に決めた。




 ルイスは馬車の隙間から顔を覗かせ、ユーリの姿が見えなくなるまで見送った。

 以前のようなことはないとしても、戦闘を行うのだとすれば無傷では済まないかもしれない。何事もなければ良いが…。


「随分と心配しているね」

 いつまでもユーリの姿を見送っているルイスがおかしくてミハイルは小さく笑った。


「相手はオリクトの所有者ですから、心配もします…」

 ルイスは気恥ずかしそうに頬をかいてミハイルの前に座り直した。


「彼ならば大丈夫。あちらは今オリクトを行使出来ないからユーリ君が負けることはないよ。この機会に仕留めてしまうか、或いは確実に弱らせるつもりだろうからね」


「サーシャさんはオリクトを使えないのですか?」


「ん?」

 言っていることが分からないと言った様子のルイスに、ミハイルは、はて?と顎を手に当てた。

『史』と敵対する可能性があるにも関わらずユーリが対価について話していないのは妙だ。敵対相手の弱点を知っていると言うことはいかなる場合においても有利に対処することが出来るのだから。

 それをまだ話していないと言うことは、自分の過去に関係することも話す必要性が出てくるために、どこからどこまで言うか迷っているうちに話す機会がなくなっていたのだろうと思い至った。


「これは知っておいたほうが良いことだから私から話しておくよ。ユーリ君に聞かれたら私が教えてくれたと言えばいい」

 ルイスは、はい、と頷く。

「簡潔に言うと、『史』の対価は所有者の体の一部だ」


「…一部、ですか?えっと、それは…」


「どの部分かと言う質問ならば、どこも該当する。それは使用する魔晶の規模によって変わり、髪や爪と言ったさほど影響のない部位である場合もあれば、臓器や四肢と言った影響の大きい部位になる場合もある。四肢や、臓器の場合は一部が欠損するだけなので基本的には死に直結はしない。オリクトも対価を得ることを必要としているから所有者を死なせないよう考慮をしていると思われるね。ただ、行使し続ければ何もかも失っていずれ死へと至ることには変わりはないけれど」

 ミハイルは淡々と説明する。


「……」

 ルイスは唖然として言葉を失った。

 最も恐ろしい対価を要求するのは『(しょう)』だ、とユーリは言っていたが心を失うと言う状況は想像し辛く、恐ろしさの点ではいまいち理解出来ていない。しかし、病気や怪我の痛みの延長線上にある体の欠損と言うことであれば、耐え難い痛みであることがそれとなく想像できてしまうので、むしろこちらの方が恐ろしいではと感じられてしまった。


「それだけ聞くと残酷なオリクトだと思うかもしれないけれど、真に残酷なのはあの魔女の方だ。『史』の印には会った?あれは非常に入れ替わりが激しい」


「シオンと言う少年を連れていました。激しいというのは頻度が、ですか?」


「そう。所有者にとって印とは自分の分身のようなものであって思考も所有者に寄っていくものだから契約する時はすでにそれなりの関係性が構築されていることが多い。誰でも印には出来るけれど、見ず知らずの他人を印にしようと思う者は稀だ。この魔女は少数派の方で、対価を印に肩代わりさせる外法によって印が弱ってきたり死んだりすると次を見繕って”新しいもの”と取り換えを行う。ユーリ君があの魔女を毛嫌いしている理由の一つは他人を消耗品として考えている所だろうね」


「身代わりですって?!なんて酷い…」


「今のシオンはすでにかなり弱っていたからあれ以上オリクトは使用できない。印の取り換えを視野に入れてジュラを訪れている可能性が高い。これまで通りであれば魔女は戦禍の中で死の恐怖や飢えによって絶望した扱いやすい子供を狙う傾向にあるからね。安全な寝床、暖かい暖炉、見たこともないご馳走を振舞われた子供は安易に契約に同意するだろう。…あと…言葉にするのは多少憚れるけれど、成長によって使える部位が増えると言う意味でも子供は魔女の好みらしい」

 ミハイルは淡々と口にしながら嫌悪感に眉をひそめた。

 サーシャにとって人は、遅かれ早かれどうせ死ぬものだから有益に使ってあげようと言う感覚でしかない。他人の命など何とも思っていないのはもちろん、そもそも自分以外を同じ人間だとも思っていない節さえある。それはヒイラギの知る、遥か昔から変わらないサーシャの異常性の一つだ。


「人当たりが良く優しそうな雰囲気だったのも、子供をかどわかすのに適しているからそうしていたのでしょうか…」

 ルイスは気分が悪くなって額に手を当てた。

 自らの思念、行動のすべてを己の力のみで行い、その清算も自ら行うユーリにとって、あまりにも自己中心的な考えで他人を犠牲にして力を得ているサーシャの思考は許しがたいに違いない。

 ルイスにしても、こんなことを知ってしまってはとてもじゃないが次に会ったときにまともに会話を出来る気がしない。


「トリシューラ卿の行方がアランドール新王の懸念材料となっているようだから、シオンをアサンテに向かわせて事後処理用に使い捨てるのだろう」


「え?アサンテに?でもラージャさんは私たちが連れ出しているから…アサンテに危険はないのですか?」


「アサンテに危険はないだろう」


「!…ヤン代表には、危険があると…」

 ルイスは表情を強張らせた。


「トリシューラ卿を匿った時点で代表も覚悟していたことだ。アサンテが体裁を保つためには致し方ない」


「そんな…。兄上はこうなることをご存じで?一体どこまで考え、何を取捨選択されたのです?!」

 ルイスは思わず声を荒げた。知っていたのに何の対処もしなかったのか、と言いかけてしまう。


「私はアサンテを捨て、ラージャ・トリシューラを取った。だからオリクトを行使し、彼を生かすためにこうしている。ルイスも考えたはずだ、いずれ彼は必要になるだろうと。アサンテはガーランドの手に落ちるが、代表の命と引き換えに存続することは出来る。存続さえしていればいつかジュラの元に取り戻すことも可能だろう。あのご老人は彼が助かり、アサンテが存続できるのであれば自分の残り少ない命など安いものだと笑っていたよ」


「……」

 ルイスは目を伏せた。

 ヤンもこうなることを予期していたのだ。それを分かっていてもラージャを匿い、その後に起こる危険を察しても代表として町に居続けることを選んだ。それが代表としての誇り、代表として最後に出来ること。他人がその選択をどうこう言うのはあまりにも傲慢であった。


 ミハイルは無力感に苛まれている様子のルイスの頭をそっと撫でた。

「どれほどの才に恵まれ己を磨き力を蓄えようとも、大きな流れの前では人はあまりにも無力だ。抱えすぎては流れに飲まれ前へ進めなくなる。何かを得るために何かを捨てる選択をしなければならない時は必ずある。その時に私たちのような存在は選択を間違わないよう、抱えているものの価値や意味をよく理解しておかなければならないよ。すべてを選んですべてを得ることは誰にも出来はしない。それは……で、あっても、叶わなかったことなのだから…」


「……」

 最後の方がよく聞き取れなかったが、ミハイルの言っていることは最もだった。誰しも全部を選んで全部を得ることは出来ない。人の手はあまりにも小さく、抱えることが出来るものは極僅かでしかない。使える手段はいくつかあろうとも、それは無限に選べると言うことではないのだ。


 荷馬車は間もなくベリゴール街道を過ぎる所だ。

 ビシュ参道まであと数時間、到着まで休むと言ってミハイルは再び瞳を閉じた。

 ルイスはテレジア方面に視線を向け、木々に隠れて見えなくなるまで街道の奥をしばらく見ていた。





 テレジア市近郊 ドナの料理屋



 ルイスたちと別れたユーリは、サーシャの気配を追って以前訪れた無人の料理店へと辿り着いていた。

 荷馬車を降りた時からサーシャの所在地は変わっていない。分かりやすく隠蔽魔晶を解いているのはユーリにここへ来いと誘っているのだ。


 料理店へ続く坂道を登りながらサーシャ以外の人の気配を感じて、ユーリはなるほど、と息を吐いた。わざわざ足を運んできただけあって準備は周到と言うわけだ。シオンの気配ではないことから印の交換も兼ねているに違いない。

 サーシャ以外に気配は三つ。一人はただの人間だが、残りの二人はオリクトとなんらかの所縁がある者だ。オリクト所有者はもちろんのこと、印は独特の気配を纏うのですぐに分かる。気配だけでは判別しきれないが、これが『(つるぎ)』の印でないとすれば更に別の所有者が関与してる可能性があると言うことだ。やはり大きな戦となれば集まるオリクトはこれからも増えていくだろう。


 ユーリはいつでも刀を抜けるよう左手を添えて扉に手をかけた。

「……」

 特に仕掛けはない。なんらかの魔晶がかけてあるかと思ったがすんなりと中へ入れた。

 さっと中を見渡す。間取りは覚えている。

 サーシャは窓際の席に腰かけて呑気にティータイムの真っ最中だった。相変わらずな自己陶酔にでも耽っているのだろう。吐き気がする。


「いらっしゃい、ユーリ。ジュラを離れたって聞いていたからもう近くにはいないのかと心配したのだけど、まだ会えて良かったわ」

 ふっ、と息を吐いてサーシャは微笑んだ。

 隠蔽魔晶をかけていたおかげでもあるが王城に侵入していたことには気付かれていない。最も、『剣』の内部にいる状態では気付こうにも不可能ではあっただろうが。


「それで?」

 ユーリは店内を進み、残りの人物を目視で確認する。

 どこかで見たことがある若い騎士と、見知らぬ男。それと、奥の一人は知っている気配だ…。

 騎士はガーランド様式の軽装を纏っている。王家がつけた護衛だろうか。

 仮に全員を相手にするとなっても後れを取ることはないだろう。


「そちらにかけて。お茶はいかが?」

 サーシャは丁寧にポットから紅茶を注いで目の前の席に差し出した。


「結構です。貴女が用意したものは口にしたくないし触りたくもない」

 ユーリはドカッと雑に椅子に腰かけると差し出されたカップを横に避けた。


「相変わらずね。でもそう言ってもらえて助かるわ。最低限の礼節を欠いてはいけないと思って用意したものだから、これでユーリには二度とお茶をふるまわなくて済むもの」

 サーシャは嬉しそうに胸に手を当てる。


「そうして下さい、私も二度と貴女に毒を盛られずに済むので助かります」

 ユーリは無表情のまま足を組んだ。

 遥か昔、政略的な理由で婚約者にどうかと勝手に推されて以来、サーシャからは悪意の感情を向けられて何かと嫌がらせをされてきた。

 どこまで効果があるのか試したいなどと笑いながら毒を盛られたり、対応力を知りたいと何人かの手練れをけしかけられたこともある。しかし、どれもユーリにとっては大した嫌がらせにはならなかったのと、そもそも興味のない存在だったので無関心を貫いて放っておいたことがよりサーシャの神経を逆なでしていたらしいと言うことは、後にヒイラギに教えられて知った。

 陰湿な行動は徐々に度を越えて行き、そうして迎えた国の崩壊を決め手に、ユーリのサーシャに対する感情は無関心から嫌悪へと変わり、今に至る。



「ゴホン」

 騎士風の男が呆れた様子で咳ばらいを一つ。

「歓談中失礼。…私はフランツ・ロッド。此度はオレド国王陛下の目と耳として同席しているだけですので貴公らのやり取りには一切関与致しません。ですが、私も暇ではありません。簡潔に話を進めてもらえますか」


 フランツと名乗った騎士風の男はユーリに視線を送った後、サーシャの方へ向き直った。

 男ははっきりと、オレドの目と耳として、と名乗った。護衛ではなく。今回のサーシャの行動は個人的なものであり王家とは無関係だと明言したようなものだ。つまりは、ユーリがここでサーシャを殺そうが手傷を負わせようが構わないと言うことでもある。

 ならば好都合だ。正式にジュラ連合の傘下に入る前にことが済ませられれば面倒が一つ減る。

 もう一人の男はカウンターの席に腰かけたまま微動だにしない。ユーリへ視線を向ける素振りもなかった。妙な気配はこちらの男のものだ。

 何者かは不明だがサーシャ側として同席している時点でユーリにとってはやはり敵である。


「騎士様はせっかちで困るわ。…話を戻しましょう、私からの提案を考え直してはくれないかしら?」


「考える余地もないと断ったはずです」

 ユーリはまたその話か、と苛立たしげに眉をひそめた。

 取引と言うのは、テレジアの森でシオンの口を介して提案してきた対価の話だ。それは、ユーリの対価になるものを用意してやるからこちらの対価を代わりに払えと言う不愉快極まりない提案だった。…思い出すだけで本当に気分が悪くなる。


「それが理解できないの。貴方に損はないしとても有益な取引なのに何故?」


「はっ?どこが。私は貴女が…、貴女のような自分の価値観だけで物事を判断する人間が心底嫌いです。話をするのも嫌ですし、視界にだって入れたくない。同じ空気を吸っていることさえ不快。私の言っている言葉は理解出来ますね?」


「そうね、私もそれには同意なのだけど、それでも欲しいもののためなら目を瞑ることが出来るものよ。ユーリだって、そのために何だってするでしょう?何を犠牲にするかなんて、些細なことよ」


「…本当に、うんざりするな…」

 ユーリは大きくため息をついて席を立った。

 相手のことを全く理解する気のない自己中心的な人間との会話はとにかく疲れる。どう答えようとも自分の欲しい答え以外の話は聞く気がないし受け入れる気もないのだから。

「私を待っていたと言うなら、実力行使は想定内でしょ。時間の無駄ですからやるならさっさとしてください。私はこれ以上、貴女と会話を続ける気はありません」

 立ち上がって刀に右手を添える。


「ヒイラギ様が昔、私に言ったの。私にユーリのような才と力があれば、こうはならなかっただろうって。その通りだと思ったわ。私はいつだって欲しいものを手に入れるためには何でもしなければならなかったのだから。力も知恵も私には与えられなかった。だからね、色々と巡らすの、そうでもしなければ私は貴方たちに触れることさえ出来ないもの」

 サーシャは微笑みながらユーリを見上げた。

「ねえ、『(そう)』とジュラにいるつもりならいずれ分かるでしょうけど、あのオリクトがこの後どうなるか先に知っておいた方が良いと思わない?」


「興味ありません。それがどんな影響を与えるとしても首を縦には振りませんよ」


「貴方には関係ないでしょうね。けれどルイス様は…『(しょう)』はどうかしら?私たちには計り知れないオリクト。他のオリクトが暴走でもしたら、どうなるか分からないわよね?」


「ああ、そういう脅し?」

 ユーリは鼻で笑って眉をひそめた。

 何かしらの脅迫にルイスを混ぜてくることは予想していた。程度の低い煽りごときではどうも思わないが…しかし、ルイスの名を口にされるのがこんなにも腹が立つとは思わなかった。煽りとしては成功しているのかもしれない。

 サーシャは自分にとって利用価値がある人間にだけ敬称を付ける。それ以外の人間は消耗品か、障害物と言うくくりだ。ルイスに敬称を付けているあたり、いずれ利用するつもりでいると言うその思考が何よりもユーリを不愉快にさせた。


「ジュラが匿っているロスターの姉弟が『争』の所有者なのはユーリも知っているわよね。あれは対価によって所有者は死ぬ運命にあるの。だからいつも所有者は二人。片方が死んだあと、次の所有者となるように必ず二人を選ぶの」


「二人のうちの一人の命が対価だと?」

 ユーリはちらりと部屋の奥に視線を送った。


「ふふふ、興味がわいた?正確には命ではないわ、対価は悪意。向けられる悪意、もたらされる悪意。戦の中で悪意は膨らみ続け、いつか暴挙となって所有者に降り注ぐでしょう。これは所有者も身代わりも関係ない。どちらが先に死んでもどちらかが所有者となり、再び身代わりを見つけては対価を得るための争いを繰り返す。そうよね?」

 サーシャは問いかけるようにカウンターに座る男に投げかけた。


「『争』は悪意を増長させるために戦のきっかけを作る。そうなるように仕向けて行く。対価を得るためならば所有者を犠牲にするのも厭わない。それが自然の摂理かのように」

 カウンターの男は瞳を開いて静かに答えた。すべてのことに絶望し疲弊し、感情を失ってしまったかのような暗い色の瞳はいつかの自分と重なって見える。


「…意味深に語るけど、どこの誰?」

 ユーリは訝しげにカウンターの男を指さした。


「彼は私の協力者よ。ああ、言い忘れていたけど、私は今ガーランドに所属しているの。気付いているとは思うけど、『剣』には所有者がいる、『争』のせいでね。すべてあのオリクトが始めたこと。『剣』はいつ暴走してもおかしくないのをどうにか凌いでいる状態なの。ユーリも『剣』は人が所有するものではないのは覚えているわよね。オリクトの暴走はあなただって見たくはないでしょう?だからね、お互い過去のことは一度胸に収めて手を組みましょうよ?」


「嫌です。貴女の言うことなんか何一つ信じられないし、胸の奥に欠片だって収めたくない」

 ユーリはきっぱりと言い放った。


「そう…。本当に残念だわ」


「アヤは理解し、決断した。自らがどうすべきなのか」

 男が立ち上がってユーリをじっと見つめる。


「何ですって?」

 ユーリは男を見返した。アヤが理解した?彼らはすでに『争』を味方に引き入れて手中に収めていると言うことか?

「…それなら、なぜ私が協力する必要があるんです?そちらの手に所有者がいるならすでに事は終わってるんじゃないんですか」


 サーシャはため息をついて頬に手を当てる。

「そう簡単なことではないのよ。所有を外すのはとても難しいわ。命が尽きれば外れるけれど、それでは意味がないでしょう?結局は片方が所有者になるだけだもの。どちらも生かして所有を外すのが彼とアヤの目的なの」


「仮にその話が本当だったとしても、貴方がたに協力はしませんよ。アヤさんが自ら選んだ道ならばどうなろうとも致し方のないことです」

 ユーリは答えながら思考をめぐらせた。

 あの姉弟が互いを守るために選んだ手段なのであれば好きにすればいいと思う。しかし、それならば何故、()()()と言ったのだろう。この話が本当なのであれば二人で行動した方が目的を達成しやすいはずだ。先ほどから所有者であるはずのイツキの話が全く出てこない。どちらも所有者となり得るのなら二人の同意があってしかるべき話のはずだ。それに、ジュラではなく、ガーランドでなければならない理由でもあるのか。


「それがね、実はエノテイアの宰相に邪魔されそうでユーリとは足並みを揃えておきたいのよ。アシュフォードの子を知っている?今はミハイル・アシュフォードと言ったかしら。ヒイラギ様のお気に入りみたいなのだけどオリクトまで持ち込んで出しゃばって来るものだから困ってしまって」

 サーシャはうんざりした様子で紅茶を一口飲んだ。


「あぁ、要するに貴女は自分の知らないオリクトに餌場が荒されそうだけど対抗できる術がなくて私をあてがおうと、そう言うことですか。それで、その隙に『争』を手に入れるのが貴女の狙いですか?管理も維持も出来ないのに?」


「それを教えるには協力してくれないとね?」

 サーシャはふふ、と微笑んだ。


「何を狙っていようとも私の答えは同じことです。貴女には今ここで退場してもらいますから」

 ユーリはサーシャを見下ろして構えた。


「剣を抜くのならば俺が相手をする。この女には今しばらく生きていてもらう必要があるからな」

 男が外套をひるがえしてユーリの方へ向かってきた。

 両側の腰には二本の湾曲した剣が下げられている。右手と左手、両の手で弧を描くように曲刀を抜き取り身構える。


「二刀流か…」

 この辺りでは見ない構えだ。アランドールよりも更に南方の地域で扱われている剣技に二刀流を扱うものがあった気がする。

 ユーリの刀の半分ほどの長さの曲刀は、間合いが狭く切り込むには相手に深く踏み込まなければならない。その反面、扱う側は距離感が測りやすく切り返しも迅速に行えるので長剣よりもずっと扱いやすい。

 独特の曲がった刀身は剣筋が読み辛いので近距離戦や複数人に囲まれた時などは非常に有益だ。狭い室内や障害物の多い場所で踏み込まれれば避けるのは困難である。

 であれば、相手の間合いや力量を探るよりも先にこちらから仕掛けた方が有利だろう。


 ユーリは男を見据えたまま刀を構え、男に向かって先ほどまで座っていた目の前の椅子を蹴り上げた。

「!」

 男が椅子を避けている隙にユーリはサーシャの首元目がけてまっすぐに刀を引き抜いた。サーシャの意識は一瞬椅子の方へ取られていて警戒が緩んでいる。

 男は、一手反応が遅れながらも右手の曲刀をユーリめがけて投げた。


「ユーリさん待って…っ!!!!」


 アヤの大きな叫び声が響いてユーリはぴたりと手を止めた。ひゅん、と刀を振る音が後からついてくる。

 男の投げた曲刀はユーリの腕をかすめて、ドンと鈍い音と共に壁に突き刺さった。

 ユーリは声の方へ視線を向けてアヤの顔を確認して眉をひそめる。

「理由をうかがっても?」

 かちゃりと鍔が鳴く。

 首の頸動脈を捕らえた刀身を、じわりと滲む鮮血が赤く染める。


「…っ…」

 サーシャは震えているのを気付かれないように奥歯を噛みしめてそっと呼吸を鎮めた。

 動脈にかかる手前。首筋に薄く刺さったまま微動だにしない刀身が今にも動脈を切り裂かんとしている。

 アヤが止めていなければ今頃、床一面が血の海になっていた。自分が少しでも動けば、ユーリが少しでも刀を右に動かせば、一瞬で血が噴き出すことだろう。

 熱いようで冷たい刀の感触は、遠い昔にユーリに一度殺されかけた時の記憶を思い起させる。

 あの時はユーリが感情に支配されていて冷静ではなかったのでオリクトを使って一命を取り留めることが出来た。

 しかし今は違う。冷静に思考し、確実に殺すことだけを目的として刀を抜いた。確実な死をもたらす一振り。声一つ上げる喉の動きでさえ生と死を分かつ。


「…っ、わ、私はイツキを助けたい…!そのためにはその人たちの力が必要なんです!」

 アヤは、ユーリの眼差しの奥にある敵意にも似た感情を感じながら必死に声を振り絞った。


「イツキ君を助けるためには、この赤の他人と手を組むしかないと、そう結論付けたんですか?頼るのは、マルシュさんではなく?」

 ユーリは棘のある口調でじっとアヤを見つめる。

 アヤは暖かな日差しのような光を纏っていた。視界が、何か、吸い込まれるような感覚がする。

 これが悪意を対価にすると言う『争』の力か。

 サーシャに対する怒りや殺意さえ吸い込まれるかのようだ。感情を沈めなければ刀を落としてしまうほどの眩暈に襲われそうになる。


「きっと、ユーリさんには…分かりません…」

 アヤはいたたまれない表情でユーリから視線を外した。


「分かりませんよ、私も他人ですから。でも他人ではないイツキ君が一緒にいないのは何故です?貴女が頼ろうとしている人たちはガーランド側の人間ですよ。マルシュさんたちと敵対することになることも理解した上で決めたことなんですね?」

 ユーリは静かに息を吸い込んで『(げん)』の魔晶を起動させた。

 どうもこの『争』とは相性が悪いらしい。遮断しなければ心の中で抑え込んでいる負の感情が引っ張り出されそうだった。自分の性質がそちらよりだから強く影響を受けるのかもしれない。

 こんな場所で、思い出したくない記憶と二度と感じたくない感情に苛まれるのだけはご免だ。


「……そう、です……。だって…そうしないと、イツキが死んでしまうから…セレアノさんだってそうやって…」

 アヤは消え入りそうな声で涙を浮かべながら呟いた。


「それ以上話す必要はない」

 男がアヤの言葉を遮るように二人の視界の間に割って入った。

 ふっとアヤの周りからオリクトの光が消える。


「……」

 ユーリは瞳を閉じて遮断の魔晶を解いた。

 アヤは印だ。それが今、ユーリに対してオリクトの魔力を感じるほどの力を奮った。おそらく無意識に。所有者の意思が介入していなければ印にそんな芸当が出来るはずがない。ジュラを離れている間に、イツキとアヤの間に何か重大なことがあったのかもしれない。

「分かりました、そちらを選ぶしかなかった理由があるんでしょう。アヤさんのために今回はサーシャの命は取らないでおきます。…ですが、二度は譲りません。アヤさんが自分の目的のために意思を貫くように、私は私の立場を全うするために刀を振るう。邪魔をするのならば誰であれ敵とみなします」

 ユーリは首にあてがっていた刀をすっとおろした。

 机に置かれている紅茶用のポットを手に取り、刀身に湯を浴びせて血をすすぐ。

「サーシャ、私は貴女とは二度と会話をしたくない。次は口を開くよりも先に首をはねますから」

 命拾いしてほっとしている様子のサーシャを冷ややかに睨みつけて、ユーリは刀を一振りして水滴を払った。

 ピリピリと張りつめた空気の中、料理屋を後にする。



 外へ出て扉が閉まると、ユーリは大きく息を吐いて髪をかき上げた。

 足早に坂を下りながら、ミハイルに人らしさを取り戻していると言われた言葉の意味を今まざまざと実感させられてしまった。

 サーシャを仕留めなかったのはアヤが止めたからではない。”何故”なのかと考えてしまったからだ。

 ユーリにとってはアヤもイツキも、自分の目的を阻害できるほどの存在ではない。どちらかと言えばどうでもいい。彼らがどうしようと、どうなろうと、知ったことではない。

 しかし、そこにルイスの顔が浮かんだ。

 ルイスならば、その”何故”を知ろうとしただろうと思ってしまった。彼らには他に道がないのか考えただろうと思ってしまった。予想もしないことを提案し、出来もしないことをやろうと一生懸命に奮闘するのだろうなと思ってしまった。

 そうしたら、手が止まっていた。好奇心が勝った。ルイスならどう感じ、どう考えるのかを知りたくなってしまった。その時、どんな表情をするのか見たくなってしまった。

 絆されたとはこう言うことも指しているのだろうな、と、ユーリは苦笑いを浮かべる。

 立ち止まって考えを切り替えるために一呼吸を一つ。そうして、テレジア方面の森へと足を進めた。




 ・・・


 ユーリの気配が遠ざかって行くのを感じながら、男は扉を一瞥して壁に突き刺さったままの曲刀を引き抜いた。

 曲刀を鞘に納めながら、ユーリの立っていた位置取りを凝視する。

 ユーリはこちらの獲物を見て、瞬時にどう動くべきか判断したようだった。サーシャへの一振りに一点集中した驚異的な速さは聞いていた通り、目で追うのがやっとだった。

 しかし、反応が出来ないほどではなかった。椅子を避け、すぐに曲刀を投げた。ユーリの意識はサーシャに向いていて、こちらの攻撃に対して回避行動を取ることは不可能だった。仮に避けられたとしても、確実にひるませられる場所に当たるよう体の中点を狙った。

 しかし…。曲刀はユーリの服を僅かに切り裂いただけで壁に刺さった。まるで時を止めて避けたのではないかとさえ訝しんだ。

 今こうしてゆっくりとユーリの立っていた位置、その時の動きをよく思い返して見ると、そのあり得ない出来事がどうして起こったのか理解できた。

 そもそもユーリは最初から当たらない位置取りで刀を抜いて踏み込んだのだ。

 こちらの反応を僅かに遅らせることで切り込ませずに曲刀を投げるよう仕向け、それが自分にどう飛んでくるかの軌道をすべて読んだ上での動き方だ。

 男は武者震いを感じずにはいられなかった。高い経験値から最善手を導き出す一瞬の判断能力に、それを実行可能にする優れた身体能力。どれをとっても人間離れどころの話ではない。安い賞賛では侮辱にさえ値する。恐怖と言うよりもその才能の高さに単純に感心せざるを得なかった。

 そして同時に、ひどく虚しさにも襲われた。

 『それだけの力と才能があれば私はこうはならなかった』と、先ほどサーシャが言っていた言葉は男にとっても当てはまることだった。

 この戦の元凶、始まり。あの日あの時、あれだけの力があれば大切なものを失わずに済んだのだろうと思わずにはいられなかった。そうすればこんなことにはなっていなかっただろう。そうであれば、どれほど良かったことだろうかと…。

 男は過ぎた出来事への悲しみに拳を固く握りしめた。


「…ふー…」

 サーシャはようやく呼吸が出来たと言わんばかりに大きく息を吸い込んで吐いた。

 ちりちりと焼けるような痛みのする首の傷に触れると、ぬるりとした血の感触があった。


「サーシャさん!大丈夫ですか?!」

 アヤは持っていたハンカチを差し出して駆け寄る。


「結構よ」

 サーシャはアヤの手をぱしんと払った。

 首の血をさっと(ぬぐ)い、すっかり冷めてしまった紅茶を手にかけてすすぐ。

 自分のハンカチで手を拭きながら男を見上げた。

「トール、どう?本物の化け物に対峙した気分は。あなたたちの手に負えるかしら?」


「…負えなければ、負えるようにするのがおまえらの仕事ではないのか…」

 トールと呼ばれた男は特に何の感情も表に出さずにサーシャを見下ろした。

 その瞳を暗く染めるのは、もう戻れないと言う諦めにも似た覚悟だ。


「ふふ。そうね、とても苦労はするけれど、色々と巡らすのは楽しいから好きよ。…それでは、フランツ少将、仔細の報告をよろしくお願いするわ。あなたが見て感じたこと、新王様はとても興味を持ってくださるでしょうから」

 サーシャはアヤの後ろで呆然と立ちすくしているフランツに目を細めて微笑みかけた。


「…そう単純であれば良いのですが…」

 フランツは眉をひそめながら答えた。

 今自分が見た光景は、言うなれば観劇を見ているようだった。あまりにも現実味のない一瞬の出来事だった。

 ユーリと呼ばれていた異国風の男のことは以前もテレジアで見かけたので知っている。ただ者ではないことは感じていたが、それ以上だ。あんなものただの人間が相手を出来るはずがない。目の前で間違いなく見ていたはずなのに、始まりと終わりしか認識できなかった。


 フランツは深いため息と共に裏口から料理屋を出た。水路の傍に付けていた馬に(またが)り勢いよく駆け出す。

 戴冠式の前に一度戦線に戻るオレドへの報告のため、ガーランド領からアサンテ方面へと馬を走らせながらフランツは苦悩に表情を曇らせた。

 自分の見たままを報告するのは気が重い。

 オレドと言う男は、昔から戦場を駆け回り、強者や強大な魔物と対峙することを好む生粋の戦士だった。報告を聞けばあの男に興味を抱くのは間違いない。そうすれば、自ら最前線で剣を奮いたがるだろう。そこにオリクトが関与していようといなかろうと、オレドの戦意には関係ない。己の生き死にさえもだ。

 この戦は、十五年前にジュラが侵した罪を償わせるものであったはずだった。そのためにフランツ自身も剣を磨き、騎士として地位をあげた。オレドは優位な立場を作るために王太子として力をつけ、リーンは復讐のために何年もテレジアに潜入し機会を窺ってきた。

 すべては、あの日失った権威や尊厳、大切なものを取り戻すために。

 それが、様変わりしていると気付いたのは、ルーナが師事すると言うあの魔晶士を紹介された時からだ。

 ガーランド国宝の『剣』のオリクトを始め、他のオリクトを携えた所有者たちの思惑や怨嗟が複雑に絡み合い、得体の知れない戦へと変わりつつあるように思う。

 騎士の誇り、国と、そしてオレドの憂いのためにフランツは戦うと誓いを立てているが、果たしてそれは自分と、国と、オレドのためになるのだろうかと思わずにはいられなかった。

 料理屋でのやり取りで、この戦の根底にあるものを垣間見たような気がしたからかも知れない。

 人の戦など、結局はオリクトの力に翻弄されるだけでどうにでも変わってしまうものなのだと。それはあまりにも無為であり、人の手ごときではどうにもならないものなのだと。


 言い知れない不安を振り払うかのように、フランツは馬を急がせた。




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